16 月明かりが映す闇
三つの自律魔術が大人しく待機している中――――
「姫君。あの扉、吹き飛ばして貰えるかな。魔術使えるよね?」
マルテは割と過激な事をしれっとした顔で頼んだ。
「え……自分の城壊せってこと? 開けるんじゃなくて?」
「うん。サクッとやっちゃって」
小声でのマルテの懇願に、エデンは深い溜息を落としつつも、その意図するところは瞬時に理解していた。
その息が床に落ちた頃合い――――魔術の風圧によって扉が廊下側に吹き飛ぶ。
「待ち伏せしている人は……いないみたいだね」
自身の放った緑魔術【噴風】の威力に満足した様子で、エデンは堂々と廊下側に身を乗り出した。
マルテもそれに続く。
左右どちらを見渡しても、人影は見当たらない。
もし本当に襲撃者がこの城に来ているのなら、フェーダが見つける前にここへ辿り着いた恐れもある。
既にやられてしまった可能性も否定できない。
マルテはあらゆる危機を想定し、安全策をとった。
「それで、マルテ。君はこの状況をどう考えてる? 本当にギルドの連中が乗り込んで来たと思う?」
「……僕、そういう推理みたいなのあんまり得意じゃないんだけどな」
そうは言いながらも、考古学者を目指す上では洞察力と予測力は必須の能力。
マルテの中には二つ、既に可能性が描かれていた。
「一つの可能性としては、フェーダが嘘を吐いているかもしれない。だとしたら侵入者は彼の協力者で、僕達を一定の場所に留めさせておいて、事前に見つけておいた邪術のルーン配列を模写してるのかも」
「それって、あたし達を欺かないと出来ない事? 夜中にこっそりやれば良いじゃん」
「ところが、それが出来ない場合もあるんだ」
邪術を構成するルーンは数千文字、魔術によっては数万文字に達する事さえあると言われている。
しかも、ルーンは必ずしも現代の魔術士が使用している文字とは限らない。
古代文字の場合もある。
「古の魔術士達は、邪術のルーン配列を壁や石板に記録している。例えば壁だとしたら、一度破壊して持ち運べる大きさにしてから別の場所で復元する必要がある。一人では無理でしょ?」
「そんなの、紙にでも写せばいいんじゃないの? 例え数万文字でも難しくはないじゃん」
「普段使わない古代文字を数万文字、一文字も間違えずに写すのは難しいと思うよ。それに目的が『邪術のルーン配列』じゃなくて石板そのもの……原盤かもしれない」
「その原盤ってのにそこまで価値があるの?」
「邪術の写しは固く禁じられてるんだ。だから原盤さえ確保すれば独占できる。その邪術を活かしたい場合も、殺したい場合もね」
マルテ自身が後者の一例であるように。
邪術のルーン配列はデ・ラ・ペーニャ国内の様々な場所に封印されている。
近代、或いはそれに近い時期に生み出された邪術は紙で記録されているが、紙のない時代にまで遡ると、どうしても原始的な記録方法になってしまう。
それらを全て探し出し、発掘し、破棄する――――その為には、考古学者の道が最短だとマルテは信じている。
「って事は要するに、あたしたちを厨房に隔離しておいて、馬車にでも壁や石板を乗せて運ばせているかもしれないのか」
「うん。もしかしたら――――」
その馬車を調達する為に、自分に声を掛けた。
または、通りすがりの馬車を用意する為に、予め罠を張っておいた。
他者の馬車なら、その馬車の持ち主に罪をなすり付ける事が出来るから。
そこまで考えたところで、マルテは予想以上に気分が悪くなっている自分を自覚し、思わず顔をしかめた。
他人を疑うのは、これほどまでに自分を痛めつけるのか。
こんな事を常に行っていたら、精神が砕けてしまう。
マルテに生き方の見本を示した魔術士は、そういう事を常日頃行っている人間だった。
それでありながら、悪人ではなかった。
決して絵に描いたような善人でもなかったが。
同じようになるのは難しい。
不可能とさえ言える。
なら、自分はどうすればいいか。
「もしかしたら、僕の馬車を利用しようとしてるのかもしれない」
半分だけ見習う。
もう半分は、楽な方を選ぶ。
それがマルテの出した結論だった。
そしてそれが、マルテの限界でもあった。
「あの男が全て真実を語っている場合は?」
「うん。もしそうなら、今この城の敷地内にはギルド員が侵入している事になるね」
連中の目的が邪術で、その事前調査を行っていたとしたら、真っ先にエデンが狙われるだろう。
この城に定住しているのなら、在処を知っている可能性は十分にある。
そう見なすのが普通だ。
「君はどっちだと思ってる?」
「半々。だからこうして確かめに行こうとしてるんだよ」
「後者ならかなり危険だよ?」
「前者なら待機は最悪の手になるけどね」
邪術が盗まれるか曝かれるかすれば、マルテの目的は完全に潰えてしまう。
一方、エデンにとっては――――
「でも、それってあたしには何の損もなくない? 別にあたしは邪術ってのがあってもなくてもカンケーないし」
「そうとは言えないと思うよ」
「……?」
眉を顰めるエデンとの会話は、ここまでが限界だった。
これ以上は時間をロス出来ない。
「取り敢えず、エントランスから外に出よう。城の傍に馬車が停まってたら、フェーダは黒だ」
「了解。随分と刺激的な夜になったね」
「……」
エデンの言葉一つ一つは、まるでマルテをからかって楽しんでいるかのようだった。
その点は以前までの彼女と同じだが、選ぶ言葉や雰囲気はまるで違う。
彼女は現在の自分を亡霊と定義付けた。
その意味が一体何なのか――――今のマルテが理解するには相当な難題だった。
完全に陽が落ち闇に染まっていたエントランスを、フワボーの赤光が煌々と照らす。
そこに人影はなく、また血痕や金属片など戦闘の痕跡を示すものもなかった。
ただ――――
「扉が開いてるよ」
柔和な顔でエデンが報せるように、エントランスの奥から微かに月明かりが漏れている。
フェーダが外へ出たのか、侵入者が中へ入ったのか――――いずれにせよ、最初にこの場へ向かったのは正解だった。
「僕としては、出来れば敵は現れないで欲しいけどね……戦力になれないし」
「大丈夫、さっきの戦闘でそれは十分わかってるから。君に肉体労働は期待してないよ。ここで待機しとく?」
「それじゃ来た意味ないからなあ……まず僕が外に出てみるよ。もし怖い人達がいたら即閉じるけど」
「了解。そうしようか」
エデンも現状を理解していた。
外よりも中の方が遥かに危険の潜む可能性は高い。
なら唯一の戦力であるエデンを後方――――城内に残しておいた方が、最悪の事態を回避出来る。
「あのー……出来ればその三体の内の一つだけでも貸して貰えないかな」
「無理だよ。この子たちはあたしの忠実な僕だから」
「だから、彼らに僕を守れって指示してくれれば……」
「それも出来ない相談だね。そもそも、この城を出られないから。地縛霊みたいなものだよ」
マルテにとって、それは予想だにしない新情報だった。
通常、出現場所を限定する魔術など存在しない。
それは自律する、しないに関係なく、極めて特殊な性質と言える。
或いは――――
「……わかった。一人で行くよ」
現時点での特定は避け、マルテは入り口の扉の前に立った。
微かな隙間からは、物音や話し声は聞こえて来ない。
「ふぅ……」
暫くその場に佇み、一つ深呼吸をしたのち――――勢い良く扉を開け、マルテは城の外へと飛び出した。
「誰もいないよね!? いたらいたで別にいないフリしてくれても良いんだけど!」
「……君、度胸あるのかないのかよくわからない性格してるよね」
後ろから聞こえる呆れ気味な声は無視し、マルテは引きつった顔で周囲を見渡す。
幸か不幸か、月明かりのお陰である程度の視界は確保できる状況。
異変があれば、直ぐにでも――――
「どう? 何かいた?」
「……」
マルテは答えない。
それは意図しない沈黙だった。
"何か"はいた。
確かにそこに。
ただ、それに対し何をどう言うべきか――――その答えがどうしても見つからなかった。
城門さえない城郭を前に、一人の男が佇んでいる。
左腕をだらんと下げ、右手には一切光を放たない短剣を握っていた。
月明かりは決して弱くはない。
輝かない理由は他にある。
嗅覚が、その事実をマルテに伝えた。
「フェーダ……」
血の香り。
その場に凝然と立ち尽くすマルテは、フェーダの短剣を明瞭に視認する事こそ出来なかったが、嗅覚が得たその情報によって視覚が補完された。
彼の持つ短剣は、血塗られていると。
「……厨房から出て来るなと言った筈だが?」
「そんな事言ってる場合じゃないよ! その左腕……!」
マルテは一歩二歩とフェーダへと歩み寄る。
それに伴い、少しずつ視界に輪郭が現れてくる。
周囲にフェーダ以外の人の気配はない。
馬車のような乗り物も見当たらない。
テントは城の入り口付近ではなく側面に隣する場所に立ててあり、マルテの馬もそこにいる為、ここからは見えない。
見えるのは――――血の滴り。
それは短剣の真下、そして左手の真下に、ザラついた染みを作っていた。
「大した傷じゃない……といいが」
「こんな時に願望言ってどうすんのさ! 出血多いし楽観視なんて無理だよ!」
「仕方がない。無傷で追い払える相手じゃなかったのでな。ところでマルテ」
「な、何」
「恐らく自分はこれから気を失う。後は宜しく頼む」
刹那――――発言の通り、フェーダの身体は糸が切れたかのように崩れ落ち、地面に叩き付けられた。
「え!? ちょっ……フェーダ! しっかりしてよ! フェーダ!!」
慌てて駆け寄りながら、マルテは事の真相を理解した。
フェーダは決して、邪術をこの城から盗み出そうとしていた訳ではないと――――




