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第一話 出会い

 気づいたら、何処かの店の玄関の前に立っていた。

 記憶もない、お金もない、家も、多分ない。覚えているのは自分の名前だけ。

 花夜(はなよ)――それがわたしの名前だ。

 ちょっと離れて、その店を見てみる。

 見るからに年季の入った板張りと漆喰の壁。出入り口の格子戸には磨り硝子がはめ込まれており、中の様子はよく見えない。

 何かのお店だろうか。軒先には木製看板が置かれていて、そこには白文字で『雑多屋 営業中』と記されている。

 ――うーん、記憶にないな……。でも、何となく懐かしく感じるのは本当は知っているからなのか……。

 そもそも何故、わたしはここにいるのか。……さっぱりわからない。

 一人で悩んでいると、がらがらと音がした。

 目の前の引き戸が開いていく。それをただただぼうっと眺めていた。

 店の中から出て来た出て来たのは一人の青年だった。ふわぁとやる気のないあくびを一つした後、真正面からぱちりと目が合った。

 ――青い、瞳。

 見開かれたその瞳は、空のように透き通っていて美しかった。

 一瞬異国の人かと思ったが、紺の着物を着ているし、その整った顔は日本人の顔だ。異国の血がまじっているのかもしれない。

 何故か驚いている青年に、そりゃあ店の前に人がいたら驚くかと独りごちる。


「あ、すみません。わたしは客ではないんです……」


 邪魔にならないように退こうとしたその時、不意に体に温もりを感じた。


「……ふぇ?」


 何とも間の抜けた声がわたしの口から零れ出た。

 状況が理解できず、目を白黒させる。

 ――えーっと、何でわたし、見知らぬ人に抱きしめられているんだ?

 伝わってくる体温は青年のもので、どうやら自分の小さな体は彼の両腕の中にすっぽりと収まっているようだ。

 何とか理解をしたものの、抱きしめる力が緩むことはなくて。それどころか、どんどん力が強くなっている気がする。


「ちょ、痛いです痛いです痛いです!」

「ああ、ごめん。つい」

「つい!?」


 漸くそっと腕を解かれた。

 わたしは慌てて距離を取る。


「あ、あなたは一体誰ですか!?」


 勢いのままに訊ねれば、青年がピシリと固まった。


「……僕のこと、わからない?」

「……あの、あなたのことだけじゃなく、自分のことも、自分が何故ここにいるのかもわからないんですが……」


 そう素直に続ければ、青年が首を傾げた。


「それって記憶喪失ってこと?」

「たぶんそうです。あ、名前はわかりますよ。花夜と申します」

「花夜……」


 青年は何かを思案するように顎に手を当てた。

 何やらぶつぶつ言っていたが、暫くすると一人で納得したかのように呟いた。


「なるほど、そうきたか……」

「あの……?」

「ん?ああ、いやこっちの話。あ、立ち話も何だし、中にどうぞ」


 青年が扉を開けて、店の中へと入るように促す。

 わたしは恐る恐る一歩を踏み出して、艶やかな飴色の床へと足をつけた。

 天井から吊るされた丸い照明が店内を淡く照らしている。

 蓄音機やラヂヲなどはあるものの、店内に音楽はかかっていない。聞こえてくるのはカチカチという掛け時計の音だけだ。

 机の上や陳列棚には文房具や食器などの商品が並べられている。

 それだけではなく、和装本が収められた本棚、美しい飾りのついた鳥籠、木目が美しい碁盤や星型の洋灯(ランプ)、果たしてそれは需要があるのかというような代物、更には見ただけでは使い方がわからない物まで置かれており、実に多種多様なモノで溢れかえっていた。


「さあさ、こちらへどうぞ」


 青年が二脚の椅子を持って来た。

 二人で向かい合うように座る。


「僕の名前は御空(みそら)。この店の店主代理だよ」

「御空さん……」

「御空でいいよ」

「……御空くん、ここは一体何のお店なんですか?」


 きょろきょろと辺りを見回しながらした質問に、青年――御空くんの美しい青の双眸が細められた。

 御空くんはわたしに顔を近づけ、まるで内緒話をするように耳元でそっと囁いた。


「ここはね、雑多屋だよ」


 御空くんの口元が弧を描く。

 告げられたよくわからない言葉と耳に直接かかった吐息によって、既にキャパを超えそうになっていたわたしの頭が一瞬にして機能停止した。

 顔が熱くなるのを誤魔化すようにぱたぱたと手であおいでいると御空くんが言う。


「僕からも質問して良い?」

「ど、どうぞ」

「記憶喪失ってことだけど、名前以外本当に何も覚えていないの?」

「は、はい……気がついたらこの店の前にいたんです」

「つまり、住んでいた場所もわからないと」

「そうです」

「働いていた場所もわからないと」

「そうです」

「つまり、住所不定無職」

「……そうです」


 はっきり言われて悲しくなって来た。

 お金もないし、家もない、仕事もない。

 ――これから、どうやって生きていけばいいんだ……。

 ぐるぐると思考を巡らすも良い案は浮かばない。お金がなければ、何処かに泊まることもできない。まずはお金を稼がないと!


「仕事!そうだ、仕事を探さないと!」


 こうしてはいられない、と椅子からがばりと立ち上がる。

 すると、「ちょーっと待った」と御空くんに肩を掴まれた。

 そのまま肩を押されて、すとんと椅子に座り直す。


「仕事探すの?」

「はい。お金がなければ、何も始まらないので」

「なるほどなるほど。それなら、ここで働かない?」

「……はい?」

「二階に空いている部屋があるから好きに使ってくれて構わないし。住み込みってことで」

「ほ、本当ですか!?」


 多分、今のわたしは正常な判断ができていない。

 でも、住所不定で記憶喪失な人間を雇ってくれて、しかも住み込みで働いても良いという。

 こんな好条件、これから探したとして見つかるだろうか。

 ――うん、多分無理!


「不束者ですが、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げれば、御空くんが黙り込んだ。

 ちらりと様子を窺えば、御空くんがうん、と一つ頷いた。


「いいね。何かぐっときた」

「……」


 ――いろいろと大丈夫かなぁ……。

 一瞬そう思ってしまったのも、仕方がないと思う。

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