19 守るべきもの
邪術が遺跡に封印されている場合、往々にして封術によって密閉された隠し部屋の存在が認められる。
逆に言えば、封術が施されている場所さえ特定できれば、かなりの確率で発見に結びつけられるだろう。
マルテはこれまで、二つの邪術を発見し、秘密裏に処理してきた。
その二つとも小規模な邪術で、軍事利用されるような種類の魔術ではなかったが、邪術発見のノウハウを身に付ける上では貴重な体験だった。
どちらの邪術も、教会の地下に石板が安置される形で封印されていた。
そしてどちらにも共通していたのが、意外にも厳重ではなく一種類の簡易な封術のみで管理されていた。
現代において魔術を開発するのは大学や研究所だが、大学などの研究施設がまだ存在しない時代は、教会がそれを行っていた。
故に古代魔術のルーン配列の記録は、各地域の教会に保管されているのが常。
その中に邪術も含まれている為、教会で産み落とされた邪術がそのままそこで封印されるのは自然の成り行きだ。
だが今回、マルテが目を付けたこの城は教会ではない。
そしてそれは決して例外的でもない。
中には教会ではなく、別の施設でひっそりと魔術研究を行っていた魔術士もいるからだ。
調査の結果、この城は教会らしさこそ微塵もないが、かつて魔術研究が行われていた場所として矛盾はない。
ならば、邪術が眠っている可能性は十分にあるのだが――――
「……やっぱり、ない」
全ての部屋を入念に調査した結果、マルテが最後の空き部屋に寝転がって下した結論はそれだった。
城の何処かで封術が使われている可能性はある。
空気中の魔力含有が認められた為だ。
けれど、肝心の封術そのものが何処にも見当たらない。
隠し部屋も同様だ。
謎の日記が小さい空間に隠されていたくらい。
その日記にもルーン配列が記されていないか念入りに調べ直したが、そのような事実は確認できなかった。
マルテは、邪術がここにある事を切願している訳ではない。
ないと判断できれば、また別の候補を探し、見つけて潰すのみ。
なので場所に執着する必要はなく、確認が済み次第直ぐにでも出て行くのが正解だ。
けれど――――中々その踏ん切りが付けられない。
魔力の謎も残っているし、何より魔術士ギルドの動きが気になる。
フェーダには伝えていないが、マルテはここへ来る前にギルドへ立ち寄り、邪術に関わるなと暗に脅されていた。
もし関わるようなら半年以内に命はなくなると。
昨夜の襲撃が、有言実行でマルテを狙ったものだとしたら、フェーダはそのとばっちりで怪我を負った事になる。
その場合、黙っているのは余りに不誠実だ。
けれど、マルテはその可能性は殆どないと思っていた。
フェーダが事前にギルド員の襲撃だと予見していたからだ。
マルテはキャルディナと関わった事さえフェーダに教えていない。
なら彼が襲撃者をギルド所属の人間だと予想したのは、彼自身の情報網によるもの。
つまりは教会の情報網だ。
フェーダは教会とギルドの関係悪化を示唆していたが、彼が教会関係者と判明した以上、その言葉には十分な重みがある。
となると、昨夜の襲撃は教会関係者であるフェーダを狙ったか、フェーダの目論見を阻止しようとしたか――――それらの可能性が高いだろう。
とはいえ、まだまだ情報不足。
断定する段階には程遠く、マルテは結論を出せずにいた。
「見つかりましたか? 証拠とか呪術とか」
不意に、入り口からエデンの声がする。
先刻もそうだったように、昨夜の事は全く口にしない。
記憶の共有がないというフェーダの言葉は、どうやら正しいらしい――――そうマルテは結論付けた。
「いや。今の所はどっちもないよ」
「そうですか。それは残念ですね。あの男も歯軋りしながら悪夢を見てたんじゃないですか? いい気味です。早く諦めればいいんですよ」
「えっと……多分別の意味でうなされてたとは思うけど」
それでも若干の戸惑いを覚えつつ、マルテは引きつった顔でそう答える。
空き部屋に入り、マルテの傍で佇むその顔をあらためて正面から見ると、昨夜の姫君とは明らかに表情の造りが異なっていた。
あの――――まるで違う口調のエデンは一体何者なのか。
小悪魔的な雰囲気もあり、姿形以外は殆ど別人。
双子が入れ替わりで演じているのではないとしたら――――幽霊に取り憑かれているという説も一考の余地があると、マルテは本気で考え始めていた。
「恋するマルテ君の夕食は今日も干し肉ですか? あれ食べた後に口臭がするから程々にしておいた方が良いですよ」
「……その呼び方鬱陶しくない? 呼ばれる方は相当鬱陶しいけど」
「恋するマルテ君が自分の恋愛話をしてくれるまではこう呼び続ける覚悟です。あの出会い編、何回か反芻してたらちょっと楽しくなってきました」
「猟奇的な趣味をお持ちで……」
数日前の殺気立っていた姿とは大違い。
エデンの瞳は好奇心で爛々と輝いている。
無論、昨夜の鋭くも妖艶な目付きとも全く違う。
「恋するって、どんな気持ちなんですか?」
少なくとも、昨日の彼女の雰囲気はこのような事を聞く人間のそれではなかった。
「いや、そんな唐突に哲学めいた事聞かれても」
「私が愛読してる恋愛小説には『恋をすると動悸、目眩、吐き気に見舞われる』って書いてるんです。それってただの体調不良ですよね」
「うーん……当たらずとも遠からずというか……」
「なんか歯切れが悪いですね。優柔不断な男にはモテ期が来ませんよ?」
楽しげにエデンが笑う。
最初から答えは期待していなかったのか、或いはマルテをからかっただけなのか――――
いずれにしても、異性に関する話が苦手なマルテにとっては居心地の悪い時間だった。
「それで、いつまで調査を続けるつもりなんですか? まさかずっと滞在し続ける訳じゃないんですよね……?」
「そんな図々しい事はしないよ。でも、もうちょっとだけいようかなって思ってて……迷惑じゃなかったら、だけど」
「迷惑です。自分の家を荒されるのは本意じゃありませんから」
「そうだよね。なら少し予定を早めるよ」
「あ……でも、恋するマルテ君の赤裸々な恋愛話を聞くまでは帰しませんよ。お相手の住所、氏名、年齢、財産の有無までは話して貰います」
「個人情報の漏洩を強要されても……」
「せめてそれくらいは知らないと、想像できないじゃないですか。どういう人と、どんな大恋愛をしているのか……ふ……ふ……」
ウットリと虚空に思いを馳せ空笑するエデンを尻目に、マルテは小さな溜息を落とす。
自分にとって、今何が一番やりたい事なのか――――マルテは時々、それを見失う。
恩人への恩返しと、好きな相手に振り向いて貰える為の生き方に、今のところ接点を見出せていない。
どちらかを諦めるしかないと思い悩む日々が続き、その結論として考古学者の道を選んではみたものの、そう簡単には割り切れない。
皮肉にも、エデンの悪意なき発言はマルテの中の亡霊にも似た思慕を呼び起こしていた。
「酷い顔をしているな。マルテ」
先程のエデン同様、部屋の入り口から聞こえて来るその声は――――
「フェーダ。身体は大丈夫なの?」
「こうして歩き回る分にはな。だが利き腕を負傷している以上、戦闘は難しい」
「……」
負傷箇所を布で巻いている痛々しいフェーダの姿を、エデンは複雑な表情で眺めている。
フェーダが負傷している時の事を、彼女は記憶していない筈。
その割に、何か事情を察しているような雰囲気だった為、マルテは思わず眉を顰めた。
「エデン、君に伝えておく事がある。以前の警告を更に一つ強めたものだ」
一方、フェーダはそのような勘繰りはせず、正面からエデンの目を見る。
睨むような目付きに、思わずエデンは顔を逸らした。
「な、なんですか」
「近々、刺客が送り込まれると思っておいた方がいい。今後は更に君への襲撃が激化する恐れがある」
「え……?」
刺客なら昨夜、既に魔術士ギルドから送り込まれている。
が――――エデンには昨晩の記憶がない。
その為、昨日襲撃があった事は知らないし、知らされてもいない。
あくまで『姫君と意思の疎通が出来ていない』という前提であればの話だが。
「な、なら私が返り討ちにします! フェーダ君はその怪我でもあの鳥を出せますか? 出せるならあれで敵を驚かせる役でもやって下さい。その隙に私が殺りますから」
「いやいや……なんでそんな血気盛んなのさ」
「マルテ君は甘いですね。城主として、自分のお城に攻め入る人間に鉄槌を下すのは義務なんです! 二度とそんな気にならないよう黒焦げにして全身穴だらけにして黒焦げにしてあげますよ!」
黒焦げが被ってるのは、フワボーとヴァールの分だと容易に推察できる。
やる気の割に他力本願なのがミエミエだった。
「ちょ、ちょっと冷静になろうよ。どういう理由で戦場になるのか、フェーダがまだ説明してないし」
「そんなの別に関係ありません! 来る者拒まず即返り討ちが私の信条です!」
「確かに僕達も問答無用で襲われたけど……」
普段はそこまで融通が利かない性格という訳でもないエデンだが、城の事になるとまるで子供のように直情型になってしまう。
もしフェーダの言うように、このままこの城が戦場になってしまえば、最悪の結果も懸念される――――そんな不安にマルテは思わず頭を抱えた。
「っていうか……僕達ですら退けられなかったのに、戦闘の専門家が襲撃して来たら普通に負けると思うよ? そしたら城も奪われてジャムも食べられなくなるよ?」
「う……」
それでも、エデンの扱いには多少慣れてきたマルテではあった。
「それじゃあらためてフェーダ、説明お願い」
そのマルテに促され、フェーダは小さく頷いた。
「昨日、この城に魔術士ギルド【キャルディナ】の魔術士がやって来た。目的は不明。自分の制止を聞き入れず強引に城へ侵入しようとした為、抵抗した」
「え? このお城を守ってくれたんですか? 貴方が? なんで?」
「向こうが仕掛けて来たからそうせざるを得なかっただけだ。君の為ではない」
「ですよね。お礼は言いませんよ。頼んでないですし」
「頼まれた覚えもないし、気にする必要はない」
「言われるまでもありませんよ。なんなんですか、もう……好感度ゼロの相手にそんなのされても嬉しくないのに」
そうブツブツと呟くエデンには、照れている様子が微塵もない。
好感度ゼロの言葉に偽りなし――――終始そういう真顔だった。
マルテはその事が、少し気になった。
彼女には姫君の記憶がないのだから、一瞬とはいえ殺気を向けられた昨晩の事も当然、覚えてはいない筈。
そもそもそれ以前から、エデンはフェーダに対し過剰なくらい厭忌の情を示している。
殆ど同じ立場でここへ来たマルテに対しては、不平不満は口にするものの、そこまで露骨な嫌悪感は出していない。
生理的に受け付けないだけ、というミもフタもない理由かもしれない。
だが、マルテは別の理由があるのではと訝しがっていた。
「いずれにしても城の調査は続けるから、見回りも兼ねる事は難しくない。エデン、君は城から離れた方が良い……と言っても聞かないのだろうな」
「当然です。自分の城を見捨てる城主がいますか?」
「多分普通にいると思うけど。クーデターが起こって国王が他国に亡命したって話、沢山あるし」
「腰抜けばかりですね。私は違います。返り討ちですよー! えいえいおー! うおりゃー! とぅあー!」
マルテの当然とも言える指摘にも動じず、自律魔術達と士気を高めるエデン。
拳を高々と突き上げ奇声を発する様は、明らかに普通ではない。
「あのね! 今はそんなおふざけしてる場合じゃ……!」
そう叫んだ直後、マルテは自分自身を殴りたい衝動に駆られるほど己の浅はかさを嘆いた。
普通でないのは間違いなかった。
ただ、エデンは――――全身を小さく震わせていた。
「……ですよねー」
真剣さが欠けている訳ではなかった。
敢えて陽気に振る舞っているだけだった。
彼女は――――誰よりも襲撃を恐れていた。
マルテとフェーダがこの城を訪れた時も、彼女はずっと強気だった。
強気な上に、どこか道化じみていた。
何の事はない。
不安を紛らわせる為、恐怖から逃れる為、無理をしていただけ。
マルテは今まで、全く気付けずにいた。
「エデン、やはり君はここにいない方がいい。マルテと共に馬車で……」
「嫌ですよ。逃げ出すなんて選択肢、最初からないんです」
悲壮感すら漂わせるその表情には、同時に決意も漲っている。
怯えながら、震えながらも――――
「この子達は、私の家族なんですから」
自律魔術達を視線で指して、そう言い切った。
それが、エデンが城に固執する最たる理由だと、マルテはようやく理解した。
「この子達は私を守ってくれます。でも、この子達を守るのも私なんです。だから家族。家族が離ればなれになる訳にはいかないでしょう?」
魔術を家族と呼び、まるで擬人化しているかのように訴えるエデン。
その姿を滑稽だと――――マルテはどうしても思えなかった。




