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悶え蠢く帝国

「なぜこんな事態になっているんだ? なぜいままで報告がないのか?」


 欧州方面トランシルバニア総督鳴沢の管轄下では、事態が一気に悪化していることに有効な対策をとれないでいた。そのことにより、鳴沢は欧州情勢に不満を募らせていた。

 神邇(ジニ)たちのなかで安定さでは随一であるはずの倶利伽羅不動が、突然に牙を抜かれたように意気消沈してしまった。それを皮切りに、神邇ジニコーションが排除され、各地に派遣していた神邇(ジニ)たちは次々に退却を重ねていた。

「工作員と思われる者が吹颪の大剣を使って倶利伽羅姫を排除し、倶利伽羅不動は姫のために手足を封じられたと考えられます」

 林聖煕が身を震わせながら答えた。それを聞いた鳴沢は一瞬驚きの表情を浮かべた。

「吹颪の大剣? 旅団の工作員が出現したというのか? 今頃旅団が復活したというのか? 倶利伽羅不動はどうしたのだ?」

「倶利伽羅不動は謎の工作員によって、無気力になっていました。いや、何か呪縛のような状態に見えました」

「倶利伽羅不動が無気力だと? 神邇(ジニ)が呪縛を受けただと?」

「はい」


 征服に用いたパイアとクリスパーアーレスからなる帝国軍の軍事力と恐怖。それに加えて神邇ジニたちによって明らめる心へと欧州の各民族を誘導すること。この二つによって欧州の啓典の民たち全てを寂静へと移す。これらが欧州方面を管轄するトランシルバニア総督鳴沢の構成した大きな作戦だった。

「ほかの神邇(ジニ)たちはどうしたのだ?」

「彼らは神邇(ジニ)コーションが排除された状況を知ってパニック状態です」

「何が起きたというのだ?」

「吹颪の大剣が再び使われています」

「吹颪の大剣? それらを無効化する太極があったはずではないか?」

「それが・・・・・吹颪の大剣の威力が今までの旅団のそれをはるかに凌駕するものとなっています。実に・・・・一瞬にして太極と神邇(ジニ)を排除するほどのもの・・・」

「どのように作用しているのかはわかっているのか?」

「いいえ。『大剣』と呼んでいますが、剣の姿は見えておらず、その形すらまだわかっていません」

「そうか・・それで、その持ち主は誰なんだ? それが何かのヒントになるのではないか?」

 確かにうごめいている謎の工作員たちの由来が鍵のように思えた。彼らは完全に計算外だった。旅団の組織、そして中心人物だったジャクラン司令は滅びたはずである。個々の旅団の工作員たちでさえ、排除されているはずだった。それゆえに、アサシンたちを師範とした新世代アサシンの養成と、アサシンによる新種の戦法の研究とに全力を注いでいたはずだった。だが、謎の工作員によって、コーション以外の神邇(ジニ)たちまでがすぐに逃げ出し始め、欧州の支配のための作戦が崩壊寸前だった。

「なぜ神邇(ジニ)であろうものが、それほど早く逃げだしたのか」

「それは謎の工作員が、気づかれずに神邇(ジニ)に近づくということが分かったからです。コーションも、反撃さえできずに一瞬にして近づかれ排除されているのです」

「だが、神邇(ジニ)たちに工作員がなぜやすやすと近づけたのか。寂静となっている欧州の民たちの中であれば、目立っているはずであろうが」

「彼らは、神邇(ジニ)たちのあまりいないところ、存在しないところを動いています。しかも欧州の民たちは完全に寂静になっているわけではなく、彼らの心の動きなどによって謎の工作員たちの心の存在を感知できないのです。もちろん、寂静を強める工夫は神邇(ジニ)たちもやっています」

「まさか、その工夫が各地の英雄を転生させてさらし者にすること、などと言うものではなかろうな」

「申し上げにくいのですが、クァレーン様のご提案によりそのようなことを各神邇(ジニ)たちはしています」

「クァレーンがだと? 何を勝手なことを…・」

 欧州の民たちは、中東のイスラエルやイシュマエルの民たちとは異なって、自らの足元に啓典の原典を持たなかった。だが、「啓典の真の姿」を心に刻まれているがゆえに、中東の民たちと同様に啓典の民たちとして選ばれていた民だった。彼らは、帝国内に生を受け、転生の中に生きて来た寂静なる者たちとは、あまりに異質な存在だった。それだけに帝国の神邇(ジニ)たちは、今でも啓典の民たちを寂静の下に抑えつけることに苦労し続けている。そのために各地に配された神邇(ジニ)たちは、啓典の民たちの抵抗の意志をへし折るため、クァレーンの助言によって各地の英雄たちを召喚転生させたうえで晒し者にしていた。クァレーンによることとはいえ、そのことは彼にとっては計算外だった。そして、それらジャンヌやシャルルマーニュらの英雄たちは、いまや謎の工作員によって次々に解放されている。いずれ、彼らは大挙して敵に回ることは、あきらかだった。

「クァレーン、お前の引き起こした事態を何とかせよ。それはお前の責任だぞ」

「なぞの工作員は、私にとって計算外でした。想定することは不可能でした」

「わかった。それならば、いまからでも遅くはない。いまだ神邇(ジニ)の残っている拠点すべてにアサシンたちを急派せよ。特に、旅団が逃げ隠れていると思われるエチオピア方面やアカバ要塞、『神殿の丘』、そして欧州のライプツィヒだ。アーヘンでシャルルマーニュが解放された今、ライプツィヒの住民たちは要注意だ。音楽や住民運動などと言う悪しき習慣を、なんとしても抑え込め。ここは必ず敵が攻め入るに違いない場所だ」

「はい、各地には国術院師範級のアサシンを急遽派遣します。そうすれば、敵を封じ込めるはずです」

「いや、まだだ。この事態の元凶となっている謎の工作員を何とかしろ。お前は魔女ではないか。夢魔(サキュバス)ではないか。手段は択ばない。お前が謎の工作員を探り、遠隔で攻撃せよ」

 クァレーンは少しばかり思索を重ねた。逃げ帰った神邇(ジニ)たちの話、動こうとしない倶利伽羅不動に残っていた工作員の思念。それだけで十分だった。工作員の固有の思念に同調するように、全欧州へと探るような思念波を送った。そして・・・・・同調する思念があった。

 どこに彼がいるかは問題ではなかった。同調すれば必要な思念を送ることができる・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ヤザンたちの戻ったアルプスの山々に秋の気配。黄色く色づく木々のはるか上にまだまだ山深い道が上っていく。その奥、氷河に近い聖杯城は物静かだった。

 そこに忍び込む煙のような影。ふう、ふっ、ふう。風の音が人の声のように聞こえる。そのなにかが作用したのか、風を遮るはずの窓の中で、ヤザンがうなされるように声を上げた・・・・・・

「母さん、その話は本当なの?」

「アンタラ・・・・・。それがアラブに伝えられている英雄・・・・」

 眠るヤザンの脳裏に浮かぶ、ヤザンの母親の語り。その語りの中にアンタラの語る言葉が響いた。勇者としての言葉、武勇の言葉。それらがアラブの血を引くヤザンの心に特に共鳴する。その情景を抱いたまま、ヤザンは目覚めた。


 20年ほど前、まだジェロニモが欧州に派遣される前・・・・煬帝国がアフリカ・欧州へ侵攻した際に、ヤザンの母親はカシームからの逃亡先の欧州から、さらにコロンビア南北連邦へ逃げ延びてきたという。ジェロニモの息子と結婚し、ヤザンを生んだ彼女は、ジベタの民すなわちいつもジベタンコーラルからなるロザリオを首にかけていた。彼の母親によればジベタの民はヤザンの母親と同じようなコーラルを持っているという。それを祈りとともに繰りながら、ヤザンの母親は「ムアッラカート」や「アンタル物語」に見る勇気と忍耐を熱っぽく語っていた。それゆえ、ヤザンはその英雄の物語を諳んじるほどに覚えている。母親の語りの中にあった名前は、6世紀のアラビア中央カシームにいたというアブス族のアンタラと言う英雄、アンタラ・イブン・シャッダード。

「アンタラこそ啓典の勇者に違いない」

 ヤザンはジェロニモにそう指摘した。

「お前の母親は、物知りだったな。だが、アンタラという英雄が啓典の主から言葉を受けたというのかね」

「ええ」

「だが、啓典がカシームを含むアラブの各地に伝えられたのは6世紀以降だぞ。つまり、アンタラは啓典を知らなかったはずだ・・・」

「え?」

 ヤザンはジェロニモの指摘に戸惑った。だが、もしそうなら、カシームにアンタラが転生していたとしても、彼が啓典の民でない場合、かえって敵の手先にわざわざ会いに行くことになる・・・・・。

 ヤザンは自分が見た夢の危うさ、そして自分の浅はかさを思い知った。母親は確かに中東から欧州を経てさらにコロンビア南北連邦へ渡ったのだろう。しかし、その母親の逃亡劇が、帝国の陰謀であったとしたら・・・・。ヤザンが母親から聞かされた物語は、ヤザンを誘い込むための誘い、罠だったのかもしれなかった。

「これからは、夢や様々なひらめきがあるとしても啓典の主に祈りを捧げて聖霊の導きがない限り、不用意な動きはしないことにするよ」

「お前・・・・今まではどうだったんだい?」

「普段は祈りとともに動いてきたよ。だが、今回は夢で母親を思い出した高揚感で、思わず突っ走ってしまったんだ。祈りなしにね」

「そうだろうね。何事にも啓典の主に祈りをささげたうえで動くべきだ。お前がそれを思い出してくれてよかった」

 これらの事態は、ヤザンの母親によって刷り込まれた記憶を、夢魔によるささやきによって呼び起こすものだったのかもしれない。それは、ヤザンやジェロニモがこれから導かれて進んでいく道を、それを大切に守って来たジャクラン一族の忍耐を、すべて無にすることになりかねないことだった。そんな夢魔の魔手が聖杯城の中にまで入り込めることも、驚きだった。それゆえ、どこにいても油断してはならなかった。

 ヤザンは、彼を的確に指導する祖父ジェロニモの鋭さに驚いていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


 クァレーンは失敗した。鳴沢はまさかと思った。

「クァレーン。もうよい」

 ここに至って、彼は、彼自身が帝国軍全軍の体勢を立て直す必要を感じていた。それゆえ、欧州ばかりでなく、アフリカ、また帝国内のアサシンたちを総動員する手続きを取った。

「全員を呼べ。群を再編せよ」

「はい」

「次は失敗するな」

「はい」

 特に、彼が頼りにしたのは、ショロマンツァ国術院所属の林聖煕 クァレーン 袁元洪えんげんこう、チャチャイ・チャイヤサーン、ラシュ・ボースたちと、養成された新規のアサシンたち、そしてショロマンツァの帝国戦士クリスパーアーレスから構成されるパイア騎兵部隊だった。

「全軍を招集しろ。パイア、クリスパーアーレス。すべての神邇(ジニ)とアサシン。全軍だ。寂静になり切れない欧州の民どもを、今一度恐怖に陥れ、完全にあきらめさせなければならない」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ヤザンとジェロニモは、雪に閉ざされる前に聖杯城を出た。秋が深まれば辺りは氷に閉ざされる。氷河近くであり、雪があれば、もうどこに聖杯城があるのかわからなくなってしまうだろう。

 このあたりの人里には、もう帝国の神邇(ジニ)の気配が消えている。帝国に支配されていた各国々の政府機関が再始動し始めている。結界のないおうしゅうであれば、今後移動に工夫を加える必要は減っていきそうだった。

「我々は、ジャクラン司令のいたというシミエン山中の旧聖杯城を目指そう」

 ヤザンの提案に、ジェロニモは少々考え込んで答えた。

「お前、シャルルマーニュ陛下の示唆を参考にするのか」

「そう。イスラエルやイシュマエルの民たち、つまりアブラハムの子孫たちは確かに啓典の民たちだから。旅団が帝国とたたかった時、ともに戦いの中にいた啓典の民たち・・・・。母の出来(しゅったい)のジベタの民も・・・・彼らを訪ねていこうと思う」

 それを聞いたジェロニモは自らの経験と伝承をもとに提案をした。

「そうなら、海からエジプトを目指そう。海の上には人間がいないから、人間たちを食い物にする神邇(ジニ)もいないだろう。聖杯運び屋だった若者によれば、ナイル川、アトバラ川、テケゼ川を遡上すればシミエン山へと達することが出来るらしい。川であれば、神邇(ジニ)がせいぜい一人だけだろう。」

「そうだろうね。私たちには船以外の交通手段を持っていないし・・・・」

「それはどういうことだね? お前は考えもなしに、初めから船で移動することにしていたのかね」

 ヤザンはジェロニモを見ようとせず、淡々と答えた。

「そうだよ。海の上であれば問題なくアプローチできると初めからわかっていたからね」

「問題なく? 初めからわかっていた? それはあきらかな嘘だね。陸上を移動する際に、お前はあまりに神邇(ジニ)の結界に無頓着だったじゃないか」

「え? そうだったっけ」

「この野郎、行き当たりばったりの行動ばかりしやがって…・」

 ジェロニモは、ヤザンの無計画さと彼を導く巨大で確かな啓典の主の力とを考えた。孫のヤザンについては、今までもいろいろ呆れているのだが、これでは今後も彼の行動に合わせるしかなさそうだった。


 マルセイユの沖合に停泊させていた快速艇は、半分沈みかけていた。内部も外部もすっかり貝や海水にまみれている。

 ジェロニモは思わずヤザンに苦情を言った。

「お前、こんなぼろ船でどうするんだよ」

「これでも掃除をすれば動くさ」

「動く? 掃除をしてか? 傷み切っているこの船体が人を乗せられるのか?」

「ああ、今でも浮かんでいるぜ」

 ヤザンの言い草に、ジェロニモはあきれて大声を上げた。

「これは半分ゴミだぜ。もやい綱でさえ半分朽ちて切れそうじゃないか」

「いや、間に合うと計算していた。計算通りだから問題ない」

「間に合うと計算していた? それなら間に合わない可能性もあったわけだね そんないい加減な見込みで動いているのか? やはりお前はダメな孫だ」

「なんでダメなんだよ」

「いい加減な見込みしか立てていないではないか」

「そんなことはない」

「ほお、どうして大丈夫だなんて言えるんだね」

「現実に大丈夫じゃないか」

「そんなことを言っているんじゃない。見込みがいい加減だと言っているんだ」

「見込みはしっかりしていたさ。それが証拠に、ほおれ、ここにこうして現実に船があるじゃないか」

 二人はいがみ合い、しばらく口を利かなかった。ヤザンは黙ったまま掃除道具のデッキブラシをジェロニモ爺に渡すと、ジェロニモは驚いたようにヤザンを睨んだ。

「掃除? この爺さんの私にやらせるのか?」

「そう、死にぞこないのはずが、私に対して酷い言い方しかしない元気な爺らしいから、働いてもらう」

「へ、このお前のぼろ船・・・・どうせ、掃除したって動かないね」

「そうでもないさ」

 ヤザンはそういうと、防水ボックスを船体の奥から持ち出した。

「なんだそれは?」

 ヤザンがそのボックスに仕舞い込んでいたのは、真新しいエンジンだった。

「掃除は船を動かしながらやりましょう。どうせ日数がかかるから」

 唖然とし、また半分怒ったようなジェロニモを甲板に乗せたまま、快速艇は快音を上げた。キャビンの中で掃除や旅行の支度をし終えたヤザンは、一路エジプトへと船を出航させた。

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