21 ねじ曲がった道
エデンを殺そうとしているのは――――彼女の父親。
衝撃的だった。
総大司教に敵対する勢力が、脅迫を兼ねてその娘の命を狙っているのだとばかり思っていたマルテには、全く想定していない解だった。
「な、なんで自分の娘を……!?」
「物憑き……幽霊に取り憑かれたと判断したからだろう。少なくとも自分はそう聞いている。だから彼女の中に別の存在があるのは知っていた」
「なんだよそれ……物憑きだから体裁が悪い、だから始末するって言うの? 実の娘だろ? いや血の繋がりなんて関係ない! 自分の子供を……そんな理由で殺すの?」
「物憑きと言っても、実際には気狂いと見なしているのだろうな。他人ならまだしも、身内から気狂いが出たとなれば沽券に関わる。ならば恥部を切り捨てれば良い。その程度の考えなのだろう」
淡々と話しながらも、フェーダの言葉には総大司教に対する明確な侮蔑と憤りが含まれている。
マルテは、その事に微かな安堵を覚えてはいたが――――
「その証拠に、あの男はエデンを最後まで都合の良いように利用しようとしている」
「……どういう意味だよ」
自分が冷静でいられないのを自覚し、それで抑える事が出来ずにいた。
「不思議に思わないか? こんな建物に何年も幽閉していた娘を、今更殺そうとする理由は何だと」
「思うよ! でもそんなの気まぐれかもしれないじゃないか! そんな性根の腐った人間の思考なんてわからないよ!」
「性根の腐った……か。随分と生温い表現だな。これを聞けば、君もそう思うだろう」
「……」
「教会とギルドの確執に関係する話だ。少々堅苦しい内容だが、出来れば最後まで聞いて貰いたい」
要は『話の腰を折るな』という警告。
これ以上苛立ちを声に出したくないマルテは、沈黙のまま憮然とした表情で首肯した。
「発端は11年前のガーナッツ戦争。あの戦争を契機に、ギルドと教会の関係に溝が出来た。決して埋まる事のない溝が……な」
それは、第一聖地で生まれ育ったマルテには縁のない、第五聖地の抱える切実な闇の片鱗だった。
デ・ラ・ペーニャの南側には隣国エチェベリアとの国境があり、ここ第五聖地アンフィールドはその国境の大半を預かる位置にある。
必然的に、戦争時においてアンフィールドは最重要地点となり、国境付近には最大級の警戒網を敷いていた。
しかし第一聖地・第二聖地とは違って人材に恵まれているとは言い難い事情もあって、教会は魔術士ギルドに応援を要請。
かつてない大役にギルド内の志気は高まり、いざ戦争が始まった際にはどの勢力よりも奮闘したと言われている。
が、結果的にエチェベリアとの戦争は大敗を喫する事となり、その責任は魔術士ギルドにばかり押しつけられた。
『国境沿いの警備はギルドが請け負っていた』と、この聖地を治めている総大司教ハデス=オーキュナーが大々的に喧伝した事で、それは"事実"となった。
一方でギルド側は、ギルド員を見下し煙たがっていた教会の魔術士が重要な警備箇所を独占していたと主張。
双方の見解は完全に食い違い、両者の関係には修復不可能なほどの大きな亀裂が入った。
「長らく冷戦状態が続いていたが、先日ついに教会側から二つの勧告が来た。一つは……支援の大幅な縮小」
魔術士ギルドは元々、魔術士が魔術に関するあらゆる技術や発明品を独占する為の自治団体として立ち上げられた。
魔術士が魔術のアイデンティティを保持し続けられる環境の整備――――つまり魔術の価値を世に広め、魔術士の生活基盤を安定させる為の組合だった。
教会もまたその基本理念を内包している為、表ではギルドとは不干渉としつつも、実際には発足時から経済面で支援してきた。
だが近年、大学の普及により研究機関・教育機関と教会の癒着が恒常化。
相対的にギルドの力は弱まり、大きな仕事が回ってくる頻度は年々減ってきていた。
そこにきての支援縮小。
事実上の決裂宣言だ。
「もう一つは?」
話の全てを表から裏まで理解している訳ではなかったマルテだが、それでもキナ臭いものを感じるのに疑問の余地はなかった。
そしてそれは、フェーダの回答を聞いて確信へと変わる。
「魔術を使っての殺人を例外なく死罪とする聖地条例……第五聖地独自の法の制定だ」
「え? それって……」
「事実上、魔術士には傭兵稼業を全面的に禁ずる、という意味なのだろう」
傭兵だからといって、必ず敵を殺す訳ではない。
寧ろ戦争終結後は人命の尊重を掲げる思想家も増えている。
が――――それでも、傭兵が『殺さず』を貫くのは困難。
殺す気でかかってくる敵に対し、温情を持って相対するのは危険極まりない。
フェーダの語った条例がもし本当に適用されれば、傭兵の仕事が大半を担う第五聖地の魔術士ギルドは完全に機能を停止するだろう。
「教会はギルドを壊滅させるつもりだ。両者の全面戦争は避けられない情勢と断言する他ない。あの戦争以降ずっと深い溝があった上での今回の勧告だからな。新たな教皇が魔術の軍事利用の縮小を唱えているらしいが、それを大義名分にしているフシもある。最早教会にとって、魔術士ギルドとは反乱因子そのものなのだろう」
二年前、第一聖地で教皇選挙が行われ、幹部位階2位の枢機卿・ロベリア=カーディナリスが当選を果たした。
彼は魔術の大半が攻撃を目的としたものという現状に疑問を呈し、軍事以外に魔術が利用できないか模索するよう、全魔術士に向けて提唱した。
厳命でこそなかったが、このデ・ラ・ペーニャで他国における国王と同等の権限を持つ教皇の言葉は重い。
各聖地が軍事面についての予算・人員を見直さなければならないと即座に判断したのは、必然だった。
「ギルドもその空気を察し、対抗手段を求めている。現状ではどう考えても教会の戦力には敵わないからな。教会は教会で、教皇の逆鱗に触れるのを恐れ自ら争いを吹っ掛ける訳にはいかず、膠着状態にあった。そこで……総大司教は娘の"有効利用"を思い付いた」
「ま、待ってよ。まさか……」
最早、想像可能な範囲は絞られていた。
ギルドの狙い。
教会の目論み。
そして、総大司教の娘であるエデンの利用価値。
これらが指し示す答えは――――
「ギルドの連中にエデンを殺害させる、またはそう偽装する。そしてこの事実をもって、ギルドの鎮圧を図る正当な理由とする。『大事にしていた娘が殺された。これは正当な報復である』とな」
マルテには、フェーダの努めて冷静な声が雷鳴のように聞こえた。
思わず右手で前髪を掴み、その場に蹲る。
とてもまともには聞いていられない、到底受け入れられない話だった。
自身の娘を生け贄にして――――内戦を引き起こすなど。
「その為にはまず、ギルドへの圧力を強め追い詰めた上で、連中がこの城に興味を持つよう誘導する必要がある。そこで教会は連中が欲して止まないものを用意した」
「……邪術」
「察しの通りだ。この城に邪術が眠っているという噂と、その与太話を書き記した書物を各所に流し、エサを撒いた。君は偶々、そのエサに食い付いてしまった」
強力なものなら、聖地の大半を吹き飛ばすとさえ言われる禁忌の魔術――――邪術。
もしその力を得られれば、教会に対抗するどころか圧倒する事さえ出来るかもしれない。
魔術士ギルドにとって、邪術の存在は甘い果実だった。
「実際にギルド員がエデンを殺すかどうかは問題じゃない。連中が好戦的な目的を持ちここに来たという記録と、エデンが殺害された事実さえあれば、後は偽装工作で関連付ければいい。だから最悪の場合は、自分がギルドから派遣された人間だと偽装する用意もあった」
「そういえば、匂わせてた事があったような……」
マルテの記憶の中に、微かに思い当たる言葉があった。
『仕事を請け負う方が性に合っている』
調査二日目の夜、テント内でフェーダはそう呟いた。
マルテはそれを受け、フェーダのギルド所属の可能性を一瞬疑った。
以降は特にそれらしき言及はなかったが、逆に一度しかボロを出していない分、わざとらしさはない。
仮に、その後フェーダの荷物から偽装されたギルド員の証明書でも出て来たら、マルテは間違いなくフェーダを魔術士ギルドの一味だと確信しただろう。
「とはいえ、本物のギルド員がここへ来るのがより好ましいのは言うまでもない。自分は暫くの間ここに潜伏し、ギルド員が現れ邪術の捜索を始め、何もせずそのまま帰った場合にのみエデンを暗殺するように命じられた。万が一、期間中にギルド員が現れなかった場合は、自分がギルド員を装い、暗殺する手筈だった」
だがその"万が一"の場合、フェーダがギルド員だと証明する第三者の存在が必要になる。
証人となる人物が。
それは――――
「まさか、僕をここへ連れて来たのは……偽装工作の証人に仕立てる為?」
「……済まない」
「はは……ならやっぱり、あの出会いって仕込みだったのか」
予想はしていた事だが――――自分自身の未熟さに呆れ果て、マルテは空虚な笑みを浮かべるしかなかった。
妙に知性を感じさせる賊。
余りにタイミングの良いフェーダの登場。
やたら都合の良い撤退劇。
あらためて考えるまでもなく、茶番の要素は多々あった。
それでもマルテは、微かな違和感程度しか抱けなかった。
また、あの人の背中が遠くなる。
現実はいつだって融通が利かない。
だからマルテは笑い続けた。
――――この巡り合わせに。
「だったら、僕がこの件に首を突っ込めたのは僕がバカだったからだね。笑えない話だよ、全く」
「マルテ……?」
感情は未だに安定しない。
フェーダの話は、今まで生きてきた中でも最上級の胸糞悪い内容だった。
自分の境遇が可愛く思えるほど。
なら、すべき事は一つ。
既に腹は括っていた。
「ここまで話したのなら、ついでに聞かせてよ。昨晩来たのは本当にギルド員だったの?」
「……ああ。エデンはともかく君が連中と鉢合わせになれば、自分がギルド所属ではないと確信させてしまう。だから率先して追い返した」
「いやいや。それって完全に矛盾してるよね。ギルド員がここに来た時点で、僕という保険はもう不要でしょ? そもそも、彼らがエデンさんを襲う前から倒しに行ってたじゃん。破綻してるよ」
既にマルテもわかっていた。
それでも、目の前のフェーダを殴り倒したい衝動に駆られていた。
このような汚物まみれの悪事に手を染めている男を。
けれど――――
「いつ、やめようと思ったの? 自分の仕事を」
そう解釈する以外にないフェーダの行動を知ってしまった以上、殴る訳にはいかない。
彼は重要な戦力。
今後を考えたら、怪我人をこれ以上弱らせる訳にはいかない。
「……何故そう思う? 単に焚き付けに行って失敗しただけかもしれないだろう。自分は聞いての通り最低の人間だ。好意的な解釈の余地などあるまい」
「あるよ。答えによっては。僕の予想だと、ほぼ最初からエデンさんを殺す気なんてなかったと思ってるんだけど」
「……」
フェーダが眉を顰め、まるで傷口が痛み出したかのように脂汗をかき始める。
その反応は、悪人がするようなものには到底見えなかった。
「だって、巨乳の女の人が好きなんでしょ? だったらエデンさんは殺せないよね」
無論、それは本気の発言ではなかったが――――案外本質は近いところにあると、マルテは察していた。
「……そう来るか。違うんだ。あれは自分がこの城とエデンに張り付く動機を明瞭にし、君に不信感を持たれないようにする為の方便で……」
「本当に? そんな言い訳じみた事言って、実はやっぱり胸に目が眩んだんじゃないの? フェーダだって男だもんね」
「ぐ……俗世にまみれていた方が怪しまれないと踏んだのが裏目に出てしまったか」
マルテが納得する『エデンに執着する理由』を事前に話しておけば、その後の仕事が楽になる。
それ自体は賢い判断だが、『胸の大きな女が好き』が明らかにフェーダの性格とはかけ離れた発言だったのは否めない。
そして、彼の世間知らずが演技でない事も明らかだ。
「フェーダがこれまでどんな仕事をしてきたのか、僕は知らない。もしかしたら恨みもない人を仕事と割り切って殺してきたのかもしれない。でも……」
だから断言する。
例えそれが根拠の脆弱な、薄氷のような言葉だとしても。
「親に捨てられた女性を平気で殺せるような人間だったら、あんなに苛立ちながら僕にこんな話してないよ」
マルテには、そう思えてならなかった。
「どうしてそこまでして悪事に荷担するのさ。仕事だから?」
社会で生きるとはそういうもの。
理想など一瞬で食いちぎられ、理不尽を押しつけてくる怪物が社会には大勢屯している。
それはマルテも十分に理解している。
が――――
「……自分が今、教会から受けている命令を実行すれば、父と兄はこの国で研究が続けられる。そういう事になっている」
フェーダの一族は、自律魔術の研究を行っている。
だがやはり、個人の研究には自ずと限界がある。
実験費用にしても、環境や周囲の目にしても。
けれど、『この国で』というフェーダの発言は、資金面だけには留まらないのを示唆していた。
「正規ではない魔術を個人が開発したところで、承認は下りないそうだ。父と兄……我が一族が何代にもわたり研究してきた自律魔術は、例え完成しても即座に封印される」
「な……なんで?」
「面白くないからだ。教会にとって。そして大学にとってもな」
魔術の研究機関として一大勢力にまで発展した魔術大学は、教会に対抗するだけの組織力を有している。
しかし個人の研究機関にそんなものはない。
例え正規の方法で新魔術を開発・申請したとしても、『安全性に欠ける』『要件を満たしていない』などの適当な理由をでっち上げられ、却下されるのは珍しくない。
「要はメンツだ。自分達より優れた実績を組織外の人間が残すのを看過できないという子供じみた理屈だな。まして自律魔術は『魔術が勝手に動く』という如何にも怪しげな性質の魔術。実際、総大司教に直訴した父は『悪魔の術だ』と罵られたそうだよ」
「そんなの……」
魔術に明るくないマルテでも、その理屈が常軌を逸しているのはわかる。
だが同時に、『悪魔の術』と形容されるのも致し方ないとも思っていた。
最初にフェーダが鳥型の結界を出した時、マルテはそれを神々しいと感じた。
鳥型の光だったからだ。
けれど、この城内でフワボーを見た時には、不気味だと感じてしまった。
形次第で印象は変わる。
逆に言えば、人によって不気味だと思う類の魔術である事は確かだ。
「……だから鳥型だったの? 少しでも印象を良くする為に」
「ああ。しかし、残念ながら自分の使っている自律魔術は未完成だ。あれは正確には自律魔術ではない」
「え……? でも、自分の意思で動いてるようにしか見えなかったよ?」
「君が今言った通りだ。少しでも印象を良くする為……少しでも自律魔術に見える為にこしらえた魔術なんだよ。実際には、自分があの鳥を動かしていた」
「嘘!? 結界を自由に動かせるの!?」
それは信じ難い発言だった。
軌道を術者の意思で自由に変えられる魔術など、現在において存在しない。
もし可能なら自律魔術以上の大発明であり、攻撃魔術の汎用性を大きく拡大させるだろう。
当然、開発の難易度も想像を絶するものとなる。
だが――――
「結界というのは嘘だ。ただの魔力の塊に過ぎない」
「え……?」
殺傷力や防御力を全く有しないのであれば、その限りではない。
魔術とは平たく言えば魔力を加工して出力する技術であり、加工する項目が多ければ多いほどルーン配列は複雑になって、魔力そのものの消費も増大になる。
つまり『動きを自在に操れる』という指定そのものがどれだけ難しくとも、他の指定が『鳥型にする』だけであれば、構造そのものは単純化され、全体としての難易度はそう高くはならない。
尤も、そのような魔術に利用価値はない。
例えば『最低限の殺傷力』を加えるだけでも一気に価値は跳ね上がるが、たったそれだけで難易度も魔力消費量も数十倍に膨れあがるだろう。
「で、でもフワボー達を防いだじゃない。あれって……」
「魔力の塊が魔術とぶつかっただけだ。だからあの自律魔術達は消えなかったし磨り減りもしなかった」
「あ……」
その事は、マルテも不思議に思っていた。
なんの事はない。
結界ではなかったのだから、消滅しなかったのは必然だった。
「あの鳥型の魔力を実際に見た人間にちょっと捕捉説明をすれば、自律魔術だと信じて貰える。さも結界が自由に動き回っているように見える。つまり……詐欺だ」
「なんで……」
教会の悪事。
身内の悪事。
フェーダは同時に二つの悪事に手を染めている事になる。
「この世は薄汚れた大人ばかりという事だ。自分も例外ではない」
弁明は一切なかった。
それが、自分に許された唯一の生き方だと、そう言わんばかりに――――
「……」
――――回想を終えた後も、マルテにはフェーダの悲痛な声が耳に残っていた。
研究者としての才能に恵まれなかったフェーダが、それでも父の為、兄の為、一族の為に出来る事がそれしかなかったのだとしたら……
そう思うと、マルテは彼の生き方を全否定は出来なかった。
だが、今までのようにフェーダと接する気にもなれない。
一方で、邪術の噂はダミーという彼の話には一定の信憑性がある。
最早この場に留まるメリットは殆どなくなってしまっていた。
合理性だけを追う生き方をするならば、ここはもう退くべきだ。
けれど――――
『ありがとう。嬉しかったよ。君がそう言ってくれて』
『家族が離ればなれになる訳にはいかないでしょう?』
マルテはもう、自身の憧れた生き方をねじ曲げる覚悟を決めていた。




