プロローグ
「お前の婚約者が決まった」
「そんな……! まだ一ヶ月ですっ!」
「もう一ヶ月だ。忘れろ」
「そんな無理です」
「お前の気持ちなぞ聞いてはおらん。婚約者は決まったのだ」
レイアルーテは、絶望した気持ちにはなったが、貴族の家に生まれたからにはその責務は果たさなくてはならない。おまけに、当主の決めた事は絶対だ。それが血を分けた父親だとしても。
「畏まりました」
レイアルーテは頭を下げて受け入れるしか無い。貴族の子息であれば、嫡男ならば当然跡取り。嫡男以外の男児は親が別の爵位持ちならばそちらを受け継ぐ。無ければ平民となり己の身一つで手柄を立てて爵位を貰うか、何処かの家に婿入りするか。だが、娘は婿を取るか嫁に行くかのどちらか。行儀見習いとして何処かの家若しくは王城で働く事は有っても親に呼び戻されれば、婿取りか嫁入りが確定するという事。子息だろうと子女だろうと、親……特に当主である父親に逆らうなど赦される事では無い。
当然、レイアルーテもそうするしか無かった。
「相手はバイク侯爵で有る」
「フォンダー・スネイル様、で、ございますか」
「そうだ。此方からお願いしてみたら快く承諾して頂けた」
バイク侯爵で有るフォンダー・スネイルは、仮面侯爵とも呼ばれる27歳の男。17歳であるレイアルーテとは10歳差だが、彼は独身主義を貫くと言って、婚約者を作らない人だったはずだ。
しかも、レイアルーテの父親は伯爵位。
侯爵位の彼方が断ってもおかしくないというのに。
だが、レイアルーテは反論はもちろんの事こと、疑問すら口には出来ない。当主で有り、父親で有る存在に生意気にも口答えをしようものなら容赦無く打たれたし、口答えでなく反論や指摘或いは疑問で有っても、口にした瞬間、怒鳴られるのは当たり前だったから。
寧ろ、先程声を上げて反論してしまった事に対して、手も上げず、怒鳴られる事も無かっただけマシなのだろう、とレイアルーテは判断する。もしかしたら……レイアルーテの気持ちを思い遣ってくれたのかもしれない。多分、おそらく、きっと。そう思い込みたいだけかもしれないが、打たれず怒鳴られなかったのは確かなのだから。
貴族の親にとって、子は家に繁栄を齎す道具で有る。という考え方を地で行くレイアルーテの父・テフロン伯爵だ。身を以て理解しているレイアルーテは、打たれようと怒鳴られようと決まってしまった事ならば覆らない、と頭を下げた。
ーー仮令、一ヶ月前に5年の月日で信頼関係を築いた婚約者を亡くしたばかりだとしても。
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