13:新婚約者の胸のうち
「レイアルーテ」
「はい」
フォンダーとの婚約発表を公にした後も、フォンダーから交流日は指定されている。
侯爵家の使用人達は既にレイアルーテが嫁いで来るのを心待ちにしているが、一方で少しずつ距離は縮むものの未だに婚約者という実感を持てないのがフォンダーである。
名前を呼んでいるし、呼ばれている。
レイアルーテが好きな花や色にフォンダーの愛読書など互いのことを知ることも多くなった。
美味しいお茶を二人で飲んで偶にレイアルーテが作る菓子をフォンダーは嫌がらずに口にする。それでも婚約者だと理解しつつ心が納得していないのは、自分が踏み込ませないから、とフォンダーは理解していた。
別に恋愛でもないし、結婚してからも仮面を被ったまま過ごすのだから踏み込ませる必要も無いのだが、伝え忘れていたことがあったことと、その理由を伝えなくてはならない、と少し躊躇していた。
だが、後継についてはレイアルーテの了承が必要。今日こそ話さねば、と意を決してフォンダーは口を開いた。
「レイアルーテ、私はあなたとの間に子を作るつもりはない」
「えっ……」
「愛人を持つわけでもなく、養子を取るのだ。もう両親と年の離れた弟から了承してもらっていて、男女問わず弟の二人目の子を後継とする。弟の妻も了承している」
フォンダーが子を作らない、と言った途端に顔を強張らせたレイアルーテを見て急ぎ訂正する。五年も婚約していた前婚約者に隠し子が居た事実はレイアルーテの心を更に傷つけているのだ、ということを思い出したからだ。
「何故、と尋ねても……?」
「私の顔のことをどう聞いた?」
「噂は、傷痕がある、とだけ。ですがフォンダー様から直接お聞きしたわけでは有りません」
言外にフォンダーから事実を聞きたい、とレイアルーテは言っていると判断し、フォンダーは一つ咳払いをした。
「これは私の両親の絵姿だ」
サロンで向かい合う二人の間にあったテーブルに伏せられていた絵姿を立て掛けて見せる。
両手を広げたよりやや大きいくらいの額縁に飾られた二人の絵は結婚当初のもの。階段の中程に大きく飾られていた二人の絵姿はフォンダーが侯爵位を継いで直ぐに外して仕舞い込んであるので、直ぐに見せられるのはフォンダーの部屋に飾られたこの大きさの絵姿しか無い。
レイアルーテは、拝見しますね、と断るとじっくりと眺めている。
「髪の色はお母様似ですの?」
レイアルーテが最初に尋ねて来たのは、髪の毛について。やはり彼女は優しい、とフォンダーは思う。他の者は仮面の下の顔はどちらに似ているのだ、と無遠慮に尋ねてくるというのに。
「ああ。そうだな。髪と目は母に似たが顔立ちは父上に似ていると子どもの頃は言われた」
鏡を見ないから今の自分がどんな顔なのか、フォンダーは知らない。その上就寝中も仮面を付けているので朝、起こしに来る家令も知らないだろう。
とはいえ子どもの頃の顔は知っているし、父の顔も覚えている家令なら何となく想像はしていそうだ、とフォンダーは思う。尚、仮面は三枚持っていて日々付け替えているので汗で蒸れる事もない。
「左様でございますか」
「私の子はこの両親に似た子か、レイアルーテに似た子にはなるだろうが私はあることを恐れている」
「あること……?」
レイアルーテは首を傾げて絵姿を返却しながら、それが子を作らない理由か、と内心を引き締めた。
「私は生まれながらに左側の額から目尻の脇を通り頬にかけて大きな痣がある」
「あざ……」
想像は出来るだろうが見るのと想像はまた違うだろう。フォンダーは更に言葉を続ける。
「子どもの頃はその痣を隠すために左側の髪を伸ばしていたのだが。マリネル……幼馴染で婚約者だった彼女にも、伝えていたにも関わらず、好奇心が止められなかったのだろうな。六歳の時にうっかり昼寝をしていた私にそっと近づいてきて髪を掻き上げた。同時に大きな声で叫ばれた。お化け、と。こんなお化けと結婚なんかしたくない、と」
淡々と当時のことを話すフォンダー。
その心の傷は、癒えたのかまだなのか。
レイアルーテは何も言えずに続きを待つ。
「私はその声で目が覚めて硬直した。顔は見ないでくれ、と言ったのに勝手に見た上でお化けと叫ぶ。なんて酷い、とは思ったが、でも確かにこんな痣のある顔はお化けだと自分でも思っていた」
悲しみも怒りも何も感じない声。
レイアルーテの方が痛くなってしまう。耳を塞ぎたくなってしまう。
「そのマリネルの叫び声に驚いた私の両親やマリネルの両親や当時の使用人達が駆けつけてきて、その皆の前で泣き叫ぶマリネルと、どうしていいか分からない私。そして私は我に返ってマリネルを宥めようと不用意に触った。腕か肩を触ったと思ったが、お化けが触らないで、と手を振り解き、私の部屋は二階にあるのだが、その二階の部屋の窓の側に居た私は振り払われた手の勢いに驚いて仰け反った。仰け反った途端に窓を割り……割れた破片が顔中に飛び散って傷痕だらけになった。血だらけの私を見たマリネルが化け物、と更に叫んで……そのまま伯爵家に帰って行った。後日、親同士が仲が良いからと結ばれた婚約は解消になった。治療費はもらったが。あの時のマリネルの声が耳に残り、傷の治療が終わり次第、私は仮面をつけるようになった」
フォンダーは、話したくないことを話すために一気に告げた。思い出したくないことだが、これを話さなくては子を作らない理由も伝えられない。
レイアルーテが黙っているので視線を向ければ静かに涙をこぼしていてフォンダーは焦る。
「レイアルーテっ⁉︎」
「あ、す、すみません、フォンダー様。私ったら泣いてしまって……。フォンダー様、今も傷は痛いですか?」
こんな話を聞いて想像しただろうに、尋ねて来るのが傷が痛むのかという確認をするレイアルーテに、フォンダーは心が暖かくなった。
「いや……傷は痛まない」
「良かった」
「そう、言ってくれて嬉しいと、思う」
フォンダーが素直に言うとレイアルーテは涙を拭ってから笑みを見せた。
「そ、それで、だな。先程も言ったように、私は生まれながらに痣があった」
「……はい」
フォンダーがまた咳払いをして話を戻し、レイアルーテは真剣な顔で頷く。
「何故、生まれながらにあったのか、私も分からないし、両親……特に母はとても気に病んでいた。私に知られていないと思っていたようだが、痣のある子に産んでごめんね、と陰で泣いていたことを覚えている」
「……はい」
「もし、私が子を作り、生まれた子が痣のある子だったら、と思うだけで私は居た堪れない。レイアルーテが欲しいと思うのなら、私との結婚は取りやめるべきだ。私はレイアルーテが気にしないとしても、私が気にする以上は子を作る気はないのだ。幸い、弟は痣が無いし、弟の子にも痣は無いから二人目の子を引き取ることにした。男女どちらでもよい、と思っていたが先日、男の子が生まれたと聞いた。もちろん痣の無い子で、その子を引き取る。これは譲れない」
フォンダーがきっぱりと宣言して、レイアルーテは少し考える。
「うまく母になれるか分かりませんが、フォンダー様と養子にした子と三人で家族になれるように努力します」
レイアルーテが快諾したことにフォンダーは戸惑いながらも、感謝の言葉を紡いだ。
「ありがとう」
「いいえ。私も気持ちの整理が終わっていませんから。家族として一緒に過ごしながら気持ちの整理を付けていけたら良いと思っているのです」
フォンダーは、納得する。確かにレイアルーテの環境は目紛しく変わって落ち着かないのだろうから。
お読み頂きまして、ありがとうございました。