0 『オントロジー』
孤独を感じるにも才能が必要なのだと、最近ようやくわかった。
そもそも孤独とは何だろうか。
辞書を開くと《仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま》とある。
なるほど、それは間違いなく孤独であると言えるだろう。それは人によっては、死への旅立ちに足る理由であると言えるだろう。
だがこれまでの僕の人生をよくよく振り返ってみると《ひとりぼっちであること》よりも《ひとりぼっちでないこと》のほうが多かったと思う。世界は、なかなか僕を孤独にはしてくれなかった。どこへ行っても、誰かがいた。
ここは余さず人の世だ。
人から逃れることなど普通は出来ない。
だから思ったのだ。
孤独を感じるにも、才能が必要なのだと。
生きている限り、誰とも関わらず生きることは至難の業だ。
たとえ鍵をかけて引きこもったとしても、生きるためには食事をとる必要がある。なので誰かに食事を届けてもらう必要があるが、そもそもその食事も誰かが作ったものであり、その食材はまた誰かが作ったものである。仮に山奥で自給自足を行っていても、どこかで誰かと、必ず繋がっているのだ。
ましてやこの現代では、進化に進化を重ねた電子機器により、世界中の人間と時間や場所を問わず繋がっている。ちょっと手を伸ばせば自分と同じような人間をたくさん確認することが出来るし、簡単にコミュニケートすることが出来る。
今ほど光の強い時代はないのかもしれない。いや、この光はもっと強くなり、あらゆるところを照らすようになり、この世界の闇を完全に消し去るときが来るだろう。
光の裏には影が出来るが、その影すらも別の光によって消し去られたとき、この人の世はどのように変わるのだろうか。
それは果たして、人の世と言えるのだろうか。
もしかしたら僕たちは、それを目撃する最初の世代になるのかもしれない。
真の孤独を享受出来る人間がいるとしたら、その人こそ、人でありながら人の領域から大きく外れた、神のごとき存在なのかもしれない。