英雄を求めて
「ジャンヌが辱めを受けているとすれば、それは彼女を陥れた宗教裁判の辛苦を再び味わっているに違いない」
ヤザンはこう思っていた。
「おそらくルーアンの町。神邇は彼女を陥れたコーションだろうね。彼が帝国の手先の神邇になり下がっているということは・・・・彼女を一刻も早く助け出さなければならない」
春になると、ヤザンはジェロニモとともに聖杯城を出た。村の近く、フルカ峠のホテルベルベデーレと書かれた廃墟を越えると、その北側の白い岩山の上には氷河が見える。二人は倶利伽羅不動のいるレマン湖とシオン城を避けるために、またほかの神邇たちを避けるために、この氷河を越えて小さな湖と山々、つまりゲルマー湖、トゥーン湖、ガントリッシュの山々、ビエール湖を越え、ディジョンに至った。その西北にはセーヌ川が発している。
セーヌ川に触れた時、颪鎌がかすかにふるえた。すでに結界が感じられる。おそらくセーヌ川の神邇のものだろう。二人はそれを確認しつつ、一路セーヌ川沿いにルーアンに至った。ただ、推進装置が一人分しかないため、ジェロニモを連れた移動は非常にゆっくりだった。
セーヌ川には確かに結界が感じられるのだが、ルーアンに至るまで結界の持ち主に遭遇しなかった。ノートルダム大聖堂の脇を通り過ぎようとした時、ようやくヤザンの颪鎌が大きく震えた。まさか大聖堂にとも考えられたのだが、その大聖堂の中に神邇の気配が強く感じられた。それに気づいたとき、突然鐘楼から一つだけ大きく鐘の音が響き、セーヌの川面を揺らした。見上げると鐘楼から突き出した籠の中で、一人の若い女が叫びながら暴れている。
「ピエール・コーションよ、私は無実だ。再び私を愚弄するのか!」
そんな叫びが虚しく街中に響いている。この姿を街の人々に見せつけ、神邇は帝国に対して抵抗することが無駄であることを思い知らせていたのだろう。
「ここに神邇がいる。昔の英雄を晒し者にしているだろうよ。酷い話だ。おそらく、この鐘楼で拘束されているのはジャンヌだろう。激しく抵抗をしているね」
神邇コーションはヤザンたちに気づいていた。彼はヤザンら二人を待ち構えていたはずなのだが、彼の体はヤザンの颪鎌の前に一瞬にして次元の外に追い出されてしまった。
コーションを消し去った後、ヤザンとジェロニモは目で合図を交わし鐘楼へと昇っていく。早春なのだが街の上の風の音が感じられる。ヤザンの想像したとおり、鐘楼の外に設けられた籠の牢獄には、強い風が吹きつけている。相当寒いはずなのだが、ジャンヌはそれに耐えていた。
「コーションはもう現れませんよ」
ヤザンが話しかけると、ジャンヌはヤザンとジェロニモを睨みつけた。
「モンゴル帝国人が何をしに来た。しかもわれらの宿敵のアラブ人を連れて来るとは」
ジャンヌのその言い方がひどく歴史がかった言い方なので、どのように説明しようかヤザンは戸惑った。彼女の目の前で神邇コーションを片付けなかったために、ヤザンとジェロニモが彼女を助けに来たとは考えてもらえそうになかった。
「コーションは確かに私を貶めてきたやつだ。しかし、彼も欧州人。あんたたちは欧州の敵だ」
こう言い張るジャンヌをこのまま解放すると、ヤザンとジェロニモに切りかかってくるに違いなかった。
「さて、どうしたものか」
「とりあえず、籠ごと下におろすことにしないと・・・・。周りにほかの神邇の気配がないし・・・・」
「このままでは、彼女に対して教えを乞うわけにはいかないぜ」
こう言いながら、二人は慎重にジャンヌを地上におろした。ジャンヌは周囲の4,5階建ての民家を見ながら明らかに戸惑っている。それを見たヤザンはジャンヌに静かに尋ねた。
「今の時代は、あなたが祖国解放のために活躍なされた時代から600年ほどたっているのです」
ジャンヌはヤザンを振り返りながら質問をしてきた。
「フランスは解放されたのか?」
ヤザンは知っている限りのフランスの歴史と、今に至る事態の概要を話した。ところどころ、彼女には理解できない概念もあったようだが、彼女なりに理解をしてくれた。
「なるほど、モンゴル帝国がフランスばかりでなく欧州全体・大陸全体を征服したというのか・・」
「いや、モンゴル帝国ではなくて、煬帝国です」
「それでなぜ私はここにいるのだ…」
「それは、おそらく…民たちの面前であなたを辱めて、民たちに抵抗が無駄であることを教えるためだったと…・」
「辱めだと…なるほど。私がさらし者とされていたのはそのためか…おのれ、ピエール・コーション!」
「コーションはすでに排除してしまいました」
「それではイングランド軍は・・・」
「先ほど解説したように、イングランド軍が席巻した時代ではありません。イングランドも含めて煬帝国に征服されている時代なのです」
「コーションがいたではないか。彼はイングランドの手先…」
「今の彼は煬帝国の手先でした。しかも神邇になり下がっていたのです」
「何のために・・・」
「あなたが聖なるものとされたことに、我慢ならなかったのかもしれません」
「私が聖なるもの? 嫉妬?」
「そうかもしれません」
「そうか、私はここで目覚める前、確かに御父の御前で彼を糾弾していた。しかし聖なる者とされたとは知らなかった」
「あなたは父の御前にいたのに…。父の御前が荒らされたのか…・。それは大魔アザゼルの為した悪事です。そう、私たちは、あなたに教えを乞うためにこうしてここに来たのです」
「何を教えろと?」
「あなたはこう語られたことがある。『行動せよ。そうすれば神も行動なされる』『私は恐れない。私はこれをするために生まれたのだから』とね。これは御父からの召命あっての言葉だと確信しています。そこで教えてください。あなたが選ばれたとき、御父はどのように語られたのですか。・・・・実は、その言葉が、煬帝国に征服された今の時代に、御父の御心を実現するために必要とされている英雄を探す手がかりなのです」
ジャンヌはしばらく黙って考え込んでいた。
「大天使ミカエルが私に語ったことは、父なる神の御言葉です。しかし、私はそれをここで語るべきではないと思っています。なぜなら、この類のことは御父の御前でのみ語られるべきことだからです」
そういうと、彼女は黙ってしまった。ヤザンはそれがどのような意味か分からなかった。しかし、ジェロニモは彼女の神聖さがこのような態度に支えられていることを悟った。
「そうですね。ジャンヌ。お答えをありがとうございます。そこまで教えていただければ十分でしょう」
「ジェロニモ爺、何も答えてもらっていないぜ」
「ヤザン、神聖さと言うものをもう一度考えてみろ。御父の言葉だぞ。軽々に語り合うべきレベルの言葉ではないぞ」
ヤザンは不満そうだったが、ジェロニモはジャンヌの敬虔さに心を打たれたようで、それ以上ジャンヌに対して問いただそうとはしなかった。ただ、煬帝国に対する抵抗の時であることを知ってほしいということだけは、ジャンヌに伝えた。ジャンヌはそれを聞き、しばらく考えてから語った。
「シャルルマーニュ大帝も転生させられ、辱めを受けさせられているとか。それならば、彼を救い出してお聞きになるのはいかがですか」
・・・・・・・・・・・・・
「馬がいないからこんなに速く走るのか? 後ろから馬が押しているのか? それにしてもこの騒音は何だ? この馬車は壊れるぞ」
巡航速度はほぼ80キロ程度。それでもジャンヌは眼を剥いて速度に驚いていた。車に風防ガラスがないせいで、もろに風が三人の顔に当たる。そのために、叫んでいるジャンヌの言葉はあまりはっきり聞き取れない。
ヤザンたちは、廃墟に近い状態のN28を北東のアーヘンへ向けて、ガラスのない車を走らせていく。周囲の車も似たようなもの。
神邇を排除してから、ルーアンを中心に市民達の活動が急速に復活しつつあった。郊外に出れば高速道の周りの農地は、神邇たちの支配の間も耕作されていたらしい。周りに響く春の農作業の音とともに、ひび割れながらも使える高速道にも交通が復活しつつあった。
「コーションが排除されてから、ルーアン全体から神邇が逃げ出したんだね」
ヤザンは颪鎌を握りながら、運転しているジェロニモに話しかけた。
「そうだろうな。コーションを一瞬で排除したことを彼らも知ったのだろう。それもどのように彼が排除されたかを知らずにね」
「神邇たちにとっての未知の恐怖ね」
ジャンヌが指摘した。ヤザンの複雑な目線を受け止めながら、彼女はつづけた。
「神邇たちは英雄のような心を持てないのね。まあ、私も英雄なんてものじゃないけれど・・・。でも、知らない敵がいても恐れないで、導きの下に進んでいくわ。そのために私は生まれたのだから」
ヤザンは彼女こそ英雄なのだろうと思った。だが、彼女から啓典の主の御言葉を聞くことはできない。それゆえ、せめて彼女のアドバイス通りシャルルマーニュ大帝に接触するしか道はなさそうだった。
アーヘンは車で3時間ほどの距離だった。大聖堂の中は、黒い不気味な偶像たちが引き倒され、また砕かれており、ヤザンたちが到着する直前に神邇たちが慌てて逃げ出したことがうかがえる。そのまま奥へ進んでいくと、大きく太い声が響いている。
「余を辱めるとしても、無駄なことだぞ。啓典の民たちは余のこの姿を見たとしても・・・・」
いくら訴えても聞く者はいない。すでに神邇たちは逃げだした跡なのだから。ただ、どすの利いた声の大きさにヤザンは驚き目を丸くしていた。
つるされていた籠をゆっくりとおろすと、シャルルマーニュ大帝はなおも落ち着き払ってヤザンたちを見つめている。その堂々とした態度に、ジャンヌはすくっとひざを折り、身をかがめて最敬礼を捧げた。
「大帝シャルルマーニュ陛下。ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ上げ奉ります」
「ウム、そちは心得があると見える。名乗ることを許す」
「ルーアン在住の臣下、アルクのジャンヌでございます」
その横で、ジェロニモもひざを折り、敬意を表している。呆然とするヤザンをジェロニモが叩いてひざをついて屈むように促した。
「あ、あの、陛下。陛下のお言葉を賜りたく、私ども此処へと馳せ参じた次第…・」
「ほほう、余の言葉が欲しいというのか。どのようなことかのう」
「陛下、アルクィンによれば、陛下は「平和なくして、神を喜ばせることはできない」とおっしゃられています」
ヤザンは、懸命に歴史を思い出しながら質問をした。
「そもそも余に様々なことを教えたのはアルクィンじゃ。彼の思いは常に啓典の主のこと。そのことを余が述べただけのこと」
「では、啓典の主が陛下をお選びになった際のお言葉があったと思いますが、それはいかがですか」
「余は啓典の主に選ばれたのかもしれん。しかし、啓典の主の御心はアルクィンによって教えられていたのじゃよ。なれば、啓典の主が人をお選びになる際のお言葉を、余は知らぬ」
シャルルマーニュは啓典の主にかかることになると、非常に謙虚だった。ただ、それだけに彼が選ばれたという意識はもちろん、神による選びの言葉を知る由もなかった。
「陛下、ありがとうございます」
「そちたちは、これからどうするのじゃ」
「転生させられさらし者になっている啓典の民の英雄たちは、陛下やジャンヌのように敬虔であり、謙虚なのでしょうね。そうすると、啓典の主による選びの言葉を教えて貰うことは無理そうです。そうであれば、帝国が欧州やアフリカを征服する前の英雄たち、旅団の英雄たちのゆかりの地、旧聖杯城であったところを訪ねることにします。そのことが、あるいは2人の証人とされる英雄を訪ねることになるかもしれませんし。」
「それでは、アルクィンの言葉が参考になるぞ。アブラハムの子孫たちのイスラエルやイシュマエル人じゃ。彼らには、啓典の主に選ばれたことがはっきりしている者たちがいる。「残りの者たち」と言われている。つまり啓典の民と言っていいじゃろう。彼等が何かを知っているかもしれんぞ。彼らを目標にすればいいではないか。よは、いや、われわれは欧州やアラブの各地で転生させられた英雄たちを助けに行くことにしよう」
大帝はそういうと、ジャンヌを召した。
「ジャンヌとやら、わしについてこい。我々もこれから各地を駆け巡り、辱めを受けている英雄たちを助け出そうぞ」
「は、陛下。お供します。フランスのために」
「フランスのため? 何を言うか、この啓典の世界のためぞ。そちは啓典の主から選ばれたはずではなかったか。今や、啓典の主のため、啓典の民全体のために働くのだ。わしに続け」
「はっ、仰せの通りに」
大帝はジャンヌを召すと、足音を高らかに聖堂を出ていった。あとに残されたのは再びヤザンとジェロニモの二人だった。