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05 意志を持つ魔術

 炎の球体――――

 赤魔術に分類される攻撃魔術であり、その基礎中の基礎として魔術士の誰しもが使用できる初級魔術。


 形状は極めて単純で、出力の際の軌道も直進のみ。

 威力はルーン配列によってある程度の幅があるものの、初級だけあって全魔術の中でもかなり小さく、消費魔力も控えめだ。

 魔術国家に住む人間なら、例え魔術士じゃなくとも、この魔術を見たからと言って驚きはしない。


 が、マルテはその出現に思わず絶句し、その場に立ち尽くしてしまった。

 そしてそれは、型破りとはいえ魔術を使用するフェーダさえも同様だった。


 何故なら、炎の球体が空中で静止したままの状態になっているからだ。


 魔術は通常、使い手の身体から離れると内部崩壊を始め、やがて霧散する。

 魔力の供給源を失い、自己保存の為にエネルギーを消費し続けるからと言われている。

 よって、攻撃魔術はその崩壊の最中に敵へぶつける事になる。


 放たれた魔術は勿論、結界のように使い手の周囲に固定される魔術であっても例外ではなく、少しずつ内部崩壊は進んでいる。

 にも拘らず――――マルテとフェーダの目の前には、炎の球体が形状も大きさもそのままで宙に浮き続けている。

 近くに使い手の気配はないが、仮にあったとしても、この状況は魔術の体系上あり得ない。


「なんか……今日は一時間おきに僕の常識が塗り替えられてる気がする」


「自分もほぼ同じ心境だ。とはいえ、このまま思考停止し続ける訳にはいかない。恐らくこれが噂の火の玉なのだろう。あの胸の大きな女が言っていた対策かどうかはわからないが」


「あの……他に呼び方ないの? それ聞いてるこっちが恥ずかしくなるよ」


「しかしあの距離では他に特徴を掴むのは難しい。敢えて胸に触れないのなら、バルコニー憤怒女とでも呼ぶか?」


「いやいや……普通に『さっきの女性』とかで良いでしょ」


 そう言いつつも、マルテは密かにバルコニー憤怒女に関しては悪くないと思っていた。


「ならそうしよう。話を戻すと、この魔術は恐らく……自律魔術だ」


「だよね。僕も、さっきフェーダが使ったあの結界を思い出してた。やっぱり同類のものなんだ」


 フェーダが放った鳥型の結界も、長時間姿を維持したまま空を舞っていた。

 そもそも使用者の手を離れ飛び回る結界自体が異常なので、そこは目立った異様さではなかったが、本来なら十分驚愕に値する性質だ。


「しかし本当に自律魔術を研究している者が自分達以外にもいたとは……」


 ――――"本当に"


 その発言を不可解に思ったマルテがフェーダを問い質そうとした刹那、その音は聞こえてきた。


「ん? また何か来るようだな」


 二人は現在、一階途中の中央階段で立ち止まっている。

 階段はその直ぐ前で左右に分かれていて、それぞれ二階に繋がっているが、その左右の階段両方から届いてくる。

 何かを叩くような音が、無数に。


「えええ……? あれってもしかして……【氷の弾雨】?」


「らしいな」


 今度は青魔術の基礎が登場。

 数多の氷の礫が、まるで玩具の兵隊のように列を成し、コツコツと音を立て階段を降りてきている。


「……」


 その異様な光景を、二人は固唾を呑んで見守っていた。


 氷の弾雨も炎の球体同様に敵めがけて一直線に放つという性質の魔術であって、このように地面を歩くかのように動く事など絶対にない。

 まして、まるで意思をもって動いているかのような接近の仕方など、想像する人間さえいないだろう。


 そんな氷の弾雨の行進にも似た移動が――――止まった。

 丁度、二叉の階段が中央に合流する付近。

 つまり、二人の直ぐ近くで。


 頭上に炎の球体。

 足下に氷の弾雨。

 まるで経験した事のない異様な光景が、マルテの思考を完全に破壊していた。


「……ど……どうすりゃいいのさこんなの! ねえ逃げる!? これやっぱり逃げないとダメ!? なんかスッゴいシュールだし落ち着かないんだけど手品見てるみたいで目が離せない!」


「落ち着けマルテ。これが罠だとしたら、悪意をもって接近してきたのは間違いない」


「魔術が悪意、って……」


「先入観に縛られるな。この魔術達は意思を持って動いている。自律魔術とはそういうものだ」

 

 余りの不可解さに魂を吸い取られそうな感覚に苛まれながらも、半ば意識を失うような感覚でマルテはカクンと頷いた。

 尤も、そうした所で目新しい打開策など浮かびようがないと半ば諦めつつ――――


「どっちにしても、僕にはフェーダの結界に頼るしかないんだけどね……」


 他力本願な自分に嫌気が差し、卑下た笑みを浮かべるしかなかった。


 とはいえ、結界を使えるから簡単に魔術を防げるとは限らない。


 結界は魔術の一種だが、攻撃魔術とは大きく仕様が異なり、ルーリングから出力までは簡易かつ迅速に行える。

 その一方で、『全ての属性の攻撃魔術を防ぐ結界は防御力が貧弱』という厄介な制約もある。

 特定の属性――――例えば赤魔術だけを防ぐ結界なら相当な威力でも無効化できるが、防げる属性が増えれば増えるほど防ぐ力自体は弱まってしまう。


 今の状況だと、出力しなければならないのは赤魔術も青魔術も防ぐ結界。

 その編綴自体は難しくはないが、仮に今フワフワ浮いている炎の球体が想像を超える威力だった場合、結界が破壊される恐れがある。


「頼られるのは嫌ではない……が、少々厳しい局面になってきたようだ」


「え?」


 この上なく嫌な予感を覚えたマルテが慌てて顔を上げると――――今度は蛇のようにニョロニョロと動く長い何かが階段から下りてきた。

 幾つも枝分かれした不規則な形状で、バチバチと音を立てているその様は紛れもなく『雷』。


「今度は黄魔術か……」


「【電鞭】だな。全て基礎中の基礎、教科書を数頁捲れば載っているような魔術ばかりだ」


 これで赤・青・黄の三属性が一堂に会した。

 ここまで来ると、緑魔術も待ちたいくらいの心境だったが――――


「逃げるなら今のうちです。私の忠実な僕は、貴方がた招かざる客を容赦なく襲うでしょう」


 次に現れたのはバルコニー憤怒女だった。


「……そこの隻腕の方。どうして私の顔を見て笑うのですか?」


「い、いえ……すいません。他意はないんです本当」


「顔を見た瞬間に笑われるなんて初めてです。ちょっとショックです。容姿にはそこそこ自信があったのに……」


 ふて腐れた顔でそんな表明をするのも無理はない。

 バルコニー憤怒女の目鼻立ちは完璧といっていいほど整っており、厳しさを殆ど含まない凛々しさと、清廉とした湖水の如き美しさを兼ね備えている。


 遠目からは明瞭でなかった衣服も、刺繍を施した丈長のワンピースだった事が判明。

 肘には淡い黄色の飾り布もついていて、臙脂色とのコントラストが鮮やかに映えている。


 年齢は自分よりも少し上――――マルテは感覚的にそう判断した。


「でも、これで完全に罪悪感は消えました! 私を口説きに来た男と私を笑った男よ、地獄で後悔しなさい!」


「余計な敵意を作ってしまったな」


「すいません……でも責任の一端はフェーダにもあるよね」


 まともに眼前の女性の顔を見られないマルテが震えながら俯く傍らで――――フェーダはじっと女性の瞳を見つめていた。


「な、何ですか? 睨んだって怖がる私じゃありませんよ?」


「名を聞こう。このままだと隣の男が更なる精神的苦痛を君に与えてしまいそうだ」


「……よくわからないですけど、名乗るのなら先に自分からが礼儀じゃありませんか?」


「とっくに名乗ったが。まさか聞き流していた訳ではないだろうな?」


「……」


 美形の女性は愛嬌もあるらしく、極端に顔面を崩し動揺を露わにしていた。


「余り初対面の相手にこうは言いたくないが……もし本当にそうなら君は相当な礼儀知らずか、迂闊なバルコニー憤怒女だと言わざるを得ない」


「ちょっ、真面目な顔でそれゴリ押しするの止めて!」


「……バルコニー憤怒女……ですって?」


 いよいよ堪えきれず蹲ってしまったマルテを見下ろす女性の顔は、まさに憤怒そのもの。

 だが怒りが原因で先のフェーダの自己紹介を聞き漏らしてしまったのは否定出来ない為、やり場がなく持て余している――――そういう表情だった。


「貴方がたは一体何なんですか! 勝手に人のお城に来たかと思えば、失礼な呼び方で淑女を愚弄して……!」


「名乗ったのにも拘らず聞かれていなかった屈辱に比べれば些事だろう。この人でなしが」


「貴方は私を口説きに来たんじゃなかったのですか!? 罵倒しに来たんですか!? そういう趣味をお持ちの方なんですか!?」


「口説きには来た。ただし……」


 ――――元々、巫山戯ている様子は微塵もなかった。


「交渉をする、という意味でな」


「……え?」


 話が違う――――そんな言葉を口に出来るような空気ではなくなっていた。

 同時に、場の空気が一気に緊張度を増す。

 半ば強引に、マルテも顔を引き締めた。


「……成程。そういう事でしたか。警戒したのは正解でした。貴方はやはり、私の城を奪いに来たのですね」


「勘違いして欲しくはないのだが、無理矢理にというつもりはない。出来れば、周囲の物騒な魔術は消して欲しいのだが」


「そんな事できる訳がありません。彼等は私のお世話係なんですから」


「……は?」


 声を出したのはマルテ。

 しかしそのマルテ以上に驚いていたのは、マルテより遥かに魔術への造詣が深いフェーダの方だった。


「この丸っこい炎がフワボーさん。フワフワ浮いてボーボー燃えてるでしょ? 足下のキラキラした小さいのがメツブさん。目潰しが得意だから。そしてバチバチしてる長いのがヴァール。『嵐の神』を意味する言葉から取りました」


「あーもう! 一貫性がなさ過ぎて気持ち悪い!」


「何ですか? 何か文句でも?」


 年上でも年下でも女性が苦手なマルテは、睨まれた瞬間に自己主張の全てを引っ込めた。


「そして私はエデン。そう名乗っています」


「エデン……」


 この世界に幾つかある、『理想郷』を意味する言葉の一つ。

 それを人間の名前として使う習慣は、デ・ラ・ペーニャにはない。


「それって偽名?」


「私はずっとこの名で生きています。名乗る名はこれしかありません」


 訝しがるマルテを尻目に、フェーダは険しさのない思案顔で暫し俯いていた。


「そうか、ならいい。自分はフェーダという。出来れば覚えて貰いたい」


 敢えて家名を省略したのは、エデンと名乗った女性の記憶力も疑っているから――――マルテはそう理解したものの、決して口には出せなかった。


「先程も言ったが、自分もマルテも君を傷付けに来た訳じゃない。そもそもここには、幽霊が出るという噂こそあるが人は定住していない……という前提で来た。だから君がこの城の所有者だという主張には驚いている。失礼は承知だが、その証拠はあるのだろうか?」


「……まるで暗記した文章をそのまま読み上げたような言い方に聞こえますけど」


「その洞察は概ね正しい。自分はこの手の交渉が大の苦手でな。今のも定型文をほぼ流用したものに過ぎない」


 馬鹿正直にそう告げるフェーダには、確かに交渉力など一切感じられない。

 マルテは思わず眉を顰めた。


 彼は本当に交渉をしたかったのか――――と。


「わかりました。ならお答えします」


 しかしエデンは意にも介さず、豊満な胸に薄く手を当て不遜な表情と共にキッパリとこう言い切った。


「このお城が私のお城なのは、私がここにいる事が証明しています! だって私しかいないんだもの。だったら私のものでしょ?」


 それはもう、一切の躊躇なく言い切った。


「……マルテ。君と知り合っていて良かった。一人でこの女性と対峙していたらと思うとゾッとする」


「それは失礼だよ……とも言い切れない……」


 男二人が同時に頭を抱える光景はさすがに堪えたのか、エデンの表情に焦りが浮かぶ。

 心なしか、周囲の魔術達も若干震えているようだった。


「な、なんですか。私の完璧な理論の何処に穴があるってんですか。言ってみてくださいよ!」


「ならば言おう。この城は第五聖地アンフィールドに建造された物だ。城主不在なら当然、所有権はアンフィールドの統治者に帰属する。つまり、今は総大司教ハデス=オーキュナーの物という事になる」


「くうう……! この程度で論破されてなるものですか……!」


 返答に窮する――――というよりも反論の余地さえない様子で、エデンが厳つい顔で歯を食いしばる。

 美女でありながら感情表現豊か過ぎる為、余り美しさが全面に出て来ない。


「みんな、この外敵達は私達の生活を脅かそうとしています! やっつけて下さい!」


 それは、言語による命令だった。

 魔術に人間の言葉が伝わる筈もない。

 魔術を構成するのはルーンであって、ルーンによる指定だけが唯一の人と魔術を結ぶ接点なのだから。


「うわあああっ!?」


 ――――その筈なのに。


 今、確かに炎の球体のフワボーはエデンの命令に従い、マルテの頭部に向かって飛びかかってきた。



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本編『ロスト=ストーリーは斯く綴れり』および同一世界観の別作品『"αμαρτια" -アマルティア-』も掲載中です!
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