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第四話

「うう……」

「頑張って花夜ちゃん」

「はい、頑張ります……」

 唸るわたしの足元で鈴ゑさんが激励を飛ばしている。

 わたしはそっと手を伸ばして美しい青色の江戸切子を手に取る。それを持ち上げている間に、小さなほうきで撫でるように棚を掃いていく。

 商品を持ち上げ棚を拭いては商品を下ろす。それを何度も何度も繰り返すのは、実に単調な作業だ。

 けれども、わたしが今持ち上げている江戸切子は割れ物で。それだけでも緊張するというのに、更にわたしを慄然させている理由は他にもあった。

 雑多屋には、お手頃の安いモノからはたまた庶民では買えない高いモノまで実に様々な値段の品物がある。

 値段が違うからといって、安い値段の商品を雑に扱うなんてことはしない。けれど、硝子商品など壊れてしまいそうな代物ほど、どうしても緊張してしまうのだ。

「もし、落としちゃったらどうしよう……」

「花夜ちゃん、口に出したらその通りになるからやめた方がいいわよ」

「うう、はい……」

 前脚を器用に使って雑巾で床を拭く鈴ゑさんに窘められる。わたしは呻くように頷いた。

 慎重に慎重にわたしが作業を進めていく中、鈴ゑさんは慣れた様子で床の汚れを落としていく。その動作に無駄はなく、わたしは感心した。

 御空くんが店の奥に引っ込んでいる間、わたしが困った時には鈴ゑさんがすぐに現れてくれる。

 商品の位置を訊かれればぱっと答えられるし、要領もよく接客がとても上手いのだ。

 どんな客が来ようとも普通に自然体で接するその姿は尊敬に値する。

 そして、何より鈴ゑさんはこの場によく馴染んでいる。

 誰かが何かを言った訳ではない。でも、この場の全てのモノが鈴ゑさんのことを「ここにいるのが当たり前」と認めているような気がして。

 ――わたしもこんな風に馴染めるのかな……。

 不意に着物の裾を引っ張られて意識が戻った。

 視線を下げれば、鈴ゑさんが心配そうにこちらを見上げていた。

「どうかした?体調悪い?」

「何でもないですよ」

 たたでさえ自分は不安定で無知で、鈴ゑさんに心配をかけているのだ。これ以上心配をかける訳にはいかない。

 暗い感情を押し込めて、わたしはさっと笑顔を浮かべる。

「それならいいんだけど……」

 そう呟きながらも鈴ゑさんは何処か不満げだ。

 ――ほんと、心配かけてばかりだなぁ……。少しでも役に立てられるように頑張らないと。

 わたしは膝を折ってその小さな頭をゆるりと撫でた。

 わたしたちが掃除を終えた頃、扉の向こうから声がした。

「おーい、誰か開けてくれー」

「あ、はーい」

 聞こえて来た声に返事をして、扉を開ける。

 大きな箱を抱えた御空くんが売り場へと入ってきた。

 台の裏にその箱をどすりと置いて、ふーっと息を吐き、ぐぐっと腰を伸ばすその仕草は少し年寄りくさい。

「掃除は終わった?」

「終わりました」

「それじゃあキリも良いし、そろそろ休憩しようか」

 無理は禁物だからね、と御空くんがわたしの手首を掴んで歩き出そうとする。

「え?わたしも、ですか?」

「ん?そうだよ。美味しいお茶が届いたから一緒に飲もう」

「でも、それだと店番をする人がいなくなってしまうんじゃ……」

「心配ご無用よ!」

 わたしが眉尻を下げたその時、足元から声が聞こえてきた。言わずもがな、鈴ゑさんの声である。

「あたしが店番をするから心配しなくても大丈夫よ」

 そう言って、鈴ゑさんが一際高く跳んだ。ちりん、と大きく鈴が鳴る。

 すとん、と軽やかに着地した真っ白な足。でもそれは獣の足ではなく、白足袋に草履を履いた人間の足で。

 目の前にいるのは、兎ではなく人の姿をしたモノだった。

 傷一つない健康的な肌に、意志の強さが感じられる少しつり上がった目。長い白髪は癖などなく艶やかで毛先が黒く、それは大ぶりの鈴がついた緋色の組紐で後ろに一つに結ばれている。

 突如現れた女性のあまりの美しさに同性ながらもわたしは息を呑んだ。

 映画女優よりも綺麗かもしれない。

 その容姿もさることながら、特筆すべきはその服装だ。

 ……み、巫女さん?

 白衣に緋袴といった装いは何処からどう見ても巫女だった。

 わたしは咄嗟に出そうになった「どちら様ですか?」という言葉を飲み込む。一瞬驚いたものの、冷静に考えてこの状況で目の前の人物が誰だか導き出される答えはただ一つ。

 恐る恐るわたしは訊ねる。

「えっと……鈴ゑさん、ですよね?」

「そうよ!」

 腰に手を当てて巫女――もとい、鈴ゑさんはっきりと肯定してみせた。人間の姿になっても変わらない長い耳がピンッと立った。

「鈴ゑさんって人間に変化できたんですね」

「ええ。まあ、兎の姿の方が楽だから普段はそっちの姿でいることが多いけど」

「兎の姿だったら花夜の膝の上に乗れるし、撫でてもらいやすいからね。ほんと、羨まし……うおっと!?」

 やれやれと肩を竦めた御空くんが咄嗟に体を傾けた。

 鈴ゑさんが舌打ちをし、空振りに終わった伸ばした足を床につける。

「全く、すぐ手が出るんだから。あ、この場合は手じゃなくて足か」

「五月蠅いわよこの助兵衛野郎!」

「失礼な。花夜以外にはしないよ」

「堂々と言うな!」

 御空くんと鈴ゑさんの言い争い(?)をわたしはただただ黙って見ていた。いや、見ていることしかできなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 御空くんの発言に突っ込むべきであろう点が幾つもあったのだけれど、本人のわたしよりも鈴ゑさんの方が怒っているので、まあ、いいかとわたしは思ってしまった。あれだ、他が騒いでいたら自分が冷静になるやつだ。

 暫く続けた後、少々息を切らしながら鈴ゑさんが「兎に角!」と声を張り上げた。

「店番はあたしに任せて、花夜ちゃんはゆっくり休んできて。もしあたしのことを視えない人間が来た時は店の中に入れないようにしておくし、もし悪さをしようとする奴がいたらあたしたちが制裁を喰らわしておくから」

 良い笑顔でぐっと拳を上げた鈴ゑさんに、わたしは少しだけ頰を引きつらせた。

 ――お客さんを店の中に入らせないようにするのは問題なのでは?それに制裁って……いや、深くは考えないでおこう。

 鈴ゑさんの細腕で何ができるのかはわからないが、鈴ゑさんも歴としたあやかしな訳で。

 先程の蹴りも素早い動きで見事なものだった。きっと御空くんだったから避けられた。わたしだったら避けられなかっただろう。

 いろいろと訊くのもどうかと思い、わたしは口を噤んだ。世の中、知らない方が良いことだってあるのだ。

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 わたしは丁寧に頭を下げる。

 扉を開け廊下に出ようとした御空くんに続こうとした時、「あ、そうだ」と御空くんが何かを思い出したかのように呟いた。

 御空くんが先程置いた箱を指差しながら鈴ゑさんに言う。

「鈴ゑ、そこの箱の中身出しといてくれると助かる」

「了解ー」

「じゃ、頼んだよ。さて、行こうか花夜」

「いってらっしゃーい」

 わたしは手を振る鈴ゑさんにもう一度ぺこりと頭を下げて、御空くんに促されるまま売り場を後にする。

 ――御空くんも鈴ゑさんも切り替えが早いなぁ……。

 と、無駄に感心をしながら。



 廊下を歩きながら、わたしはふと思いついたことを御空くんに訊ねる。

「鈴ゑさんがお茶を飲んだり食事をしたりしているところを見たことないんですが、あやかしって飲食しないんですか?」

「んー、定期的に取らないといけない奴もいれば、一度取ってしまえば数年はいらないって奴もいるかな。あやかしそれぞれさ」

「十妖十色……ですか?」

「そーそー。あと、人間が食べている物に関しては、食べても特に問題はないみたい。でも、食べたからと言って本当の意味では腹が満たされていないことがほとんどかな」

「あやかしたちにとって人間の食べ物は嗜好品ってことですか?」

「そんな感じ。でも、一概にはそうは言えないな。香りとかを源にしている奴らもいるし。ほら、お香とか煙管を買っていく客もいるでしょ?他には、植物みたいに光を摂取している奴らもいるし。あとは、嬉しいとか悲しいとかそういった感情を喰っている奴らもいる。魚だって動物だって他のあやかしだって喰うし、あとは――」

 御空くんがわたしを一瞥し、軽い口調で続けた。

「人間を喰うあやかしもいるね」

「に、人間を……」

 ごくり、とわたしが唾を飲み込む。脳内でその光景を想像してしまい一瞬固まりかけたが、かぶりを振って直ぐに想像を打ち消す。

「……それは、冗談、ではないんですよね?」

「冗談、と言いたいところだけど、冗談じゃないんだよなー」

「……ですよねー」

 一縷の望みを掛けて訊いてみたものの、御空くんに直ぐ様否定された。

 無言のわたしを横目に見て、御空くんが茶化すように言う。

「怖かったら僕にくっついてきてもいいんだよ?」

「……大丈夫です」

「またまたー。ほんとは怖いくせにー」

「……御空くんは、わたしのことを怖がらせたいんですか?」

「うん。そして、あわよくばくっついてきてくれないかなーって思っています」

「絶対にくっつきません!」

 隠すこともせず悪戯っぽく笑う御空くんに、わたしはむっと顔を顰めて「全くこの人は!」と心の中で悪態をついた。

 あやかしについていろいろと教えてくれる御空くんだが、こうしてからかってくることもあるから困ったものである。

 尤も、確かに御空くんはわたしのことをからかっていると言えばからかっている。だが、それはあくまでわたしの反応を面白がっているだけで、「あやかしが人を喰う」という彼の言葉は嘘ではないのだろう。

「まあ、あやかしが人を喰うのは本当だけど、花夜はあやかしを引き寄せる体質じゃないしね。引き寄せて即喰われる、なんて心配はしなくてもいいよ」

「そ、そうですか……」

 ――あやかしを引き寄せる体質じゃなくて良かった……まあ、記憶喪失っていう厄介なものを抱えているけど。

「花夜」

 名前を呼ばれてわたしははっとした。

 俯けていた顔を上げる。

 澄んだ空のような青い瞳が、静かな眼差しでわたしを見つめていた。

 御空くんがわたしに手を伸ばし、そっとその頭に手を置く。

「あやかしが関わっていようとなかろうと、気をつけなくちゃだめだよ」

 わたしの頭を撫でながら、言い聞かせるように御空くんは告げた。

「それと、何か困ったことがあったら直ぐに相談するように」

「……わかりました」

「よしよし。だけど、花夜は一人で抱え込む性格だから心配だな」

「……ちゃんと相談しますよ?」

 多分、と心の中でわたしは付け足す。

 できることなら自分で対処したいところだが、実際にその時になってみないとわからない。

 自分が相談することによって他人に迷惑を掛けたくはない。けれど、相談しなかったから余計に迷惑を掛けることになるのだけは避けたいところだ。

 そんなわたしの考えなど御空くんにはお見通しらしい。

 急に目の前に小指を突き出してきた御空くんにわたしは首を傾げた。

「御空くん、この小指は何ですか?」

「花夜がちゃんと約束を守ってくれるように指きりでもしようと思って」

「指きり……」

 ――そんな、子どもじゃないんだから。

 御空くんに呆れるべきか、それとも笑うべきか。

 微妙な表情を浮かべるわたしにくすりと御空くんが笑う。

「因みに、指きりの意味って知っている?」

「えっと、『約束を守る証拠として指を切り落とします。それでも嘘をついたら、制裁として握り拳で一万回殴って針を千本呑ませます。だから、お互いに約束を破らないようにしましょうね』みたいな感じでしたっけ?」

「そーそー。それじゃあ、指きりの起源って知っている?」

「いえ知らないです」

 小さい子でも知っている約束のおまじない。けれど、それの起源なんて知らないな。

 でも、「指を切り落とす」と言っている時点で何となく嫌な予感しかしない。

「あの、御空くん。別に説明していただかなくてもいいですよ?」

「まーまー、遠慮なさらずに」

 断ろうとするわたしをさらりと流して御空くんは説明し始めた。

「時は江戸時代。遊女が客に対して不変の愛を誓うための証拠として、小指の第一関節から指を切って渡していたんだってさ。それが一般にも広がって、約束を必ず守る意味へと変化していったそうだよ」

「へ、へぇ……」

 子どもでも知っているおまじないが、まさか遊女の風習が由来となっていたなんて……。

 正直に言おう。わたしはドン引いていた。

 二度と生えてくることのない小指を切り落として、その激痛に耐えながらも、それほどまでにあなたを愛している。

 相手のことをどれほど想っているのかを伝えるためとはいえ、そこまでする必要があるのか、というのがわたしの考えである。

 ――そんな愛情表現があったなんて、昔の人は過激だなぁ……。

 それとも、恋をしたらそこまでしたいと思うのだろうか。

 恋をしたことがあるかどうかの記憶もないわたしには想像しがたい感情である。

「切り落とした小指なんて貰って、昔の人は嬉しかったのでしょうか?」

「さあ?まあ、人それぞれなんじゃない?実際に指を切る人は少なかったらしいけど、模造品の指が出回っていたぐらいだから流行っていたのは確かなんじゃないかな」

 わたしは「模造品なら……」と考えたが、直ぐにぶんぶんと首を振った。

 指を差し出すのが流行っていたこと自体可笑しいと思うが、そういう文化があったこともまた本当のことで。

 人もあやかし並みに恐ろしいことをしているなぁとわたしは独りごちた。

 不意に御空くんが歩みを止めた。

「花夜、僕の小指あげようか?」

 真剣な顔に目が逸らせなくなる。わたしは震える唇から言葉を発した。

「……い、いらないです」

「そう。それは残念」

 身を翻して御空くんが歩き出す。い、一体何だったのだろう……。

「因みに、ここでも模造品の指売っているよ」

「えっ!?」

 わたしは大きく目を瞠った。

 模造品の指なんてそんなものこの店で見たことがない。でも、それは自分が知らないだけで、店の何処かにあるのかもしれない。

「そして、本物の指も……ってあれ?花夜さーん?」

 もう何も聞きたくはなくてわたしは両手で耳を塞いだ。

 御空くんは苦笑した後、わたしの腕を掴んで引き剥がした。

「冗談だから安心してよ。模造品も、ましてや本物の指も今はここには置いてないよ」

「……本当ですか?」

「ほんとほんと」

 御空くんがそう頷いたので、ほっとした。けれど、あることが引っ掛かって、直ぐに怪訝な顔を浮かべてしまった。

「……ちょっと待ってください。さっき、『今は』って言いましたよね?」

「あっはっはー」

「御空くん!」

 思わず怒鳴るも御空くんには全く響いていないようだ。

 笑いながらすたすたと歩いて行く彼の背をわたしは追いかける。

 ――ほんと、わからないなぁ。

 飄々としていたかと思えば、真剣な顔になって。真面目な話をしていたかと思えば茶化すように笑って。

 冗談なのか本気なのか。嘘なのか本当なのか。わたしには御空くんのことがわからない。

 知らないし、わからない。

 御空くんのことも、あやかしのことも、店のことも。

 わたしにはわからないことだらけだ。

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