03 魔術国家唯一の城
「それにしても、スゴい偶然ですよねー! 行き先が一緒だなんて!」
軽やかに山道を駆ける黒馬に跨がるマルテは、先程とは打って変わって明るい表情で陽気に語りかける。
声の行き先は背後。
馬車の荷台に腰掛けた男――――フェーダは、側面を向きつつ浮かない顔をしていた。
「この先に、山を越えるだけの価値があるのは"あれ"くらいしかない。稀有な偶然という程でもない」
「そっか。なら僕を助けに来てくれたのは、僕がそこに向かうってわかってたからなんですね」
「……そうなるな」
歯切れの悪い返答。
それでもマルテは、特に気に留めず会話を繋ぐ努力に徹した。
「でも、驚きました。あんな魔術初めて見ましたよ。マラカナンには多分存在しないんじゃないかな」
「君は第一聖地の人間だったのか」
不意に男の声が曇る。
それが決して良い感情でないのは明らかで、マルテは話題の転換を強いられた。
「そ、そう言えば! 僕、その廃城の名前知らないんですよね。なんていう城なんですか?」
「名は恐らくない。何処で聞いても『城』としか呼ばれていなかった。この国ではそれで何ら問題はないしな」
幸い嫌忌には至らなかったらしく、フェーダと名乗ったその男の声から毒気は感じられない。
安堵しつつ、マルテは手綱を巧みに操り馬を加速させた。
会話しながらの移動だと中々速度が出せない為、そろそろペースを上げなければ日没までに着かないかもしれないという懸念があったからだ。
「心配しなくとも、夕方には確実に到着する。気負う必要はない」
「あ、そうなんですか。すいません、この辺の地理には疎くて……」
「余所から来ているのだから無理もない。それにしても見事な手綱捌きだな。隻腕でここまで馬を乗りこなせるとは、驚いた」
「あ、はい。子供の頃から片っぽになってるんで、これくらいは別に」
マルテには左腕がない。
11年前――――まだ幼少の頃、ガーナッツ戦争と呼ばれる隣国との間で勃発した10日足らずの戦争の際、失ってしまった。
自身には何一つ落ち度はない。
戦争だったから。
ただそれだけの理由で、左半身の要と自由を奪われた。
以来、マルテはずっと劣等感に悩まされ続けている。
馬を操れるようになり、支障なく日常生活を送れる現在であっても。
「……済まない。配慮に欠けた発言だった」
「いやいやいや謝らないで下さい! こっちこそイジけた言い方してごめんなさい!」
気まずい空気が馬上で蝶のように舞うが、景色と共に流れ落ちてはくれない。
その事を呪う気にもなれず、マルテはなんとか切り替えようと声を張った。
その空気を察し、フェーダも即座に話題を変える。
「ところで、第一聖地の人間が一体何をしにあの城へ行くのか聞いても大丈夫だろうか?」
あの城――――フェーダがそう告げたのは、二人の共通の目的地。
第五聖地アンフィールド、そして魔術国家デ・ラ・ペーニャに存在する唯一の城砦だ。
名前がなくても問題がないというフェーダの論は、それに起因する。
この国で城と言えば、その廃城以外にない。
「ええと……色々と調査する為です。まだ見習いですけど、考古学者を目指してて」
「成程。確かに考古学者なら一度は行ってみたい場所かもしれないな」
デ・ラ・ペーニャは、魔術の始祖たるアランテスを神とする宗教『アランテス教』が治めており、信仰の共同体たる教会が他国で言うところの城の役割を担っている。
その為、教会は全ての聖地に点在しているが、一方で城を建てるという文化はなく、少なくとも統治目的で建設された記録は残されていない。
ここ第五聖地アンフィールドに何故、城が存在するのか。
少なくとも100年以内に書かれた物の中に、明確な理由を提示した文献は存在しないという。
その話を聞いたマルテは、迷わず単身で乗り込む決断を下した。
尤も、多少なりとも迷っておけば、現在のこの地の治安状況をもう少し正確に把握出来たのかもしれないが。
「ええと、フェーダさんはどうして……」
「呼び捨てで構わない。そのぎこちない丁寧語も不要だ。然程年齢が離れているとも思えんしな」
「そ、そうですか? 僕、まだ15なんですけど」
「問題ない」
つまり、15歳とそれほどかけ離れていない年齢という事になる。
だがマルテは大人びた10代に耐性があった為、特に動揺はしなかった。
「それじゃ遠慮なく。フェーダはどうして幽霊退治なんてする事になったの? っていうか、そもそも幽霊なんているの?」
「より正確には『幽霊がいると噂されている廃城の調査』だ。幽霊がいないならいないで構わない。退治というのも便宜上の言葉に過ぎない。誰かに話をする時、ただ調査しに行くとだけ言うよりは体裁が良いだろう?」
「そっか。で、誰かから調査依頼を受けたの?」
「特定の誰かから……という訳ではないな。正義感に起因する動機でもない。好奇心が一番近いのかもしれない」
フェーダを真面目な人物だと捉えていたマルテにとって、彼のその返答は眉の角度を変える程度には不可思議だった。
とても好奇心で動くような性格には見えない。
とはいえ、第一印象は余りアテにならないのも常。
マルテ自身、そういう経験を何度かして来ている。
「火の玉を見た、奇妙な物音がした、光が見えた……たまたま山中に迷い込んだ地元民や観光客がその手の目撃情報を自治体に寄せているらしいが、どうも肝心の城の持ち主がいないみたいでな。誰も困らないから調査依頼を出す人間も率先して調べに行く者もいないようだ」
「そう言われれば、確かに好奇心は擽られるね。でも、万が一本当に幽霊がいたらどうするの? 魔術で倒せるのかな、幽霊って」
「それは自分にとって然程重要ではない。自分は攻撃魔術を使えないのでな。魔術士資格も取っていない」
驚きは――――なかった。
マルテはなんとなくではあるが、この事実を予想していた。
複数の盗賊を相手に、敢えて飛翔する結界などといった見かけ倒しの魔術を使ったのは、攻撃手段を持っていない証だ。
「さっきのあの……結界だったよね。あれしか使えないって事? でもあれって、少し前までは実戦では使えなかったんじゃ……」
「その通りだ。"オートルーリング"が実用化され、ようやく実験以外での使用が可能となった」
三年前に第二聖地ウェンブリーで発表された『オートルーリング』という技術は、魔術界に革命をもたらした。
魔術の構造が単純ならば、それを出力させる為に綴るルーンの数は数文字で済む。
だが、より複雑でより強力な上級魔術の場合は、十数文字のルーンの編綴――――ルーリングが必要となる。
当然、ルーリングには相当な時間が掛かり、戦場でそういった複雑過ぎる魔術を使用する為には、時間を稼いでくれる仲間の助力が必須だった。
だが、或る一人の研究者が、ルーリングをほぼ自動化・高速化する技術の開発に成功。
ルーリング作業を行う為の必須アイテム『魔具』を自動編綴専用に改良し、予め使用魔術を登録しておく必要はあるが、登録さえ出来ていれば、例え100文字を越えるルーンでも数秒で出力できるようになった。
その成果は瞬く間に国内全域に広まり、これまで使用不可能だった魔術が戦場にて有用性を帯びる事となる。
先程のフェーダの結界も、オートルーリングの恩恵ありきのものだった。
「あの技術の発明家には感謝している。ルーン数の短縮に何百年という時間を費やす可能性もあっただけに、その必要がなくなったのは大き過ぎる」
「そっか。へへ……」
まるで自分が褒められたかのように、マルテは屈託なく微笑む。
表情こそ見えなかったが、フェーダはそのマルテの感情表現に感じるものがあった。
「……まさかとは思うが、君がその発明家という訳ではないだろうな?」
「いやいやいや! 違うよ。そんな大それた事、僕に出来るワケない!」
今度はまるで自虐。
そのコロコロと変わるマルテの情動の意味を、フェーダは知る由もなかった。
「そ、それよりさ! さっきのあの結界みたいな勝手に動く魔術、なんて言うの? 名前とかあるんだよね?」
「【自律魔術】という。自分の家系は、何代にもわたってその研究を行っている。父の研究は兄が継いでいる故に、自分と……自分は支援活動に専念している」
途中、何か違う事を言おうとしたフェーダだったが、言い直して視線を天に向ける。
支援活動というのは、先程の光の鳥を使った宣伝のようなものだと解釈し、マルテはその目の動きを照れ隠しと判断した。
「後を継いでないのに手伝いに集中してるんだ。尊敬してるんだね。お父さんを」
そう口にしながら、頭の中に描いていたのは自身の父親。
この国の誰よりも優れた魔術士であり、誰よりも父らしからぬ父。
未だ、父であると認識する事に違和感を抱かずにはいられない――――そういう存在だった。
「ああ。だから、少しでも貢献したいと思っている」
その為、フェーダの淀みないその答えには、共感を覚えられない自分がいる。
自己嫌悪混じりに、マルテはぎこちない笑みを浮かべた。
「人前で使って認知度を上げるんだね。僕は自律魔術って言葉を聞いた事ないけど……やっぱりマイナーなの?」
「かなりな。少なくとも教科書には載っていない。国家が認める正規の研究でもない故に、大学で扱われもしない」
通常、魔術学校では国家が定めた魔術のみを教える。
ただし大学の研究に関しては、国家からの縛りは特にない。
とはいえ、基本的には『金になる研究』を行う為、正規の魔術と認められるまで膨大な時間と費用が必要な新興魔術の研究には消極的な所が多い。
加えて、攻撃魔術以外の魔術は需要が低いか全くない為、見向きもされないのが通例。
そんな背景もあり、魔術士は国内外を問わず、戦闘要員以外の存在意義を中々獲得できていない。
「なら、マラカナンに帰ったら僕も宣伝しておくよ。助けられた御礼に」
「宜しく頼む。ん……どうやら見えてきたようだな」
山道が大きく弧を描き、右へ左へとうねるその先に――――彼らの目指す廃城が現れた。