オバデアの幻
歓迎の夜、ジェロニモは夜空の見える謁見の間にヤザンを誘った。その部屋の明り取りから、星空が見える。結界のない空は赤みがかることもなく、星の光がゆがめられずにここまで届く。
「私は、敵軍の三軍のそれぞれの将をジャクラン一族に教えてもらったよ。オム・ボース、林聖煕、そして魔女クァレーンだ。オム・ボースと林聖煕は、帝国の国術院卒の師範級のアサシンたち。魔女クァレーンの出来はよく知らぬ。おそらくトランシルバニア総督の眷属か、神邇の上位者だろう」
ジェロニモはその三人について、ヤザンにそう語った。ジェロニモによれば、その三人は欧州支配を敷く鳴沢総督の配下だった。そして、その三人が引き連れた帝国軍の欧州征服は苛烈を極めたと、ジェロニモはジャクラン一族から聞いた物語をヤザンに聞かせた。
「帝国軍欧州方面軍の三人の将の名は、旅団のジャクラン司令から聖杯運び屋の若者を通じてジャクラン一族に伝えられたものだったらしい。その若者は、60年前の旅団と帝国軍との戦いの終焉間近、旅団のジャクラン司令の指示を受けて、シミエン山中の聖杯城にあった聖杯をジャクラン司令の故郷のここへ運び込んだらしい。彼により、ジャクラン一族はジブチやエチオピアシミエン山中の聖杯城が落城し、旅団が壊滅したことを知った。その時から、ジャクラン一族は、煬帝国がアカバの地を占領して神邇の結界術に新たな何かを加え、啓典の民で満たされている欧州やアフリカにそれらを持ち込んで侵略して来ることを想定できたらしい。そのことを彼らは、彼らの啓典の一つ、オバデアの幻と言われるものから悟ったということだ」
ヤザンはその個所を覚えていた・・・・。
「我々は主から知らせを聞いた。使者が諸国に遣わされ「立て、立ち上がってエドムと戦え」と告げる。
”お前は自分の傲慢な心に欺かれている。岩の裂け目に住み、高い所に住みかを設け『誰がわたしを地に引きずり降ろせるか”と心に思っている。たとえ、お前が鷲のように高く昇り星の間に巣を作ってもわたしは、そこからお前を引き降ろすと主は言われる。お前と同盟していたすべてのものがお前を国境まで追いやる。お前の盟友がお前を欺き、征服する。お前のパンを食べていた者がお前の足もとに罠を仕掛ける。それでも、お前は悟らない。その日には必ず、と主は言われる。わたしはエドムから知者をエサウの山から知恵を滅ぼす。啓典の民である兄弟ヤコブに不法を行ったのでお前は恥に覆われ、とこしえに滅ぼされる。主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。お前たちが、わたしの聖なる山で飲んだようにすべての国の民も飲み続ける。彼らは飲み、また呑み尽くす。彼らは存在しなかった者のようになる。しかし、シオンの山には逃れた者がいてそこは聖なる所となる。ヤコブの家は、自分たちの土地を奪った者の土地を奪う。ヤコブの家は火となりヨセフの家は炎となりエサウの家はわらとなる。火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。エサウの家には、生き残る者がいなくなる”とまことに主は語られた。救う者たちがシオンの山に上って、エサウの山を裁く。こうして王国は主のものとなる」
この書によれば、ヤザンたちが進むべきは、エドムの地だった。エドムの地と言うのは今ではペトラ、つまりアカバ一帯の大地溝帯。マントルプルームの豊富な場所とみていい。たぶん、それらが帝国の何かに関係しているに違いなかった。
「想定したとおり、その四十年後、帝国は欧州へ魔の手を伸ばした。帝国の魔の手は少数の偵察者が端緒だった。煬帝国のアサシンであるオム・ボースと林聖煕、そして魔女クァレーン。彼らは怪しまれることなくシチリアからイタリア、フランス、ドイツ、スコットランドをめぐり、オーストリー、ハンガリー、トランシルバニアに至ると、ウクライナ経由でペルシアへ戻っていったという。ジャクラン一族が陰ながら監視していたものの、彼らが何をしに来たのか、その時点ではわからなかったらしい。
だが、その二年後に三つの帝国軍が来襲した。チュニジアからイタリアそしてフランス・ドイツへ、トルコからトランシルバニアを経てハンガリーオーストリーへ。ペルシアからウクライナを経てポーランドへ。すべての欧州を帝国軍が席巻した。おそらく、少数の偵察者がスコットランドの魔石の理論、トランシルバニアの魔石工学技術を探り、帝国が畏れていた太極自壊の技術を無効化する技を開発したのだろう。その技術を得た帝国からは、強大な軍団が来襲した。彼らは、帝国の歩兵に統率された突撃猪と、魔女クァレーンだった。彼らは、魔女が起こすシムーン熱風とともに来襲すると、欧州軍戦車部隊や航空戦力が次々に壊滅させていった。欧州軍は圧倒され、次々と都市と基地が陥落していったという。あとに残ったものは、支配地域の礼拝堂・道路、建物、川など目立つものすべてに神邇が配され渦動結界に覆われた大陸だった」
「だが、ジャクラン一族はまだ希望があるといった。彼らの啓典の黙示録が二人の英雄を予言しているというんだ」
黙示録。ヤザンが知る限り、それはこの世の最後の戦いを描いたもの・・・・それは同時に帝国にとっての末法の書と言うことになる。その書には確かに最後の戦いの前に、二人の証人が活躍することが書かれていた。ヤザンは、諳んじていた言葉を思い出した。
「”聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう”。彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう」
ジェロニモは、話を続けている。
「『二人の証人』と黙示録は記している。それが二人の英雄であり、民たちの希望だという。ジャクラン一族によれば、二人の英雄は、彼らを選んだ際に与えられた『選びの際の啓典の主の御言葉』を持っているはずだということらしい。と言うことは、啓典の民たちの中で英雄として立った人間たちに会って探していけば、啓典の主から選びの際に受けた言葉、つまり『選びの際の啓典の主の御言葉』をもっているかどうかで『二人の証人』つまり二人の英雄を探し当てることができるだろうね。ただ、啓典の地が全て帝国によって支配されてしまった今、英雄たちが大切にした言葉をどのように探していけばよいか・・・・・」
ヤザンは自分の諳んじていた啓典の様々な個所と目の前の話との不気味な一致に畏怖した。
「随分、中身の濃い情報だな。そんな貴重な情報を彼らジャクラン一族は、なぜ私たちに教えてくれたのだろうか? 私たちも彼らのことを信じるのか?」
ヤザンの疑問に、ジェロニモは考えながら答えた。
「最初は私もそう考えた。だが、彼らは確かにジャクラン一族だ。彼らの長老からきいた一族の成り立ちは、まさに啓典の民の中にあって、聖杯城の守り手として選ばれたことが分かる・・・・ジャクラン一族がそこに住み始めたのは昔、メロヴィング朝の前、いやサリアンのメロヴィク以前の時代に、啓典の地からローヌ川沿いに来たらしい。そう、私の先祖はアイザックの子孫だったのか、イシュマエルの子孫だったのか・・・・対オリエント、地中海沿岸国との外交や貿易を担当する官僚としてメロヴィング朝、カロリング朝に代々ずっと仕え、シャルルマーニュが皇帝戴冠となってもそれは続いた。そのうちにムーサーの攻撃、そして十字軍・・・・・ローヌ川一帯、その時の王国も欧州も中東も啓典の地全体が、啓典の主の統治を忘れて・・・・統治のためのイデオロギーという人間の愚かな考えが蔓延してしまった。・・・・ジャクラン一族の先祖はそれに追い立てられるようになって、彼らはある言葉を頼りにした。……『あなたは生まれ故郷父の家を離れて私が示す地に行きなさい』と言う言葉を与えられた。この言葉こそ彼らが大切にしていた啓典の言葉。そして、私が祖父から教えられた啓典の言葉だ」
ジェロニモの答えを聞きながら、ヤザンもそれに重ねるようにつぶやいた。
「その啓典の言葉は、確かに私も大切にするようにと教えられた言葉だ・・・・『あなたは生まれ故郷父の家を離れて私が示す地に行きなさい』」
ジェロニモもヤザンもしばらく黙っていた。そして、まとめるようにジェロニモは一言、結論めいたことを言った。
「これらのことから、まず二人の英雄を探し出し、彼らに力を貸してアカバの地にある帝国の何らかの秘密を探り、アカバにある帝国の秘密を粉砕することが、われわれの使命ということになる・・・・・」
そこで、ヤザンは思い出した。
「帝国戦士たちが言っていた…各地の神爾たちが、欧州の過去の英雄たちを強制的に輪廻転生させ、幽閉して辱めているらしい。ジャンヌとかシャルルマーニュと言う名前が出ていた・・・彼ら啓典の英雄たちが何かを知っているに違いない・・」