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7  『Virtual to LIVE』


 この世のどこでもない場所で、二人が歌っている。


 ステージにあふれる煌めきは、こちらの世界にはないものだ。

 何かとてつもなく大きな存在に包まれているような気持ちになった。


 息が出来ない。

 息をするための神経すら割くことが惜しい。

 今はただ、全神経を二人に集中させていたかった。


 僕に出来ることはそれしかないし、それ以外のことを考えてはいけない。


 突然、涙があふれた。

 ダムが決壊したようだった。


 こんなに涙したことはかつてなかった。


 どうしてとか、こんなはずじゃとか、そんなことを考えてはいけないのに、止めることが出来ない。


 そんな気持ちは捨てたはずだ。

 振り返らないと決めたはずだ。


 僕は人間として生きることを決めたのだ。


 希死念慮とも違う圧倒的な幸福から来る絶望が心を満たしていく。


 自分が今、生きているか死んでいるかが曖昧になっていく。


 実は僕はとっくの昔に死んでいて、現世に未練のある怨霊として、かろうじて存在しているだけなのかもしれないと思った。


 涙は止まらない。


      ●


 あちらの世界の紅白歌合戦の特設ステージに立った二人は、当然のように今回もトレンドで世界一になった。


 同時接続者は史上最高を記録し、年末にして一番の話題となった。


 あの後も歌やゲームを通じてコラボしてきた二人の集大成がそこにあった。


 僕はそれを、この目で見た。

 だから語り継ぐ義務がある。


 有栖川ミーナがいかに羽ばたいたかを後世に残すこと。

 それが僕の、生きる理由だった。


 だが理由は一つでなければいけないという決まりはない。この世界が一つではないように──。


 そんなことに気づくのに、ずいぶん遠回りしてしまった。


 僕はかなえさんのことが、好きだった。

 どうしようもないくらい、大好きだった。


      ●


「人、多いですね」

「そうだね。あ、寒くない? カイロ持ってきたよ」

「ありがとうございます」


 二人してカイロを揉む。小豆を洗うような音が耳にくすぐったい。手がじんわりと温かくなる。手のなかに太陽があるようだ。


 列が動く。

 後少しで神様の前に立てる。


「九条くんには驚かされてばかりだな」


 言葉とともに白い息が吐かれた。


「驚かしてますか?」

「驚かしてるよ。何か最近の九条くん、かっこいい」


 褒められているのはわかった。しかしそれを素直に受け入れられるだけの準備が、まったく出来ていなかった。


 いや、それは言い訳か。

 人生は準備なんて出来ないことのほうが多いのだから。


「今日だって、一緒に新年を迎えませんか、とか言って」

「一緒に迎えたかったからです」

「そういうとこだよ」

 かなえさんが小さく笑った。


 断られる可能性も、もちろん考えていた。

 あの飲み会の日から、二人のあいだに透明な壁が出来てしまったように感じていたからだ。


 だが僕はその壁を打ち破ろうと決めた。そのための行動だった。


 思えばこんな風に除夜の鐘を聴いたことはなかった。初詣なんて朝に適当に行けばいいと思っていたし、何なら行かなくていいとも思っていた。でも今年は違う。大切な人と一緒に年を越したかった。


 長蛇だった列もそろそろ終わる。

 みんな、何らかの願いを拍手や礼に乗せて神様に捧げる。


 願っても叶うわけじゃないのに、どうして人は願うのだろう。

 どうして人は、願わずにはいられないのだろう。


 不思議に思っていると順番がやってきた。僕たちはお賽銭を放り込み、鐘を鳴らし、きちんと作法を守った。


 しかし僕は何も願いごとが出来なかった。

 ただ礼をし、拍手をし、目をつぶっただけだった。

 神様の前に立った瞬間、何をお願いするのか忘れたのだ。


 あるいは、それでよかったのかもしれない。

 僕の願いごとは、実はもう叶っているのかもしれないから。


「甘酒、ありますよ」


 巫女さんが甘酒を配っていた。僕たちはそれを受け取ると、人の流れから少し外れた。それだけで二人きりになれたような気がした。


「甘酒ってさ、言うほど甘くないよね」

「そうですね」


 風が吹いて、後ろの林がざわめいた。

 まるで雨の音のようだった。


「かなえさん」

「何?」

「好きです」


 時が止まったような気がした。だから僕はその時を前に進めた。


「愛してます。僕と付き合ってください」


 打ち上げ花火の音がした。小さな音だったが、それはとてもはっきりと聴こえた。


「私も」

 かなえさんが言った。

「私も好きだよ。愛してる」


 甘酒を持つ手が、自分の手ではないようだった。


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