18 聖輦軍
「嘘って……最寄りの村に住んでること?」
「ん。リルは子供の頃からあれの世話やってる」
何故敢えてエデンの嘘を訂正したのか、その意図はマルテにはわからなかった。
ただ、彼女の飾り気を一切排除した口調が、奇妙な真実味を携えていた。
「村娘じゃないのなら、一体何者なの? えっと……リリルラちゃん」
「あ?」
「ご、ゴメン! リリルラさん!」
明らかに幼いが、年齢不詳なので呼び名にはかなり苦慮してしまう。
その上での選択だったが、リリルラにはお気に召さなかったらしい。
「リルの事は呼び捨てで良い。それ以外は呼ばれ慣れてないからピンと来ん」
「そ、そう……じゃあリリルラ、君は教会の関係者なの?」
「それな」
正解という意味らしい。
マルテは苦笑いを浮かべつつも、この少女の朴訥とした雰囲気に懐かしさを覚えていた。
似ている。
顔立ちや口調は異なるが、雰囲気や佇まい、そして目が――――フレアに良く似ている。
第一聖地マラカナンで別れて以降、二年間会っていない想い人に。
「何」
「いや……その、なんで教会関係者がこんな城で侍女なんてやってるのかなって」
「深い理由なんてない。仕事だからやってる」
「でも住み込みって訳でもないし、相当大変だよね? 毎日移動して色々用意して、日が昇る前に来て朝方に帰るって……」
「仕事は大変。それが当たり前」
強烈な正論に打ちのめされ、マルテはそれ以上何も聞けなくなってしまった。
実際、他人が何処まで踏み込んでいいのか迷うところ。
何でも答えてくれそうな雰囲気のリリルラが相手だと、妙な罪悪感もあった。
「どうして何でも正直に話してくれるの……?」
少しでもそれを和らげたくて、つい聞いてしまった何気ない質問。
だがそれが、今日一番リリルラの言葉を詰まらせた。
「……リルがそうしないと、お前がポンコツ城主を信じられなくなるかもしれないから」
「え……?」
「ああ見えてとても可哀想な奴。出来れば仲良くしてやれ」
不思議な関係――――素直にマルテはそう思った。
同時に、妙に懐かしくもあった。
人と人との繋がりに温かみを感じた事自体、久々だった。
「ただしエッチなのはなしな」
「な……朝から何言ってんの! しないよそんなの!」
「ならいい。リルはもう行く。じゃ」
無表情でグッと拳を握り、颯爽と廊下を駆けていくリリルラ。
結局、最後まで掴み所のない少女だった。
フレアの第一印象と、とても良く似ていた。
「もしかして……同郷なんだろうか」
言葉には出さず、心中でそう呟く。
フレアは、戦争時に敵の首領格を仕留める為の暗殺者『枢軸殺し』を養成する場所で育った。
そこでフレアが受けた反復訓練と同じものをリリルラも課せられていたのかもしれない。
「……な訳ないか」
そう思いつつも、やはりそれは飛躍し過ぎという冷静な声が内から聞こえる。
そもそも、暗殺者などそうそういるものではないのに、直ぐに想起してしまうのが毒されている証拠。
一時はフェーダにもその疑いをかけていたのだから余計に――――
「ここにいたか」
「わっ!?」
余りに間の悪いフェーダの登場に、マルテは思わず転びそうになるほど驚愕した。
「……中々辛辣だな。自分が生きていた事にそこまでの驚愕を覚えられるとは。少々傷付いた」
「ち、違うよ。ちょっと事情がね……それより怪我の具合はどうなの? 魔術でやられた傷だよね? 毒はないと思うけど」
「ああ。その点は問題ない」
そう答えながらも、フェーダは切羽詰まったような表情のまま、珍しく視線を落とした。
「マルテ。君に謝らなければならない事がある。話したい事も」
「謝罪は必要ないけど……話したいのって、エデンさんに聞かれたくない事?」
「ああ。歩きながら話そう」
食堂から遠ざかる事だけが唯一の目的。
そんな宛てのない遊歩に身を委ね、二人は周囲の景色を動かす。
「危うくこちらの事情に巻き込んでしまうところだった。すまない」
「昨日の事だよね。それはだからいいって」
沈痛な面持ちと言うほど険しくもないが、陰のある顔でフェーダは一つ頷き、そして――――
「単刀直入に言う。マルテ、ここから離れろ」
ポツリと、そう呟く。
不思議な感覚だった。
まだ出会って数日にも拘わらず、お互いの歩調は息を吸うように理解している。
だから、それが乱れている事もまた、即座にわかってしまう。
「幸い、馬という脚もある。このまま何も聞かず、事情も知らないまま、早々に立ち去るんだ」
「出来ない相談だよ」
「目的があるのはわかる。しかし――――」
「死ぬのが怖くて邪術なんて探せると思う?」
問答無用。
マルテの言葉に、フェーダはこれまでの彼とは異質なものを感じた。
「……何故、そこまで邪術に固執する?」
「その妙な勧告を止めて、諸々の事情を教えてくれるのなら話すよ。元々、そういう約束だったよね?」
情報交換の提案は、フェーダの方からだった。
マルテの訴えは至極当然であり、すこぶる正論。
フェーダはようやく、マルテが自分と同じ所にいる人間だと理解し、諦めるように頷いた。
「オートルーリングを開発した人の名前、知ってる?」
「俗世には疎いが、それくらいはな。アウロス=エルガーデンだったか。賢聖としても有名な人物だ」
「その人、僕の恩人なんだ。それも人生をひっくり返すくらいの」
「……そうだったのか」
フェーダに驚きの表情はなかった。
マルテもまた、有名人と知り合いだという誇示は一切示さなかった。
今の二人にとって、それは主題とはなり得ない。
それだけ張り詰めた現実が、傍に迫っているから。
「あの技術が生まれた事で、使用不可能とされてきた強力な邪術が使えるようになって、悪用しようとする魔術士が出て来てる。彼等を説得するだけの力も財力も僕にはないから、出来るのは先回りくらいしかないんだ」
「封印されている邪術を発掘し、ルーン配列の記録をこの世から消し去る。写しが禁止されている為、原本さえ抑えれば十分な抑止効果が期待できる……か。だが犯罪ではないのか?」
「邪術に関する法律はないよ。あくまでも不文律。だからある意味、明文化してある法律以上に問題かもね」
引きつった笑みでそう答えるマルテの顔は、決して勇敢さや凛々しさを感じさせるものではない。
だがフェーダには、それらとはまるで違う、それでいて近隣の意思が伝わっていた。
「君の言葉には意地を感じる。それほど恩義を感じている訳か」
「それもあるけど、それだけじゃないよ」
ふと、フェーダはマルテの横顔を目で追った。
意識したのではない。
引き付けられるように、視線を向けさせられた。
「僕みたいなのはね、中途半端はダメなんだ。いつまでも"半分"じゃダメなんだよ」
右手で左肩を抱きながら、絞り出すように呟く。
けれどそのマルテの声は決して弱々しくなく、寧ろ強靱な言葉だった。
「わかった。その覚悟を尊重して、君の行動を強制する発言は今後控えよう」
「少し大げさな気もするけど、ありがとう」
自分の意地を汲んでくれる人間との出会いは、誰だって嬉しいもの。
マルテが人懐っこい笑顔を覗かせた頃合い、二人はエントランスから城の外へと出た。
陽光が爽やかな風を浴び、燦々と城壁を塗り潰している。
まるで壁画のような影が、その隙間を埋めるように揺れていた。
「……昨日、この城には二つの勢力が姿を見せた。恐らく今後もやって来るだろう」
「一つは魔術士ギルド。もう一つは?」
昨夜、フェーダに傷を負わせたのがその勢力。
ならば、昼間に現れたのは――――
「教会の人間、だよね。フェーダも」
「ん……」
やや驚いた様子で、フェーダは頷く。
リリルラから聞いていた話に加え、裏を取る機会も十分あったので、既に確信の域に達していた。
「教会は邪術の存在を認めていない。って事は、邪術は目的じゃない。って事は、フェーダの目的と同じで自律魔術を生み出した城そのもの……」
「いや、違う。教会の目的は邪術でも城でもなく、エデンだ」
「……」
驚愕には値しない。
邪術以外にこの城にあるのは、エデンと自律魔術のみ。
後者の方が本命ではあったが、エデン狙いも十分にあり得る。
普段の言動が言動なだけに、マルテはあまり意識していないが、彼女の容姿はかなりの美貌。
姫君と名乗るだけあって、本当に何処ぞの高貴な王女と言われても違和感がない。
それだけに、教会の上位者が目を付けても不思議ではない。
「まさかフェーダ……エデンさんをエロ爺の愛人にする為に彼女を守ったの?」
「どういう発想でその結論に至ったのかはわからないが、そんな意図は全くない」
割と真顔で述べた推論だけに、外れたダメージは大きく、マルテは膝から崩れそうになるほどの脱力感に襲われた。
「あらためて自己紹介をしよう。自分はアランテス教会アンフィールド支部の特殊部隊【聖輦軍】の一員、フェーダ=グラビオンだ」
「聖輦軍!?」
思わず大声を出す程、その告白は衝撃的だった。
聖輦軍――――教会が抱える特殊部隊の名だ。
教会における特殊部隊の立ち位置は、通常の国家のそれとは大きく異なる。
原則として、能動的に武力を行使する為の組織ではない。
侵略に対する自衛手段として結成した経緯から、あくまで防衛が存在意義という名目で存在している。
だが実情は異なる。
主に教会の暗部を担うのが彼等の役目であり存在意義。
ただしその意義もまた、聖地毎に微妙に違っている。
第一聖地、第二聖地に関しては、戦闘に長けた者よりも工作員としての技量に優れた魔術士が優先される。
一方、この第五聖地は――――
「戦闘力のない人間は下に見られる。それがアンフィールドの裏社会のしきたりだ。だから聖輦軍にも薄汚い仕事ばかり回ってくる」
「それって……」
「君が止めなければ、恐らく自分はその仕事を遂行していただろう」
エデンの殺害――――
それが、フェーダのもう半分の目的だと、彼はそう訴えている。
迷いのない目で。
彼の光なき眼に、マルテは戦慄さえ覚えた。
「で、でもなんで教会がエデンさんを……」
「それは――――」
「邪魔だからだよ」
不意に出現したその声に、マルテは思わず身を竦ませる。
ここにはいない男声。
そして、心臓を直接掴んでくるような、遠慮のない声色だった。
「だ……」
誰だと、城の入り口の前にフラッと現れた男に問おうとマルテはその顔を見やる。
その途端、質問は意味を失った。
似ている。
髪はやや長く、目の角度も若干吊り上がっているが、それ以外は明らかに酷似している。
「今日も来たのか。兄者」
やっぱりね――――フェーダの言葉に、マルテは思わずそう軽薄な言葉を発しそうになった。
彼に兄がいるのは以前聞いていた為、連想は難しくなかった。
そして今のフェーダの言葉から、ギルド勢より前にこの城を訪れフェーダが対応していた男の正体は彼だった事が判明した。
「その怪我はどうした? まさか……」
「手筈通りだ。自分が負傷していれば、筋書きが自然になる。そうだろう?」
「……ならいい。もう五日目だ。わかっていると思うが、好機は絶対に逃すな」
「わかっているさ」
事情を掴みきれないマルテにとって、両者の会話を完全に把握するのは困難。
それでも、フェーダの兄が露骨に焦っているのは理解できた。
「で、その男は誰だ?」
その兄が、マルテに鋭い視線を向ける。
本来なら真っ先に出て来るべき質問だ。
「彼は自分の協力者だ。一人で完璧にやるのは難しいのでな」
「……大丈夫なのか。その……」
「問題ない。あらゆる手段を用いて標的を消すのが自分の仕事だ」
今度は理解可能なやり取りだった。
協力者である事は事実。
そして、フェーダの兄が懸念したのは間違いなく情報の漏洩。
問題ないとは即ち、フェーダの意思表示だ。
自分は工作員なのだから協力者を生かしておく筈がない――――と暗に示した、兄への意思表示。
それを容易に想像させる言葉をこの場で敢えて用いた事で、逆にその予定はない――――と暗に示した、マルテへの意思表示でもある。
「ならいい。君、協力に感謝する。よろしく頼むよ。我ら一族の悲願なんだ」
「いや、その……」
「必ずエデンと名乗る女性を亡き者にしてくれ。"手筈通り"にな」
事情は一切わからず、マルテは頷く事も出来ない。
フェーダ兄の方も、マルテの首肯を確認もぜず、昨朝もそうであったように長居する事なく城に背を向け遠ざかっていった。
遠くには馬車が見える。
私物か辻馬車かは知る由もなかったが、少なくともこれが『偶然の遭遇』とは到底思えず、マルテは恨めしげにフェーダを睨んだ。
「紹介する手間が省けると思ってな」
「にしても説明不足だよ。あのフェーダのお兄さんが昨日の朝に来た人なのはわかったけど……手筈通り、って何?」
ただ単にエデン殺害自体を『手筈通り』と表現していたようには、マルテには思えなかった。
手筈とは即ち、殺害の手段に他ならない。
「……彼女は、気の毒な女性だ」
それは、先刻リリルラが呟いた言葉と酷似していた。
そして、その理由がフェーダの口から切々と語られる。
それを聞いたマルテの顔からは、次第に生気が失せていった。
「なんで……」
強い同調と共鳴を覚え、涙ぐみそうになるのを必死に堪えていた。
これが事実なら、自分がここへ来たのは運命かも知れない。
そう思わずにはいられないほど。
「この世は薄汚れた大人ばかりという事だ。自分も例外ではない」
あまりに救いのない言葉。
救いのない身の上。
フェーダがそんなエデンをどう思っているのか、彼女をどうしたいのか、真意を問おうとマルテが半歩後ろを歩くフェーダに視線を向けると――――彼は想定していた場所にはいなかった。
「フェーダ! 大丈夫!?」
いつの間にか彼は立ち止まり、苦悶の表情を浮かべている。
まだ本調子でないのは明らかだった。
「不甲斐ない。兄を無事やり過ごせて緊張の糸が緩んだようだ」
「……意外と繊細なトコあるよね、フェーダって」
「そうかもしれない。自分は少し休む。君は……」
「僕は調査を進めるよ。気になる事もあるし」
手伝えず済まない、と言い残し、フェーダは先程まで寝ていた空き部屋へと戻っていった。
無論、繊細だからという理由でないのは、マルテもわかっていた。
深くはないといっても、決して浅い傷でもない。
血もそれなりに流していたし、翌日すぐに通常時と同じ活動など無理なのはわかりきっている。
それでも、フェーダの矜恃を尊重し、敢えてあのように言った。
「僕も少しくらいは大人の気遣いが出来るようになったのかな」
心中でそう独り言を呟き、マルテはフェーダの背中から目を離した。




