パイアの帝国蹂躙
杭州府総督の下に、蒙古方面軍指揮官からの報告が入った。
「北方哨戒群より速報。帝国の北から突撃猪が襲来。内蒙古を南進中。帝国軍が太原市北方峰東付近の谷に設けた防衛線は突破されました。突撃猪軍団は引き続き南進中」
宇喜多総督は思わず怒鳴った。
「防衛線の構成にハイパーアーレスの大部隊と砲撃部隊を使ったのか」
「はい。しかし、中央突破によって前線は崩壊しました」
そのころ、突撃猪たちによって峰東の防衛線を突破したアキーは、その勢いのまま突撃猪を率いて忻州五台山の起伏を越え、すでに太原の平野に出つつあった。太原市内はすでに無人。全ての民が逃げ出したあとだった。アキーは彼らを供え物の食べ物が満載された霊廟や神殿に向かわせた。アキーによって神邇たちが追い払われた霊廟は、雑食性の突撃猪にとって食べ物の宝庫だった。
かれらはもともと食べられるものであれば木の根でも雑穀でも、果ては野ネズミや家畜、自分の仲間の死体まで、何でも食べた。それゆえ、これだけの飽食に酔った彼らには、このまま南下する力は十分に備わったといってよかった。
太原の市街を出ると、平野の南端には、帝国軍の防御陣地、そして杭州府からの派遣軍の旗が見えていた。おそらく杭州府総督の命令によって急派されたものだろうと思われた。
「さあ、餓鬼どもよ。また新しい食べ物が待っているぞ。目の前の敵を蹴散らせ。邪魔する者たちを突破せよ」
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その年はすでに秋となっていた。東瀛に続き、すでに沖縄、台湾、ルソン、ミンダナオ、マラヤ、そして海南島・・・・・帝国が支配してきた近海の島々が次々と陥落していた。どの島でも、侵入者の上陸直後に渦動結界とその神邇たちが壊滅している。それに続いて寂静だったはずの地元民たちが蜂起すると、アサシンたちが絶対的に不足していた帝国軍は容易に追い立てられてしまうのであった。そして・・・・
「宇喜多総督閣下。太原の北方防衛線が突破されたということです」
「わかった。それでは、いまからでも杭州府の全員に撤収を開始させろ。私は皇帝に謁見してくる」
「陛下、南へ移ってくれませんか。杭州府はあぶのうございます」
側近が騒ぎ始めていた。
「落ち着け。なぜさわぐのじゃ? まだ敵は本土上陸に至っていないではないか? それとも、北方から攻められているからか?」
そこへ近衛兵がさらに不安を掻き立てる報告を持ってきた。
「香港武装警察隊より報告。香港島市中に敵工作員が侵入。多くの霊廟に形成された渦動結界と神邇たちが消されつつあるということです。やむを得ずレッドカトリック所属のアサシンが対処し始めています」
この報告は、宣明帝を不安に陥れた。
「近衛兵、杭州総督をよべ」
「その必要はありません、皇帝陛下。私はもうここに参上しています。北方、そして香港の事態の詳細を報告すべく、参上いたしました」
「うむ」
「北方では激戦となっているそうですが、まだ大丈夫でしょう。香港では、いささか気になることがあります。対抗したレッドカトリックによりますと、潜入者は一人。『東からのふさわしい者』と名乗ったそうです」
「『東からの者』? なんだそれは?」
「陛下、お人払いを・・・・」
「なに? 尋常ではないぞ」
「はい・・・・・・それでは申し上げます。レッドカトリックの総司教によりますと…・それは封印された啓典の書に記されていた言葉だと…・」
「封印されていた? 誰が封印したのだ? なぜ・・・・」
「誰がそのようなことをしたのか………恐らく、帝国建設の時に遡る話ではないか、と。封印の書簡について敵の潜入者が語ったために、封印された啓典の書がレッドカトリックの中に知れ渡り、混乱が生じているとのこと。そこからレッドカトリックは大混乱になってしまったそうです。そして・・・・帝国に反旗を翻す者がレッドカトリックから生まれ、寂静のはずだった民衆たちが蜂起し始めたということです」
「そして、潜入者に十分に対処することが出来なかったと・・・・」
「はい」
「もうよい、それなら香港島と本土との間を封鎖せよ」
「それが…潜入者とは別の戦闘集団が本土側に上陸し、彼らと香港で蜂起した民衆たちは、合流したとのこと。彼等と武装警察との間で戦闘が始まっているとのことです」
「香港はもともと寂静ではなかったからこそ、十分に備えさせていたはずではなかったか。レッドカトリックの助けまで借りるからこんなことに・・・・これでは南への撤収も危ういではないか」
「はい。それゆえ、杭州府の全帝国機関に杭州から西への撤収と離脱を命令してください。昆明蒙塵の時です」
「何、昆明へ? それほどひどい事態と言えるのか」
「ええ、実は、北方からの軍団は、どうやらトランシルバニアから此方へ移管されるはずの突撃猪が何者かによって奪取されたものなのです。以前に帝国の近衛艦隊が横取されたことと手口が似ております。万が一それが杭州府を襲うこととなると、厄介です」
「わかった。撤収をいそごう」
一通りの相談がおわった時、謁見の間に飛び込んでくる帝国戦士の姿があった。
「突撃猪が太原市街に乱入し始めました」
「なぜだ、なぜそんなに速いのか…」
突撃猪はすでに北方の要衝太原の防衛線を突破していた。帝国戦士の報告によれば、太原北方の防衛線では、突撃猪軍団を帝国戦士の大軍が迎え撃った。突撃猪の中央突破に、迎撃の帝国戦士はことごとく吹きとばされる。それにもかかわらず踏ん張る帝国戦士たちは、砲撃によって個々の突撃猪を撃破し、また、塹壕に突撃猪を落とし込み、突撃猪を下敷きになりながらも、多くの突撃猪を粉砕する。その激戦の中、アキーは一頭の突撃猪によって戦線を突破した。そうすると残りの突撃猪がそちらに集中する。こうして帝国が築いた幾重もの防衛線は何度となく突破され、ついには太原市街への乱入を許していた。
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杭州府からの皇帝蒙塵の隊列は、昆明へと向かう途中、武漢に滞在していた。
「陛下、私はここから太原南方の防衛線へ向かいます」
「宇喜多総督、いや、直明殿。しばしの別れじゃが、無理をするでないぞ」
「陛下、必ず、昆明蒙塵をお急ぎください。留まってはなりません」
「うむ、わかっておる」
こうして宣明帝夫妻は、側近にせかされながら西へ旅立っていった。
「指揮官を呼べ。ここを武漢防衛の司令部とする」
杭州府総督は帝国本土を守る要職だった。それゆえ直明は防衛線を死守する覚悟で宣明帝に別れを告げ、謁見室を死に場所としてここから防衛線の各部隊に命令を出そうと覚悟を決めていた。
宇喜多総督が武漢周辺に巡らした防衛線は、総督直轄軍から構成されていた。まもなく両軍が激突する時だった。
「私の直轄軍が前面に出る時だな」
「はい」
一人の付き添い武官が総督に報告をしていた。
「私もそこへ行こう」
「危のうございます。前線からの報告では、すでに突撃猪軍団は中央突破を図ろうとしています。ここに至るのも時間の問題です。撤退するしかありません」
「もちこたえられないのか」
「突撃猪の先導術を有する者がいません。一時的に力づくで止めることが出来ても、後続の突撃猪によって波状攻撃を受けてしまいます。太原でもこの波状攻撃によって中央突破されてしまったようです」
「何とか突撃猪を止めなければ・・・・。ついには我々は追い詰められてしまうぞ」
杭州府総督は戸惑いつつその配下の残存兵とともに武漢を脱出していった。
アキーは総督直轄軍を狙いに定めていた。直轄軍の防衛線に先頭の突撃猪が達した時、そこにはナパームの大量爆発があったのだが、突撃猪たちはそれに構わず、そのまま火の中に飛び込んでいった。確かに多くの突撃猪は焼け死んだ。しかし、残りの突撃猪は死体を乗り越えて突進をつづけ、ついには直轄軍さえも蹂躙した。それをきっかけに防衛陣地は中央突破され、帝国軍は潰走した。
「武漢の防衛線が突破されました。敵軍は市中に入り込みました。」
「そうか、全軍を撤収させろ」
「はい」
「皇帝陛下は今どこにいらっしゃる?」
「重慶に至っています。そこで静養なされてからさらに昆明へ西進するのです」
「それでは遅いかもしれない。我々も重慶へ急ごう」
皇帝はすでに重慶の大礼堂に臨時の居を構えていた。遅れて重慶入りした総督は、大礼堂の前面、川に突き出た歴史博物大会堂に臨時前線司令部を置いた。そこから、重慶の南山と東方の山地、さらに東側にいくつもの防衛陣地を構築しつつ、大量の水を堰によってせき止めた長江を最終防衛ラインと設定した。総督はそれを報告するとともに、自ら前線にたった。
「陛下、突撃猪が迫りつつありますが、帝国軍の総力をここに結集しています。私はこれより陛下のため、この身を賭けてパイアを撃退申し上げます。それでは、しばしのお暇を」
「待て、直明殿。勝算はあるのか?」
「ええ、もちろん。・・・・いや、わかりません。しかし、突撃猪は突撃するしか能のない動物です。それゆえ、前進さえとどめれば、それで終わりになります。そこで、ここに至っては本国の全精力をもって突撃猪の突撃を阻止する所存。さもなくば、必ずこの身をもって肯定ご夫妻をお守りいたします」
「死ぬなよ。宇喜多卿」
アキーは、突撃猪を武漢から長江を遡上させていった。この単純な動物は目の前のことしか目に入らず、また操ることも難しいため、単純な突撃戦法しか採用できなかった。そこでアキーは障害物のない長江沿いに重慶へ向かった。だが、それは遡上する波を起こし、帝国側に突撃猪接近を知らせることに繋がった。それは、帝国側の防御陣地変更の機会を与えることとなった。
「総督。パイアが長江沿いに遡上する模様」
「ほお、長江を遡上するとは。そうなればいくら突撃猪でも速度が落ちる。今のうちに防衛線を構築しなおせ」
帝国軍は重慶の上流域にいくつもの堰を設けていた。それをさらに高くそびえさせ、水量を増した。突撃猪が重慶の防衛線に近づくころには、いくつもの堰にさらに五倍量のの水がせき止められていた。
「哨戒中の前線部隊より報告です。下流より敵部隊が遡上してきます。突撃猪の大部隊です」
「いよいよだな。第一堰開門、水流による撃破を始めよ」
一度に解放された大量の川の水は泥水となって下流に落ちていく。それが河川を泳ぎながら遡上する突撃猪を一気に下流に押し流す。そのあとには大量の突撃猪の水死体が川を埋め尽くした。だが、後続の突撃猪は水死体を踏みつけならがら進む。こうして突撃猪は徐々に重慶に近づいた。
「総督、とつげき猪は最終防衛ラインを突破しました」
「わかった。長江の防衛ラインは全て撤収。私はこの司令部に彼らを引き付ける。その間に司令部員も撤収せよ。そこで私はここを爆発させて離脱するつもりだ」
だが、その爆発によっても突撃猪は四分の一が健在だった。
「最終防衛ライン、持ちこたえられません。皇帝陛下に置かれましては、さっそく昆明蒙塵をお急ぎください。留まってはなりません」
「わかった」
「お急ぎください」
「報告、大礼堂周辺に包囲陣が形成されつつあります」
「お、遅かったのか…・」
だが、突然重慶の上空から濃い赤色のドームが形成された。




