ワーディー・シェバー峡谷
「要塞内部に敵侵入。神邇のほぼ全員は没滅。武器庫弾薬庫が崩壊し、防衛戦闘群の装備が失われ、要塞内が大混乱となっています」
弾薬庫の爆発により、要塞の建物群はほとんどが崩壊した。それと同時に、城内の帝国軍はほとんどが押しつぶされるか、武器を失うか、戦意を失っていた。城壁のみが残った城内には旅団の民兵が突入し、不意を突かれて武器を持たぬ帝国軍兵士たちは城外へと我先に逃げ出した。城内では旅団側の民兵とかろうじて残っていた帝国軍兵士との間の戦闘とともに、アサシンと工作員たちとの乱戦が始まっていた。
要塞内に旅団側民兵の侵入を許した時、鳴沢やクァレーン、宣明帝夫妻、杭州府総督らは、要塞の建物群に隠された内郭要塞で、会議をしている最中だった。
「わかった。神邇たちがやられたのであれば、そこが端緒なのだろう。侵入者は何人だ」
「規模は不明です。しかし、侵入者と遭遇したものがいます」
「だれだ」
「アサシン・林聖煕様です。ただ、怪我がひどい状態で発見されています。両手両足が射抜かれていました。彼は侵入者と遭遇したそうです。遭遇した侵入者は女一人ということでした」
「わかった。聖煕に会って話を聞こう」
鳴沢は負傷した聖煕に急ぎ会った。
「お前、誰と遭遇したんだ?」
「女一人でした」
「女? その女に弾薬庫、武器庫を破壊されたというのか? 神邇たちはどこへ行ったんだ?」
「その女は巡視経路に突然現れたのです。何度か遭遇していたので、見覚えがありました。アサシン・アヤ…。旅団側の工作員と思われるのですが、霊剣操を操するのです。そして・・・・・その女が突然、私の姉であるといっていました。母親が西姫であると…・」
「アサシン・アヤ、霊剣操、西姫の娘・・・・それは、絶姫だな。そうか、それなら城内に秀明とその仲間たちが来たのだろう。そいつらが武器庫・弾薬庫を破壊し、神邇たちを没滅したに違いない」
「しかし、ほかの連中は見当たりませんでした。感じられもしなかったのです。神邇たちを没滅する吹颪の大剣であれば、神邇たちが気付かないはずがありません。もちろん、総督もお気づきになったはずです」
「絶姫は没滅の技をもってはいない。そうであれば、神邇たちを没滅したのは彼女の仲間だろう。彼等は吹颪の大剣を使ってはいない。おそらく、旅団は新しく別の武器を作ったのだろう。うむ、旅団一味が侵入したのであれば、弾薬庫などの破壊活動にも合点がいく」
「いかがいたしましょう」
「彼らはまだ城内であろう。見つけ出して今までの悪事の罰を受けさせる。よいか、袁元洪、チャチャイ・チャイヤサーン、ラシュ・ボース、そのほかの老練な勇士たるアサシンたちよ。敵を生きて返すな」
「わかりました、師匠。皇帝陛下をお連れして帝国軍とともにアカバ要塞へ落ち延びる準備をしてください。私たちは、城外で彼らを待ち伏せします。多重共鳴、そしてアカバガーネットによるシムーンを活用します。皆さん、全員で峡谷を挟む両尾根に展開してください」
クァレーンを除くアサシンたちは城壁の外に飛び出していった。彼らは、素早く谷筋から尾根へと飛び上がって陣形を作り上げるつもりのようだった。
内郭で戦況を見ていた鳴沢総督は目が覚めたように今更ながらに気づいた。様々な戦いが展開されてきた最近の旅団との戦いでは、端緒として神邇たちの結界が工作員によって無力化される流れがあった・・・・。それらの流れは、戦局全体の流れの一部であり、それらの流れに付随する細かな違いもある。それは今までもあったはずのことであり、先のトランシルバニア攻防の際にも、要塞の一角で起きていた。だが、鳴沢はそれを見落としていた。
「これは、私の目が塞がれていたのか・・・。しかも、最近目立って邪魔をする者がいる。………ミカエルか?……だか、奴にそれほどの力があるとはおもえん……」
そのひとりごとを聞きながら、クァレーンは指摘した。
「師匠、彼らは我々が神邇たちの神域、つまり結界を基にして力を発揮することをよく学んでいるようです。しかし、我々も彼らの吹き颪の大剣が結界発動の神邇のみに働くことを知っています。そして、神邇たちはもう役に立たない、いや不要と考えても良いと思います。ここに至ってどのように結界を形成するかは、御身自らの力によって御自らの結界をお作りください。無敵の結界として、そしてアサシンたちが心置きなく力を発揮する神域としての渦動結界です」
「わかった。アカバ要塞に撤退しよう。アカバガーネットの山地、そして地底門の地。そこでこそ、私の力を発揮できる。」
そう言ったのは鳴沢だった。それとともに、鳴沢やクァレーン、宣明帝夫妻、宇喜多直明は、絶対防御結界を解きワーディー・シェバー峡谷の暗闇へと脱出していった。
タエとヤザン、ジェロニモたちは内郭要塞に達していた。
「ここに帝国の中枢たちがいるにちがいない」
「待て、渦動結界の波動を感じるぞ」
ヤザンはジェロニモに目で合図を送った。
「俺の颪鎌にも反応があるぞ。強度の微分ベクトルは内郭から外へ上昇している。だが、別の極大部分がまだ中にある」
「強大な神邇たちだ。一部は外に逃げた者たちもいるが…中に残っている者がいる」
「ヤザン、ジェロニモ、援護して」
片手に片刃細身の剣、すなわち日本刀と呼ばれるものを握りしめ、ひと振り霊刀操によって結界断層を切り裂くと、中にいたのは人間ではなく獣。重力獣ドラクレアだった。
「これはブービートラップだ」
ヤザンとジェロニモが叫ぶよりも前に、ドラクレアはタエにとびかかって抑え込んでいた。タエは片手の刀でドラクレアの威力を防いでいるものの、それ以上動くことが出来ていない。
「みんな、この内郭から離れて!」
「どうするつもりだ」
「いいから、わたしにまかせて!」
「し、しかし」
「わたしにまかせて! さあ、ここから早く出て!」
タエは周囲に誰もいなくなったことを確認して、自由な片手で霊刀操による空刀を握り、もう片方の刀とともに両方に切り開いた。ドラクレアは、その一瞬にして自ら形成した重力子の渦の中の向こうへ、時空の外へ押し出され、その余波で内郭は崩壊した。
「な、何が起きたんだ?」
ヤザンは目の前のことが信じられなかった。ヤザンには古語にしか聞こえない言葉を、高い声でタエが詠唱すると同時に大音響がおきた。それは、目の前の内郭の崩壊の音であり、中にいたはずの巨大なドラクレアが空間から排除されたときの衝撃音だった。
「い、いま何をしたんだ?」
「あ、これね・・・・」
タエはヤザンに技を見られたと思って黙ってしまった。
「何をしたんだ?」
「い、いえない・・・・」
「そうか、わかったよ。ジェロニモ、この獣の結界は消え去ったぜ。だが、まだ結界が残っている。この結界の強度は減少しつつあるが…動いている。これは、内郭から逃げ出している一団がこの結界を起動させ続けているんだ」
ヤザンがそう指摘した。
「そうか、それは宣明帝とそれに付き従う総督たちだろう」
そこに、旅団の民兵たちが駆け込んできた。
「帝国軍が要塞から離脱しつつあります。ワーディー・シェバー峡谷を下っていくようです」
それを聞いたヤザンが合わせて応えた。
「この結界の変動の様子から見ても、この内郭から逃げ出した一団も峡谷を下っているといえます」
「それは、帝国軍の残党ね。ここを捨ててアカバ要塞に向かうのでしょう。そうなら、きっとアキーの待ち伏せているアイノンに達するわ」
タエはそう推定した。
「では、追撃だ」
ヤザンはそういうとジェロニモとともに民兵を率いて要塞を出ていった。
宣明帝と鳴沢ら総督の全員は、結果としてドラクレアをおとりにすることで、内郭から脱出できた。だが後ろに響いた大音響からみて、神邇たちに続いて、鳴沢が信頼していた重力獣ドラクレアの結界でさえ粉砕されたことは明らかだった。
「いったい、なぜ。だが、まだ勝機はある」
鳴沢は、クァレーンにそう言いつつ、要塞のはるか南へと離脱していった。それはまるで追う旅団側を何かに誘い込むようにしての逃亡だった。




