20 彼女の正体
その日の夜。
城の調査を終えたマルテは、テントに戻らず城内のバルコニーから夜空を眺めていた。
「まだいたんだ」
予感はあった。
声も姿形も変わらずとも、一目でわかるほど違う雰囲気を醸し出していた。
会えるのならば夜。
幽霊はやはり、夜にこそ映える。
「姫君は夜行性なんだね」
「覚えててくれたんだ。あたしがそう呼んで欲しいって言った事」
「僕、そんなに物覚え悪そうに見える?」
「女心に疎そうには見える」
「うぐ……」
心臓の古傷が疼き、マルテはバルコニーの手すりにもたれかかるようにして体勢を崩す。
「あたしに聞きたい事があるみたいだね。だからここにいたんじゃないの?」
「鋭いね……僕もそれくらい人の心が読めるようになりたいよ」
これでも二年前と比べれば成長しているという自負を、マルテは持っていた。
無気力、無頓着で流されるままに生きていた頃よりは、ずっと人間としての密度が高くなっているという期待も。
だが現実は、エデンの心細さや不安を察する事さえ出来ず、フェーダがどういう人間なのかも未だ掴めずにいる。
思っていたよりも成長していなかった自分が不甲斐なく、いっそ泣き叫びたいほどに落ち込んでいた。
「いいじゃない。完璧に他人の心を推し量れる人間なんてつまんないよ。不完全な方がずっと魅力に溢れてる。だって、そういう人の方があたしを評価してくれるからさ」
それは――――意味深な自虐だった。
「……姫君って本当に幽霊なの? もし本当なら、自分が何者でいつどこで死んだとか覚えてるの?」
「幽霊だって色々だよ。死んだから幽霊になる訳じゃない。あたしの場合は『亡霊』だしね」
「それ、どう違うのさ」
「心残りがあるかないか、じゃないかな? よくわかんないけど」
瞼を半分近く落とし、口の端を微かに吊り上げる。
エデンの表情は、姫君ではない時とまるで違い、常に妖しさを宿している。
人格が違うのは明らかだ。
「一つ聞いてもいいかな」
バルコニーから見える暗がりの自然を睨むように眺めながら、マルテは口を開く。
息を吸い込むと、そこから何か重苦しいものが体内に入り込んでくるような気がしたが、それは無視した。
「いいよ。何?」
「エデンと姫君は意思の疎通が出来てるよね?」
その言葉は、質問の体を取ってはいなかった。
「どうしてそう思うんだい?」
「フェーダと僕に対する警戒心が違うから。僕に対してはなんか気安いっていうか、ぶっちゃけユルいよね」
「それは君が弱いから、って解釈はしなかったの?」
「……したよ。でも姫君がもし僕達に関する予備知識を何も持っていなかったとしたら、寧ろ僕を訝しむと思うんだ」
「ふーん?」
何処か楽しげなエデンの反応。
まるで他人を擽る子供のようだった。
「昨夜、この城に魔術士ギルドの連中が襲撃にやって来た。対抗したフェーダは負傷。この状況で弱い僕が逃げずに居残ってるのって、不自然に思わない?」
「度胸があるかバカなのか、どっちかって線が濃厚だね」
「半分は好意的解釈にしてくれただけマシだと思っておくよ。そして、それも意思の疎通が出来てると思う理由の一つ」
油断すると直ぐに弄ばれる。
そういう女性と接した事のないマルテは、足を縛られた状態で海の中に落とされたような心持ちで"正解"を探していた。
「一番の理由は、昨日の姫君と今日とでは僕に向ける眼差しが違う事。随分と優しくなったよ」
「そうかな? あたしは変えてないつもりだけど」
「つもり、なんだ」
それはつまり『意識的に変えないようにと試みていた』証。
自らの失言に気が付いたエデンは悪びれる様子もなく、眉尻を下げ笑っていた。
「僕とエデンさんの日中の会話、知ってるんでしょ? だから僕へ向ける表情が柔和になった。そもそも、姫君の方は初対面の時から妙に警戒心が薄かったしね。どう? 違う?」
沈黙は肯定の意。
姫君の表情は、雄弁にそう語っていた。
「どうやって意思の疎通をしてるのか、聞いてもいい?」
「小難しい事はしてないよ。日記を書いてるんだ。それを勝手に読むだけ。お互いあんまり質問はしないかな。どっちも自分本位な性格してるからさ」
屈託なく笑うその顔は、何より明朗に二人の――――エデンと姫君の関係性を示している。
マルテの懸念は一つ、音もなく消え去った。
「悪い悪い。欺くとか騙すとか、そういうつもりじゃなかったんだ。ただ……」
「ただ?」
「こういうの、照れ臭いからね。お互い」
その"お互い"は誰と誰を指しているのか――――マルテは正解を引き当てる自信がなく、自分が仏頂面になっているのを自覚し俯いた。
「……あたしはね、必要とされてないんだ。だから亡霊っていうのが一番都合が良いんだよ。誰にとってもね」
優しい眼差しが、微かに揺れる。
常に飄々としているのに、皮肉など一切感じさせない、まるで純粋無垢な瞳で。
「特に、あたしをここに連れて来た人にとっては」
外は無風だった。
だからマルテは却って寒気をより鮮明に感じていた。
これ以上の詮索は、折角の彼女の厚意を踏み躙る。
なんとなく、そう汲み取った。
「……ありがとう。話してくれて」
「いいよ。そっちも話してくれるんでしょ? 何か知らないけど、そういう顔してる。あたしを困らせようとしてる顔」
「そんなつもりは……」
ない、とも言い切れない事をこれから確認しなければならない。
姫君が打ち明け易い空気を作ってくれた事に感謝しつつ、マルテもまた正直に吐露を始めた。
「リリルラとフェーダから、君達の事を聞いた。特にフェーダからは詳しく」
「……そっか」
その正体は――――衝撃だった。
マルテだからこそ、そう受け取るしかなかった。
「総大司教の娘なんだってね」
総大司教ハデス=オーキュナー。
第五聖地アンフィールドを統べる人物の長女として、エデンはこの世に生まれてきた。
その彼女が、教会から命を狙われている。
総大司教に継承制度などないというのに。
そういう事実がこのアンフィールドでも存在している事に、マルテはやるせなさを感じずにはいられなかった。
「本名はフェアウェル=オーキュナー。境遇も、ここにいる理由もフェーダから聞いたよ」
「なら説明は要らないね」
「話したくないのなら、話さなくていいよ。でも、どうしても腑に落ちない事があるんだ」
なら聞けば――――そう言わんばかりに、姫君は肩を竦める。
マルテに遠慮の意思はなかった。
「最初に君と会った時、ここを『あたしの楽園』って言ってたよね。その意味がわからない。楽園どころか……監獄じゃないか、ここは」
可能な限り感情を波立たせないよう、マルテは努めて淡々と話をしようと決めていた。
そうしなければ、本来関係のない立場にある自分の、無責任な感情が爆発してしまいそうだったから。
「だって、君をここに閉じ込めてるのって……お父さんなんだよね? 総大司教の」
「そうだね。血の繋がりはあるみたいだよ。感じた事は一度もないけど」
「……どうしてそんな事をされてるのかはフェーダからは聞いてない。でも、なんとなく想像は付いてるよ」
目の前の、普段のエデンとは全く異なる口調の姫君を見ながら、マルテは彼女が『亡霊』と自分を表現した意味を咀嚼していた。
マルテ自身がそうであったように、同じ姿なのに全く別の人格を思わせるこの姫君と接すれば、幽霊にでも取り憑かれたのではと考えるのが自然な反応。
自分の娘が幽霊に憑かれたと判断した総大司教は――――その娘を隔離する選択をした。
この城には防衛機能がない。
城としての華やかさなど微塵もない。
それどころか、緊急避難用の脱出口さえもない。
その意味をマルテはようやく理解した。
何の事はない。
ここは城であって城ではなかった。
「外見だけ城を模した、君を隔離する為の建物。そうなんだよね?」
精神的に病んでしまった我が子を城内の牢獄へ閉じ込める国王の話を、マルテは聞いた事があった。
しかしこの聖地の総大司教は、自分の手元にエデンを置く事さえも拒んだ。
マルテが調査した限りでは、この城は総大司教が生まれる前から建っていたと強く推認される。
少なくとも、エデンの為に造った建物ではない。
元々あった何らかの施設を、城のような外見に造り替えた。
何故、城だったのか。
それはマルテにはわからない。
自身の血統を収容するのに、飾り気のない建物では格好が付かないし、かといって教会を装う訳にもいかない――――そんな推察は成り立つが、結局は造らせた人物しか知り得ない事だ。
「どうして君が、こんな辺鄙な場所で一人生活しているのか不思議だったけど……なんて事はない。そうするよう強制されていたんだね」
「……」
姫君は答えない。
ただ静かに、首肯と同義の眼差しでマルテを眺めているのみ。
「あのリリルラっていうお手伝いさんは、教会の人間らしいね。子供の頃から君の面倒を見てるって言ってた」
その彼女が引き続き、エデンの世話をする事になった。
ただし決して人目につかない時間帯に。
リリルラがここに寝泊まりしない理由は――――エデンと一緒に逃げ出す事がないよう、彼女もまた教会から監視・束縛されているから。
それは容易に想像が可能。
掃除道具さえ毎回持ち運びしているのを考慮すると、毎回ここへ来る度にリリルラには厳しい身体検査が行われていると推察される。
「……逃げ出そうとは思わなかったの?」
それでも尚、マルテは聞かずにはいられなかった。
「鉄格子の中って訳じゃないし、離れようと思えば自分の足で離れられる。そりゃ勿論、食べる物や住む所には困るだろうけど……一生こんな場所で暮らすのって、辛くない?」
「辛くないよ。前に言ったのはそのままの意味だよ。ここはあたしにとって楽園なんだ」
「なんで……!」
「ここには沢山の思い出があるから」
思い出――――その意味を、マルテは理解できなかった。
リリルラが定期的に来るとは言え、一日の殆どを一人で過ごす日々。
そこに何の思い出があるというのか。
あるとすれば――――
「みんなとの思い出が」
「あの子って、あの自律魔術……?」
「……」
姫君は視線をマルテから逸らし、バルコニーの手すりに両手を添えた。
そこにも思い出が染み付いていると言わんばかりに。
「それに、ここにいれば毎日好きなだけジャムが食べられるしね」
「姫君もジャムが好きなの?」
「当然。物心つく前から食べてきたからね。あたしにとっては主食……いや必須食かな」
味覚が同じなのだから、エデンがあれだけジャムを好きなら、姫君が好きなのも当然。
頭ではそうわかっていても、マルテはその事実を少し意外に思っていた。
「……姫君は教会から命を狙われてる事、知ってるんだよね。昨日そう言ってたもんね」
「知ってるよ。リリルラが教えてくれたから。それが何?」
「……」
――――誰が君の殺害を命じているのか知っているの?
そう問うべきか否か、マルテはずっと悩んでいた。
余りにも残酷な現実だから。
そしてそのやり口は、残酷などという言葉さえ生温いほどのものだ。
「まだ確証はないけど、昨日襲撃してきたギルドの連中の狙いはやっぱり邪術だと思う。教会関係者が邪術を処分する前に、自分達が入手しようとしているんだ。教会との戦争に備えて」
キャルディナにおける邪術への過敏な反応。
そして昨日の襲撃。
フェーダの言う『教会とギルドの確執』。
その全てに辻褄が合う。
昨夜姫君といた時に構築した推論は、確信にかなり近付いていた。
「昨日、フェーダに襲われそうになった時、あんなに怯えてたじゃないか。死ぬのは怖いでしょ? 誰だってそうだよ。強がっても……」
「強がってはいるよ。多少はね、でもあたしにはここにいる義務があるんだ。"あの子達"が今もここにいるから」
そんなマルテの問いに対する姫君の返答は――――エデンの口から聞いたものと、全く同じだった。
当然だ。
二人は同一人物なのだから。
「彼等は君が生み出したの? それともエデンさん?」
マルテは外の景色から視界を切り替え、城内の方へ振り返った。
案の定、謁見の間にはお供の自律魔術達がそれぞれ寄り添うように待機している。
不安そうにこちらを見ている――――かどうかは定かではないが、マルテにはそう映った。
「わからないよ。気付いたら、みんなここにいた。最初はビックリしたよ。それこそ幽霊だって。話は出来ないけど、すぐ仲良くなれた。幽霊でも別にいいかなって思ったくらい」
魔術をまるで本当の友達のように語る姫君の目は、遠い星空を眺めていた。
彼女にとって、エデンにとって、決して手の届かない――――そんな光を。
「あの子達を見捨てるなんてしないよ。ここが戦場になったって」
マルテもかつて、何度となくその光に手を伸ばした。
その手は一つしかなかったが、幸運にも恵まれ、幾つかの光に触れる機会を得た。
だから思う。
彼女を見殺しには出来ないと。
「もし僕が……あの自律魔術達を外に連れ出せたら、一緒に来る?」
瞬間――――風が夜空を凪いだ。
「何それ。駆け落ちみたいな言い方」
「茶化さないで。僕は真剣だよ」
マルテには、エデンをどうしても放っておけない理由があった。
彼女が総大司教の娘であるように――――マルテもまた偉大な父と祖父を持ち、彼等から孤立してしまった過去を持っている。
共感を覚えざるを得ない境遇にあった。
「……いいの? 君って好きな人がいるんだよね? もしかして二股をかけるつもり?」
「なっ……違うよ!」
「なら愛人が欲しいの?」
「どっちも違う! 僕は……!」
君と同じだから――――そう叫ぼうとしたマルテの口を、姫君の右手人差し指が優しく噤ませた。
「異性間の友情は成立しないって、昔読んだ本に書いてたよ」
「いや、だから……」
「大事にする相手を間違えると、いたずらに傷付けるだけだよ。女心ってのをさ」
「う……」
女心がわからない。
ずっとマルテの抱えている悩みの一つ。
それだけに、二の句が継げない。
「ありがとう。嬉しかったよ。君がそう言ってくれて」
姫君の声は、今までのどの言葉よりも明るく、柔らかかった。
だが同時に――――事実上の拒絶だった。
「夜はまだ冷えるし、君も早く中に入りなよ。あ、寝るのはテントでね。エデンが恐がるから」
最後にマルテの肩に手を置き、その髪でマルテの頬を愛撫するかのようにして――――姫君は城内へと入っていった。
自律魔術達も一緒に立ち去った為、バルコニーには沈黙が訪れる。
マルテは暫く何もする気になれず、手すりに背中を預け、星空を見上げた。
頭の中に浮かぶのは光の粒々ではなく、昼間のフェーダとの会話。
彼の打ち明けた内容は、マルテの心に暗い影を落とした。
今でもその内容は一字一句違えず思い出せる――――
「……彼女は、気の毒な女性だ」
「それって、どういう意味?」
「言葉の通りだ。あの娘……フェアウェル=オーキュナーの殺害を自分に命じたのは、父親のハデス=オーキュナーに他ならない」




