東から立てられた者
杭州府総督府に深刻そうな声が響く。
「東瀛東岸一帯の渦動結界が消え去りました。何人かの工作員が上陸した模様」
「アサシンたちはどうした?」
通信機から聞こえる東瀛方面軍指揮官は、冷静さを失っている。杭州総督宇喜多直明は、指揮官をたしなめた。
「アサシンたちは欧州へ駆り出されているんだろ。本土にもアサシンはほとんどいない。東瀛には対応できるアサシンたちがいないはずだ」
そういいつつ直明はつぶやいた。
「私たちは、虚を突かれた・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
季節風の収まった五月。陸奥湾の入り口ゆえに、波は静かだ。その波に揺られる小型艇の上で、ジェロニモは自分の先祖の地東瀛を見ながら、上陸後の自分の行動方針を確認していた。湾の入り口から湾の奥を見ると、真っ暗な寂静の中に閉じ込められた山里、海岸沿いの町々が、月明かりを映す黒い海面に映っている。確認のために北の海上を見ると、上陸するまでのバックアップをする巡航型潜水艦の星影が見える。
ジェロニモが持ち込もうとしているものは颪鎌。以前ヤザンが暗器として使った武器。ジェロニモも連邦に帰国すると同時にその原理と効果、使用法を何回も覚え、訓練し、究めた。そして、今、実戦に用いようとしている。ただ、その威力は神邇のみに対して威力を、アサシンがいないことが条件だった。そのために、連邦が出した攻略先は、帝国の本土ではない島々の領土東瀛だった。
「民たちを寂静に閉じ込める神域、渦動結界を没滅すれば、民たちが目覚める。そうすれば、東瀛と津軽海峡を介して北に接する『』の組織が上陸を開始するはず」
そう独り言ちると、ジェロニモは海岸の明かりの方へと溶け込むように進んでいった。
上陸したのは下北半島の「むつ市」と言われた廃墟。その西側あたりに、結界が一番強く感じられる領域がありそうだった。
「ここにもあったね。アキーたちが言っていた通りだ。東瀛の民たちをを大陸の帝国が支配し、寂静に民たちを閉じ込める構造。ここがその支配構造の要。ここを探り当てた。この神域の一番強い場所だ。この地点を没滅してしまえば、後は西へ西へと追撃することになる。さあて、作戦開始」
その掛け声とともにジェロニモは静かに神邇を探しはじめる。活用するのは、結界があればその渦動に反応する手元の暗器、颪鎌。ジェロニモは結界の強さの微分すなわち勾配から、神殿の背後、神邇の居場所を探り当てた。
次の瞬間、渦動結界を伴った神邇が姿を現した。
「お前、旅団の工作員、渦動没滅師か?」
「いや、違うね。とはいっても、あんたに教える名前はないよ。黙って没滅されなさいよ」
深夜の闇の中、淡い霊光のようなきらめきと同時にその神邇は二次元へと押し込められ、結界は消滅した。
それを待っていたかのようにその地域に上陸し始めた集団があった。「熱情者団」と言われる北海道の東瀛人たちだった。
「この地は解放された。自由を回復したぞ。民たちよ、目ざめよ。煬帝国を追い出してしまえ」
この奇襲から始まって、帝国の東瀛の帝国軍・武装警察や神邇たちは、行く先々で戦線を放棄して逃亡していった。そしてついにはジェロニモと熱情者団は東京に達した。
東瀛の首都東京。その名は東瀛の都であるゆえに帝国によってつけられた名前だった。その筆頭区域に、東瀛を統べる帝国軍と武装警察軍の本拠があった。
「なにがおこった?」
その仲間同士のひそひそ話が聞こえた。老兵の問いに、ほかの老兵が答えいてる。
「神邇達が消えているぜ」
「みろ、神域が崩壊し始めている。どうしたんだ?」
別の老兵が指摘した。
「俺たちは何ともないぜ」
それを聞いたアサシンが考えながら、指摘した。
「やられたのは、神邇たちだ。だが、吹き颪の剣は使われていない・・・・。とすると、敵は、新しい武器を、神邇たちを吹消してしまう技術がなにか生まれたのだろうか?」
「これでは戦えないぞ」
その声に呼応するように、東瀛方面軍指揮官の声が全部隊に聞こえた。
「今は撤退するしかない。全員撤退を急げ」
その時、東瀛からの通信は以下の通信を最後に、信号が立たれた。
「東瀛方面軍は戦線を離脱、東瀛の指導者たちとともに帝国本土へと脱出を始めています」
その連絡を受けた杭州総督府は、皇帝の名前でトランシルバニア総督に助けを求める一報を入れることしかできなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五月のフネドアラ要塞近く、その防御陣地の辺りは草が生えそろっていた。その草むらにアキーとタエは身を隠しながら観察している。彼らは帝国工兵アーレスの制服を身に着け、防御陣地を建設する工事の中に紛れ込んで、帝国軍のフネドアラ要塞周辺の帝国軍布陣を探りに来ていた。その目の前を、防御陣地建設の進捗を見に来た鳴沢とクァレーンが通り過ぎたところだった。それはアキーとタエにとって、思わぬ情報と会話とを聞くことになった。
鳴沢総督とクァレーンは、防御陣地構築と戦備準備状況の視察を兼ねて足を延ばしていたのだった。そのとき、杭州府の総督からの緊急連絡が、近衛兵によってもたらされた。
「杭州府総督より、欧州トランシルバニア総督へ。正体不明の侵攻部隊により、今まで神域を維持していた神邇たちの行方は全て不明。おそらく侵攻部隊の持ち込んだ謎の武器によって、存在しなくなったとみられます。それに呼応して、東瀛と国境付近で紛争を繰り返す「熱情者団」が、東瀛に侵攻。侵攻後の民衆たちは寂静を捨て去り、気ままに抵抗し始めました。扇動された民衆たちが「熱情者団」軍と正体不明の侵攻部隊に加勢して、東瀛の帝国軍は壊滅。すでに東瀛の国土は九州まで「熱情者団」によって占領されました。」
神邇たちが存在しなくなったという状況は、クァレーンが今まで把握している欧州各地の神邇たちの状況と酷似していた。欧州各地に派遣していた帝国の神邇たちと同じように、東瀛各地の神邇たちはおそらく二次元に封じ込められたに違いなかった。
「東瀛はどうしたというのだ」
「東瀛はすでに敵の手に落ちたというべきでしょう」
「敵か。敵とは何か。敵とはだれか」
「侵攻部隊は我々の警戒網、広範な結界をかいくぐって来襲したのだろうと思われます。ただ、アサシンたちのいない東瀛を狙っていたことは、我々の油断の招いたこと。いや、我々はトランシルバニアにすべてのアサシンたちを集結しなければなかったのですから、この事態は予想していたことです。そう、覚悟していたはずです。」
「わかった。以前に欧州に上陸した工作員がいた。東瀛の侵攻部隊は彼と同じ手段で接近したのか?」
「東瀛のすべての神邇たちがすべて無に帰しています。その規模からすると、熱情者団と言われる者たちの侵攻部隊は大部隊かと。でもその規模は不明。正体も不明です。ただ、大部隊だとすると、その大部隊を上陸させた手段はおそらく大艦隊。とすれは、それを送り込んだ敵はおそらく帝国に匹敵する規模の国家でしょう」
「わが帝国に匹敵? 煬帝国に匹敵する国家など・・・・まさか、旅団が…」
「いえ、旅団ではないでしょう。旅団ではないですが、旅団を助ける者があるのかもしれません」
鳴沢は考え込んだ。
「私が帝国を脅かす啓典の一部として封印した預言書が、まさかこんなことを告げていたのか…」
「預言書? その内容がなにか・・・」
「気になる。なぜなら、東から何かが来るとされていたからだ。『東からふさわしい者を奮い立たせ、足元に招き 国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。この人の剣は彼らを塵のように 弓は彼らを藁のように散らす。彼は敵を追い、安全に道を進み、彼の足をとどめる者はない。このことを起こし、成し遂げたのは誰か。それは主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの 初めであり、後の代と共にいるもの』 そう言っている」
「まさか」
「そう、そのまさかなのだが…しかし、この預言書が今の事態を指しているとするならば…・・南北アメリカ大陸のどこかの国・・・・未知の国家・・・・」
「帝国はそれに備えなければなりません」
クァレーンは未知の事態に困惑していた。それを鼓舞するように総督が質問をぶつけた。
「どうすればよいか?」
「閣下にとってどこが一番大切な所かを考えて、そこを守り切ることです。ペトラの地、それがあなたにとっての根源。なれば、まずはこの地域を守り切らなければなりません」
「だが、帝国はどうなる? 皇帝は? 帝国人たちは・・・・?」
「今は閣下にとってどこが一番大切な所か、を考えるべき時です。皇帝陛下や杭州府の彼らには、彼らの力が備わっているはずです。しかしながら、たとえ、彼らがその東からの侵攻勢力に対抗できなければ、彼らはそれまでのこと。ただし、私は皇帝陛下のご子息とそれに従う帝国組織を帝国辺境の白頭山に隠しています。皇帝陛下や杭州府の彼らと同様に、いや、念のために彼等以上に力を備えさせています。いずれにしても、あなたは今目の前の敵に対処するしか道はありません」
「そうだな。だが、杭州府は帝国の本拠には違いない。お前の為した処置は最低限だが、これから此処で行われる迎撃戦闘では、もう突撃猪軍団は不要であろう。帝国本土に突撃猪軍団と重力獣とを送ろう。突撃猪軍団であれば、帝国に押し込んでくる敵を圧倒できるであろうし、重力獣であれば私と同じ多重結界を形成できる」
アキーとタエにとって、東瀛が帝国の支配から切り離されたことは意外なことだった。そして、アキーは突撃猪軍団にまぎれて東瀛へ行くことを画策した。
「タエ、僕は突撃猪軍団の移動にまぎれて杭州府、東瀛の今の実態を探りに行こうと思う。東瀛を帝国から切り離した謎の軍組織も探りたいし…、たぶん、突撃猪も帝国から奪取して利用することが出来れば、帝国を東から追い立てる条件が整えられるかもしれないぜ」
最後の追加の言葉は冗談だった。だが、アキーの提案を聞いて何か寂しいものを感じたらしい。そのせいか、タエはアキーに一言返事をよこしただけだった。
「そう・・わかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一か月後の二週間後、突撃猪軍団は先導者に導かれてドニエプル川を越えたころだった。その直後、突然に突撃軍団は行方をくらまし、その置土産にモスクワの北方総督府が破壊され尽くされていた。
「突撃猪(突撃猪)が行方不明だと?」
鳴沢総督は狼狽して大声を上げた。それに付け加えるようにクァレーンの報告が続く。
「はい、欽察草原にて、突撃猪は先導者の裏切りにより、北方のいずこへか全部隊が連れ去られてしまいました」
「どこへ連れ去られたというのだ?」
「欽察草原のモスクワに在る北方総督府方面へと、全ての突撃猪が走り去ってしまったと・・・先導者の乗り手たちは全てが振り落とされたらしいのです。ほとんどはその後北方総督府の帝国軍に収容されたのですが・・・・その帝国北方総督府が帝国軍の突撃猪軍団に蹂躙され破壊され尽くされたという報告も来ています。・・・・そして残念なことに北方総督府の帝国軍をしても後を追うことが出来なかったということでした」
「誰がそんなことを」
「先導者は全てが帝国戦士でした。その中の一人が裏切ったのです」
「帝国戦士が裏切りを? それはあり得ないぞ。すべてがクリスパーアーレスとよばれるデザインベビーの世代だ」
「しかし、その若者たちの一人が裏切りを行ったのです」
「なぜだ。その世代は優生研究所によって新しい世代としてすべての臣民の間で生まれた者たちだ。魔石や太極の開発も私の指示した万世化学研究所とともに、クリスパーアーレス世代も私が帝国のために生み出したのだ。その世代はすべて私によって意識が刷り込まれているはずだ。それなのに、なぜ裏切り者が生まれたのだろうか?」
「しかし、現実に突撃猪は奪われました」
「まさか、スパイか? 工作員…。なれば、振り落とされて収容された者たち、そして行方のしれない者それぞれの人数はどうだったのか?」
「はい、行方不明となった人数は、先ほど裏切り者と私が申し上げた一人です。一人にすぎないので、気にする必要もないと思われます」
「いや、気にする必要があるかもしれないぞ」
鳴沢総督は、頭の片隅に引っかかる何かを思い出しながらクァレーンを睨んだ。クァレーンはそれに応じながら考え込んだ。
「行方不明者は一人で済んでいます。ですから今回の逃亡事件は単なる逃亡事件として考えたほうがよろしいのでは?」
「違う、違うぞ。これは敵に違いない。私が気付かないところで、しかも私のごく近くで敵が暗躍していたに違いない。過去に帝国の近衛艦隊が丸ごと乗っ取られたことがあった。あの時は秀明だった。今回もそれとよく似ている」
鳴沢はやっとまとまった考えに納得できた。だが、クァレーンはそれを否定した。
「それはあり得ません。」
「なぜそんなことが分かる?」
「私、クァレーンです。私は魔術を統べるものです。さすれば、私をして周辺で暗躍する敵であれば必ず分かります」
「そうであったな。お前が私の眷属であればそのように知覚できるのであったな」
しかし、彼らは、見落としたことがあった。・・・・突撃猪を盗んだアキー、つまり宇喜多秀明の本質が宇喜多秀家であり、クァレーンの本質がその妻豪姫であるゆえに、知覚を掌るクァレーンの潜在意識がアキーを敵と認識することはあり得なかった。なお、かれらはそれを見落とすべくして見落としていたというべきかもしれない。なぜなら、彼らが啓典の主によってひそかに結びつけられた間柄だったから。




