10:新婚約者と執事の認識
レイアルーテが倒れたことを翌日にテフロン伯爵からの手紙で知ったフォンダーは、少しだけ胸が痛いことに気付く。
テフロン伯爵が父でありながら真っ直ぐに育ったレイアルーテ。前の婚約者に対しても五年間誠実に付き合いを続けて来たのだろうと想像には難くない。となれば、あのような話をして精神的に参ってしまうだろうことは分かっていたが、いつ社交場に戻って噂を聞かないとも限らない。
噂で聞くよりもきちんと話をしておく方が良かっただろう、という自分の判断は間違っていないと言えるが。衝撃的な話であることも確かだ。
テフロン伯爵に見舞いに訪ねる先触れを出して自分によく仕えてくれる父の代からの執事に、見舞いの品は何が良いのか尋ねてみる。
無難な所で香りが控えめの花か好きな菓子が良いのではないか、という助言を受けてフォンダーはバイク侯爵家の庭を管理する庭師に香りの少ない花で花束を作ることを執事を通して命じた。
レイアルーテは若い令嬢らしく甘い菓子は好きなようだが、流行りのキャンディよりも素朴なクッキーを好むと前に聞いたことがあったので、料理長に菓子作りが得意な者にクッキーを焼いて持って行けるようにしてくれ、とこれも執事を通して命じた。
その日若しくは次の日には行けるだろう、と考えていたフォンダーはテフロン伯爵からの返信に目を通して、花束とクッキーは後ででいい、とした。……レイアルーテが目を覚さないというのである。医者に診せたら精神的負担で疲労してしまい、目覚められないのだろう、ということで数日かそれ以上か分からない、とのことだった。
「私は今でもレイアルーテに話したことは間違いではない、と言える。……だが、心労で目覚めない程、というのは話さなければ良かったか?」
傍らの執事に独り言のようにして尋ねる。
「旦那様は間違っていないと思われます。聞いて衝撃的なことは確かでしょうが噂で知るよりは遥かに良かったか、と」
執事の返事にそうだな、と頷く。
「大変失礼ながらテフロン伯爵令嬢様は貴族令嬢としては随分と純粋に育ってしまわれたようですな。……いえ、下位貴族の令嬢ならば純粋でもやっていけますが。バイク侯爵家の女主人としていらっしゃるのであれば、この程度のことで衝撃を受けて心労で倒れるというのは……繊細で、侯爵夫人としては向かないかもしれませんな」
執事の厳しい評価に、フォンダーは何も言わない。執事の言っていることはとても正しい。貴族というのは爵位が上で有ればある程、光が当たり易い。光が当たり易いということはその影も濃くなる。その影に呑まれてしまえば、精神が病むだろう。
羨望・嫉妬・憧憬・逆恨み……。
光が強くなる程に影は濃くなる。
そういったことを呑み込んでそれでも立ち続けなくては、高位貴族など務まらない。……尤も最近の貴族はそういった影の濃さに気付かず調子に乗って自滅するか足元を掬われて消えて行く者が多くなってきたが。
更には貴族の義務がなんなのか、ということも忘れて得られる享楽に身を落として務めを果たさない者も出てきているが。そんな愚か者達とレイアルーテは違うが、影に呑まれてしまいそうな気弱さ、と考えるとフォンダーは自分の妻には迎えない方がいいとも思った。
まだ公表していないから今なら婚約解消は出来る。そこまで考えて緩く頭を振る。
「確かに一理ある。繊細では私の妻は務まらない。だから婚約を解消しようかと思ったが」
「が?」
フォンダーの躊躇う口調が珍しくて執事は目を瞬かせる。そんな執事に気付かずフォンダーは続ける。
「今、レイアルーテに婚約解消を告げるのはあまりにも酷だろう。信じていた婚約者を亡くし、その気持ちの整理も付かないうちに私との婚約が決まってしまった。その私から亡き婚約者の秘密を知らされた。……私でさえ婚約者から傷痕について色々言われた時は落ち込んだものだ。それ故に婚約を解消したがレイアルーテの場合は死んでも尚、婚約者を大切に思っていたはずだ。葬儀も最後まで居られずきちんとした別れが出来なかったと聞いた。その心残りのまま僅か一ヶ月で私と婚約させられ、半年も経たずに婚約を解消されてしまえば、彼女の傷になりそうだ」
「それはそうかもしれませんが、それはテフロン伯爵が性急に事を進めてしまった、その結果でしょう」
「それも分かる。だが」
執事は若い主人らしくない躊躇いに内心で首を傾げる。この若き主人は父親である先代よりも時に苛烈に人に見切りを付ける。その躊躇いの無さに仕える自分でさえ、何か失態を犯せば見切りを付けられる、と恐れているのに。
テフロン伯爵令嬢には随分と躊躇っている。
「だが……只でさえ亡き婚約者のことが噂になって、レイアルーテは何も汚点が無いのに傷物令嬢と揶揄され始めた。私の仮面に怯えるわけでもなく、傷痕を見せろと言うわけでもなく、仮面で息苦しくならないか、と心配するような優しさを持つ彼女に、私との婚約を解消、という形で傷心した心に追い打ちをかけたくないのだ」
執事は若い主人の躊躇いの理由を聞いて衝撃を内心でやり過ごしてから、頷いた。
若い主人の心を本人よりも先に気付いた。
レイアルーテと別れたくない、と思う主人の心を。
「畏まりました。では旦那様がテフロン伯爵令嬢様をしっかりとお守りされれば大丈夫でしょう」
「そうか。そうだな」
執事はあっさりと今度は返事をする若い主人を微笑ましく思う。考えてみれば若い主人が爵位を継承する前の頃に居た婚約者にさえ、贈り物はどんなものがいいのか、などと相談さえされたことが無かった。
あの頃は前侯爵夫妻にも余所余所しい対応をされていたために、何か流行りの物を適当に贈っておいてくれ、と言われるだけだった。
それから考えれば若い主人はレイアルーテに興味を持っている、と見て良いはず。それならば自分の認識を改めてレイアルーテが侯爵夫人として立てるように支える必要がある、と執事は判断した。
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