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28 フェーダの真相

 生まれた時には――――確かにあった筈の左腕。

 だからこそ、マルテにはその頃の感触を覚えている。


 ただしそれは、記憶という類のものではない。

 鮮明さなど微塵もない、おぼろげですらない、ただの残像。

 実態なきその感覚は、それでも確実にマルテの左半身に宿っている。


「入って」


 そう言葉少なに促す目の前の姫君の背中を、マルテは――――穏やかな精神状態で眺めていた。


 予感があった。

 同時に、確信もあった。


 自分が何故、部屋に招かれたのか。

 その理由を完璧に把握する根拠をマルテが持っていた訳ではない。

 それでも、なんとなく察していた。


 左腕が疼く。

 ない筈の左腕が。


 頻繁にある事ではない。

 それだけに、例えそれがオカルトの範疇であろうと、マルテは――――


「僕の腕の事を聞きたいんだよね?」


 自信たっぷりにそう問いかける。

 その堂々たる物言いは、姫君の動きを止めるくらいの驚きはもたらした。 


「……正解。どうしてわかったの?」


「なんとなく。わざわざ誰かに聞かれる可能性のない場所を選んだ時点で」


 根拠としては余りに薄い、しかし的を射たその発言は、マルテなりの意地だった。


「嫌だったら引き返してくれて構わないけど」


「いや。どうして今頃になって聞こうとしたのかが気になるから、お邪魔させて貰うよ」


 不思議な感覚をまとい、マルテは姫君とエデンの部屋へと入る。

 一度、城内の把握とフェーダの手伝いを兼ねて入った事がある為、その光景には見覚えがあった。


 相変わらず質素な部屋。

 ただ一点、前に見た時よりも本棚の本が乱雑になっているのは気になるところだった。


「……僕の腕に関しては、エデンさんも姫君も、今まで何も言ってこなかったよね」


「よく言われるの? その腕の事」


「うん。それでも、昔と比べたら随分と減ったけどね。好奇の目は変わらないけど、それはもう仕方ないから」


 マルテ自身も、強がりでも誇張でもなくとうの昔に割り切っていた。

 そうしなければ、十数年も生き続けられる筈もない。

 ただ、それは本当に『割り切っている』だけであって、克服したとは言い難い。 


「まだ幼児の時に戦争で……ね。多分、僕の腕を切り落として、次は命を奪うって脅して街の大人達を無力化しようとしたんだと思う」


 まだ物心が付く前の事。

 マルテは当時を全く覚えていない。 

 ただ、把握している状況と自分の欠損、そして生き延びたという事実から、かなりの確度で推察が可能――――マルテが以前第一聖地マラカナンにいた時、アウロス=エルガーデンはそう順を追って説明してくれた。


「受け売りだけどね。記憶にはないし」


「そうだったんだ」


 姫君の顔は、露骨なほど曇っていた。

 ただ、彼女は決してマルテの返答を予想できないほど愚かではない。


 マルテの腕がどういった経緯で失われたか――――詳細はわからずとも、想像は難しくない。

 そして彼がどんな人生を歩んできたかも、また同様。

 それでも姫君が暗い表情を浮かべているのには、相応の理由があった。


「道理で、何処か似てるなと思った」


「……似てる? 僕と姫君が?」


「そう。あたしと君が」


 驚きを禁じ得ない述懐だった。

 マルテ自身、同じ事を思ってはいたが、エデンではなく姫君がそう感じていたとは思いも寄らなかった。


「あたしも子供の頃から白眼視され続けて来たからね。だから君と同じでイジけたところがあるんだ」


「いやいやいや……微塵も感じないんだけど」


「今はね。エデンがいてくれるから」


「……?」


 要領を得ない言葉の羅列に、マルテは自分がこの部屋へ招かれた真の理由に気が付いた。


 姫君は、マルテに何かを聞きたかった訳ではない。

 言いたかった。

 腕の事を聞いたのは、その為の布石でしかなかった――――と。


「ねえ、あたしの初めて貰ってくれる?」


 だから、その不穏な言葉が冗談である事にも、割と簡単に気付けた。

 直ぐ傍まで接近している彼女の顔が、微かに照れで紅潮しているのも。


「貰うのはちょっと。聞くだけなら」


 これから姫君は、重要な事を言おうとしている。

 他人に向けて初めて話す、自身の秘密。

 それは尋常でない量の精神を磨り減らす行為であり、共感や和みや余裕など、心に平穏をもたらすあらゆる要素が供給されなければ実行できない。


 だから敢えて巫山戯た。

 そうマルテは理解した。


「……ちぇっ、見透かされてるね。狼狽えるマルテ君を見たかったのに」


「もう十分見てるでしょ。何度もからかわれて来たし、耐性くらい出来るよ」


「ふーん。もしかして、ここの本読んだ?」


 姫君はマルテから一歩、二歩と遠のき、やがて本棚の前で立ち止まる。


「あ、あれ……? バレてた……?」


「女の部屋の本を勝手に読むなんて、最低だよね」


「ご、ごめん! 権利書探してて、本に挟まってるかもってつい……まあ、もうないのはわかってるんだけど」


 少なくとも、エデンがこの城を所有しているという線はとうに消えている。

 ただ、ここが彼女の居場所である事に異論を挟む余地も、最早ない。

 それが哀しい現実であっても。


「フェーダだっけ。あの男、本当に権利書なんて探してたと思う?」


「いや、事情を知ってた訳だからあり得ない。ここに居座る口実だったんだよ」


「探してたのがあたしの権利書って仮定したら……でしょ?」


 それは、静寂と絡み合った不意打ち。

 マルテの目が、見開かれたまま硬直した。


「……まさか」


「あたしは"その"可能性が高いと思ってる。だからこのタイミングで部屋に来て貰った……って訳じゃないけどね。君は弱いから守って貰えそうにないし」


「それは……」


 冗談なのは理解している。

 けれど気の利いた反応は出来ない。


 マルテは再び、自身の失態に暫し呆然としていた。

 思い当たれない筈がなかった。

 完全なる落ち度だ。



『自分の一番の目的は、この城そのものにある』



 彼は真実を語っていた。

 エデン暗殺は、彼の目的の半分ですらなかった。


 そう考えれば、全てが一本の線に繋がる。


「あのフェーダと名乗ってる男は多分、この建物が城になる前に何の施設だったのか、知ってたんだろうね。その裏を取りに来たんじゃない?」


 自律魔術の研究をしている一族の人間が、仕事で自律魔術が存在している城へと赴いた――――そんな偶然はあり得ない。

 本人がそうなるよう仕向けたに決まっている。



 ならば、彼とその一族は――――この建物の後継者だったのかもしれない。

 マルテの見解が正しければ、ここは元々魔術の研究所なのだから。


 

「ま、今更慌てたって遅いよね。それに、彼はあたしを殺さないよう自制してたフシがあるでしょ? 一瞬危なかったけど」


「……確かにそうかもしれない」


 この城に来てから、フェーダがエデンや姫君の命を奪う機会が幾らでもあったのはマルテも先刻承知であり、だからこそ信頼は出来ないまでも行動を共にしてきた。

 しかし、彼の真の目的がこの城――――かつて一族が研究していた施設の奪還を目論んでいたのなら、話は大きく変わってくる。


 フェーダがエデンをギルド員から守り、手にかけるような真似をしなかったのは――――自律魔術の秘密をエデンから引き出す為。

 そう解釈する事も出来る。

 あの自律魔術達はエデンや姫君に懐いているのだから、彼女が自律魔術に関して何らかの情報を持っていると考えるのは極めて自然だ。


「フェーダが教会関係者なのはリリルラが裏を取ってる……というか彼女が教えてくれた。だとしたら、それも……」


 この城は、エデンの父親である総大司教ハデス=オーキュナーの所有物件。

 幾ら聖輦軍に加入したといっても、それを取り戻すのは現実的とは言い難い。


 ただ、もしこの城が総大司教にとって無価値な物となった場合は?

 つまり――――エデンを閉じ込めておくという用途がなくなったら?


 用途をなくす十分な成果を挙げた人間に褒美として差し出されても、不思議ではない。


「……そういう事だったのか」


「どうしたの? 何かわかった?」


「うん。フェーダが君を殺さずにいた理由もね」


 フェーダの兄が、何故わざわざここまで二度も催促に来たのか。

 ただ焦っていた訳ではない。

 彼にとってもここは、非常に重要な場所だったからだ。


「姫君。フェーダは――――」


「顔近い。エロい事する気か?」


「どわああああああああああっ!」


 気配も足音もない人物の接近は、時として攻撃魔術以上に恐ろしい。

 マルテはそう痛感した。


「リリルラ。定期報告に行ったんじゃなかったの?」


 一方、唐突に現れた侍女に全く動じず、姫君は飄々とした普段の口調で問いかける。

 彼女にとっては、リリルラの神出鬼没は日常の光景らしい。


「そう思って馬車に乗ろうとしたら、えらい事になってたから引き返した。そしたらエロい事になりそうになってた」


「だから違うって! そりゃこんな時間に女性の部屋に入ったのはどうかと思うけど、そもそもリリルラが言伝してきたんだし……」


「何があったんだい?」


 動揺を抑えきれずアタフタするマルテとは対照的に、姫君は纏う空気を瞬時に切り替え、真剣な眼差しをリリルラに向けていた。

 リリルラが引き返して来た事実が危機感を刺激したのか、或いはリリルラの表情がそれだけ切羽詰まっていたのか――――マルテには判断が付かなかったが、いずれにせよただ事ではない空気が充満しつつあった。


「なんかやたら豪華な馬車と護衛団がこっちに向かってたから、裏道使って引き返して来た」


「豪華な馬車って……いや、でもこんな時間に山奥に来るのはそれだけで不自然か」


「っていうか、その馬車を使ってる奴一人しかいないから特定済み。月明かりだけでも悪趣味なのが丸わかりの馬車だし、一般人も普通に知ってるくらい有名」


「そ、そうなの?」


 その時点で、マルテの中で凄まじく悪い予感が膨れあがっていた。


「あれはギルドで一番偉い奴の馬車」


「な……」


 そこで叫べれば、まだ良かったのだが――――微かに予感していたマルテにはそれすらも叶わず。

 連続する異常事態に翻弄され続け摩耗した緊張の糸がプツリと切れ、その場にヘナヘナと崩れ落ちた。




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本編『ロスト=ストーリーは斯く綴れり』および同一世界観の別作品『"αμαρτια" -アマルティア-』も掲載中です!
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