砂嵐(シムーン)の果てへ
鳴沢は広範な結界を発動させ、帝国軍の残存軍に命令を発した。
「さあ、今こそ討って出る時。敵はもう数えるほどしかいない。失われた若者たちの、若い帝国戦士たちの仇を取る時だ。帝国の勇者たちよ。進撃せよ」
その号令に合わせ、老アサシンたちはめいめい倶利伽羅剣を取って城外へ飛び出していった。老アサシンたちが二列になって旅団を挟むように展開していくと、クァレーンは頃合いを見計らってシムーンを発した。クァレーンが発したオーラが両側に展開した倶利伽羅剣やバックラーに仕込まれた魔力濃縮増幅ガーネットに共鳴を起こさせ増幅されつつ、それが重力子を動かし、重厚な砂嵐を巻き起こした。
「帝国軍の新手が要塞より両翼に展開しつつあります」
旅団先鋒からの報告はヤザンに不吉な予感を与えた。
「何かが来る」
そう言い終わらないうちに、地から立ち上がる黒い雲が東の空を遮りつつ迫ってくる姿がはっきりしてきた。すると、アサーラ、ザイナブ、アイシャ、そしてイドリースとよばれるタエの部下が震える声を出した。
「あ、あれは」
「大きい砂嵐・・・・」
「ここで砂嵐なんて・・・・それにこの東風は!・・・・ありえない・・・・」
「熱く強い東風・・・・これは恐ろしい気配だ」
「あ、あれほどの砂嵐は見たことがない…・恐ろしいことが起きる…」
「シムーンがくる」
「どうしたの、みんな。しっかりしなさい」
仲間たちを鼓舞するタエだったが、目の前の砂嵐は、まるで空の果てまで達する背を持つ巨人の大軍が押し寄せてくるような光景だった。
「あれはシムーンだ…・」
イドリースはそういうと、彼は正気を失って逃げだし始めた。アサーラたちは踏みとどまっているが、彼ら三人の足も震えている。立っているのがやっとなのだろう。
「これは、撤退をした方がいい」
ヤザンの声が聞こえた。タエもそう思って返事をしたのだが、その時にはシムーンが目前にまで迫っていた。
「撤退しろ!」
その声がかかったのだが、旅団の工作員と民兵たちは、砂嵐にとどめられて進軍も後退もできなくなった。立ち往生している旅団に、シムーンの風圧に加速されたアサシンたちが襲いかかる。タエとヤザンは先頭に立ち、撤退を叫び続けた。それでも旅団の工作員と民兵たちはまだ身動きが取れなかった。やむなくタエとヤザンは、旅団の仲間や民兵たちの撤退の時間を稼ぐために、猛烈な勢いで敵の中に突っ込んでいった。
「今、新しく広範な結界が張られた。霊剣操を使います。時間稼ぎにはなるから・・・・ヤザン、あんたが旅団全員を撤退させて!」
タエはそういうと、多数の剣を操作して殺到する帝国の老アサシンたちにぶつけた。それに焦った老サシンたちは霊剣操をぶつけてきた。それが飛来していた剣の動きを混乱させ、帝国のアサシンや兵士たちの進撃をためらわせた。帝国軍の戸惑いを確認すると、タエはその帝国軍をめがけて霊刀操を唱え、細身の刀一振りでアサシンや兵士たちを吹き飛ばしていた。
旅団の兵員たちがやっと逃げおおせた場所は、フネドアラ要塞から遠い山の中、針葉樹林の奥の奥だった。いまだに残っていた冷たい雪が、今まで旅団の兵員を追い立てていた熱い東風を退け、満身創痍のまま撤退した旅団の兵員たちを守った。やっとここにたどり着いたものの、旅団の工作員も民兵たちも多くが失われ、多くがけがをし、多くが消沈していた。それゆえ、安心したほとんどのメンバーは疲れ切って眠ってしまった。
「ここまで、だな」
ヤザンは周りの仲間たちを見まわしながら、ポツリと言った。それを受け、タエは応えた。
「そうね、ここで潮時ね」
既に満月が沈もうとしている。夜の闇があける。疲れ切ったアサーラ、ザイナブ、アイシャ、イドリースなどは恐怖のためか、まだ起きていた。しかし、旅団の敗残兵たちはようやく眠りについていた。タエは、その中で帝国が追撃してくることを恐れ、見張りを続けていた。
翌日、日は高く昇り、すでに昼が過ぎていた。だが、旅団の敗残兵たちは疲れがひどいのか、タエ以外の全員は眠ったままだった。いや、疲れて眠りこけている男女はそれぞれがうめき声を上げていた。まるで何かが彼らに取り付いて苦しみを与えているように見えた。その働きかけは、まるで旅団をここで息の根を止めるための最後の一押しに思えた。
クァレーンは怒りに燃えたまま、逃げおおせた旅団の陰を探していた。そして、見つけたのが奥まった谷に逃げ込んでいた旅団とみられる集団だった。誰かが起きているらしい。敵であればすぐにわかるのだが・・・・。起きて見張っている者の陰はみえない。だが、彼女はそれに構わずに夢魔の術をまき散らし始めた。それは、術を掛けられた人間の潜在意識下にうごめく動物的な衝動に働きかけるものであった。
彼らには、襲いかかるクァレーンの黒い影が最初に見えた。黒い影は色を変え、白い透き通る肌を見せるようになる。それは男にとって襲いかかってくる魅惑の女。女にとっては言い寄ってくるハンサムな男。彼ら彼女らのうめきの声は、いつしか何かに刺激されたときに繰り返す短い悲鳴のようななまめかしい声に変わっていた。
うめくヤザンの夢の中で、クァレーンが黒い影から現れ、ヤザンに襲い掛かった。魅惑するクァレーンの裸体。それに狂うヤザン・・・・
「みんな、どうしたの? ヤザン、起きて、みんながおかしいわ。ヤザン、あなたまで・・・・どうしたの?」
見張りをしていたタエは、ほかの者たちよりも強くうなされ、眠りながら苦しむヤザンに気づいた。ヤザンを正気に戻そうとするタエは、ヤザンにつかまり身動きが取れなくなった。逃げようとするタエととらえようとする無意識のヤザン。しばらく絡み合う二人は草むらの傾斜に入り込みもつれあいながら転がり落ちていく。まるで、二人が何かの炎に燃えながらもつれ合ってるかのように見えた。
クァレーンは、ヤザンを通してタエを見つけた。タエはクァレーンにとっては憎むべき敵だった。
「お前の体を感じたことがあるわ。あんたは誰なの? そうね、あんたは私の宿敵に違いないわ。それゆえお前の体は呪われよ」
クァレーンは、タエの記憶を断片的にのみ意識できた。ただ、家族を持ったことがないクァレーンにとって、タエはクァレーンの敵以外の何物でもなかった。それゆえ、クァレーンのタエへの呪いの言葉は、ヤザンの手を強制的に動かし、タエを責めた。その際に聞こえたタエの苦痛のような声は、クァレーンの声とあいまって、ほかの仲間たちが繰り返す短い悲鳴と同じようになまめかしさを帯びたものだった。
だが、夢魔の働き掛けは突然終わった。目が覚めたヤザンの腕の中には、精魂尽き果てていたタエが眠っていた。
数日後、タエは再びフネドアラ城の城門下の柳に潜んだ。だが、不思議にフネドアラ城は異常に静かだった。彼らの気配が消えていた。




