35 それぞれの野望
その足音は、決して何かを語る訳ではなく、悠長に迫り――――やがて止まった。
「まさか、ガルフェロイ殿自らここへ来るとは。部下達の顔色が悪いようだが、事前に知らせていなかったのか?」
「たまには、部下の働きをこの目で確かめようと思っての事よ。恥ずかしい限りだが、ギルド内が少し立て込んでいる事情もあってね……忠実な部下とそうでない者を識別しておきたかったのだよ」
「成程……ところで、先程言っていた『勝利』とは、一体どういう意味かな?」
光の鳥が佇むその前で、フェーダは真意を問う。
この場にガルフェロイが現れた事に対する驚きは微塵も見せない。
聖輦軍所属だけあり、その胆力はギルド員達を圧倒していた。
とはいえ――――
「無論、言葉通りよ。教会はフェアウェルの始末に失敗した。そこに転がっているのが、教会の差し向けた刺客なのだろう? つまり……仲間割れという訳だ」
ガルフェロイもまた、未知の存在たる光の鳥と、つい今しがた人を刺した男を目の当たりにしても、息一つ乱さない。
双方、かなりの修羅場をかいくぐってきた事を匂わせる一幕となった。
「自分は――――」
「誤魔化しても無駄だ。そこに倒れている男のローブ、菱形と十字を重ねた赤色の紋様が胸に刺繍してあるのをこの目でしかと見た。聖輦軍の証だったな」
フェーダは沈黙し、ガルフェロイは口の端を吊り上げる。
両者の戦いは、開戦直後から大きく動き始めていた。
「やはり多人数で来て正解だったようだな。もし刺客が一人や二人であれば、君には戦うという選択肢もあっただろう。ここ第五聖地の聖輦軍は武闘派だからな」
「それをわかっていながら、わざわざギルド長自らお越しになるとはな。既にその目で邪術はここにないと判断したのだろう? 物見遊山で危険地帯に現れるなど、危機管理がなっていないのではないか?」
「この城に邪術はない。その通りだ。しかし外法の術は常に発動状態にある」
「……」
まるで謎かけのようなガルフェロイの発言を、フェーダは表情一つ変えずに聞き続ける。
エントランスホールには既に30名のギルド員全員が入っていたが、その大半は観客と化していた。
既に勃発していた代理戦争の。
「フェアウェル=オーキュナーは邪術によって無意識に自律魔術の使い手となった。そうなのだろう? この建物の正統な後継者たるトイズトイズ家の末裔……アダドよ」
「!」
そこでついに、フェーダの顔色が変わる。
決して知られる筈のない本名を告げられた事は、それだけ彼にとって衝撃だった。
「まさか……兄者が……」
「兄弟揃って聖輦軍所属とは恐れ入る。いや、真に恐ろしきは、君達のような外法の魔術を扱う人間を軽んじながらも裏で囲う教会のしたたかさ……厚かましさと言うべきか」
教会は邪術同様、自律魔術の存在を認めてはいない。
しかしやはり邪術同様、教会に与さない連中に管轄外の魔術を奪われ、勢力を拡大される事を恐れている。
そして何より、外法であれ何であれ、魔術が発展する可能性を秘めた研究を潰すような事は決してしない。
教会は幾つもの矛盾を抱え、同時に毒も薬もその内に蓄えながら、魔術国家を営んでいる。
それはガルフェロイの信念とも重なる。
だからこそ彼は教会との共存を望み、事実上の従属を受け入れた。
いずれは自分がその頂点に立つという野心を抱いて。
「兄者が情報を流していたというのか!」
「君の兄は見る目がある。いずれこの私めが自分の上に立つ人間になると判断し、いち早く協力を申し出てくれた。煮え切らないアンフィールド教会の現体制を見限るのも、実に当然の事。何、君も我々の同胞となれば良い。そうすれば、君の兄は少しだけ早く仲間の情報を我々と共有しただけの事。兄弟の絆は保たれる」
教会は、キャルディナのごく一部のギルド員を懐柔し、彼らを使ってフェアウェルを始末しようと目論んでいた。
フェーダは当初、そう解釈していた。
だが実際には、全く違う構図だった。
ごく一部の教会関係者が、キャルディナの中心たるガルフェロイと結び付き、フェアウェルを殺害しようとしていた。
しかしガルフェロイは、フェアウェルを生け捕りにし、亡命させようと目論んでいる。
つまり――――
「アンフィールド教会内も、フェアウェル=オーキュナーの扱いは困っているそうだな。殺すか生かすか、明確な方針が立てられず10年が経った。君は殺せと命じられたそうだが、本当にそれが総大司教の命令なのか迷っていたのだろう? 総大司教が自ら特殊部隊と対面するなどあり得ないからな。だから君は迷っていた。良心の呵責ではなく、この城……この研究所を取り返す為には何が最善かで迷い、二の足を踏んでいた。違うかね?」
「……」
フェーダは答えない。
ただ漆黒の瞳を静かに傾けているのみ。
「我々としては助かったよ。彼女を殺してはならない。彼女は切り札となり得る物を沢山持っている。だからこそ過激派と連絡を取り、我々にフェアウェルの始末を任せるよう話を付けた。そうすれば、少なくとも我々の意志に反して彼女が殺される事はなくなる。生かすも殺すも我々次第という訳だ」
「第一聖地に彼女を亡命させ、教皇を激怒させアンフィールド教会の現体制を潰す計画だと持ちかけたのも、結局は嘘か」
「嘘ではない。そうする事も出来るし、そうしないという選択もとれる、それだけの事よ。我々にとって最良の取引相手が誰なのかを見極めた上で結論を出す。キャルディナにとって、どうするのが最善か……それだけなのだよ」
ガルフェロイの言葉に嘘はない。
彼はそうやってギルドを大きくしてきた。
単に己の出世や立ち回りの為だけに生きている訳ではない。
ガルフェロイは知っていた。
もしフェアウェルが始末されるとすれば、それは自分達の制御下にないこの男――――フェーダと名乗る彼が暴走した場合のみ。
今日まで躊躇し続けていた彼が今日になって実行するとは考えられないが、大勢のギルド員が押し寄せた事で自棄になる可能性はある。
だから自ら現場に踏み入れた。
フェーダの心を折る為に。
ガルフェロイとは、そういう人物だった。
「……何故、彼女が自律魔術を使えると思った? 兄者もまだ確証は得ていない筈だ」
苦し紛れの問い掛けに対し、ガルフェロイは手を緩めず、最後の一手を加える。
格の違いを見せつけ、フェーダを軍門に降らせる為に。
「対面して確信したのだよ。亡骸も含め、これまで何人も見て来たのでね。邪術を使う魔術士を。外法の術を使う人間の持つ禍々しさには共通項がある」
理論的、客観的な理由ではなく、完全な主観。
仮に他の根拠があったとしても、それを掲示する意味はない。
専門家が『そう感じたから』と言えば、理屈がどうあれ納得する以外にない事を、ガルフェロイは知っている。
何一つ失わず、己の実績のみでガルフェロイはその場を支配した――――
つもりでいた。
「つまり、貴殿がいなくなれば全てが瓦解する訳か」
迷いなく、躊躇なく、フェーダは跳んだ。
魔術士としての才能はなく、ならば一族の為に何が出来るかと悩み続け、出した結論は『嵐となる事』。
嵐の神を意味するアダドの名を親から貰った彼は、その運命に従うように、暴風の如き衝動と豪雨の如き激情を全て内部に閉じ込めた。
聖輦軍における彼の役割は『破壊』。
膠着した状況、正攻法では如何ともし難い難局において投入され、如何なる方法を用いてでも事態を動かすのが使命だ。
手段を選ばない強硬な姿勢は、時に悲劇や惨劇を生む。
決して陽の当たる場所で生きられる人間ではない。
自分がいた事で、死ななくて良い人間が死ぬ事もあったのかもしれないと、何度も悔悟を叩き付けて来た。
自律魔術の普及――――その為にはどうしても、教会の後ろ盾と莫大な資金が必要だった。
倫理観や自分の価値観を遵守しようものなら、到底成し得ない悲願。
彼は何度も自問自答を繰り返し、幾つもの血痕を踏み躙り、ここへ辿り着いた。
『我々の祖先が使っていた研究所が見つかった。しかしそこには現在、何故か総大司教の娘が住んでいる』
始まりは、兄のその言葉からだった。
長年、一家相伝という形で研究し続け、オートルーリングという技術の普及も手伝い、ようやく実用化に向けた具体的な成果が出始めた頃。
まるで自分の家を見つけたような不思議な感覚と純粋な好奇心、そして自分達の及び知らぬ所で自律魔術の研究が進められているかもしれないという危機感が入り交じった複雑な思いで、フェーダは調査を進め、この地を突き止めた。
研究所は城のように改築されていたが、中身は変わっていない。
自律魔術に関する資料や、何かしらの手掛かりが残っている可能性もある。
それを探る事が出来る環境を整えるべく、フェーダは特殊部隊である聖輦軍の所属になる事を選んだ。
同じ頃、総大司教の娘を始末すべきという意見が教会内で出始めていた。
彼らはその娘――――フェアウェルを物憑きであると断定した為、いずれ自分達に牙を剥くか、一般市民に知られ総大司教が恥を掻かされると危惧していた。
今はまだ、彼女を殺させる訳にはいかない。
自分がその実行役となれば、自分の判断で状況をコントロール出来る。
奇しくもガルフェロイと同じ事を考え、フェーダは自らフェアウェルの始末を買って出た。
教会からの指令は厄介な内容だった。
ただ殺すのではなく、ギルドの仕業に見せかけて殺す。
そうする事で、ガーナッツ戦争以降長らく冷戦状態にあったキャルディナに引導を渡すという計画だった。
決して低い難易度ではなく、また教会内では総大司教の娘を始末する事に根強い反発もあった為、指示書のような物は一切作られず、期限は切られなかった。
場合によっては全てフェーダ個人の暴走による殺害だったと、罪を擦り付ける算段だったのは想像に難くない。
それでもフェーダにとって都合の良い任務だった為、躊躇はなかった。
ギルドに責任を押しつけるには、ギルドの仕業だったと証言してくれる第三者が必要。
幽霊の噂が立っていた為、幽霊見たさに城へ行こうとする人間を適当に見繕い、一芝居打って同行する事にした。
とても人が良く、扱い易そうな隻腕の少年だった。
城で待っていたのは、総大司教の娘と――――事前調査した通りの自律魔術だった。
本当に自律魔術が存在していた事への驚きというより、本物を見た事への感動が先立ち、冷静ではいられなかった。
そして偶然か運命の悪戯か――――三つの自律魔術の内の一つは、自分と縁深い人間の名前と同じだった。
そこから、フェーダの心は三つに分かれた。
この城とそこに住む少女、そして謎の自律魔術を調査し、一族に貢献したい自分。
聖輦軍の一員として貢献し、現在の立場を盤石なものにしたい自分。
そして――――
不思議な共同生活に居心地の良さを感じている自分。
三つ目は明らかに他の目的を阻害する。
その為、フェーダは決して輪の中に加わらず、外から隻腕の少年と標的の女性のやり取りを監視する役に徹した。
困った事に、隻腕の少年はただのお人好しではなかった。
更に困った事に、総大司教の娘はただのお嬢様ではなかった。
自律魔術について調査しなければならないのに、中々そちらが捗らないくらい、彼等は一筋縄ではいかない者達だった。
自分があまり信用されない人物なのは自覚していたし、簡単にいかない事に苛立つほど子供でもない。
しかし、適度な距離感で展開される緊張感の希薄な心理戦や、自分の人生で味わう事のなかった穏やかな会話が、フェーダの精神を緩和させていた。
これは――――堕落なのか?
それとも、必要な染色なのか?
答えは出ないまま、フェーダは今日という日を迎え、そして今、逡巡の中でガルフェロイを襲撃していた。
彼を殺せば教会とギルドの関係は修復不可能の次元に突入し、内戦は免れない。
あくまで教会の用意したシナリオ上で戦わなければ、フェーダの任務は失敗に終わる。
彼の誤算は、ギルドの方針が割れていて、かつ読み違えた事。
教会にすり寄っていたのがガルフェロイとは予想できなかった。
兄の裏切りも痛手となった。
だが、複雑に絡み合った現状を破壊し、更地のような状態にするのが彼の仕事。
もし上手くいかなかったら、邪魔者を殲滅すればいい。
そういう腹積もりだった。
しかしいつからか、そういう考えは頭の中から消えていた。
理由は単純だ。
フェアウェルは殺せない。
自分の中でそう確定してしまったからだ。
一度、油断して攻撃を受けた際、衝動的に殺そうとした。
任務だから、ではない。
誉れ高き聖輦軍としての誇りを傷付けられたから――――だけでもない。
自律魔術を使える人間への嫉妬。
かつて、身内に対して抱いていた醜い感情が再燃した事で、殺意の赴くままに身体が動いた。
けれど止められた。
止められてしまった。
出会って間もない隻腕の少年と、彼女を守ろうとする同業者の殺気に。
憐れみか、同調か。
それとも――――他の何かか。
フェーダは自分の感情を理解できないまま、ガルフェロイの首を切り裂こうとしていた。
彼が何の用意もなく、戦場となる場所に現れる筈がないとわかっていたのに。
「……!」
案の定、短剣は彼の皮一枚にすら届かず、結界によって食い止められた。
これだけの人数の魔術士がいるのだから当然、というほどフェーダの襲撃は遅くはない。
この場にいる有象無象のギルド員など、反応すら出来ない攻撃の筈だった。
「失望したぞ、フェーダ」
「兄者……!」
だが、フェーダの感情の起伏を読める人物なら、襲撃のタイミングも読める。
彼の僅かな表情の変化も汲み取れる。
「チャク君、良くやった。これで正式に君を我々の一員と認めよう」
「自律魔術の研究支援と、この城の譲渡を確約してくれると?」
「無論。現在の無能極まりないアンフィールド教会を解体し再構築する暁には、ここに専用の部署を設けよう」
フェーダの兄、チャク=トイズトイズは30名のギルド員の中に紛れていた。
フードを目深に被り、この人数の中で気配を殺していれば、幾らフェーダが特殊部隊の一員であっても気付くのは不可能。
フェーダは『準備』という点において、ガルフェロイに大きく後れを取っていた。
「お互い、聖輦軍に見切りを付けたまでは良いが……何の後ろ盾もなく同僚を手にかけるとはな」
チャクの顔の作りは、フェーダと良く似ている筈だった。
しかし今、彼の顔は極端なほどやつれ、目の下には慢性的なクマが色濃く浮かんでおり、本来の姿とはかけ離れてしまっている。
「再三の警告にも拘らず、お前は仲良しこよしのお遊戯に浸ってしまった。任務を果たそうとする意志すら見せず、雑魚ギルド員二人如きに傷を負わされる始末。嘆かわしい限りだ」
「違う! 期限のない任務だから慎重を期しただけだ!」
反射的にそう叫びながら、フェーダは兄の言葉を頭の中で反芻させ、その目と眉を吊り上げた。
「あのギルドの連中を差し向けたのは兄者、貴方だったのか……?」
「最後通告だったよ。『ギルド員の仕業に見せかけ総大司教の娘を殺す』。格好のシチュエーションだったにも拘わらず、お前は真逆の態度で示した。女を守ろうとした」
「……」
二の句が繋げず、フェーダは俯くしかなかった。
あの日の襲撃者にフェアウェルを殺して貰えば、全てが片付いた。
だがフェーダはそれを拒んだ。
明らかな自己矛盾。
反論の余地などある筈もない。
「確かに、我等以外の人間が自律魔術を操っていた事実は見過ごせない。生かしておこうとする気持ちもわかる。だが、万が一その女の自律魔術が我々より先に大きな成果を上げたらどうする? 一族の努力全てが無駄になるんだぞ?」
「それは……だが、彼女がマラカナンに亡命すれば、それこそ……」
「何も問題ない。『アンフィールドの総大司教の娘が父親に幽閉されていた』という事実が教皇に伝われば、後は用済みなのだからな」
フェアウェルを亡命先で始末すれば、ガルフェロイにとっても、トイズトイズ一族にとっても都合が良い。
フェーダは、兄のチャクがガルフェロイと組んだ理由を痛感し、思わず天を仰いだ。
「お前も実感しているだろうが……教皇が変わった影響で、武闘派で鳴らしてきたアンフィールド教会の影響力は年々弱まっている。第六聖地にさえ追い抜かれかねん。現状の保持しか出来ない現体制では持たないだろう。我々が研究を続けるには、鞍替えするしかない」
「だから……その男に付いたのか」
「そういう事だ。だが……お前はもう、同志たり得ない」
それは、血を分けた兄からの絶縁宣言。
いや――――戦力外通告だった。
「お前が俺と同じ理由で現体制に見切りを付けたのなら問題はなかった。そうでなくても、聖輦軍として忠実に任務を遂行していれば、手は差し伸べられた。だが今のお前は、所属する組織も、我ら一族も裏切り、女に狂った」
「馬鹿な! 彼女の自律魔術を長期的に調査する必要性を感じたからだ! 一族を、家族を裏切るつもりなど――――!」
「嫉妬から妹を追い出した事も忘れたのか?」
「!」
フェーダには妹がいた。
自律魔術を自在に操れる天才魔術士だった。
彼女が側にいるだけで、自身の才能のなさが浮き彫りになり、フェーダは耐えられなかった。
だが彼が何かをして追い出した訳ではない。
妹の方が察して出て行ったに過ぎない。
それでも兄は、そしてフェーダ自身もまた、原因はフェーダにあると解釈していた。
「自律魔術を操る総大司教の娘に、妹の影を見たんだろう? わかっている。だからお前は殺せなかった。いや……本当は殺したかったのか? 殺したら負けとでも思ったか」
「違う! 違う! 違う! 自分はそんなつもりでは……!」
「結局お前は、何処まで行っても落ちこぼれだったな。存在する価値はない。何処へでも消えろ」
その言葉が決定打となり――――フェーダは膝から崩れ落ちた。
もう、立ち直る術はない。
このまま惨めな敗残者として、塵となり消えゆくのみ。
「嫌な事言うよ、本当」
――――その筈だった。
だが、階段から下りてくる隻腕の少年は、塵と化したフェーダの魂を、たったの一言でかき集めた。
「落ちこぼれにだって、人権と意地くらいはあるのにね」
彼も、マルテもまた、かつてそうして貰ったように。




