束の間の帰国
杭州府は、曲江の南から西湖の周辺へと広がる広大な都市。行政府と皇帝宮城は、上海にある帝国軍港から南西へ曲江を超えてくる高速道からも、そして、曲江の南にある帝国軍直轄の国際空港からも、アクセスのよいところにある。
宿敵の旅団を壊滅させて後60年がたち、今は若い宜明帝と思来皇后の代となった。60年余の間に杭州府の帝国行政機関は充実度を増した。もとより備わっていた行政府や上海の軍港・国際空港のみならず、ガーネットと呼ばれる魔石や太極の開発を成功させた万世化学研究所や、デザインベビーの生産を成功させた優生研究所やスタジアムが散在している。
欧州・メソポタミア方面総督鳴沢は、久しぶりの本国に立ち戻った。その足で現れたのは、皇帝宮城。それは、杭州府の行政群の最奥にあった。
「煬帝国第21代皇帝陛下に於かれましてはご健勝のこととお聞きし、またここにご尊顔を拝し、この鳴沢、恐悦至極に存じ上げ奉ります」
鳴沢が恭しく頭を下げると、同行してきたアサシンたちも同じように頭を下げる。玉座に座る宣明帝と呼ばれた帝は、20歳ほどの年齢だろうか。その左には、帝婦人と思われるまだ初々しい思来皇后が座っている。それに対して、鳴沢は60年前と変わらぬ30代のままの若さを保っている怪物だった。
「おお、鳴沢卿。よくぞご無事でお帰りなさった」
「先帝がこの玉座にお座りになっての60年がたち、そして今や帝国の永遠の流れも盤石となっております。これもまた皇帝陛下の御威光の故と存じ上げ奉り、私たちにとってこの上なき幸せにございます」
「うむ、余もうれしい限りじゃ。だが、聞き及んでおるぞ、エチオピアにおける変事のこと。急ぎの帰還はそのことであろうな?」
「仰せの通りでございます。陛下。それにつき、お人払いを」
宣明帝が合図をすると、鳴沢総督は以下のアサシンや近衛兵・親衛隊は玉座の間から退散した。ガランとした玉座の間に宣明帝の声が響く。
「さて、鳴沢卿・・・・」
帝がそう言葉を告げると、次の瞬間鳴沢は立ち上がり、帝の目を覗き込むように鋭い視線を帝に向けた。
「宣明帝、今、帝国を支える九尾狐は、最後の影である魔女クァーレンとなった。九尾狐は私が帝国に与えた犠牲じゃ。そのクビルは、七つの生をすでに使い果たしてしまった。煬帝国の火の時を支えた九尾狐第一生の藻姫、土の時を支えた第二生の妲己、金の時を支えた第三生の褒姒、水の時を支えた第四生の女嬌、木の時を支えた第五生の阿紫、最後の煬帝国を支えた第六生の西姫、そして第七生の魔女クァレーン・・・・。今こそは帝国の人間どもが犠牲となって帝国を支えるべき時。皇帝を筆頭にすべての人間どもは、帝国のために、私のために戦うべき時ぞ」
凍り付いた表情のまま、宣明帝はだまって頷く。
「本国を統べる杭州府総督をお呼びなされ。そして帝から指示を出されるがよい」
鳴沢はそういうと、再び頭をたれた構えを取った。それを見た宣明帝は、大声を上げた。
「鳴沢卿、大儀であった。しばし、そこで待て」
宣明帝は手を上げ衛士を召し大声を上げた。
「杭州府総督をここへ呼べ」
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「杭州府総督、ご到着です」
玉座の間に現れたのは、歳にして40歳ほどであろうか。壮年の男だった。
「陛下。お召しにより参上いたしました。杭州府総督、宇喜多直明にございます」
「直明殿、よくぞ来られた。今日は、トランシルバニア総督が帰国なされたのじゃ。そちも会いたかったであろう」
「陛下、そして鳴沢卿。お目にかかり、恐悦至極に存じます」
鳴沢は杭州府総督をにらむと、彼は金縛りになったように微動だにしなくなった。
「杭州府総督よ。こうして直々にお伝えするのは、自らのためじゃ。宣明帝と自らとは、帝国人らしく何度も転生してきたわけじゃが、今その転生を司る帝国を揺るがす事態が起きている。そう、自らも聞き及んでいるであろう。宇喜多と言う男じゃ」
宇喜多という名字を聞き、杭州府総督は自分が名指しされたと感じて、あからさまに狼狽した顔をした。宣明帝はそれに気づいて、鳴沢から話を引き取った。
「いや直明殿、貴兄ではない。最近アラビア・エチオピア方面でゲリラ活動をしている若者、宇喜田秀明じゃよ」
杭州府総督はフウと一息つき、狼狽した姿をやっとの思いで立て直した。それを見つつ鳴沢は話をつづけた。
「今、その男とその仲間たちが欧州方面で反帝国活動を始めたところだ。しかし、ことは欧州に限らないと感じられる。それゆえに、私はここ杭州府まで来たのだ。いまや杭州府総督も帝と思来皇后も、輪廻転生を約束するこの帝国のために働く時ぞ」
「な、鳴沢卿、我々はその日のために今まで転生を繰り返してきたのか?」
宣明帝ら三人は、鳴沢の突然の指摘に怯えた。
「では、帝国は何のために、神域を形成して寂静の人間たちを輪廻転生をさせてきたのだと思うのかね? 帝国あっての人間たちなのだよ」
「帝国のために、帝国人がいる・・・・そういうことかね」
「そう、征服した地の被征服民たちは、せいぜい我々の支配の下で野垂れ死ぬだけの無駄な存在。だが、帝国人や神域で寂静となっている人間であれば無駄に死ぬこともないし、再び輪廻転生を成して、生きる」
「何度も生きることに、何の意味が。こんな苦しさを覚えるのであれば、どんな意味が…」
「苦しさだと? 輪廻転生であれば、永遠の命があるのだぞ」
宣明帝も抵抗した
「苦しさの中で永遠に生きることなど、地獄そのものではないか」
鳴沢は怒り始めた、
「何のために私は自ら人間に霊剣操を教えたのか。帝国のために何度でも行き何度でも死ぬこと、それを永遠の帝国のために繰り返すことこそ幸いであるという真理ぞ。お前たちは、確か東瀛にて秀明とともにそれを学んだはずだ・・・・宣明帝は宇喜田秀明と同じ高等学校で…・杭州府総督宇喜多殿は前世で秀明とともに家族だった時に…・」
それを聞いた宣明帝たちは戸惑ったような様子を浮かべた。
「幸いとはそのようなことでしたか。そしてそれを我々が宇喜田秀明とともに学んだと・・・。そうであれば、鳴沢卿。我々はこのような事態に対処するために、此処にいたということなのか?」
鳴沢はついに怒りを表した。
「愚かな人間どもめ、もう忘れたのか? まだわからぬのか? もうよい。黙って命令に従えばよい」
この怒りとともに、宣明帝ら三人は言葉を失った。いや、このやり取りさえ、彼らは潜在意識の下に閉じ込められた。鳴沢が発した、よい、と言う言葉とともに、ようやく彼らの金縛りは解かれた。