051話 ジーゲスリード講和会議1日目 4
帝国歴628年3月29日、ジーゲスリード講和会議の1日目の閉会後。
各国の代表団が散会した後も、ジェムジェーオン伯爵国代表団は『グランドキルン』龍巣殿に残っていた。
ショウマ・ジェムジェーオンは、父アスマ・ジェムジェーオン伯爵からフランク・バルベルティーニ伯爵宛に送られた書簡を手に取り、内容を確認した。
書簡には、はっきりと、ジェムジェーオン伯爵の世子をショウマからユウマに変更したいと綴られていた。フランク・バルベルティーニ伯爵に対して、ジェムジェーオン国内の反対派を抑えるため、早急な派兵を要請しており、ユウマの後ろ盾となることを懇願していた。そして、最後にジェムジェーオンの国璽が押されていた。
ショウマは宙を見上げた。
血が昇ってきた。目の前が霞む。
――感情を抑えるんだ。
ショウマは冷静に努めた。
書簡の印章は、間違いなくジェムジェーオンの国璽だった。正式な国書として認めざるを得ない。
ショウマは荒ぶる気持ちを鎮撫し続けた。
徐々ではあったが、心の制御を取戻しつつあった。ただ、ショウマのなかに、しっくりしない何かが残っていた。
――自分の感情が事実を認めたくないと抵抗しているのか。
ショウマは自分と世界に対し、同時に疑念を抱きながら、ギャレス・ラングリッジ元帥に書簡を手渡した。
書簡を受け取ったギャレスが、内容に目を通した。一瞬、険しい顔をした。読み終えたあと、イアン・ブライス内務大臣に書簡を手渡した。
続いて、ブライスが書簡に目を落とした。
「こ、これは」
普段、冷静沈着なイアン・ブライスが動揺を隠すことなく、書簡を持つ手を震わせた。驚愕の表情を浮かべた。
「確かに、ジェムジェーオンの印章が押されています」
ショウマは小さく呟いた。
「そういうことだ」
時間が少し経過して、ショウマの気持ちは完全に鎮まっていた。
ブライスが丁寧に書簡を折りたたんだ。次に、書簡は双子の弟カズマ・ジェムジェーオンに渡った。
カズマが書簡を開いて一読すると、顔面蒼白となった。血の気を失った表情で、何度も書簡を読み返していた。
ギャレスが疑念を差し挟んだ。
「この書簡は、本当にアスマ様が書かれたものなのでしょうか」
カズマが書簡を手に持ったまま、ギャレスの言葉に反応し、沈んだ顔をあげた。
「そうだよ、兄貴。ギャレスの言う通りだ、こんなのおかしいって。オレの目から見て、親父と兄貴の間に確執などなかった。いや違う。むしろ、良好な関係を築いていた。なのに、親父がこんなことを言うはずがない」
ショウマは静かに言った。
「書簡には、ジェムジェーオンの印章が押されている」
「兄貴は親父のことを信じていないのか」
カズマの言葉が、ショウマの気に障った。
――感情の問題ではないのだ。
ショウマは苛立つ気持ちを隠すことができなかった。
「バルベルティーニから物的証拠として、この書簡が突きつけられているのだ。こちらが内容を信じられないという理由で、この書簡を偽物と否定する真似をすれば、ジェムジェーオンという国そのものが信頼を失ってしまう。この程度のことを、カズマは解らないのか!」
「けれども……」
ギャレスが割って入ってきた。
「よろしいでしょうか」
ショウマはギャレスに顔を向けた。目が合った。話を続けるよう頷いた。
ギャレスが言葉を続けた。
「たしかに、ショウマ様の言う通り、根拠もなく提示された物的証拠を否定するわけにはいきません。ただ、小官がこの書簡を拝見して生じた違和感は、カズマ様の考えと同じ処に端を発しています」
ギャレスがショウマの様子を窺うように、話を止めた。
ショウマはギャレスに続きを促した。
「ギャレス。もう少し、話を聞かせてくれるか」
「はい。書簡にもある通り、ショウマ様を廃嫡しようとすれば、ジェムジェーオン国内に反対派が生じて、国が真っ二つに分裂します。小官も反対派のひとりになったことでしょう。しかし、事実はどうだったかというと、アスマ様の口から小官にそのような話を伺った憶えはありません。ブライス卿はどうでしたか」
ブライスがギャレスの言葉に頷きながら答えた。
「私もこの内容を承知していませんでした」
「たとえ、アスマ様といえども、反発を考えれば、このような大事を何の根回しなしに決定するとは思えません。たとえ国主であろうとも、独断で決定できる問題ではなく、軍や政府の支持が必要になります」
ショウマはギャレスの意見に同意しつつも、引っかかりがあった。
「たしかに、ギャレスもイアンに対して、何の打診もなかったというのは、ユウマを嫡子に擁立した後のことを考えれば、解せない。しかしながら、ギャレス以外の軍のトップが秘密裏に後ろ盾となることを密約していたとしたら、どうなる」
ギャレスが眉間に皺を寄せた。
「マクシス・フェアフィールド元帥のことですか」
ブライスも厳しい表情で続いた。
「フェアフィールド元帥は、ハイネス攻防戦の前、国民の前でこの書簡と同様の内容を、アスマ様から受取ったと発表していました」
「偶然の一致にしては出来すぎではないか」
カズマが割って入った。
「だが、ジーゲスリード陥落後、マクシスの筆頭幕僚だったパーネル中将が、元帥の命令で書簡を捏造したと発表したではないか」
「確かに、パーネル中将が否定したのは事実です」
ギャレスの言い方は、奥歯に物が挟まったような感じだった。
ショウマは俯いて、眼を閉じた。
左手で伏した顔を覆いながら、確認するように言った。
「パーネル中将は、長い間、マクシスの幕僚のひとりだったな」
「第一の腹心でした」
ショウマは顔を起こした。両目でギャレスを捉えて頼んだ。
「ギャレス。至急、パーネル中将を呼んでくれないか」
「承知しました。召喚します」
ギャレスが得心した表情で首肯した。
パーネルを呼ぶため、ギャレスが部屋を出て行った。続けて、ショウマはブライスに指示した。
「イアン。この書簡を鑑識に回してくれ」
ブライスがショウマに目を向け、訴え掛けてきた。
「良いのですか」
カズマが焦った表情で、両手を広げた。
「もし、この書簡が本物だったら、講和会議でジェムジェーオンが不利になるだけではないのか」
「ここで小細工したり、鑑識を遅らせれば、パイナス伯の思う壺となる。おそらく、彼らは自分たちで、この書簡の分析データを所持しているはずだ」
ブライスが書簡を手に取って頭を下げた。
「ショウマ様の言う通りです。私の発言は撤回させてください。浅はかでした」
ブライスが書簡を携えて出て行った。
ショウマは椅子に深く腰掛けた。
――父アスマの遺志。
なぜ、ユウマを後継者に選んだのか。
書簡は、グランドキルンが火に包まれたあの日以前に出されている。仮にショウマを廃嫡するにしても、普通に考えれば、ユウマではなく順番からいって双子の弟カズマを選ぶはずだ。
ショウマは、部屋に残っていたカズマの顔を見た。
虚ろな目をしていた。まだ、動揺から立ち直っていないようだった。
「カズマ、大丈夫か」
「正直に言うと、混乱している。あの書簡が本物だったら、親父が兄貴を退けようとしていたということになる。そんなことがあり得るのか」
「あり得るか無いかでいえば、可能性を完全に否定するのは難しいだろう」
カズマが声を荒げた。
「なんで、兄貴はそんな冷静でいられるんだ」
「カズマが言ってくれたじゃないか。父アスマが私を廃嫡するはずがないと。実は、自分もそう思っている」
カズマは、語勢を失った。
「そうだよな。では、どうして……」
「しかし、あの書簡、それ自体は本物である可能性がある。そうだとすれば、誰かの意思によって、書簡が作り出されたのだ」
「誰の?」
「判らない」
「そうか」
「書簡に押された印章の真贋が判明するには、まだ時間が掛かる。カズマは疲れている。今日はもう、自分の部屋で休んではどうだ」
カズマが力なく肯いた。
「そうだな。少し疲れた。兄貴の言葉に甘えて、休ませてもらおう」
カズマが立ちあがって、ゆっくりと自分の部屋へと戻った。
ひとりきりで残された部屋のなかで、ショウマは椅子の背もたれに深く身を預けながら、目を閉じた。
瞼の裏に父アスマの姿が浮かんだ。
ショウマの思い出のなかに登場するアスマは、いかなる時も、父親の顔ではなく、ジェムジェーオン伯爵の顔をしていた。考えてみると、ショウマはアスマの純粋な父親としての顔を知らなかった。
君主の立場として、父アスマのことを想った。
なぜ、父アスマが長男子相続の原則に背いて、わざわざお家騒動を持ち込んだのか。カズマが言ったように、父アスマとの関係は良好であった。さらに、ショウマ自身に、父が廃嫡を決めるほどの落ち度もなかった、と思っている。
――それとも、そう感じていたのはショウマだけだったのか。
父アスマの感情やショウマに見えなかった本心に起因する問題であれば、合理的に説明することは困難だ。
――もし、そう仮定したとしても、対応が中途半端だ。
仮に、ショウマが父アスマの立場で、ショウマを廃嫡しようと考えたならば、真っ先に、ショウマを亡き者としたであろう。もともと、原理原則に反した強引な所業なのだ。既成事実を自身で作りあげる覚悟を持って臨まねばならない。
ひとつの事実は、多くの人間の意思がぶつかり合った結果だ。意思のなかには、それぞれの人間の真実が含まれている。
ひとつ明確な事実は、一連の出来事で、ジェムジェーオン伯爵国は混乱して大きな傷を負うことになった。しかし、私ショウマ・ジェムジェーオンは生き残った。否応なく迫ってくる現実に立ち向かい、もがき、あがいた結果だ。
――まさか、この結果すら、誰かの仕組まれた計画のひとつなのか。
いずれ、ジェムジェーオン伯爵位を継ぐと思っていたが、このタイミングとは思っていなかった。この結果を望んだ者がいるのかもしれない。同時に、この結果に不満を持っている者がいるのかもしれない。
ショウマは大きく深呼吸した。
ひとつひとつの事実を、確実に検証していく必要があった。
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