07 城の調査
「くぁ……」
テントの中で迎える朝を、マルテはこれまで幾度となく経験していた。
考古学者になりたいという目標を抱いてから二年。
馬車の操縦を覚え、六聖地を点々としながらデ・ラ・ペーニャの膨大な歴史を学び、真似事のような仕上がりではあるものの、遺跡や遺構などの調査の仕方を一通り身に付けてきた。
考古学における調査は、対象の歴史を繙く作業。
短時間で行える筈もなく、必要な道具は自然と嵩み、夜間や遺跡の地下などで使用するランプなどは大小様々な物を無数に取り揃えていた。
このテントもまたその一つで、全ての荷物を持ち運ぶには馬車が必須だ。
マルテにとって生命線とも言えるこれらは全て、マルテ自身が勝ち取った物ではなかった。
半分は我が儘で、半分は当然の権利で受け取った物。
本心では、相当な抵抗があった。
それでも、マルテは葛藤の末に"与えられる事"を選択した。
自分の小さな虚栄心よりも、効率を大事にした。
独力で学び、稼ぎ、手にするまでにかかる時間を考慮すれば、施しを受けてでも先に受け取り、活用し、学んで稼ぐ方が遥かに時間を短縮できる。
目標とは似て非なる目的を達成する為の。
今の自分は甘やかされている。
そういう自覚があるからこそ、マルテは焦っていた。
結果が欲しい。
一刻も早く、自分自身を納得させられる結果が。
「さてと……調査の前に歓迎会だっけ」
とはいえ、一朝一夕でそれが得られる訳ではないと、マルテは身をもって知っていた。
だからこそ不安や焦燥感に襲われた時には、自分を鼓舞したり落ち着かせたりする為、気持ちの切り替えが重要になってくる。
それがヘタクソなのを自覚しているマルテは、敢えて考えを声に出す事で、半ば強引に心が前を向くように仕向けるという習性を身に付けた。
とはいえ、誰かに聞かれたら変人扱いされかねない行為だが――――
「独り言か?」
「うわっ!」
この日は、見事に裏目に出た。
隣に設置した予備のテントにフェーダがいる事を完全に失念していたのが主因だった。
「い、いや、その……っていうか、いつの間に近付いてたのさ! 全然気付かなかった!」
「別に恥ずかしがる事はない。朝に弱い人間なら自分に気合いを入れるのは寧ろ自然だ」
「そういう訳じゃないんだけど……まあ、そんな感じ」
一から説明する気力もなく、マルテは多少変人扱いされても仕方ないと思う事にした。
幸い、フェーダもそこそこ変なので問題はない。
「君のテントのお陰で快適な夜を過ごせた。感謝する。予備まで持っているとは、随分と用意周到なんだな」
「そうでもないよ。テントって痛みやすいから、すぐ穴が空いたりするんだ。特に潮風が強い地域だと直ぐダメになるね」
デ・ラ・ペーニャはルンメニゲ大陸の北東に位置しており、北側と東側は海に面している。
尤も、ここ第五聖地アンフィールドは南部にあるので、塩害とは縁遠い場所だ。
「成程、為になる。君は見た目以上に人生経験豊かなんだな」
「そんな子供かな、僕」
「……」
「え? ここで黙る? 今まで結構言い難い事ズバっと言ってきたよね?」
「そろそろ出よう。歓迎会とやらに余り心は躍らないが、出席しないとエデンがまた憤怒しそうだ」
動揺するマルテを尻目に、フェーダは露骨に話を逸らしテントを出て行った。
歓迎会の会場となるのは、一階で最も広い部屋に該当する食堂。
城の食堂というと、広大な空間の割には小さめながら十分な長さの食卓があり、そこに並ぶ宮廷料理は豪華絢爛――――といった印象をマルテは持っていた。
だがこの城の食堂は、どちらかというと応接室に近い。
食卓はせいぜい六人程度しか並べないくらいの長さで、それでも部屋の面積の三分の一を占めている。
要はかなり狭い。
その食卓の上に、30個以上の小瓶が並んでいた。
「おはようございます。寝過ごさなかったのは偉いですね。褒めます」
昨日とは異なる、青を基調とした大人びたドレスに身を包み、エデンはにこやかに微笑む。
露出度は極めて低く、手袋までしている為肌の露出は殆どない。
正装――――ではあったが、歓迎する側とは思えないほど表情には恍惚感が漂っていた。
「褒めますと言って褒める人間に遭遇したのは初めてだ。せめて『褒めて差し上げます』ではないのか?」
「いやいや……フェーダ、突っかかるのはそこじゃないでしょ……」
マルテが抱いていた歓迎会への先入観を粉々に打ち砕く小瓶の群れ。
思わず生唾を飲み込むほどの異様な光景だった。
「あの、エデンさん。これってもしか」
「ジャムです。全部ジャムです」
指摘する前に、満面の笑顔でそう告げられてしまったマルテの顔は、引きつるタイミングさえ逸し完全に無の領域に達していた。
歓迎会に並ぶ料理が全てジャム。
ある意味では暴力だ。
「いつもは厳選して10種類くらいしか並べないんですけど、今日は二人を歓迎する宴ということで、三倍増です。華やかな光景ですよねー」
「……まあ、小瓶自体は色とりどりで綺麗だけど」
ジャムという食べ物は、元々保存食として発明された加工食品だった。
蜜と果実・果汁を混ぜ加熱濃縮するだけなので、作るのも難しくなく、一般家庭でも手作りされている。
甘さが強いことから子供に喜ばれるし、糖による防腐効果も高く、そして色も使用する果物によってかなりのバリエーションを生み出せる。
しかも半透明なので、大昔には『食卓の宝石』とも呼ばれていたとかいないとか。
その為、女性からの人気が極めて高い食品ではある。
こだわりをもってたくさんのジャムを作ったり、毎日食べたりする人もいるだろう。
だが、30種類というのは尋常な数ではない。
幾ら保存食とはいえ、防腐効果にも限度はある。
味が劣化する前に30ものジャムを食べ切るには、毎食しっかりとジャムだけを食べ続ける生活でなければ難しい。
エデンは有言実行の女だった。
「それでは、とくとご鑑賞あれ!」
そしてそんな彼女が言い放った歓待の言葉は『召し上がれ』ではなかった。
「……え? は? あ?」
「なんか顔がどんどんガラ悪くなってますけど……どうかしましたか?」
理不尽が過ぎる歓迎会の内容に驚愕と混乱と怒りを露わにしたマルテに対し、エデンは煽り抜きで首を傾げていた。
「いやいやいや……これだけ食品並べて食べさせる気ないって、どういう了見? これ見学用なの?」
「当然です。世界中のジャムは私の物。私のジャムは私の物ですから」
「中々の事を言い切ったな……」
ジャムが好きだと公言していたフェーダはあからさまに失望を露わにしていた。
特に気乗りはしていなかった先程のやり取りとは裏腹に、実は楽しみにしていたのかもしれない――――そう思いつつ、マルテは別の意味で小さな溜息を落とす。
「えっと、エデンさん。もしかしてわざと僕達を失望させてる? だとしたら、ちょっと苦言を呈させて貰うけど……」
「とんでもないです。これが私なりに考えた歓迎会です」
その返答に悪意は感じられない。
表情も声も、そして――――
「ここにあるジャムが私の食事であり大好物です。私は包み隠さず、それを貴方がたにお見せします。それ以外の生活まで赤裸々に見せるとはいきませんが」
その内容も。
エデンは、自分を曝け出す事でマルテとフェーダに歓迎の意を示した。
自分はこういう人間だと。
顔を微かに曇らせていたフェーダが、小さく口の周りを弛緩させ、一つ頷く。
「つまり、自己紹介という訳か」
「言葉よりも行動で示す方がわかりやすいでしょう? 私は貴方がたを歓迎します。でも媚びたり諂ったりはしません。貴方がたはあくまでも、招かざる客ですから」
気を許している訳ではない――――そういう意思表示も含め、エデンは赤裸々に自分をひけらかした。
確かにそれは"歓迎会"だった。
「……了解。調査は自由にしてもいいんだよね?」
「はい。せいぜい私の城主たる証を見つけてくれればいいんです」
「では、そうなるよう尽力しよう」
小馬鹿にされたと、そう判断しても不思議ではない歓迎会だった。
だがマルテも、そして一足先に食堂を出て行ったフェーダも、そんな感覚はなかった。
寧ろ――――
「……」
一人静かにジャムをスプーンで掬うエデンの孤独に、マルテは何処か儚さにも似た虚無感を抱いていた。
その後、保存食で簡易な朝食を終えたマルテとフェーダは早速、城の調査を開始。
まずは城内および城外の見取り図を作成する運びとなった。
壁面に沿ってグルリと城外を一周し、歩幅で距離を測りながら全景のイメージを掴む。
次に城内をやはり壁沿いに回り、各部屋の広さと配置を書き込んでいく。
壁には灯りを点す為のランプが等間隔に設置されており、月明かりのない日の夜にはそのランプに火を灯さなければ城内は真っ暗になるが、現在は日中なので火の気は全くない。
「外から見る限りでは三階くらいありそうだったが、本館は二階建てか。天井の高さからして不思議ではないが」
「窓の数とは矛盾しないし、隠し階層みたいなのはなさげだね。左右の塔もそんなに複雑な構造じゃなさそうだよ」
「兵士の屯所や訓練所も見当たらない。やはり通常の城とは建築理由が異なるようだ。そもそも、城の割に部屋自体が少ないが……」
そう呟くフェーダの指摘通り、城内は当初の印象通り非常に単純な構造になっていた。
天井に質素なシャンデリアが吊り下げられているエントランスから左右に向かうと、それぞれ守衛塔と呼ばれる塔があり、中央階段を素通りして廊下を奥に進むと小ホールがある。
そこから左側は倉庫、右側は厨房と食堂が配置されていて、いずれも古びた様子はなく、使用されている痕跡も確認できる。
厨房には裏口があり、鍵は掛かっていない。
中央には中庭があり、古びた井戸が設置されていた。
最近使用された形跡はなく、そもそも中は完全に干涸らびている。
「水源って訳じゃなさそうだね。井戸自体相当古い」
「そのようだな。では二階に行ってみよう」
「あ、ちょっと待って。その前に調査をしておきたいんだ」
「構わないが……時間が掛かるんじゃないか?」
「直ぐ終わるよ。打音診断調査って言ってね、壁を叩いてその音で色々と診断するんだ。浮きがないかとか、壁の厚さがどれくらいかとか」
そう説明しながら、マルテは腰にぶら下げていた細身の棒を右手に取り、中庭を囲む壁を軽く何度も叩きながらその音を確かめた。
「……やっぱり、想像してたよりは痛んでないね。外側も内側も」
「それだけでわかるのか」
「壁全体が均一に劣化する事はないから、ある程度の面積をムラなく叩いて不自然な音がする箇所がないかを調べる……それだけだからね。難しい事は何もないよ」
実際にはもう少し細かい音の違いを聞き分ける技術だが、朝っぱらから長々と説明する気にはなれず、マルテの解説は意図的に簡易なものにしていた。
「後はこれを……」
棒を仕舞い、次に取り出したのは、掌に収まるほど小さな木製の小箱。
それを開けて暫くそのままにし、閉じる。
「終わったよ。それじゃ二階に行こうか」
「ああ……」
朝が弱いのか、フェーダの返事には余り気が入っていない。
目も半開きで、眠気に抗うかのように眉間に皺を寄せていた。
「……昨日言ってたのって、本当なの? 教会と魔術士ギルドの戦争」
そのフェーダの覚醒を手伝う意図は、マルテにはなかった。
だが結果として、フェーダの顔は冷水を浴びたかのように引き締まった。
「本当だ。既に回避は不可能な段階になっている」
「なんでそんな大事に……」
「教皇が変わったからだ」
「え……?」
フェーダの言うように、二年前デ・ラ・ペーニャでは前教皇の崩御により教皇選挙が行われ、新たな教皇が誕生した。
だが、それによって教会とギルドの間に確執が生まれる意味がわからず、マルテは露骨に怪訝な表情を浮かべていた。
「政権が変われば勢力図も変わる。世の常だ。さて……そろそろ調査を再開しよう」
「……うん」
これ以上は話さない。
フェーダの意思を短い言葉から察し、マルテは渋々頷く。
信用していない事がバレている――――そう判断せざるを得なかった。
無言で階段を上り二階に辿り着くと、一階とは天井の高さが違う事に気付く。
一階はかなり縦に広い空間が広がっていたが、二階はその半分以下。
それでも民家よりは遥かに高いが。
マルテは若干の違和感を覚えつつ、扉を開け左右へ向かう通路を無視し直進する。
その先にあるのは、この城の中心地たる謁見の間。
そこには――――
「……あ」
先程まで食卓でジャムを味わっていたエデンがいた。