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2  『人より上手に』


 特別な存在になりたくて、なりたくて、たまらなかった。


 替えのきかない、唯一無二の存在になりたかった。


 そうなれなければ、生きている意味がないとすら思っていた。


 だが今ならわかる。

 その考えこそが、平凡な価値観から生じたものに過ぎないということを。


 つまり僕はどこにでもいる普通の人間だった。


 だけどそこにいるときは、それをどうしても認められなかった。


 高校では演劇部で何度も主役を務めたから、それなりにやれると思っていた。しかしそんな思い上がりは入学して早々、波に呑まれた砂の城のように崩れ去った。


 上には上がいた。

 たくさんいた。掃いて捨てるほどいた。


 やがて一人、また一人と脱落していくなかで、次は自分だと思いながら生きていた。


 奈美も僕と同じように、大きすぎる壁と小さすぎる自分の差に震えていた。それが自分のことのようにわかった。後で聞いたら、彼女も僕の不安を感じ取っていたらしい。


 それは言ってしまえば弱者の傷の舐め合いで、何らの生産性もない逃避だったが、逃避する場所などないとわかっていてもそうするしかなかった。


 次第にクラス内でカップルが目立つようになった。それは決まって、下手な者たちのあいだに見られた。


 才能や実力がある人間に、休憩や寄り道は邪魔以外の何物でもないからだ。

 羽を休めた瞬間落ちていくという現実を、彼らは誰よりも理解していたのだ。


 そのうち授業だけでなく、放課後も奈美と一緒にいるようになった。

 上級者が自主練に励むのを横目に、何の意味もない遊びにふけるようになった。


 僕たちはエネルギーの使い道を、正しいほうへ向けることが出来なかった。


      ●


 鍵を開けると電気を点け、いつものように机や床を拭いたり、トイレを磨いたり、花瓶の水を取り替えた。そしてシャッターを開け、店の前を箒で掃いていると、かなえさんが出社してきた。


「おはよう。いつも早いね」


 栗色の髪が朝日に煌めいた。


「一人でやらなくてもいいのに」

「いえ、好きでやってるので」


 僕はまだまだ半人前だ。

 だからせめて少しでもみんなの役に立ちたいと思う。


「ありがとう。でも頑張りすぎないでね。九条くん一人でやる必要はないんだから」


 かなえさんは荷物を置いてくると、掃除を手伝ってくれた。目の前を会社員や学生が洪水のように通り過ぎていく。

 そうしていると社長や藤巻さんもやってきた。


 今日も一日が始まる。

 いつも通りの素晴らしい一日が始まる。


      ●


「九条くん、今の接客よかったよ!」


 お客様が退店し、扉の鈴が鳴り終わった瞬間、かなえさんに褒められた。


 カップルのお客様で、同棲するための部屋を探しているとのことだった。

 彼らのニーズを満足させる、ぴったりの物件を紹介出来たと思う。

 二人の満足気な顔がその証だった。

 部屋を実際に見に行ったときも、どの家具をどこに置くかとかそんな話をしていた。その幸せを絵に描いたような二人が、本当に輝いて見えた。


 僕は彼らの幸せに、少しでも貢献出来ただろうか。

 誰かの幸せのために生きるというのは、案外悪い生き方ではなかった。


「ありがとうございます」


 ようやく契約を取れるようになってきた。かなえさんと比べたらまだまだだが、最初の頃と比べると自分が別人のようだ。その違いに自分でも驚く。


「九条くんが成長してくれて、私は嬉しいよ」


 かなえさんが遠い目をして微笑む。


「そうだな。なっちゃんが戦力になってくれて、本当に助かってるよ」

 社長が言った。僕は振り向く。


「いえ、かなえさんのおかげです」

 この半年、彼女に接客のいろはを叩きこんでもらった。なかなか芽が出ない種だったが、何とか光が見えてきた。


「おいおい、俺のおかげじゃないのかよ」

「あ、いえ、すみません。社長のおかげです」

「冗談だよ。なっちゃんは真面目だなあ。ま、そういうところが可愛いんだけどさ」

 笑い声に包まれる。


「これからも頑張ってな。先輩に楽をさせてあげるのが、新人の仕事だからさ」


 僕はうなずく。

 かなえさんと目が合った。

 彼女が、小さく笑った。


      ●


 今日も今日とて精一杯働き、閉店を迎えた。

 シャッターを下ろすと、肩の力が抜けた。そして、明日も自分がこのシャッターを開けようという気になる。


 淡い紺色の空が広がっていた。雲の向こうに薄っすらと輝く光を見つけた。全員が外に出たのを確認すると、僕は鍵を閉めた。


 社長と藤巻さんは車で帰る。僕とかなえさんは電車で帰る。朝と同じように大きな流れに逆らわず駅へ向かう。とりとめもないことを話しながら電車に乗りこむ。

 僕の冗談に彼女が笑ってくれた。

 彼女に対しては、なぜか自然体でいられた。


「じゃあ、また明日」

 彼女が下車する。

「お疲れ様です」


 僕は扉の横の壁にもたれた。

 等間隔で響く走行音が、やけに耳に残る。

 車内には僕のようなスーツ姿の人間が大勢いた。そのほとんどが携帯の画面を見つめて、その日あったニュースを確認したり、誰かとメッセージを交わしたり、動画を見たり、漫画を読んだりと、それぞれが繋がりたい世界と繋がっていた。


 ふと前に立っている人の画面を見ると、画面の端で女性が動いているのが見えた。

 一瞬ミーナかと思ったが、よく見れば全然違った。

 僕も携帯を取り出し、ミーナの配信の切り抜きを見た。


 帰宅し、風呂と食事を速やかに済ませ、予定されていた時間にはきっちりとパソコンの前にいた。トイレや飲み物の準備も万全だ。

 そして「こんミーナ!」という挨拶とともに彼女が現れると、僕はカラフルな歓声を上げた。


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