西方蒙塵
赤色のドームの直下から、声が聞こえた。
「皇帝陛下。杭州府総督。御前にただいま参じました」
それは、アサシン袁元洪と重力獣ドラクレアの声。そして、謁見の間にその姿があった。それと同時に重慶の上空に、光を赤く染めるほどに重厚強大な結界が生じた。それは、重力獣ドラクレアによるも重厚な多重結界と言えた。
「おお、袁元洪ではないか」
「は、陛下。袁元洪はここに控えております」
「袁よ、宇喜多総督に説明を申し上げよ」
「は、陛下。そして、杭州府総督閣下。この都市の全空を結界が展開されています。これは、私の指示によってこのドラクレアが生ぜしめているものです」
「だが、結界で物理的な突撃猪の攻撃を阻止することなど…・」
「いいえ、それができるようになったのです。突撃猪が激突しても完全に阻止できます」
宇喜多総督は、阻止できるという言葉が信じられなかった。だが、疑う暇はなかった。そこに皇帝側近の報告が入ってきた。
「陛下、武漢の帝国軍防衛線を突破した突撃猪が大礼堂に迫りつつあります」
「わかった。それでは袁よ、突撃猪を迎撃せよ」
前衛の突撃猪は透明な壁に激突した。その突撃猪は停止した。しかし後続の突撃猪は、その仲間の体をよじ登り、遂には後続の全てが結界のドームをよじ登り、武漢の空を黒く満たした。それでも、重力獣の結界は崩壊しなかった。
「この結界は、物理障壁にもなっているのか…。いつか六星老人を閉じ込めていた結界断層だ・・・・細かく断層で隔てられた結界空間の集合体で形成された断層・・・・そうか、これは物理的な障壁に作り上げられているんだ」
アキーの推測は当たっていた。そうであれば、このままでは突破することもかなわなかった。それでもアキーは、疲れを知らぬ突撃猪を使って、毎日愚直に結界に向けて突撃を繰り返した・・・・この膠着状態は長く続き、ドラクレアの結界はそのまま長く維持された。
ドラクレアの力は安定していた。そのことは、アサシンの袁にとっても、総督や皇帝にも頼もしく見えた。
「袁よ、大したものだ。我々はしばらくここでのんびりできるのう」
「おほめに預かり光栄です」
「しかし、陛下。このあいだに昆明への離脱をなさってはいかがでしょうか」
「何を言うか。このドラクレアの多重結界さえあれば、あのような突撃猪など、恐れる必要もないではないか。そもそも私は蛮勇の煬帝国皇帝であるぞ。逃げようなどと言うのがおかしいのじゃ」
「しかし、陛下。御身の安全こそ帝国にとって必要なこと。今は昆明蒙塵の途中なのです。お急ぎになることが肝要です」
「うるさいのう。総督、お前は下がっておれ」
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突撃猪による重慶攻略は、完全に膠着状態に陥った。この膠着した時、アキーの下にジェロニモが駆けつけた。それは、香港から駆け付けた蜂起軍人民自由軍だった。
「アキー、元気か」
「ジェロニモ、あなたか」
「どうしたのだ。突撃猪を活用しているとは、恐れ入ったな」
「しかし、彼らをしても、あの結界を突破できないのです」
「それなら、やはり吹颪の大剣の技術が必要なのだろうね」
「吹颪の大剣? それは確かに過去の旅団の渦動没滅師の技…。だが、この結界断層はその技でも突破できなかった。ただし、重力が弱くなるところで初めて隙ができる。僕が過去にケンジャニスタン峠で経験した結界断層はそうして突破できたのです。それに特殊な条件下であれば、僕の習得した霊刀操は渦動結界の源を叩き落すことが出来るとも聞いているのですが・・・・。今のところ、僕にはこの結界断層を打ち破ることが出来ていないのです」
「それなら、私が持ってきた颪鎌が役に立つだろう。これは、吹き颪の大剣よりも強大な吹颪、いや極大となった重力子振動を伴うことが出来る。つまり、これらによってならば、渦動を消してしまうことが出来るだろう。ヤザンが持っていた暗器でも、同じことが出来る。これは、ヤザンの持っていたプロトタイプを量産化した暗器だからね。まあ、君の霊刀操が真価を発揮すれば渦動結界の源を叩くことが出来るのだろうがね」
「今は、僕の霊刀操を修練する時間はない。でも、目の前には皇帝たちがいる。と言うことであれば、あなたの颪鎌とともに攻め入るしかないね」
「皇帝たちを捕らえられるかもしれないよ」
「それなら今だね。彼らは私たちが攻撃しあぐねているを知っている。今彼らを急襲すれば、私たちは彼らを捕らえられる・・・・」
ある朝、皇帝たちは驚愕した。あれほど繰り返し結界断層を攻撃し続け、結界断層で守られた重慶の上空を覆い尽くした突撃猪の黒い影が一切消え去っていた。
「奴らはどこへ消えたんだ?」
「あきらめて撤退したんだろう」
「それはあるまい」
「では、かれらはどうしたのだ?」
「これからでも遅くありません。ここ重慶を離脱し、昆明への蒙塵を急ぎましょう」
「何を言うか。私は皇帝であるぞ」
「しかし、もしドラクレアの結界断層を突破されてしまうと、此処へ一気に迫ってきますぞ」
「敵はそもそも誰なのじゃ」
そのとき、突撃猪の代わりに一人の男が結界断層の前に向かって突撃してきた。皇帝たちは、監視カメラがとらえた彼の、あまりに無謀とも見える姿に笑いをこらえなかった。
「あれは誰じゃ?」
「突撃を繰り返すパイアの先導者は、あの一人だけです。やはり、報告されていた行方不明先導者ですね」
映し出されたその姿と顔は、徐々に総督と皇帝夫妻に胸騒ぎを起こした。
「どこかで会ったことがある…・・。こいつはただ者ではなかったはず・・・・・」
その時アサシン袁が口を開いた。
「ご安心を、総督閣下。私めが皇帝ご夫妻をお守り申す。改めて申し上げますが、ここにはドラクレアもいるのですぞ」
「そうだったな」
総督はうなづいたものの、パイアの先導者がただ者ではないという思いと相まって、不安が消えることがなかった。
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ジェロニモが結界断層を一気に消し去ってしまうと、後は簡単だった。アキーは、結界の外に控えていた突撃猪を突撃させ、彼らは重力獣をめがけて突撃していった。重力獣は本能的にそのまま西方へ逃げだしていった。
この段階になって、宇喜多総督の不安は現実のものとなった。それを裏付けるように、突撃猪軍のアキーは真っ直ぐ皇帝へと突っ込んでいく。壁は突破し、建物は粉砕し、謁見の間にそのまま突っ込む。そこには、前線からの報告を受けていた皇帝夫妻がいた。
「ここにいたか、宣明皇帝! やっと追い詰めたぞ」
「余は皇帝宣明一世であるぞ。無礼であろう」
その声にアキーは一瞬たじろいだ。ここまで傍若無人に攻め込んできておいて、いまさらながらにその勢いをとどめたことは、不思議なことだった。宣明帝はその姿を見て皇帝の威光の前に恐れおののいたと誤解した。
「余の前で声を発するならば、それ相応の許しを待つのだ」
宣明帝は尊大な物言いを続けていた。それに呼応するように思来皇后も声を上げた。
「平民ごときが、陛下の前で顔を上げることだけでも不敬罪。死罪なのですよ。下がりなさい、平民ごときが」
その声をも聴き、アキーは確認するように玉座に座る若い二人を見つめていた。
「君は…原 思来さんではないのか・・・・」




