00 プロローグ
紛れもなく、そこは城だった。
小さく、構造も単純極まりなく、行政組織としても要塞としても機能していない。
そして教会の統治する魔術国家にあって、本来ならば生まれる筈のない存在――――
それでも尚、問答無用に城だった。
「来たみたい。うっわー、何あれ。大所帯だよ」
バルコニーから発したその涼しげな声の主は、城の主でもあった。
頭に王冠などなく、髭を蓄え威厳を示している訳でもない。
そもそも、その人物は女性だった。
透き通るような銀色の髪を腰の辺りまで伸ばしているが、髪を整えるのが好きではなく、かなり野暮ったい頭になっている。
その反面、顔立ちは高貴そのもの。
双眸には妖艶な色さえ携えているが、年齢はまだ若く、身体も華奢だが――――胸部に関してはその限りではない。
そしてその膨らみは、彼女の着用する不思議なドレスによって更に強調されている。
ドレスでありながら上半身の上半分は殆ど覆っていない。
無論、城の主である彼女にそれを着せる権限があるのは、彼女自身に他ならない。
彼女は自分を『姫君』と呼ばせていた。
「総勢30名はいるようだな。ギルド全体からすれば大した数じゃないが、一度に攻め入る人数ではない。ちょっとした戦争だな」
その姫君で隣で、彼女に全く敬意を示さない男声が室内に薄く響く。
彼の名はフェーダ。
しなやかな身体からは、あらゆる無駄な贅肉が削ぎ落とされ、腰には短剣を携えている。
ただし彼は兵士ではない。
そもそも、この城にはたったの四人しかいないし、兵に至っては一人として存在しない。
「にしても傑作だよね。教会とギルドの代理戦争が、あたしのこの城でこれから起こるんだよ? これって歴史的瞬間じゃない?」
「いや、喜ぶところじゃないでしょ、そこ」
先程の男声とは異なり、何処か頼りない声を発した少年は、若干顔を引きつらせて姫君に顔を向ける。
左腕の袖は何も通さず垂れ下がっており、彼が隻腕である事を雄弁に語っていた。
こちらも敬語は一切使っていない。
理由は至極単純。
彼等と姫君の間に主従関係は一切ない。
どちらの男も、立場上は客人だった。
「問題は、この人数の客人をちゃんとおもてなし出来るか。大丈夫? マルテ」
「うーん……自信なくなってきた。所詮僕だしなあ」
頼りない声の主は、その印象通り気弱な男だった。
表情も冴えず、何処か人生を達観した雰囲気さえある。
けれど彼には芯があった。
だからこそ、姫君は敢えて彼を頭数に加えた。
「そう自分を卑下するな、マルテ。お前は意外と駆け引きが上手い。大丈夫だ」
「フェーダはそう肯定的に捉えてくれるけど……駆け引きの才能って、それ性格悪い証なんじゃないかって最近思うようになってきた」
「あたしは概ねその通りだと思うけど」
この城では姫君がツッコミ役に回る事もある。
世界のどの城よりも小さく、みすぼらしく、そして――――居心地の良い空間。
ここは、聖地の上に建つ"聖域"だった。
「そろそろ教会の刺客も乗り込んでくる頃合いだ。覚悟は出来ているか?」
「誰に言ってるのさ。あたしはこの城の主なんだよ? 万が一ここまで攻め込まれても、窮地に立たされた時に目覚めるあたしの潜在パワーで30人の魔術士なんて一捻りだね」
「なんか急に新事実暴露してるけど、そんな力本当に……」
「あはははは! ないない!」
聞くだけ野暮だった、という言葉を払いのけ、マルテと呼ばれた少年は大きく溜息を落とした。
「はぁ……なんで僕、こんな修羅場にいるんだろ。魔術も使えないのに」
「魔術が使えないことに引け目を感じる必要はない。所詮は先人の知恵に頼った技術に過ぎないのだから」
そのフェーダの発言は、優しさだけが成分ではないと、マルテは知っていた。
「マルテ。君は魔術とは一体何だと思う?」
「……こんな局面で哲学? いや、わからないよ。だから使えないってのに」
「実のところ、魔術士の殆どは魔術が何なのかわからずに使っているそうだ」
「え? そうなの?」
声こそ張り上げなかったものの驚愕の感情は剥き出しにして、マルテは姫君に問う。
反応は肩を竦めるのみだったが、事実上の肯定だった。
「じゃ、じゃあフェーダもわかってないの?」
「真相はな。だが、自分なりの……一族なりの答えは得ている。それなりに長く魔術を研究してきた血族だからな」
「聞かせてよ。その方が緊張が和らぐし」
実際、マルテの額には既に尋常でない量の汗が滲んでいる。
自分が今、生命の危機にあると十分に理解している証だった。
「何故、攻撃魔術が赤・青・黄・緑の四種類しか存在しないのか。手掛かりはそこにある」
「そういえば、随分と少ないよね。炎と、氷と、雷と、風、だっけ」
「そうだ。無論、攻撃する上での都合の良さやイメージが湧きやすいといった理由もあるのだろうが……最たる要因は『憧憬と畏怖』にあると自分は思っている」
「憧憬……と、畏怖?」
「人間が悠久の歴史の中で常々目の当たりにして来た脅威とは何か? それは自然だ。自然現象や災害はいつの時代も我々人間を圧倒し、時に蹂躙してきた」
例えば火災。
例えば雪氷災害。
例えば雷雨。
例えば暴風。
どの時代においても、人間は自然の脅威に苦しめられ、同時にその壮大な力に胸躍らせてきた。
「その記憶が魔力に宿り、親から子、子から孫へと受け継がれる中で蓄積し、やがて魔術として具現化に至った。自分の一族はそう解釈している」
「つまり……進化?」
「そうだな。故に魔術は今も進化し続け、想像だにしないような境地に辿り着く。例えば、人間の手で放たれた魔術が自由意思を持ち、一個の生命のように動き回るように……な」
説明の終わりに、フェーダが視線を向けたのは姫君の顔。
その顔は、先程までの無邪気さが消え失せ、薄暗い陰を落としていた。
「どうした?」
「……ごめんね。マルテ。ついでにフェーダも」
口調も一転、深く沈みゆく。
物悲しく、そして――――悔恨を含む濁った言葉になって。
「君たちは別に、あたしの為って訳じゃないかもしれないけどさ……」
「それは違うよ」
それに対するマルテの回答に、淀みはなかった。
同時にフェーダも力強く頷く。
「どっちか、じゃない。どっちもなんだよ。じゃないと、僕みたいな非戦闘員がこんな所にいやしない」
先程は後悔しているかのようにぼやいていたマルテだったが――――その瞳に怯えはない。
彼のその表情に、姫君は微かに下唇を噛み、やがて小さく頷いた。
「……そうだったね。特にマルテ、君は故郷に大事な人を残しているのに」
「残してる訳じゃ……そもそも相手にされてないしね……僕……はは……」
先程の姫君の数倍、マルテは落ち込んでみせた。
そこに何ら計算がない訳ではない。
とはいえ、本心も多分に含まれている。
そんな彼の、彼なりの気遣いが心地よくて――――姫君は笑顔を取り戻した。
「準備できた。万事ぬかりなし」
不意に、謁見の間の扉から小柄な少女が現れる。
クセッ毛で死んだような目をした、華奢で年端も行かない見た目の女の子。
しかし服装は対象的に派手で、とてもこれから戦闘に身を投じる人物とは思えない。
「ありがとう、リリルラ」
「リルは仕事の出来る女。やれって言われればやる。でも今日の残業代は高く付く」
「はいはい。わかった」
主に対する口の利き方とは思えないほど敬意も飾り気もない言葉遣いに対し、お咎めはない。
これも普段と何ら変わりのない、平凡なやり取り。
日常の切れ端を縫い合わせるように、四人は顔を見合わせ、それぞれ一つ頷き合い、これからすべき事を共に誓い合った。
「それじゃ、行ってくるよ。この城はあたし達の城。教会にも、ギルドにも、国にも、誰にも譲らない」
姫君は決死の覚悟で【炎の球体】が浮かぶバルコニーへ向かう。
この聖域を死守する為に。
そして、かけがえのない友の居場所を守る為に。
それぞれ所属も立場も異なる、本来なら交わる筈のない者達が今、決して逃れる事の出来ない宿命に挑もうとしていた――――