38 残された時間
マルテ決死の作戦は成功し、無血戦争の末、城には平和が戻った。
ギルド勢がフェアウェルを狙わなくなった事で、その防衛策として彼女の始末を急いでいた教会の保守派も一旦矛を収める事となる。
そして数日後、約束通りガルフェロイがアンフィールド教会に対し『フェアウェル=オーキュナーは物憑きに非ず』との声明を出した事で、状況は更に一変した。
当然ながら、教会側が素直にそれを認める筈もないが、そもそも物憑きとしていた根拠も『人格の変化』『魔具なしで魔術使用可能』という直接的なものではなかった為、当然のように意見は割れた。
これまでは『殺すか否か』で二分されていたのが、『物憑きか否か』で二分するようになった為、刺客が送り込まれる事はなくなり、その代わりに――――
「教会より派遣された、メイドのエミナと申します。これより私がフェアウェル様のお世話を……」
「私にはリリルラがいますから必要ありません! 帰って下さい!」
明らかに監視目的と思しき家政婦の派遣が増え、夜となく昼となく来訪して来たが、エデンはその全員を問答無用で追い返した。
そう。
あの日以来、姫君の人格は夜になっても現れず、エデンだけが表に出ている。
姫君の話が嘘で、実はエデンの方が主人格なのではと疑いたくなるほど。
けれど、マルテは知っていた。
姫君だけが使っている日記帳に、彼女の残した言葉があったから。
『あたしの中に生まれた別人格はここ何人かずっと、消える前に数日間出っぱなしになる。出来ればマルテ、君にエデンを看取って欲しい』
酷な言葉だった。
看取って欲しいと言われても、何を言えばいいのか、何をしてあげればいいのか、全くわからない。
何しろ彼女は何処も悪くないし、いつもと同じように生きているのだから。
けれどマルテは、残る事を選んだ。
そうする事が、彼女の人生に深く関わった責任だと思ったからだ。
何より、この城で長い事世話になった恩返しでもある。
フワボー達の姿はない。
もう現れる事はないだろうと、姫君は言っていた。
「マルテ君マルテ君。特訓に付き合って下さいよ。今日は体調良すぎて自己記録更新できそうなんです」
「いやもういいって! 僕、エデンさんの魔術で死にそうになったんだよ!? それに記録って何!?」
「もちろん、一撃で的をどれだけ芸術的に破壊できるかです!」
「芸術点って自己採点しても意味なくない!?」
既に調査という名目もなく、マルテがこの城に居座る理由は何もない。
けれど、エデンは出て行けとも言わず、残っている理由を尋ねる事もしなかった。
リリルラは暫く城には来ないと言い残し、教会へ戻った。
恐らく、これが今生の別れになる。
マルテはそう予感していたが――――
「エロい事するなら同意の場合のみな」
「しないって言ってるでしょ!」
最後のやり取りも、結局今まで通りだった。
フェーダは無血戦争の翌日、挨拶もなく姿を消した。
短い書き置きだけを残して。
『お前と出会えて良かった』
その言葉にどれだけの意味があるのか、マルテには知る由もない。
ただ、彼がいなければ無血戦争は成立しなかっただろう。
無数のランプで城が燃えているよう見せかけ、その中にフワボーを加える事で超常現象を演出し、ギルド勢の突撃と教会側の刺客を同時に牽制。
そして姫君が宣戦布告する事で、両者が同時に城に入るよう促し、三すくみの状態を作る。
これが当初の作戦だった。
だが、教会側の刺客がフェーダの友人だと事前に判明し、急遽作戦を変更。
ギルド勢が炎の城に混乱して突入を躊躇している隙に、フェーダが刺客と接触し『作戦が上手くいけば教会からの命令は必ず無効になる』と説得を試みた結果、髭面の彼が応じてくれた為、フェーダに殺されたフリをして貰う事となった。
『謎の光の鳥』と『殺人現場』。
この二つの要素があったからこそ、フェーダ一人で30名の足を止める事が可能となった。
マルテの作戦は、ギルド勢の人数が数名程度という読みの上で立案されたもの。
仮に当初の予定通り事を進めていたら、失敗したかもしれない。
その意味で、フェーダの存在は大きかった。
リリルラ同様、今後の人生で再会する可能性は極めて低い。
これまでも、そしてこれからも、こういった刹那の出会いと別れは何度となく続いて行く。
けれど――――
「今日は特別にジャムを分けてあげます。特訓の後は一緒に食事しましょう」
エデンは果たして、その中に加えていいものかどうか、マルテは迷っていた。
エデンは“楽園”を意味する言葉だった。
しかしその言葉は、フェアウェルにとって最も遠い存在。
遙か遠く、夜空に光る星々のように現実味のない光だった。
総大司教ハデス=オーキュナーの第一子として生まれたフェアウェルは、幼少期からアランテス教会アンフィールド支部――――アンフィールド教会の中だけで育てられた。
世襲制でないとはいえ、聖地を治める人物の実子であり、幼少期は何不自由なく育てられた。
しかしその後、彼女には二つの転機が訪れる。
魔具を使わずに魔術を使用できる才能の発見。
そして、別人格の出現。
一度は天才魔術士として多くの期待を寄せたハデスだったが、彼女を物憑きと断定して以降は、忌み子としか表現しようのない扱いに終始し、やがて自身の生活の場から彼女を追い出した。
隔離された空間で、フェアウェルは自分の名前を呼ばれる事もなくなり、やがて自分を"姫君"と呼び、そう呼ばせるようになった。
けれど、自分以外で唯一の話し相手だったリリルラは、そう呼ぶ事を頑なに拒否したという。
マルテはその真意をリリルラに聞く事はしなかったが、なんとなく想像は付いていた。
彼女は姫ではない。
城の主ではない。
魔術国家の総大司教の娘だ。
そう訴えたかったのだろう。
姫君は、この城を聖域と呼んだ。
ならば彼女にとって、この場所は楽園に等しいのか?
否。
楽園はここにはない。
だから彼女は欲していた。
新たに生まれた人格にエデンと名付け、希望を託した。
いつかこの場所を、本当の楽園にして欲しいという願いを込めて。
「私の炎は活火山!」
この日もエデンは魔術の稽古を怠らない。
もう危険が差し迫る事もないとマルテが伝えたものの、日課だからと毎日続けている。
彼女なりにストレスを発散しているのかなと、マルテは解釈していた。
「……」
「どうしたの?」
「いや。何でもないです」
ただ、最近は何か違和感のようなものを抱いている素振りが増えた。
時折、自分の手を眺め、じっとしているような時間が増えた。
そんなエデンの姿を見る度に、マルテは胸が締め付けられるような気持ちになった。
フェーダは、人間の憧憬と畏怖が魔術として具現化したと言っていた。
自然現象に対する恐れと憧れが、長い年月をかけ魔術という形で現れたと。
マルテも、その見解には賛成だった。
人の想いが形となり、魔術を生み出した。
そう考えれば、エデンが何故あの三体の自律魔術を出現させる事が出来たのか、想像はそう難しくない。
姫君が何故、自分の中に人格を生み出したのかを慮る事も。
恐らく世界中のほぼ全ての人間が、何かしらの願いを持っている。
でも、それを叶えられるのは一握りの人間のみ。
フェアウェルはそれを、魔術という形で叶えた。
何故なら、彼女は天才魔術士だから。
魔術を更なる高みへ進化させるだけの才能を有していたのだと、マルテは理解していた。
自律魔術ではない。
自律するよう願った――――この世で最も優しく、最も切ない邪術だった。
「……どうしたんですか? せっかく御馳走したのに全然食べないじゃないですか。まさか、イィチジャムが口に合わないって言うんじゃ……こんな神々しい味を……」
「え? あ、いや違うよ。ちょっと考え事してただけ。ジャムは本当、美味しいよ。主食にするのもわかる」
お世辞ではなく、本気でそう思うくらいにエデンのジャムは格別だった。
仕入れているリリルラの本気度が窺える。
「良いですねマルテ君。そういう正直な姿勢には好感が持てます。ご褒美に明日は一緒にピクニックに行きましょう!」
「へ?」
「……嫌なんですか?」
いつもなら目を吊り上げて叫ぶか、ジト目で苛立ちを示すところだが――――エデンは心底悲しそうに聞いてくる。
マルテは顔を引きつらせながら、ブンブンと横に首を振るしかなかった。
「なら決まりですね。ちょっと遠出しましょう。勿論、お弁当はジャムです。特別に明日は三種類まで食べて良いですよ」
「なんかそう言われると本当に奮発して貰った気になるね……」
「何言ってるんですか大奮発ですよ! 私が他人にこれだけジャムをあげるなんて初めてなんですから……あ」
そこまで勢いで言ったものの、エデンは急に押し黙り、マルテから顔を背けた。
「と、とにかく! 明日は二人でお出かけです。いっぱい遊びましょう。きっと良い思い出になります」
エデンは――――
フワボー達がいなくなった事を、もう口にしなくなった。
マルテの恋愛遍歴について、もう聞かなくなった。
マルテにとってそれは、とてつもなく大きな意味を持っていた。
本当に大きくて、とても抱えられそうにないくらいの。
「……うん。行こう。楽しみだね」
「! なっ……んですかもう急にそんな。そんなに私と行くピクニックが楽しみなんですか? 仕方ないですねもう。特別ですよ、明日は五種類までジャム食べて良いです」
「割と本気で奮発してきたね……後で『あのジャムがないのはマルテ君が食べた所為です』とか言わないでよ?」
「城の主たるもの、そんなセコい事言いません。そもそも、各ジャムに大量の在庫がありますからね。前にも言いましたが、ジャムの寿命は一年もあるんです。余裕なんですよ」
「……」
一年――――も。
人の想いが魔術を作り出したのなら。
フェアウェルの願いが、エデンを生み出したのなら。
それはきっと、自然な事なんだろう。
マルテはそう思う事にした。
そう思わなければ、とても彼女の顔を直視できなかったから。
翌日、エデンは体調を崩し、寝込んでしまった。
熱がある訳でもないし、何処かを痛めた訳でもない。
姫君の日記帳には、そのような予兆があるとは書いていなかった。
改めて、彼女とエデンの交換日記に目を通す。
二人のやり取りは思った以上に友達同士の空気感が出ていて、とても微笑ましかった。
最後の頁を除いて。
マルテはその日から一切外出せず、ずっとエデンの側にいた。
次の日も。
その次の日も。
エデンは、ベッドから立ち上がる事は出来なかった。




