01 マルテという少年
――――ギルドという施設には、三つの役割がある。
一つは職業斡旋。
特定の職業が社会的地位を失わないよう、就業者全体で協力して需要と供給の接点を作る。
それらのバランスを保つのも、役割の一つだ。
一つは社会貢献。
治安維持、経済の活性化など、貢献の種類は職業によって異なるものの、必ず社会に成果を寄与するシステムが構築されていなくてはならない。
もしそれが遵守出来ないようなら、即刻排除の対象となる。
そしてもう一つは情報提供。
実はこの三つ目が最も重要な役割とされている。
ギルドの中には、諜報ギルドという情報提供に特化したギルドが存在する。
ただ、この諜報ギルドだけが情報を扱っている訳ではない。
傭兵ギルド、魔術士ギルド、商人ギルド、手工業ギルド――――それぞれの職業に特化したギルドは、その職業だからこそ得られる各々の情報を市民に提供する役割がある。
例えば、魔術士ギルドであれば、魔術に関する基礎知識や魔術士が引き起こした過去の事件、更には現在進行形の騒動など、魔術士に関する様々な情報を一般に向けて開放している。
そうする事で、魔術に関するトラブルに一般市民が気付き易くなり、魔術士ギルドに解決を依頼する頻度も必然的に増える。
情報開示が魔術士という存在の必要性に繋がり、引いては魔術士全体の需要へと繋がって行く。
だが、当然ながら全ての情報が開示される訳ではない。
あくまでも一般市民が知ったところで何ら問題はない、という範囲のみ。
例えば、魔術士の総本山たるアランテス教会がその存在を認めていない、『邪術』という外法魔術の存在について聞いた場合――――
「そういった魔術は存在致しません。ご了承下さい」
「はあ……でも最近、そういう話が出回ってるって噂なんですけど。邪術の存在を示唆する書物も見つかってて……」
「申し訳ありません。ご了承下さい」
このような事務的な回答しか得られない可能性は極めて高い。
知ってはいたものの、マルテ=レオンレイは生返事と共に、小さな失望を軽く火にくべた。
第一聖地マラカナン出身の彼にとって、このキャルディナ――――第五聖地アンフィールドの魔術士ギルドを訪れるのは初めての経験。
そもそも魔術士ギルド自体、魔術士でない彼には余り縁のない施設だった。
マルテの住むこの国――――魔術国家の冠を頂くデ・ラ・ペーニャは、六つの聖地によって構成されている。
その中の一つがここアンフィールドで、緑萌ゆる自然豊かな景観が特色の大地……と言えば聞こえが良いが、要は田舎。
図書館などの捜し物を見つける為に必要な施設は少なく、藁をも縋る思いで訪れてはみたものの、想像以上に素っ気ない対応をされてしまい、マルテはそのまま後ろに倒れ込みたい衝動に駆られていた。
「ならせめて噂話とか、その手のホラ話を集めた怪書とか、そういうのは……」
「ございません」
魔術士ギルド【キャルディナ】の窓口に座る女性は、塩を振りまくような笑顔の対応に終始。
諦めざるを得ないと納得するのに、なんら躊躇いはなかった。
「そうですか……ありがとうございました」
頭を軽く下げたのち、マルテは左回りで受付に背を向ける。
特に意識した事はないが、踵を返す際には必ず左側――――腕のない方を内側に回る癖が付いていた。
次の瞬間、視界に広がるのは魔術士ギルドのエントランス。
マルテの持っているギルドのイメージは、受付の傍に依頼の概要を記した紙が沢山貼られた広大な掲示板があって、その近くでローブを身に纏った神秘的な雰囲気の魔術士が屯している――――というものだったが、このキャルディナの掲示板には依頼書が殆ど張られていないし、魔術士らしき人物の姿も見当たらない。
ごく普通の服装で歩き回る人はそれなりにいるが、ギルド員なのか依頼者なのかの判別さえつかない。
このギルドが全く流行っていないのか、そもそも魔術士ギルドがこういう場所なのかの判断も、経験不足の為できない。
完全な八方塞がりだった。
「何かお探しかな?」
不意に――――背後から穏やかな口調でかけられたその声に、マルテは思わず肺と心臓を直結しそうになった。
要するに、呼吸と鼓動を同時に止めそうになるくらい驚いた。
「え、えっと……はい。実は、邪術について少し調べてて」
「邪術……ほう。それはそれは」
恐る恐る振り向くと、頬の痩けた白髪の老人が直ぐ傍に立っていた。
やはりローブは身に付けていない。
それでも、口元が隠れるほどの長さまで伸ばした白髪と細身の身体、そして年齢を感じさせない鋭い眼光は、なんとなくマルテの持つ魔術士の印象と合致していた。
「初対面で失礼だが、余り感心しないな。教会に目を付けられかねない」
魔術国家デ・ラ・ペーニャを統治するのは、国家ではなく教会。
そして魔術士ギルドもまた、他のギルドと比べ各地域に多大な影響力を持っている。
そんな両勢力は互いに不干渉――――が、法律で定められた関係性なのだが、現実はそう単純には行かない。
どちらかと言えば、この二つは不仲である事が多い。
そして、ここ第五聖地においてはその傾向がより顕著だった。
「大丈夫です。別に教会は恐くないんで」
「……ほう。それは素晴らしい」
その事実を前もって知っていたからこそ、マルテは敢えて受付に邪術の事を聞き、だからこそ結果が芳しくなかった事に失望を覚えたのだが――――
「しかし、邪術が存在しようとしまいと、その情報をこのギルドでは扱っていないのだよ」
「そうだったんですか……でもどうして?」
「どうやら貴殿は余所者のようだ。ならば忠告してあげよう」
常に紳士然とした老人が、その尖った顔をマルテのすぐ傍まで近付け、目を見開き――――囁く。
「その件に首を突っ込むべきではない。教会だけではなくギルドからも嫌われてしまう」
「え……」
「人生、引く事も覚えなければならないという事だよ。邪術は君の手に負えるものではい」
男の顔は、明らかにまともではなかった。
敢えて例えるなら『恍惚』が最も近い、この場面には一切そぐわない表情だ。
酒の臭いなど一切しないというのに。
「一応、名前を窺っておこうか」
「あ、はい。マルテって言います」
姓は伏せておく。
そうしなければならない理由が、マルテにはあった。
「あの、貴方は……」
「私めはガルフェロイ=エインシェント。僭越ながら、このギルドの代表を務めている」
「……へ?」
「『邪術』と『教会』には関わらない方が賢明だ。忠告はしたよ」
いつの間にか背を向け、手を振り立ち去っていく老人の後ろ姿は、決して威容を感じさせるものではない。
ただ静かに、よく光る刃の先端を見せるかのような、無駄の少ない――――脅迫だった。
「は……はは……」
思わず込み上げて来たのは、空笑いとも言い難い引きつった笑み。
キャルディナという魔術士ギルドは、ギルド長が自ら利用客を口止めするらしい。
邪術を教会が忌避するのは、その性質上必然。
そもそも存在すら認めていないのだから。
だが、ギルドが邪術に箝口令を敷くなど、少なくともマルテの常識では考えられない事だった。
そして同時に、信憑性が増したと心中でほくそ笑む。
邪術は、この地にある。
その為に第五聖地を訪れたマルテにとっては、ギルドの過剰な反応は最高の好材料。
しかし同時に、凄まじい勢いで懸念も膨れあがっていた。
たかがギルドに来て幾つか質問しただけだというのに、代表者の老人から脅される始末。
邪術という存在の厄介さにあらためて対面し、マルテはグッタリと肩を落とす。
何が厄介かというと――――この状況でも歩みを止められないところだ。
邪術に関わる以上、安全策などないのだから。
「となると……やっぱり楽は出来ないか」
マルテは老人の忠告を完全無視し、次の目的地を目指す事にした。
仮に脅してきた相手が殺し屋だろうがこの地を統べる総大司教であろうが、その結論に変わりはない。
人生の目的とはそういうものだ。
とはいえ、街から遠く離れたその目的地までは移動するだけで一苦労。
出来れば骨折り損とならない為にも、邪術があるという確信を得たかったのだが――――そこまでは叶いそうにない。
「少し遠いし、最悪無駄足になるかもだけど、よろしく頼むよ」
一欠片も雲のない青空の下、マルテは旅の相棒として自分を支えてくれている"彼"の身体に手を置き、穏やかに微笑んだ。
そして数秒ほどそのままの体勢でいたが――――何一つ反応はない。
「こういう時に嘶き……は無理でも鼻息くらい返してくれたら、もうちょっと相棒感出るんだけどな」
どれだけ話しかけても、その彼――――漆黒の毛を持つ馬車馬は反応さえ示してくれない。
馬は割と人懐っこい動物として知られているだけに、一向に懐かれないのは自分の欠陥を見透かされているようで気分は良くなかった。
マルテには目的がある。
三年前に出会った青年と過ごした日々が、それを形成した。
青年は、決して目的を曲げなかった。
だから自分もそうありたい。
その想いを胸に、安住の地を、大切な人を、楽な暮らしを全て置き去りにして、国中を飛び回っている。
危険な目に遭ったのは一度や二度ではない。
その経験が、マルテを少しずつではあるが成長させていた。
「よし、行くよ!」
一人で自身の所有する馬車に乗り、右手だけで器用に操る。
直ぐに左右の景色は輪郭をなくし、蹄の音と流線型が支配する馴染んだ光景へと移り変わった。
彼の目指す場所は、街中ではない。
第五聖地アンフィールドにおいて、そして魔術国家デ・ラ・ペーニャにおいて最も特殊とされる場所。
マルテの新たな冒険が今、始まった――――
「止まりな。有り金を全部置いていけば命だけは助けてやろう」
そして山中でひっそりと止まった。