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33 最大の危機迫る

 この城の中では、もう一つの『人格形成』が行われていた。

 勿論、フワボー達の事だ。


 言語を用いている訳ではないし、知性も殆ど感じられず、人格と言えるほどの明確な心理的特性があるとは言えない。

 けれど、自分の意志で動いているのは確か。

 ならそれは人格と呼べなくもない。


 だとしたら、エデンは。



 否。



 だとしたら、姫君の――――



「フワボー達が自分の意志を持ったように、姫君の魔力に人格が宿ったって考えられないかな」


 それは、以前から考えていた一つの可能性。

 今、姫君の話を聞いた事で、その推論はかなり確信に近付いていた。


「随分大胆な仮説だね」


「でも辻褄は合うよ。逆に、今の話だと一般的な多重人格は否定の方に傾くと思うんだ。一年で規則正しく消えるなんて考えられないし」


 人格が幾つも生み出される事自体は、稀有ではあるが幾つもの前例がある。

 だが、そこに明確な規則性は存在しないのが通常。

 姫君のケースには当てはまらない。

 

「でも、もし魔力に人格が宿ってるとしたら、それが一年で消える理由って何? 体内の魔力が一年で入れ替わるとか?」


「いや……そんな話は聞いた事ないかな。あとでフェーダに聞いてみるよ」


 尤も、フェーダも魔術士としての専門的な知識はそれほど持ち合わせていない。

 こんな事なら、アウロスやルインからもっと話を聞いておくべきだったと後悔しつつ、マルテは『一年』という言葉で次第に頭を埋め尽くしていった。


「エデンや他のみんなの出現理由はどうあれ、エデンの寿命が残り少ないのは確かなんだ。だから……マルテ。君に一つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」


「え、何?」


「エデンの望みを叶えてあげて欲しい。今までの人格には、あたしがそうしてきた。でもエデンは、過去の人格とは違う望みを持っているみたい」


 こう頼まれて、断る事などマルテに出来る筈もない。


 ただ――――


「……エデンさん、本当に消えるの?」


 マルテには、まだ姫君の言葉が受け入れられなかった。


 過去の人格が例外なく一年で消失している。

 エデンが生まれてもうすぐ一年が経つ。


 歴史を重視し過去に学ぶ考古学者であれば、このエデンの経験則は肯定しなければならないだろう。

 それでも、マルテは認めきれなかった。

 あのエデンが、もうすぐいなくなるなど。


「普通なら……病気や怪我で弱っている姿を見て、お別れを予感すると思うんだ。それか、自分はもうすぐここを去るっていう意思表示。でも、エデンさんは違う。何処も悪くないし、ずっとここにいたいって言ってる。本当に……いなくなるのかな」


 たかが数日、同じ敷地で過ごしただけの間柄。

 別れを悲しむほどの付き合いとは言い難い。

 そうわかっていても、マルテは信じられなかった。


 信じたくなかった。


「物事に絶対はない。そう何度も言い聞かせてきたよ」


 そんなマルテに、姫君は静謐な眼差しで答える。


「一年、ずっと一緒にいた子とのお別れを、私は9度して来た。勿論最初の別れは予期してなかったし、二度目も完全には状況を呑み込めていなかった。三度目から、タイミングも予想できるようになった。ああ、一年が経つ。もうすぐこの子とはお別れなのかな、ってね。馬鹿げた話なのはわかってる。自分なのに。自分自身と別れるなんてあり得ないのに。でもその度に私は、なんとかならないかずっと足掻いてきたんだ。そして……いつも結末は同じだった」


 彼女の表情を、マルテは狼狽しながら見つめていた。

 嘆き悲しむ事を何度も繰り返し、諦観を通り越して、人はこんな顔になる。

 マルテの瞳に映ったその顔は、痛みも悲しみも削ぎ落とした――――晴れやかな泣き顔だった。


 反論の余地などないと、マルテに理解させるには十分な。


「……わかったよ姫君。僕は何をすれば良い?」


 実感はない。

 けれど覚悟は出来た。

 そう訴えるマルテに対し、姫君は右手で豪快に頬を拭い、そして――――



「あの子に恋愛ってのを教えてやって」


「それは無理」



 ――――即答だった。



「……無理?」


「無理」


「ホントに?」


「本当に」


「絶対?」


 姫君は割と粘ったが、マルテは頑なに首を縦に振らなかった。


「……もしかして、あたしって今とてつもなく恥かかされた?」


「いやだって仕方ないでしょ! 僕他に好きな人いるし! あと出会って七日で恋は無理!」


 実際には七日くらいで恋に落ちる人間は幾らでもいる。

 マルテも決して冷静ではなかった。


「困ったな。エデンが一番望んでいるのは燃えるような大恋愛だったのに」


「いやいや、恋愛に興味あるのは知ってたけど、ポッと出の僕が相手じゃ気持ちも入らないでしょ! それより、もっと近しい人との時間を大切にしたいんじゃないかな。リリルラとピクニックに出かけるとか、あと……」


 そこでマルテの言葉が詰まる。



 ――――父親と和解するとか。



 どうにか、ギリギリのところで踏み留まれた。

 マルテは知っている。

 関係の拗れた父親との和解がどれだけ困難で、本人がそれを切に望んでいるとは限らない事を。


「そこで踏み留まれる君ならもしかしたら、って思ったんだけど」


 そんなマルテの葛藤を、姫君は見抜いていた。

 何処か似ている二人だからこそ生じる共鳴とも言える。


「マルテ。なんで私の幽閉先が城になったと思う?」


「え? それは……」


 元々あったのは魔術研究所。

 それを、急ごしらえで城のような外見にしたのは明らかだ。

 余所の国の正しい城を知る人間に設計させる余裕すらなかったのだから。


「あたしを一刻も早く、オーキュナー家と無関係の人間にしたかったからだよ」


 先程とは真逆の表情。

 涙一つない渇いた顔で、切々と姫君は語る。


「エデンに魔具の事、聞いたんだってね」


「え? あ、ああ……ちょっと前だけど、うん。古臭いからって見せて貰えなかったけど」


「あの子、ホントは魔具を持ってないよ。あたしもね」


「……へ?」


 思わず間の抜けた声で聞き返すマルテに、姫君は若干口元を弛ませる。

 表情は翳ったまま。


「特異体質なんだ。魔具がなくても魔術を使える。最初にここに来た頃だったかな、判明したのは」


「嘘……でしょ?」


「別におかしくはないじゃん。魔具って所詮、魔力を制御する為の物なんだから、それを感覚で処理できるなら不要なんだよ。だってあたし、天才だし」


 天才――――それはマルテがエデンを評した言葉。

 何も間違ってはいなかった。

 彼女はマルテの父・デウス=レオンレイとは違うベクトルで比類なき天才魔術士だった。


 そして、これほど虚しい響きの『天才』という言葉を、マルテは初めて聞いた。


「だから、最初は秘蔵っ子みたいな感じで凄く期待されてたみたい。大事に大事にされてたよ、今思えば。でもね、あたしが物憑きに違いないってなった時、その才能は逆に化物の証拠になったんだ」


 圧倒的な才能とは、即ち常人と違う事を意味する。

 その上で、他に人あらざる者の要素があると、天才である事は人あらざる者の疑惑を強化する要素となってしまう。

 人じゃないから、人とは違う才覚や能力を持っていると。


 突如別人のような人格になる。

 魔具を使わず魔術を綴れる。 


 その二つの根拠は、フェアウェル=オーキュナーを『人の皮を被った化物』と周囲に思わせるには十分であり――――総大司教という身分の父親には致命的だった。


「だから、私は城に幽閉されたんだ。魔術国家の人間じゃない、別の世界の生き物が勝手に棲み着いたんだって、事情を知らない人達に印象付ける為に。わざわざ魔術国家で城に住むって時点で、人間離れしてるように感じるでしょ?」


「……」


 頷けなかったが、マルテは理屈の上で納得してしまっていた。

 考古学者志望だからこそ、嫌でも同意してしまう。

 もし自分が、この国で城の遺跡を見つけ、そこに人の住んでいた痕跡があったなら、何の疑いもなく別の国から移住してきた人間を想像するだろう。


 姫君の父親は、未来の事まで考慮した上で急造の城をこしらえた。

 例え本物の城とは程遠くても、城の要素さえあれば、未来の考古学者は勝手に色々解釈してくれる。

 そう判断したに違いない。


「だから、あたしが父親と和解する事は絶対にない。あたしはこの城の主だ。姫君だ。奴等の娘じゃない。あたしは……沢山の友達と出会って、別れて、また出会って……それを繰り返してきた、世にも珍しい"家臣のいない姫君"だ。だから……」


 姫君は笑う。


「あたしは自分が嫌いじゃない」


 この一言を言う為に。

 自分の中にある決して拭えない自己不信を説き伏せる為に。

 彼女は一体、どれだけの思いをしてきたのか。


 マルテの目から――――何かがこぼれ落ちた。


 父親に捨てられたと思い、ずっと自分を卑下して生きて来た。

 そんなかつての自分とは全然違い、姫君は誇り高く生きている。

 

 マルテもまた、幾つかの出会いを経て変われた。

 だとしたら、姫君が出会った別人格は、エデン達は――――身体が同じであろうと、別人だ。

 友人であり仲間であり、恩人だ。


「その、恋愛云々は無理だけど、エデンさんと姫君を一日でも長く一緒にいられるようには出来るし、そうしたい」


「マルテ……」


「二人がいいように利用されるのも、化物扱いされるのも、僕は嫌だ」


 親から愛情を与えられずに育ったマルテの心は、いつも作為的だった。

『ここは普通の人なら悲しむところだ』『こういう時、普通なら笑うよね』と、常に客観性を伴う醒めた声がして、その声に従うように感情表現してきた。

 自分の中から湧き上がる情動は、育まれていなかった。


 でも変われた。

 今まさに、普通とか他の誰がとか考える間もなく、自分の想いが溢れ出ている。

 目を擦り、素直にそれを吐露したところで、マルテは聞いておかなければならないもう一つの出来事を思い出した。


「そういえば、フワボー達がいなくなったんだけど……姫君の仕業?」


「いや、あたしじゃない。でも何となく想像はつく。心配は要らない。あたしが出ている間はあの子達もいるよ。ホラ」


 そう告げて姫君が指差したのは、扉の開いた部屋の出入り口付近。

 マルテがそこへ向かうと、部屋の外から様子を窺っているフワボー達がいた。


「何処行ってたの! エデンさんが心配してたよ?」


 勿論、呼びかけても反応はない――――かと思いきや、若干三者の動きが活発になった。

 何気に懐かれてる気がして、悪い気がせずマルテは思わず微笑む。


「浮かれてる場合じゃない」


「うわっ!?」


 いつの間にか――――という表現は既に当たり前になってきた、リリルラの出現。

 脅かさないでと言おうとしたマルテだったが、目の前の顔が普段の淡々とした表情とは少し違っている事に気付き、気を引き締める。

 教会へ戻った筈の彼女がこんなに早く引き返して来た以上、何もない筈がない。


「公式発表はまだだけど、魔術による殺人を死罪にする聖地条例の法案が提出される事が決まった。どうしてかは知らんけどギルドも把握してる」


 マルテは思わず目を瞑り天を仰ぐ。

 あまりに呆気なく、タイムリミットが来てしまった。


 キャルディナの代表者たるガルフェロイは教会に取り入る道を模索していたようだが、この条例が通ればギルドは廃業同然。

 受け入れられる筈もない。

 今すぐにでも、彼らは切り札を得なければ負ける。


 そして既にガルフェロイはこの城に邪術がない事を知っている。

 なら、彼らにとっての切り札は――――総大司教の娘、フェアウェルだ。

 親から化物扱いされ、人質としての価値はないが、そんな内部事情を彼らが知る由もなく、本気で攻めて来るのは時間の問題となってしまった。


「そういうギルドの動きを、教会側も……」


「当然把握してる。だから、フェアウェル様を人質に取られる前に、始末しようとしてる。既に指令が下されてて、今日中に来ると見なすべき。多分夜」


 人質としての価値はない。

 だが、総大司教の娘が物憑きだと知られれば恥――――そう考える総大司教が非情な決断を下したとしても、今更驚きはない。

 親が我が子を手にかける筈がないという倫理観に、最早説得力など皆無だ。


「リリルラ、君は……」


「私が連中に信用されてると思う?」


「ま、そうだよね」


 ギリギリまで粘って、姫君達の世話係として教会に携わり続け、情報を集め続けてきた。

 例え怪しまれていたとしても、のらりくらり躱して今日までやって来たのは想像に難くない。


 だから、そんな彼女にフェアウェル抹殺の指令が下る筈もない。

 フェアウェル側の人間と見なされているだろう。

 なら、彼女も抹殺される側だ。


「今から逃げても、ギルドの方はともかく教会の追っ手を振り切るのは厳しい。私より強い奴等が何人もいる。多分、聖輦軍が動く」


 聖輦軍――――フェーダの所属している特殊部隊。

 リリルラで敵わないのなら、マルテが戦力になれる筈もない。


 何より厄介なのが、複数の勢力から同時に標的にされている点。

 一方を相手に防衛戦を展開している隙に、もう一方から姫君を狙われてしまうと、この少人数では手の打ちようがない。

 まして特殊部隊である聖輦軍所属の人間が動くとなれば、正面から来るとは考え難く、常に奇襲を頭に置いておく必要がある。


 想像していた以上のスピードで追い詰められ、焦燥感が絡みついてくる。

 こうなる前に手を打てなかった事、邪術があると思い込ませる策を講じる前にガルフェロイの来訪を許してしまった事を悔い、思わず顔をしかめる。

 あれによって、ギルド側に邪術がここにはないと確信させてしまった。


 あの時、もう少し違う対応が出来ていれば――――


「……違う。そうじゃないんだ」


 自分の心の声を蹴散らす。

 あの対面で邪術の存在を仄めかしたところで、焼け石に水だった筈。

 対応は間違ってはいなかった。


 重要なのは、こじつけの後悔ではない。

 これからすべき事だ。


 ギルド勢と教会勢を個別に対処していては、姫君を守りきるのは難しい。

 かといって、二勢力から同時に武力制圧を受ければ、対抗は不可能。


 ならば、守りきれる方法を模索し、策を講じるしかない。 

 前向きではなく、前も後ろも、上も下も左も右も、全方位に目を光らせ、何をすべきかを捻り出す。

 どうすれば、この少ない戦力で難局を乗り切れるのかを。


 マルテが15年の人生を費やし、歩んできた道のりの中にその答えがあるとすれば、それは――――


「籠城しよう」


「籠城……? ここに立てこもるのか?」


「お城って、元々そういう時の為の建物だからね。でも、ここには防衛能力はない。ないなら外から持って来るしかないよ」


 それでもマルテは右腕を胸に添え、自分の心臓の鼓動を強引に抑えようとしていた。

 これから自分が言う事が、どれだけ危険で無謀かを噛みしめながら、責任を感じながら、それでも強く、強く鷲掴みにした。


「ギルドと教会の戦争を、ここで起こさせる。三すくみだ」


 マルテが思い出していたのは、かつて第一聖地マラカナンで行われた教皇選挙だった。



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本編『ロスト=ストーリーは斯く綴れり』および同一世界観の別作品『"αμαρτια" -アマルティア-』も掲載中です!
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