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シオン城の囚人

 その黒い影から発したのは、地の底から響くような太い声。

「お前はマルセイユの寂静ならざる者。そして、わが娘への仕打ちをした者。やっと見つけたぞ」

 こう言われたのは、ヤザンが深夜のローヌ川をたどり、レマン湖に静かに入り込もうとした時だった。その時、彼はいきなり首筋をつかまれて引き上げられた。首投げのようにしてジュネーヴの雪道の上に投げ出されたとき、ヤザンの目の前には大きな黒い龍の影が立ち上がっていた。

 ヤザンは、すぐに体勢を立て直し、その巨大な龍に挑もうとした。しかし、その前に兵士らしい姿のアジア人が目の前に出てきた。

「へえ、普通の人間が私を止められるのかい」

 明らかに軍服の東瀛人兵士一人がヤザンの前に立ちはだかった。だが、東瀛系の混血米国人のヤザンに比べて身長が低い。空手と合気道、柔道に秀でたヤザンには敵わないだろうと思ったのだが、そうではなかった。後ろに飛び去る兵士の身体的能力は、ヤザンをはるかに上回っている。打撃を与えようとしたヤザンの腕を軽く打ち返し、投げられた石にも俊敏に対応している。敵わないと知ったヤザンは逃げようとしたが、兵士の俊足はそれを上回った。そして、彼はヤザンの足を瞬時に引っ掛けて転ばせる。

「いててて・・・・・。アサシンか」

 それを聞いた大きな黒い龍が答えた。

「アサシン? いいや、違う。彼は兵士の一人にすぎないぜ」

「単なる兵士?」

「そう、今の帝国人は、一般の帝国人からアサシンに至るまで、全てデザインベビーとして生まれている。お前は工作員なのだろうが、工作員とはいえお前のような通常の人間が彼に対抗することはできないぜ」

「へえ、私が工作員だと知っているんだね。だが、あんたの娘なんか知らないね」

「ほお、そちらには用がないとでもいうのかね。お前のオーラにはわが娘倶利伽羅姫の余韻が感じられるぞ。そして、わが娘がお前に用があるそうだ」

「チッ、死んだんじゃねえのか」

「ほお、やはりお前だったか。残念ながら、われらのレベルになると神邇(ジニ)は死ぬことがない。この空間から締め出されるだけなのでね」 

 ヤザンは軍用車に乗せられて、そのまま雪道をレマン湖のほとりへと運ばれていく。帝国軍の車両なのだろうか。運転するのが兵士であれば、レマン湖周囲の道路に目立ち始めた歩哨たちも帝国軍兵士なのだろう。アジア系の血が入るヤザンにとって、兵士たちの顔立ちに違和感がない。彼らは東瀛人や漢民族だった。そのほかにも、東南アジア系、インドアーリア系、ドラビダ系など、アジア系が目立つ。しかし、ジュネーヴもレマン湖の周囲も、早朝のためか、現地人の姿がほとんど見られない。現地人は寂静なる者に転移しているに違いなかった。マルセイユでもバントリ川からドーフィネアルプスにかけての地域でもそうだった。いや、欧州人全体も、帰化しているアラブ人たちやアフリカ系までが寂静なる者に転移させられているに違いなかった。


 ヤザンはそのままレマン湖沿いに運ばれていくと、次第にこの神邇(ジニ)の結界が強まっていくことが感じられた。倶利伽羅姫の父親、倶利伽羅不動の本拠は近くにあるに違いなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 観光地だったはずのシオン城は、今やレマン湖とローヌ川を神域とする倶利伽羅不動の居城だった。ジュネーヴや周辺を行きかう欧州の原住民たちはすでに寂静なる民となり、支配されているらしい。その城の極寒の地下牢にヤザンは囚われていた。足の枷と胴の枷、首の枷が科せられ、そのうえ四方の空間には魔力を帯びた鉄格子が二重に設けられている。

 ヤザンはしばらく周囲を観察した。鉄格子のもうけられた地下牢には、もう一人ヤザンと同じようにとらえられて座り込んでいる老人の姿が見えた。アジア系の顔立ちだが、幽閉されているところを見ると帝国人ではないらしい。髪は禿げ上がり、白い髭は伸び放題。ヤザンと同じように警戒されているようで、首と胴と足に三重の枷が科せられ、二重の鉄格子まで設けられている。ただ、ヤザンが収容された後も、ヤザンを見向きもしない。ヤザンは声をかけてみた。

「爺さん。爺さんはなぜぶち込まれているのさ?」

 応えはおろか、返事も身じろぎもなかった。老人特有の頑迷さから、此方を見向きもしないのだろうか。それとも痴ほう症ゆえに外部に対する関心を失っているのだろうか。

 出される食事は、欧州のどこでも見るパンと肉と野菜のスープ。だが、肉は十分に煮込んでいるはずなのに豚肉にしては硬すぎる。何の肉なのだろうか。

「その肉、硬いだろう」

 無口だと思った老人が大声をかけてきた。

「それは、お払い箱になった突撃猪(パイア)の肉じゃよ」

突撃猪(パイア)?」

突撃猪(パイア)も知らんのか? この若者は役に立たんね。アラブ系のアジア人だろ? 旅団の工作員じゃないのか・・・。帝国の奴らは旅団に手を焼いていたと聞いていたんだがね。だが、旅団がこの程度の工作員を使っているのなら、旅団が圧倒されたのも合点がいくね。…・・脱出は夢のまた夢か…・」

 ヤザンにとってその老人の言葉もため息も、癪に障った。

「若いの。名は何というんじゃ?」

 老人の問いかけに、今回はヤザンが無口になった。会話をするほど癪に障る言い方をしてくる。なぜ、若い話し相手を捕まえて、突っかかるような言い方をするのだろうか。ヤザンは幼い時からそのように祖父たちに扱われた経験があるため、反射的に反発してしまう。

「うっせえ。禿爺はげじじい

 こうして二人はしばらく口を利くことはなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ヤザンは、毎食の後鎖のついた柱をぐるぐる歩き回って体温を上げることを日課にしている。こうして冷える夜を耐え、暖かくなる昼に猪皮を敷いて睡眠をとる。こうして、もう数日もここで過ごしている。

 厳冬期となり、山間の湖畔のシオン城は特に寒さが石畳を伝ってくる。石畳の上に麻の敷物を敷いただけでは寒さがしみてくる。着こんでいる囚人服に与えられた猪の毛皮だけで耐えられる寒さではない。鉄格子の向こう側に一応部屋を暖めるための暖炉があるのだが、解放空間であるゆえにすべての暖気が逃げ出していく。

 ガシャン、ギー。数人の足音が近づいてくる。彼らがヤザンに来るとすれば、倶利伽羅姫を何とか解放しろと言いだすに違いなかった。

「おい、工作員! お前の名前を教えろ。そして倶利伽羅姫を解放しろ」

「ほお、今まで私を殺さなかったのは、そのためか。それなら余計に協力する気はないね」

 ヤザンは帝国人兵士たちを睥睨へいげいすると、またふて寝をしてしまった。床は確かに冷たいのだが、一芝居打つつもりだった。

「俺たち帝国戦士(アーレス)に、そんな態度をとるのか。工作員!」

「俺たち帝国には誰もかなわないんだぜ。いまでは、昔の英雄たちをお前のように幽閉しているぜ。各地の神邇(ジニ)様たちは、クァレーン様のアドバイスに従って、その地の英雄たちを強制的に輪廻転生させているのさ。それは見ものだぜ。ジャンヌダルクやシャルルマーニュなんて奴らは、閉じ込められていてもずっと騒いでいるんだぜ。俺たちはそんな哀れな姿を欧州の民たちに見せつけるんだ。その辱めが効いたんだろうな。中東でも同じことをやっているらしいぜ。今じゃあ、各地の全ての啓典の民が寂静になっちまっているんだぜ」

 だが、帝国戦士がどんなに声をかけてもヤザンは応えなかった。そのやり取りをしばらく続けているところに、倶利伽羅不動が下りてきた。

帝国戦士(アーレス)、下がれ」

 そう指示すると、彼は鉄格子を開けさせ、真っ直ぐにヤザンの前に座った。

「生きている人間には、この寒さがつらいはずだが。しぶといやつだ。まあ死んでもらっても困るから、取引といこう」

 ヤザンはようやく振り返り、倶利伽羅不動を睨みつけた。

「へえ、力ではどうもできないから取引かね」

「倶利伽羅姫を解放してくれるなら、自由にしてやる」

「へえ、どんな自由なんだろうね。私は寂静にはならないよ」

「寂静にならなくても見逃してやるよ」

「その保証はないだろうよ。いったん倶利伽羅姫を解放してしまえば、私を再び閉じ込めることができるだろうが・・・・」

「どのようにして倶利伽羅姫をこの次元から押し出したのだ? どうすれば解放されるのだ?」

「それは教えられない。だが、もし色々教えてくれるなら、まずは私の身分を教えてやるよ。そうすれば、私がどうやって倶利伽羅姫を扱ったかわかるだろう。だが、それでも対抗手段はないぜ」

「そうか、わかった。解放されても安心できないということだな。それなら、自由を保障しよう」

「それだけではだめだな」

「ではどうすればいいのだ?」

「そうだな、私が自由になったと感じた時に、解放をするよ」

「なんだと・・・・・」

 倶利伽羅不動は考え込んだ。しかし、ヤザンを解放するしか道はない。

「わかった、要求を呑もう」

「へえ、物わかりがいいじゃないか。それなら教えてやろう。私はコロンビア大陸連邦工作員だ」

「コロンビア? 旅団の工作員じゃないのか!」

 倶利伽羅不動が面食らったように答えた。それと同時に、隣りの鉄格子の老人が叫んだ。

「なに? あんたは連邦工作員なのか!」

 倶利伽羅不動は後ろを振り返り、老人を睨んだ。

「ほお、お前の身分も分かりそうだ。お前もコロンビアとかいうところから来たのだろうよ」

 老人は黙った。しかし、ヤザンは老人を見つめた。コロンビアから来たという老人は、長くここに閉じ込められているはずだ。これほどの老人であるとすると、二十年以上前に欧州に来ていることになる。しかも「工作員」と言う名前に反応することから見ると、ただ者ではなさそうだった。ヤザンは言葉を選んで倶利伽羅不動と言葉をつづけた。

「じゃあ、倶利伽羅姫がどう扱われたか分かるだろうよ」

「以前、旅団以外の人間が来た時、彼らも颪の大剣を使ったことがある。そうか、その技を何かしらで応用したのだな」

「まあ、半分正解だな。まあ、教えてやろう。私は、倶利伽羅姫は颪の大剣の技の発展した技で二次元に押し込んだんだよ。そう言っても理解できないだろうね。そうだな・・・・・もし、あの老人と一緒に開放してくれよ。必ず、倶利伽羅姫を解放してやろう。ただし、あの老人と自由に行動できることが確認できてからだ」

「それなら、娘を今すぐ解放しろ」

 倶利伽羅不動は、声を荒げた。しかし、ヤザンは冷たく言葉をつづけた。

「いや、今ではないね。弱みを握っているのは私で、握られているのはあんただ。私は保証するとしか言えないし、あんたは信じるしかないぜ」

「わかった。その老人とともに解放してやるさ。まあいい、その老人も旅団から来た奴ではないことが分かったから、もうここに閉じ込めている必要もなくなったしな」

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