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10 『マヨナカヨナカ』


 ニュースサイトを開く。

 そこには自分と関係のない人間が関係のない場所で起こした出来事について書かれているが、しかしそれらを何となく摂取するのは、心が落ち着く。


 他人のことが気になるのだろう。自分は一人ではないといちいち確認しないと気が済まないのかもしれない。

 そんな自分に辟易するも、勝手に動く指はどうしようもなかった。


 そして指が止まる。


 草薙カナタが逮捕されていた。


 ファンの女子高生との性行為が明るみになっていた。

 女子高生とのあいだに出来た子どもを中絶させようと脅迫し、女子高生が両親に相談したことで事件が発覚したのだという。

 取り調べに草薙は、これまでにも未成年との性行為があると語った。警察は余罪を追求する方針だという。


 ネットには暴風雨が吹き荒れていた。

 九割の罵倒に、一割の、それでも彼を信じるという悲壮感漂うコメントが入り混じり、カオスを生み出していた。所属事務所は彼の契約解除を検討しているらしい。


 草薙カナタは、草薙カナタじゃなかった。

 彼もまた、どうしようもなく現実を生きている者だった。


      ●


「何か大変なことになってるな」


 昼休み、携帯をいじりながら藤巻さんが言った。

 草薙の件はニュースで繰り返し報道されたらしく、あちらの世界に疎い人たちでも知るところとなっていた。


 藤巻さんが米と唐揚げを口に入れる。僕は曖昧に笑いながら箸を動かす。

 しかし何を食べているのかわからなかった。コンビニ弁当など元よりそんなものだが、今日に限っては明らかに味を感じない。


「俺にはよくわからない世界だけど、その世界でも色々あるんだな」


 藤巻さんがわかったような、わかっていないような、どちらとも取れることを言った。この人の場合、きっとわかっていないだろう。

 だけど、それでいいと思う。

 こんな世界、知らなきゃ知らないで何の問題もないのだから。


 むしろ知らないほうが、豊かな人生を送れるとすら思う。


 彼女は今日、配信をするだろうか。そこで何か、彼について語るだろうか。早く仕事が終わってほしい、と願った。


 かなえさんがバックヤードにやってきた。お客様が続けて来店されたので対応してほしいと言われた。僕たちは食べかけの弁当を冷蔵庫に放り込むと、笑顔を作って店に戻った。


 気づくと仕事が終わっていた。

 僕はいつも以上にてきぱきと店を閉めると、スーパーで万引きをした小学生のように早足で帰路についた。

 かなえさんが何か言いたそうだったが、僕はその視線の引力を振り切った。


 心を含めたすべての準備を終え、配信の待機所に入った。そこには普段の何倍もの視聴者が集まっていた。多くの人間が、杞憂、邪推、阿鼻叫喚、対立煽りなどを無限に繰り広げていた。

 開始三十分前でこれなら、配信が始まれば、もっとカオスになるに違いない。


 今日、彼女は何を語るのだろう。

 それを知りたくて知りたくてたまらない人間がこんなにもいる。

 海外からのコメントも多数あった。

 彼女はもう、世界の有栖川ミーナなのだ。


 電話がかかってきた。

 かなえさんからだった。

 しかし僕はその電話に出なかった。その後何度もかかってきたが、すべて無視した。


『今話せる?』


 メッセージが送られてきた。

 そろそろ配信が始まる。僕は素早く『すみません、今はちょっと』と返した。


『どうして?』


 しかし僕は何も答えなかった。そして代わりに、ごめんなさい、と心のなかで謝り、携帯の電源を切った。


 こんミーナ! という挨拶とともに彼女が現れると、コメントが流星群のように流れた。僕のコメントが一瞬で別のコメントに押し出されて消えた。

 いや、すべてのコメントがそうなっていた。

 一つ一つのコメントが意味をなしていない。

 彼女が、早すぎて読めないよ、と笑った。


 そして彼女は、場がある程度収まるのを待った後、静かに切り出した。


「皆さんが訊きたいのは、草薙カナタさんのことだと思います。今日はそのことについてお話しします。……草薙さんのことは、私も驚いています。彼は素晴らしいアーティストで、私も尊敬していました。一緒にコラボが出来て、とても光栄でした。今の私があるのは彼のおかげです」


 草薙がいなくてもいずれ光が当たっていたかもしれないが、彼とのコラボを機に彼女がこの世界の階段を二段飛ばしで上がっていけたのは事実だ。

 言葉に嘘はないだろう。


 ……嘘?

 どうして僕は、彼女の言葉を疑っているのだろう。


「今はまだ、詳しいことはわかりません。でも彼を信じて、待ってみようと……」


 彼女の言葉が止まる。

 目線でコメントを読んでいるのがわかった。


 そこには夏場に放置された死体に湧いた蛆のようなコメントが散見された。

 脳まで腐っていないと発せられないような言葉があふれていた。


 しかし気持ちはどうしようもなくわかる。

 わかるから、自分のことのように痛みを感じてしまう。


 草薙カナタの女癖の悪さが明らかになった。

 じゃあ、ここしばらくずっと側にいた彼女は?

 彼の毒牙にかかってやしないか?


 結局のところ、みんなが知りたいのはそれだった。


 僕たちの有栖川ミーナが、誰かの有栖川ミーナだったなんて、想像もしたくないから。


 そして僕たちにとっての宝物が、その誰かにとってはゴミ同然だったなんて、認めたくないから。


 空がカラフルに染まり、花畑のようだった。下種な質問とそれを諫めるコメントで、ぐちゃぐちゃになってきた。僕も後者で参加した。火のなかに手を突っ込まずにはいられなかった。


 言葉の戦争が始まった。

 不良が河原で殴り合うような可愛いものじゃない。

 言葉による殺し合いだった。


 相手を殺さなければ自分の大切なものが奪われてしまう、という状況で、無血開城させてやるのは聖人か敗北者だ。


「みんな、やめて、やめてください……。落ち着いて、ください……」


 もう止めろ! というコメントですら状況を悪化させている。みんな気づいているはずなのに、それでも銃を向けることを止められない。きっとガンジーやマザーテレサがここにいても争いは収まらないだろう。


 そう、僕たちは戦争が大好きなのだ。

 否定し、価値観を踏みにじり、相手を自分より下に落とさなければ生きていけないのだ。


 世界中の人間がここに集まっているが、みんなの心が一つになるなんてことは、未来永劫にありえないだろう。

 世界平和なんて幻想だ。


 世界には、こんなにも罵倒の言葉がある。

 きっと愛を語る言葉より、遥かに多いだろう。


 ミーナが鼻をすすり、嗚咽をこぼした。その涙や鼻水が油となり、さらに炎を大きくした。


「私は……私と、草薙さんは……」


 人は大切なもののためなら、簡単に狂うことが出来る。

 自分より大切なものがある人間は、かくも弱い。


「ごめんなさい」


 画面が真っ黒になった。

 残っているコメント欄では、神話の大洪水もかくやと思わせるほどの大氾濫が続いていた。僕はコメントを打つ指を止め、少しずつ冷静になる自分をようやく発見した。


 パソコンを閉じ、イヤホンを外す。

 部屋の静けさが耳を打つ。

 全身に汗をかいていた。僕は大きく息を吐き、自分の体をあちこち触ったり、机の上のものを無意味に動かしたりした。


 携帯の電源を入れる。

 その瞬間、かなえさんから着信があった。


 僕は携帯を床に落とした。画面は割れなかったが、代わりに何か別のものが割れたような気がした。


 僕はベッドに倒れ込むと布団をかぶった。

 目をつぶっても眠りにつくことは出来ず、芋虫のように体を丸めることしか出来なかった。


 しかし夜が明けると、体が自動的に起き上がった。そうプログラムされたように。従順な兵隊のように──。


      ●


「配信、見てたんでしょ」


 重い体を引きずりながら出社すると、かなえさんがもう掃除を始めていた。


「私も見てたよ。ひどかったね」

 かなえさんが雑巾を絞った。絞られた水が、まるで吐瀉物のようにシンクにぶちまけられたのがわかった。


 ロッカーから箒を取り、店の前を掃く。毎日掃除しているのに、朝になると必ずどこかが汚れている。ティッシュペーパーが風に乗って、足もとにやってきた。僕は箒でそれを地面に押し付けた。


「ちりとり。忘れてるよ」

 かなえさんがちりとりを持ってきた。彼女はしゃがむと、僕が集めたゴミの側に、ちりとりを添えた。僕はゴミが飛ばないよう、ゆっくり、積み木で城を作るようにゴミを掃いていく。


「すみません」

「どうして謝るの?」

「いえ、その……」

 僕は何に対して謝ったのだろう。自分でもよくわからなかった。

「昨日は確かに、彼女の配信を見ていました。でも、それは……」


「ねえ、次のお休み、空いてる?」


 かなえさんの表情は、ちょうどいい距離をランニングした後のように晴れやかだった。

 僕はうなずく。僕はいつでも空いている。空いていなくても、彼女のためなら空けることをいとわない。


「一緒に来てほしいところがあるんだ。いい?」

 僕はまたうなずく。

「詳しいことはまた今度ね」と言い、かなえさんは店に戻った。「さて、今日も頑張りますか」と声が聴こえた。

 それが独り言なのか、僕に向けて言ったのかはわからなかった。


 しばらく往来に立ち、人や車の流れをぼんやりと追った。そうしていたら社長と藤巻さんがやってきて、いつもの風景になった。


 いや、ずっと前から、いつもの風景だった。


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