9:傷心令嬢の胸のうち
長めです。
フォンダーから事実を知らされ、気丈に振る舞っていたつもりだったレイアルーテ。
併し、いつの間にかフォンダーは帰り、自分は自室にいた。
「お嬢様」
静かな呼びかけにレイアルーテは、ハッとする。
「私……どう、して、部屋に……」
「お嬢様、恐れながら申し上げます。バイク侯爵様から伺った事実に衝撃を受けられ、それでも尚、気丈に振る舞っていたお嬢様を見兼ねてバイク侯爵様は見送り不要で、お嬢様を早く休ませるように、と帰られました。そしてお嬢様はご自身の足で私と共にお部屋に戻って参りました」
レイアルーテの専属侍女であるテーゼは、ボンヤリとした口調で自分が部屋に居ることに疑問を抱く主人へ、恐れながら……と説明する。
いくら婚約者と言えども二人きりにさせることは出来ないため、そしてフォンダーが人払いをしなかったこともあったために、テーゼはレイアルーテとフォンダーが話し合っていた間、レイアルーテの後ろに控えていた。
それ故に話の内容もきちんと聞いている。
だが、良き使用人というのは、主人が意見を求めない限りは何も言わないものだし、主人が聞くな、と言ったことは聞いたとしても忘れるものである。
今回の件。レイアルーテは何も言わなかったが、フォンダーがレイアルーテの気持ちが落ち着くまでは何も言うな、とテーゼに命じていた。
そして、レイアルーテが望むのなら忘れろ、とも。
だからテーゼから何も言わず聞かず事実のみを告げる。
「そう、そうだったの。私は淑女らしく居られた……の、かしら?」
「はい。お嬢様はいつものお嬢様らしく振る舞われておりました」
テーゼの言葉にレイアルーテは、そう、と頷き失態を演じなかったことに安堵する。それから口を何度か開閉して。
「テーゼ」
「はい」
「あなたの目から見て、テレンスはどう映っていた……?」
レイアルーテの専属侍女であるテーゼ。
レイアルーテよりもいくつか年上で、前婚約者のテレンスのことも当然知っているし、テレンスと会う時は必ずレイアルーテの側に居た。
テレンスとは五年間婚約していてレイアルーテが社交デビューを果たした去年には、結婚式の日程を話し合って今年の後半に挙式予定だった。
だがテレンスは流行り病に罹り治療の甲斐なくあっという間に逝ってしまった。
だが。
今になってレイアルーテは気付く。
流行り病とは、一体何処で流行っていたのだろう……と。
王都に居たテレンスとレイアルーテ。王都で死に至るような流行り病などレイアルーテは聞いたことが無い。流行っていたのなら社交場で噂になっているだろうし、死に至るような病ならお茶会や夜会など開くことを王家が禁止していただろう。
……では、一体どこで?
「お嬢様」
レイアルーテからの問いかけにテーゼが答えようとする間もなく、次のことに思考が飛んでレイアルーテは、テーゼの呼びかけにハッとする。
「ごめんなさい、テーゼ」
「いいえ。謝らないで下さいませ。……恐れながら私の目から見てテレンス・ワイド様はお嬢様のことを大切に慈しんでいらっしゃいました。そこに恋情があったのか、それはご本人ではないので断言は出来ませんが、少なくとも私の目にはお嬢様を思っていらっしゃるように映りました」
専属侍女のテーゼは、レイアルーテの全てを肯定するわけではなく、ダメなものはダメだと言える率直な侍女。
そのテーゼから見てテレンスがレイアルーテを大切にしていた、と言うのならテレンスの想いを疑うことはしなくて良さそうだ、とレイアルーテは思う。
でも。
心の何処かで思う。
閨教育の一環だとしても、女性との間に子を作ったテレンス。
その子が生まれたばかりの子であっても、レイアルーテとの間に生まれた子では無い以上、レイアルーテの心はどこか他人事というか冷たいものが固まっているような気がする。
いつ生まれた子なのか知らないけれど、テレンスは生きている時に子が出来ていたと知ったら、どうしていたのだろう。……もしかして、テレンスが生きている間に生まれていたのだろうか。
……もし、そうだったとしたら、その子を隠していた?
レイアルーテに隠し通すつもりだった?
それともレイアルーテに打ち明けて庶子として娼婦を囲って育てさせた?
或いは引き取ってレイアルーテに我が子として育てさせるつもりだった?
もし、そうだったとしたら、我が子でもないのに、レイアルーテは育てる気になれただろうか……。
「ねぇ、テーゼ」
「はい」
「テレンスは……一体何処で、死に至るような流行り病に罹ったのだと……思う?」
レイアルーテの疑問に、テーゼはハッとする。
レイアルーテの悲しみように寄り添っては来たが、そこまで考えることは出来ていなかった。それなりにテーゼもテレンスが死んでしまったことは衝撃を受けていたのだろう。
だが、レイアルーテの疑問をテーゼも理解する。
「王都、では有り得ません。流行り病のことなど聞いたことが有りませんから」
「……やはり、そうね」
テーゼの答えにレイアルーテも頷く。
例えば。
ランプ伯爵領。つまり領地。
通常の視察ならレイアルーテにも声をかける。
レイアルーテは婚約者としてやがては伯爵夫人として領民達と交流をする必要があったので婚約して一年目から、テレンスの視察に同行していた。
ランプ伯爵領は王都から馬車で三日はかかる。その時も当然、テーゼはレイアルーテと共に馬車にも乗っていたし、宿でもレイアルーテと同室だったし、ランプ伯爵領の屋敷でもレイアルーテに与えられた客間の隣にテーゼも部屋を与えられていた。
そんな五年の月日を過ごして来たレイアルーテに、テレンスが視察の同行の声を掛けないとは思えない。
もしも、声を掛けないで領地に行っていたとしたのなら、それは……テレンスが隠し子に会いに行っていた、ということではないだろうか、とレイアルーテは疑う。
「ランプ伯爵領で、死に至るような流行り病が起こっていたとしたら……」
独り言のようにレイアルーテは言葉を溢す。
死に至るような流行り病ではなくても、ランプ伯爵領周辺では罹患者が出やすい流行り病だったとしたのなら。テレンスが領地に赴き罹患する可能性もある。
その場合、そちらで静養して治ってから王都に帰還していたと考えるものだが。
治ったつもりで王都に戻って来て、体調が急変してしまった……とか。そしてテレンスは帰らぬ人となってしまった。そんなことは無いだろうか。
「でも。色々考えても、もうテレンスは戻らないのだわ」
不貞と言えるのか疑問ではあるけれど、それでも五年の月日で築いて来た信頼関係は、レイアルーテの心を惑わせる。
もしもテレンスが生きていて、自分に子が居ることを知っていて、それをレイアルーテに打ち明けたとして。悩みながらもレイアルーテは受け入れられた、だろうか。
今となっては分からない。
ただ、簡単に関係を切ってしまえるような間柄では無かったことだけは確かだ。
テレンスとレイアルーテは政略的に結ばれた婚約などではなく、伯爵位同士の交流会でお互いに親に連れられて行った場で出会い、交流会で会う度に会話が増えて話が合うことに気付き、レイアルーテの中で仄かに情が生まれた頃、ランプ伯爵家から婚約の打診があって、レイアルーテの父にとって旨みは少ないものの、悪くない相手だったことから受け入れた、というのが婚約の経緯だった。
公爵家や侯爵家からレイアルーテに婚約を申し込まれるとまではレイアルーテの父は思っていなかったし、働きかけるにしてもレイアルーテの父自身の伝手ではあまり高位貴族との接点も無かったので、レイアルーテの父は下位貴族と縁を結ぶよりは……と受け入れた婚約。
レイアルーテの父の気持ちはさておき。
テレンスとレイアルーテは良好な間柄だった。
……レイアルーテはそう、思っていたのに。
結婚間近だったと言うのに、こんな大きな隠し事をされてレイアルーテの中でテレンスへの想いに疑いが出てしまったことに、レイアルーテは悲しい気持ちになる。
もしも、死ぬまでテレンスは自分に子が居たことを知らなかったとしても。
レイアルーテを未来の嫁として受け入れていたはずのランプ伯爵・伯爵夫人は、テレンスの隠し子を受け入れたのだから、やっぱりレイアルーテは悲しい気持ちになる。
ランプ伯爵夫妻への、ランプ伯爵家の使用人達への信用が消えて行くような気持ちに駆られる。
……彼等にとってレイアルーテの存在は、なんだったのだろう、と。
もしも、テレンスが生きている間に子の存在を知っていたとしたら。
……テレンスにとってレイアルーテの存在は、なんなのか、レイアルーテは悲しみ、怒り、テレンスへの信頼は消えていた、だろうか。
……もう、何を信じて何を支えにして何を聞いて何を聞かないでいいのか、レイアルーテの心は千々に乱れて考えることを放棄し、気絶してしまう。
「お嬢様っ」
テーゼの慌てふためいた呼びかけも聞こえずに、レイアルーテは悲しみなのか怒りなのか分からないままに心が夢に引き摺られていく。
だからレイアルーテは知らない。
慌てふためいたテーゼがレイアルーテの父に報告し、レイアルーテの父が不器用ながらも優しくレイアルーテを気絶していたソファーからベッドへと運んだことを。
……テフロン伯爵は政略の駒として娘を見ていることは確かだが、一方で不器用ながらも父としてそれなりに娘に愛情を持っている、ということをレイアルーテは知らなかった。
お読み頂きまして、ありがとうございました。