24 破顔
マルテ達が城を訪れ、五度目の朝。
「おはようございます。そろそろ諦めましたか?」
昨日も、そしてこの六日間ずっと変わる事のない顔で、エデンはいつも通り食堂に座り、無数のジャムを並べていた。
既に彼女は、この城が魔術士ギルドから狙われていると知っている。
怯えてもいた。
それなのに、寝不足の顔はしていない。
夜間は常に"姫君"が現れている。
マルテはそう解釈した。
「諦めてないよ。それに、ちょっと予定が変わったんだ。"もう一人のエデンさん"に頼まれて」
「!」
多少、葛藤はあった。
エデンに対し姫君との交流を示唆する事で、これまで彼女が保ってきた均衡を崩してしまう恐れがある――――マルテはそう懸念していた。
別人格の存在を指摘するのは、それくらいリスクが伴う。
それでも、既に両者は意思の疎通を行っていて、姫君の方はエデンについて語る事に何ら抵抗ない様子だった為、マルテは話す事を選んだ。
今後の事について、姫君にだけ話してエデンをのけ者にするのは違うと感じたからだ。
「そうですか。まあ、大体の事はあの子から報告を受けています。その……何というか……」
急に歯切れが悪くなり、エデンはモジモジし始めた。
そのあからさまに何か誤解していそうな態度に、マルテの嫌な予感は早々に臨界点を突破し、今日分の活力を喰らい尽くしそうなほど肥大する。
果たして――――
「私に愛の告白をしたそうですね」
「予想以上に酷い解釈だ!」
それすらも余裕で上回ってくる姫君の悪意ある密告が明らかになり、マルテの精神は朝っぱらから大分削られた。
精神ばかりではない。
声も大分死んでいる。
「……どうしました? その声」
「ちょっと昨日大声出して……元々喉は強くないんだけど」
「え、そんな熱烈な告白だったんですか? 聞いてたのと大分違いますけど」
「そもそも告白なんてしてないから! 姫君の捏造! あの人、僕をからかって遊んでるんだよ!」
「でも、愛の逃避行は大胆な告白と同義だって私のバイブルにも書いてました」
「そのバイブル良くないなぁー! あとで作者名教えて抗議しに行くから!」
擦れ声をがなり立て、マルテは昨夜の己の言動を派手めに後悔した。
この城から連れ出すと言ったのは事実であり、ある程度誤解させる恐れのある申し出だったのは、マルテ自身自覚していた。
それでも、襲撃の可能性に怯えきっていた彼女の一助となるのなら、少しくらい泥を被っても良いと思っての男気発言だった。
結果的には口説き文句扱いされてしまったが。
「とにかく、何度も言うけど僕はちゃんと好きな人いるんで、エデンさんにそういう感情抱かないから」
「……」
「な、何?」
「なんか、それはそれで面白くないですね。その人に比べたら私なんてカスみたいな言い方じゃないですか」
今度は更に面倒な因縁を付けられ、マルテはいよいよ逃げ出したい衝動に駆られる。
「その片想いの相手、そんなに女性としての魅力に溢れてるんですか? 確か初対面時に殺人キック食らいそうになったんですよね? マルテ君の好みって、生命を脅かしてくる系の女性なんですか?」
「もうちょっと誤解を恐れようよ! 思い切りが良過ぎる!」
「そうは言っても、他に解釈のしようがないんですよ。ずっと考えてみたんですが……」
半ば独り言のように呟いていたエデンが、そこでピタリと発言を止め、急にマルテを睨み始めた。
「別にいつも貴方の事を考えている訳ではないですけどね!」
「……何なの? そういう事言えって姫君に言われてるの?」
「違いますよ。あの子は私に何も強要はしません。お互い好きなようにしています。まあ、ジャムを食べ過ぎないようにとか、多少の戒めはありますが」
そのエデンの述懐は、両者の関係をほぼ全て言い表しているようなものだった。
一定の距離を保ち、過干渉しないようにする。
それは自愛の精神でもあるし、身内への思いやりでもある。
「割と上手くいってるっぽいね」
「理由はわかりませんが、自分の中にもう一人自分がいるのは普通じゃない事はわかっています。折り合いをつけないと破綻するのも何となくですが、理解しているつもりです」
マルテが思っていた以上に、エデンは別人格の存在をしっかりと受け入れ、把握に努め、適切な心がけを持っていた。
姫君の方も、エデンを心配していたし、気にかけてもいた。
性格はかなり違うが、お互いを尊重しているのが伝わってきて、マルテは削られた精神が一気に全回復した気分になった。
「やっぱり、諦めちゃダメだよ」
「……マルテ君?」
「エデンさんも姫君も、生き続ければ絶対幸せな未来を掴める人達だと思う。訳のわからない理不尽な襲撃なんかに晒されちゃダメだ。フワボー達がここを出られる方法を探そう。そうすれば、エデンさんも逃げる事に異論ないでしょ?」
「……」
「? ……あ!」
思わず熱が入ったマルテは、無意識に右手でエデンの肩を掴んでいた。
その場で黒焦げにされても仕方ないセクハラ案件だったが、エデンの反応は鈍い。
というか、あからさまに顔を背けている。
「ご、ごめん! 今のは……」
「他に好きな人がいるって言いながらこの言動……まさかマルテ君がここまでやり手だったとは。顔の印象って実は当てにならないんですね」
「う……」
今回ばかりは誤解とも叫べず、マルテは顔を引きつらせながら、離した右手を自分の膝に置き、思い切り項垂れる。
そんなマルテを見て、エデンは――――
「あはははははは!」
無邪気に笑う。
心から楽しげに。
ここまで愉快そうに笑う人間が今まで周囲にいなかった為、マルテは思わず動揺してしまい、顔を上げて彼女の笑顔を見て更に動揺した。
自制心が必要なくらいには。
「はーっ……楽しいですね。マルテ君のおかげで今日は朝から元気が出ました」
「健康の糧になれて嬉しいよ……」
「ではお返しに、私の方からも健康をお裾分けします。今日は特別です。どれか一つ、好きな物を取って下さい」
「え!? 嘘!」
予想外の言葉にマルテは思わず大声を出し、長机の上にズラリと並ぶジャムの瓶を一頻り眺め、無意識に生唾を呑み込んだ。
エデンのジャムはリリルラがほぼ毎日買い出しに出ているという。
にもかかわらず、彼女は決してマルテ達に御馳走しようとはしなかった。
それだけに、ずっと一口味見してみたかったものの、ほぼ諦めかけていたのだが――――
「どうしました? まさか感涙してるんですか?」
「泣いてはいないけど、感激はしてるよ。まさかこんな日が来るなんて思わなくて」
「か、勘違いしないで下さいよ。別に深い意味はありませんからね。好感度が上がって好物を共有してもいいかなと思った訳でもなければ、自分が好きなジャムを貴方がどう思うか興味が湧いた訳でもありませんから」
「うんうん、わかってる」
「……本当にわかってるんですかね」
こっそりそう呟くエデンの声は耳に入らず、マルテはジャムの瓶の群れを一つ一つ丹念に眺める。
「味の説明はしませんよ。見た目で決めて下さい。宝石のように美しいジャムもありますけど、勿論それでも構いません」
「なんか含みあるよね……」
若干言い出した事を後悔しつつ、色比べを開始。
真っ赤な物もあれば、茶色と青を混ぜたような怪しげな色の物もあり、それぞれ別の意味の好奇心を擽ってくる。
瓶に名前が書いてある訳でもないので、色が頼りだ。
透明感のある物は、なんとなく外れがなさそうに見える。
中でも特に、果実に多い赤や黄色なら大きな間違いはない――――そう見越し、暫しの逡巡を経てマルテが選んだのは、半透明の黄色いジャムだった。
見た目の印象では、酸味が強くサッパリ系。
もしそうなら朝には最適な一品だ。
「では、匙を持ってきます。一口だけですからね?」
「う、うん」
一旦エデンが席を外した直後、マルテは食堂の隅々まで視線を送ってみる。
当然何も変わった物は目に付かないが――――
「……リリルラ、もしかしている?」
「いる」
「うわっ!?」
声は、マルテの真後ろから聞こえて来た。
それまでは一切感じていなかった人の気配が、その一瞬で出現する。
「な……」
「一般人相手にこれくらい出来ないと要人暗殺なんて務まらない」
「わ、わかるけど……信じられないよ。どういう理屈? ここに入った時から食堂全体を見渡してたのに」
「人の認知機能は視界に収めるだけじゃ働かない。そこに何があるかを自分で勝手に決めて、それを目で見て補正して認知とする。気配がなかったら、そこに人がいるという前提がないから幾ら目で見えても認知できない」
聞き取りにくいほど低い声で、そして凄まじく早口でリリルラはそう捲し立てた。
まるで――――
「……なんか劇団の新入りが自分のセリフを一夜漬けで覚えてる最中みたいだったんだけど」
「それな」
「それなの……?」
取り敢えず、自分でも余り意味がわからず習った事をそのまま言っているというニュアンスだけは理解し、マルテはそっと嘆息した。
「リルの事はどうでもいい。それよりおめでとう。快挙」
「何が……?」
「フェアウェル様がジャムを他人に分け与えるのは奇跡。こりゃお前惚れられてんな」
「いやいやいやいや……そういう空気一切ないし、なんでそんな言い方なの」
「冗談。でも信頼されてるのは確か。お前とんだタラシ野郎だな」
「枢軸殺しってそういうの共通科目で習ったりするの?」
思っていた以上に軽い口調で、しかし無表情で煽ってくるリリルラに、マルテは終始タジタジになっていた。
が――――
「リリルラ。悪いけど、夜に謁見の間に来るよう姫君に伝えておいて」
一つ深呼吸を挟み真顔になったところで、マルテは静かにそう告げる。
「なんで」
「相談したい事があるんだ。リリルラも同席して欲しい」
「わかった、伝えとく。私は監視に戻る」
彼女の言う『監視』がどちらの意味なのか、マルテは敢えて聞かなかった。
長い時間をかけて積み重ねた信頼関係などない。
それでも、この六日間でマルテは何度もエデンに感情移入してきた。
それもまた、一つの信頼の形だ。
「ちなみにその黄色いのはプリアジャムって言って、食べたら味覚が死ぬレベルの酸味が襲ってくるから注意な」
「……へ? な、なんでそんなジャムを仕入れてるのさ!」
「遊び心と鑑賞用。それ色だけなら綺麗で美味そうに見えるから」
「騙された……」
エデンが満面の笑みで戻って来る頃には、既に信頼関係は崩壊していた――――




