15 姫君
予感はあった。
それが今、限りなく確信に迫っている。
マルテは背筋が凍る思いで、フェーダが閉じたばかりの厨房の扉を眺めていた。
「彼、堂々と短剣を腰にぶら下げてたけど? そんな奴が暗殺者でいいの?」
以前荒い口調のままのエデンが挑発的に問う。
その疑問は尤もだが――――
「フェーダはここに『幽霊を調査する為に来た』って言っていたんだ。そんな人間が、護身用の短剣を見せつけるように身に付けると思う?」
当然だが、幽霊に短剣など通用しない。
人間を想定した武器である事は言うまでもないだろう。
つまり、彼は日頃から武器を携帯している人物と見なす事が出来る。
「あれは、自分が暗殺者じゃないっていうアピールなのかもしれない。得物を目に付く所に装備する暗殺者なんていないから」
「丸腰よりその方が却って怪しまれないって? はは、それはちょっと飛躍し過ぎだよ」
「彼は魔具を装着してるんだ。丸腰なのが安全の保証には繋がらない」
「……」
フェーダの職種が暗殺者、或いはそれに類似するものならば、これまでに抱いた幾つかの違和感が全て説明できてしまう。
交渉が下手なのも、目潰しの認識がやけに専門的なのも、そして――――攻撃魔術を一切覚えていないのも。
魔術の使用には相応のセンスがいる。
単にルーンとその配列を覚えればいい訳ではなく、ルーンを綴る『ルーリング』という作業には魔力を出力する上での絶妙な加減が必要だからだ。
ただ、炎の球体のような基礎魔術ならば、そして精度や威力の質を無視するのであれば、センスの有無に拘らず相当量の魔力さえあれば誰でも使える。
けれども――――他に攻撃手段があり、そちらの技術を日々磨いているのであれば、話は別だ。
拙い魔術より、そちらの方が余程実戦で役に立つ。
必然的に魔術の習得は後回しになるだろう。
まして、暗殺向きという高水準の魔術を身に付けるのは困難を極める。
フェーダが攻撃魔術を覚えていない理由は、それで説明できてしまう。
「だったら、やっぱりあたしを殺す為にここに来たんだろうね」
「……君が何者なのか聞いても良い? フェーダの目的を知ってたみたいだけど」
既にフェーダが魔術士ギルドの人間でないのは実質自白済み。
とはいえ、それが誰なのかを特定するような発言はなかった。
だとしたら、今のエデンは何者なのか――――
「あたし? あたしは……」
その不敵な笑みは、今の彼女に圧倒的に似合っていた。
「幽霊、かな。それが一番近い気がする」
「……巫山戯てる、って感じじゃないね」
マルテはこういう時、笑えない。
笑い合えば、何かが共感できるのかもしれないが。
その点、不器用だと自認せざるを得なかった。
「幽霊だとしたら、エデンさんとは違うって事? 彼女は人間だよね」
「そうとは限らないよ? 自分が人間だって保証、誰がしてくれるのさ」
屁理屈の範疇なのは明白だったが、マルテに苛立ちは生じなかった。
代わりに、別の感情が生まれたからだ。
「……そう……だね。その通りだと思う」
マルテ自身、片腕がないだけで人間扱いされない時期があった。
古い価値観――――それに支配されているのが、社会のとある一面でもある。
エデンの言葉は、マルテの記憶に鋭く突き刺さった。
「なんか悪かったね。傷付けるつもりじゃなかったんだ」
それは表情にも現れていた。
今の余り人に気を使いそうにないエデンが即座に謝罪するほどに。
「お詫びになるかわからないけど、教えておくよ。あのフェーダって奴は多分、教会から命じられたんだよ。あたしを始末しろって」
「……え?」
教会が始末するよう命じるような人物――――
そう平然と言ってのけるエデンが、マルテは何処か遠い世界の住人に見えた。
彼女の話がもし本当なら、今朝最初にこの城を来訪した人物は、教会関係者の可能性もある。
「もしかして……教会のお城を勝手に自分の物にしちゃってる……とか?」
その仮説が真実なら、この上なく人騒がせな話という事になるが――――
「まさか。勝手にじゃないよ。同意でもないけどね」
「……」
難解な返答だった。
少なくとも、今のマルテに解けるものではなかった。
そもそも、フェーダやエデンの件にばかり気を取られている訳にはいかない。
フェーダの発言が正しければ、今はこの城を魔術士ギルドからの刺客が襲来している状況。
だとしたら目的は――――
「でも、なんで魔術士ギルドの連中がこんな時間に来るのかな。そっちに恨み買った覚えないんだけど」
「……目的の心当たりはあるよ。僕だ」
「え? 何しでかしたの?」
「ここに来る前に、邪術の事を聞いて……そうしたら理由はわからないけど、ギルドの代表者に睨まれちゃったみたい」
「邪術? 何それ?」
教会が内密にしている為、邪術の知名度は決して高くはない。
エデンが知らないのも無理なき事だった。
「えっと、余りにも強力過ぎてアランテス教会が使用禁止にしてる魔術だよ。ルーン配列は外部に漏れないよう、教会が極秘に管理してるのが通例なんだけど……」
「そのルーン配列の記録を、君は探してるの?」
マルテは迷う事なくコクリと頷いた。
とはいえ、幾ら邪術を調査しているとはいえ、それだけで襲撃するのは余りにも度が過ぎている。
寧ろ――――
「もしかしたら僕が目的なんじゃなくて、彼らも邪術を探してるのか? だから僕を泳がせて……」
表では教会に足並みを揃え、邪術は存在しないと訴える。
しかしその裏では邪術の存在を認め、探している。
この方が余程、動機としては納得がいく。
「前にフェーダが教会とギルドの確執について話してたけど、もしそれが本当なら、教会への対抗手段として邪術を欲しているのかも」
「ふーん……そんなにわか仕込みで教会に勝てるのかな」
「それくらい切羽詰まってると考えれば、あり得なくはないよ。確証もないけど」
そう口にしながらも、マルテはほぼその線が濃いと睨んでいた。
「ところで今の話聞く限り、君もここへ来た目的はその邪術なんだね。世界征服でも目論んでるの?」
「違う違う違う! 確かにそういう人もいるかもしれないけど、僕の目的は封印されてる邪術を完全に消滅させる事だから!」
無理に隠す必要もない為、マルテは慌てて自己弁護に勤しんだ。
とはいえ、先に邪術の恐ろしさを説明しているだけに、信じて貰える保証はない。
エデンと完全に一致している見た目なのに、明らかに性格が違う彼女が果たしてどんな反応をするか――――
「ふーん? なら、この城を奪いに来たんじゃないんだね?」
「う、うん。そんな大それた事考える筈ないよ」
「……」
エデンはじっと、マルテの目を見た。
眼球を鷲掴みするかのように、凝視を続けた。
そして――――
「……わかった。君は敵じゃない。信じるよ」
美しい銀髪の前髪を掻き上げ、深々と頭を下げる。
その所作は乱雑なようで、非常に美しい姿勢で行われた。
「へ……? そんな簡単に信じていいの? 目的以外に僕の事なんて何も知らないんでしょ?」
「そうだね。だったら……」
部屋の揺れが次第に収まり、その機を窺っていたかのように、エデンがマルテへと近付いて行く。
まるで吸い寄せられるように――――
「お互いがよくわかるような事、してみる?」
エデンの顔は、マルテの直ぐ目の前まで接近していた。
不敵な笑みを浮かべて。
「……」
「……」
一人は険しい顔で、一人は瞼を半分ほど落とし微笑を携えて、お互いの目を見る。
睨み合いではないが、見つめ合っているとも言い難い、不均等な空気。
先に口を開いたのは――――
「……フェーダの様子が気になる。見に行こう」
呼吸をするのも忘れ、酸欠状態になりかけていたマルテの方だった。
「君、可愛いね。意地張っちゃって」
「それ二度と言わないで。なんかムカッとする」
「冗談冗談。でも、こんな辺鄙な所にいるとさ、人恋しくなるんだよね」
今の状態のエデンは、これまでマルテが見てきた彼女とは全く重なる所がなかった。
融通が利かず生真面目で、それでいて常識外れな面もある彼女とは正反対とさえ言える、飄々とした言動と態度。
しかし最後の言葉にだけは何故か、今朝までのエデンの面影があった。
「今は『エデンって名前の女に取り憑いた亡霊』でお願い。別にいいよね?」
「話せない事情でもあるのなら、構わないけど」
「いいね、話がわかるじゃん。ならついでにあたしの事は"姫君"って呼んでよ」
「……は?」
姫君――――主に王族の娘に対し用いられる呼び名。
ただしどちらかというと古語に分類されるもので、しかも王族が存在しないデ・ラ・ペーニャで使用される事はまずない。
「いいよね?」
「まあ……本人の希望なら、断る理由はないけどさ」
「君はマルテだったね。マルテ、うん。良い名前。羨ましいくらい」
女性に名前を羨ましいと言われる日が来るなど、夢にも思っていなかったが――――そもそも夢に見るほどの内容でもないと心中で苦笑し、マルテは色々と諦めるように踵を返した。




