14 別人
炎が――――塊となりて舞う。
氷が――――群を成して跳ぶ。
雷が――――科を作りて伸びる。
これまでとは明らかに異なる様相を呈していたのは、エデンだけではなかった。
彼女の命に従う自律魔術達もまた血気盛んな姿へと変貌し、エデンの周囲に集っている。
魔術に血が通っているかはさておき。
「あたしの『楽園』に無断で侵入するなんて良い度胸してるよ。覚悟はいい? あたしに慈悲深さってのを期待されても困るからね?」
今までとはまるで別人のような口調で、エデンはそう凄む。
その目は、好戦的な言葉とは裏腹に何処か愉しげだったが、少なくとも知り合いに向ける眼差しとは一線を画していた。
「記憶の共有が……ないのか?」
「え?」
不意に放たれたフェーダの疑念に、マルテは思わず顔をしかめる。
状況が呑み込めていないのは自分だけ、と悟らざるを得ない。
明らかに、フェーダはこの不可解な状況を想定していた。
「何処の馬の骨だか知らないけど、墓標に名前があるとは思わないでよ! フワボー、メツブ、ヴァール、行けっ!」
だがそれを追求する余裕など与えてはくれない。
エデンは会話する意思さえなく、問答無用で荒ぶる魔術達をけしかけてきた。
「まずい、マルテ下がれ!」
「うわっ!」
光の鳥の発現が間に合わないと判断したフェーダと、そういった計算とは関係なく生命の危機を察し後ろへ下がったマルテの共鳴は、偶然の産物に過ぎなかった――――が、寧ろそれが幸いした。
三つの魔術の内、最も鋭い反応を見せたのはヴァール――――黄魔術【電鞭】。
「うがぁああぁああああぁああああぁあああぁぁぁぁ……!」
雷を帯びたしなやかな鞭がマルテの足に接触。
刹那、全身に衝撃と麻痺をもたらし、為す術なく床へと崩れ落ちていく。
重要なのは、その倒れ込んだ"位置"だった。
仮に――――
マルテがフェーダの指示に従う形で真後ろに後退していたら、フェーダを巻き込むようにして崩れ落ちただろう。
だがマルテは、逆にフェーダから遠ざかるような角度で斜め前方に向かっていた。
フェーダの傍なら、結界が出現した瞬間から安全圏なのに。
マルテは、結界が間に合わないと判断したからこそ、フェーダから遠ざかった。
もし自分が標的になっていたなら、フェーダを巻き込まずに済むから。
そしてそれは現実となった。
「……!」
フェーダは一手遅れて鳥型の光を出現させた。
それはマルテのお陰――――瞬時にそう理解しながら。
「な、何それ……魔術なの……?」
そんな二人の思考の交錯などつゆ知らず、エデンはフェーダの魔術に対し猛烈な驚愕を露わにした。
彼女が魔術士としての常識的な知識を持ち合わせている証。
同時に、フェーダの自律魔術に関しては全く知らない事も示している。
「……」
フェーダは言葉を発さず、自身の生み出した光の鳥を見守るのみ。
それでも鳥は以前のように飛び回らず、フェーダの前方で翼を広げ待機し続けている。
自らの意思で主を守るかのように。
「我々は怪しい者ではない。怒りを静めて欲しい」
「そんな物騒な物出しといて何言ってるんだい?」
「もう一人の"君"から滞在許可を得ている」
「!」
それは、核心を知らなければあり得ない発言だった。
「いーや……騙されないよ。事情知ってるって事は"あいつ"の関係者なんだろ?」
「……そうだ」
「そっか。とうとうあたしを始末しに来たんだ。いいよ、その鳥が何なのかは知らないけど、こっちは徹底抗戦の覚悟で――――」
「よせ。自分に君を抹殺する意思はない」
『抹殺』――――その強い言葉が、エデンの精神を刺激した。
「こんな所じゃやられないよ! みんな、あたしに力を貸して!」
エデンの反応は明らかに過剰だった。
その理由をフェーダは知っていた。
知っていて利用した――――
「……だ……駄目……だよ……」
マルテは全身が痺れ激痛も走る中、そんな事を考えていた。
同時に、戦闘へ突入するその瞬間を眺めるしか出来ない自分を呪ってもいた。
戦えない。
かといって勉強も出来ない。
自分に基礎が何もない事に、マルテはずっと劣等感を抱いていた。
それは隻腕であるというハンデ以上に、人生を度々揺るがしてくる。
腕が一本ないだけで、沢山の拒絶と心ない言葉を受けてきた。
今はそんな自分を受け入れてくれる人達がいる。
こんなに幸せな事はないと、何度も涙を流し喜んだ。
でも、過去の自分――――誰からも必要とされなかった自分は、現実に絶望し、何もして来なかった。
積み重ねて来なかった過去が、亡霊のように今を脅してくる。
その涙は綺麗事だと囁いて。
「メツブ! 正面からじゃ駄目だ! 全方位に人員を割いて!」
氷の礫がエデンの指示に従い、拡散していく。
その数は昨日までの数倍にまで膨れあがっていた。
「フワボー、鳥の動きを見逃さないで。あの鳥がメツブに反応すれば、必ず何処かに隙間が出来る。そこへ飛び込んで。ヴァールは隙があれば下から攻める。いい?」
フワフワ浮いていた炎の球体と、蛇のように地を這う雷が、その瞬間にピタリと止まる。
言葉を理解しているかのようなその動きは、更に精度を増していた。
フェーダ曰く、どちらも自律魔術。
だが両者の性質には大きな隔たりがある。
まるで自らの意思で動いているかのような光の鳥。
エデンの指示に従い動く三つの基本魔術たち。
似て非なる存在なのか、或いは――――
「やれ!」
氷の弾雨が光の鳥とフェーダを同時に襲う。
幾ら鳥が巨大でも、例え動けても、全包囲から向かって来る礫を全て防ぐのは不可能。
所詮は基本魔術なので致命傷とはならないが、食らえば身体中に濃い痣が出来る程にはダメージを受ける。
そうなれば軽傷では済まない。
だからエデンはフェーダが新たな結界を綴ると予想していた。
一度に異なる二種類の魔術を同時使用するのは極めて困難。
全身を包むタイプの結界を使用する代わりに、鳥型の光は姿を消す――――そう読んでいた。
だからこそ、エデンはフワボーとヴァールを敢えて待機させていた。
が――――
「なっ……何それ!?」
エデンにとって予想外の事態が起こる。
光の鳥は翼を大きく広げたのち、フェーダの身体を抱くように包込んだ。
その巨躯は、決して小柄ではないフェーダの全身を完全に覆い尽くしている。
決して不思議な光景ではない。
寧ろ本来の結界の在り方だ。
だが鳥型という形状の先入観が、エデンの目を曇らせた。
そしてそれは、初めて見たからこそ起こり得る反応だった。
「メツブ戻るんだ! その鳥に触れるな!」
結界に突っ込ませてしまえば、消滅の危険がある。
そう判断し、エデンは氷の弾雨にそう命じた。
「この鳥を君は一度見ている筈だが……やはり昨日までの記憶がないのは間違いないらしい。この局面で演技は出来まい」
「……そこ、念入りなんだね」
「重要なのでな。それにしてもマルテ」
両者の会話の最中、マルテは顔をしかめつつもしっかり両の足で立ち上がっていた。
「君は意外と頑丈だな。幾ら基本魔術と言っても電鞭の直撃は痛いだろう?」
「頑丈って訳じゃないけど、痛みには強いのかもね」
それは自虐のつもりだったが――――フェーダは何も返さず、狼狽するエデンの方に目を向けた。
その瞬間、光の鳥もフェーダから離れて行く。
「余程、その魔術達が大事と見える。なら尚更怒りを静めるべきだ。このいざこざは何の得にもならない」
「騙される訳ないだろ? "あいつ"の関係者があたしの城に来たんだ。始末しに来たに決まってるよ。大体、抹殺なんて言葉真っ当な人間は使わない!」
とりつく島もない。
が、そんなエデンの切羽詰まった様子を、フェーダは苛立ちではなく悲哀に満ちた目で眺めていた。
その表情が、マルテには不思議と異様には見えなかった。
「落ち着け。君は……」
「うるさい! うるさいうるさい!」
不意に――――エデンの指が宙を躍る。
刹那、その軌道がルーンとなり、文字が自動的に連なっていく。
完全に先手を取った形で魔術が出力された。
「あたしがこいつらを操るだけの女だと思った? 甘いね!」
緑魔術【舞刃】。
初級魔術に過ぎない、些細な切れ味の風の刃だが――――その自律しない魔術はフェーダの左肩を捉え、肉を削った。
風と共に鮮血が舞う。
その瞬間、フェーダの身体が跳んだ。
後ろではなく前に。
極端な前傾姿勢の身体は、前方の光の鳥を瞬時に追い越し、もう一歩駆ける間に腰に下げた短剣を取り――――
「甘いのはお前だ」
標的たるエデンの首を――――
「駄目だフェーダ!!」
ありったけの声。
マルテ自身、出した事のないような、厚みのある大声だった。
その叫声が、そしてもう一つの抑止力が、フェーダの前進を止めた。
突き出された短剣の剣先は、エデンの首元まで伸びていた。
触れては――――いなかった。
「……あ……ああ……」
全く反応出来ず、ただ呆然とフェーダの接近を許したエデンが震えながらその場にへたり込む。
それほど、豹変したフェーダの突進は異様だった。
速度も、躊躇の無さも。
「……」
この場を支配するほどの凄味を見せつけたフェーダだったが、顔色は冴えない。
悔恨、そしてやるせなさ。
もう一つあるとすれば、それは――――安堵。
「マルテ。やはり君と来て良かった。礼を言う。良く止めてくれた」
「え? いや、僕はただ咄嗟に……」
「危うく、全てを台無しにしてしまうところだった」
「台無し? どういう意味……?」
「……」
無言。
その視線は質問したマルテには向いていない。
まだ先程の行動を引きずっているのは明白だった。
「自分は――――」
「ちょっと、何勝手に二人で盛り上がってるのさ? あたしを無視して」
先程まで顔面蒼白でへたり込んでいたエデンが、震えながらも立ち上がっていた。
生命の危機に瀕し、怯え、恐れている。
それでも尚、虚勢を張り続けるその姿は、弱々しくも気高さすら漂わせていた。
「あたしは……助けられたのかな。そこの隻腕の子に」
「マルテ。僕の名前はマルテだよ。貴女は?」
既にマルテも実感として持っていた。
今のエデンに昨日までの記憶がない事を。
「あたし? あたしは――――」
刹那。
「……!」
フェーダが露骨に目を見開く。
それは彼が初めて見せた感情だった。
「こんな時に……」
そしてその視線はエデンでもなく、マルテでもなく、この部屋――――厨房の入り口に向けられていた。
「いいか二人とも、ここから絶対に出るな」
「フェーダ……?」
「マルテ。君の疑心は当然だ。だが今は、例え自分への信頼がなくとも言う事を聞いて欲しい。頼む」
今朝、来客があると一人で城の外へ行った時の場面がマルテの中に蘇る。
結局あの時の真相は闇の中。
本人の言うように、フェーダへの疑念はかつてないほど膨れ上がっている。
マルテは――――
「僕にはわからないけど……侵入者の気配でもするの? さっきの人が部下連れて引き返して来た……とか?」
今回は到底、無条件で了承する訳にはいかなかった。
しかし誠意を示せばその限りではない。
その主張を質問に込めた。
フェーダの返答は素早かった。
「違う、別の勢力だ。恐らくは魔術士ギルド」
――――人生を半年以内に終わらせたくなければ、ここで引くべきでしょう
不意に、マルテの頭にキャルディナを訪れた時の光景が浮かんだ。
もしフェーダの言うように魔術士ギルドの連中が本当に来ているのなら、自分が標的かもしれない。
マルテは背筋が凍る思いで、どうすべきか考える余裕もなく、ただ呆然としていた。
「行って来る」
そんなマルテの精神状態を見越してか否か、フェーダは話を打ち切り厨房から出て行った。
瞬きもしていないのに、姿が消えたように錯覚するほどのスピード。
明らかに、常人や一般的な魔術士の身のこなしではない。
「やっぱり……」
そして、今のフェーダの身のこなしにマルテは見覚えがあった。
マルテにとって最も大事な人間――――
フレア=カーディナリスのそれと似ていたからだ。
「やっぱりって、何が?」
好戦的だった瞳は影を潜め、不安げに問いかけるエデンに対し、マルテは沈んだ顔で答えた。
「彼は多分……工作員か、暗殺者だ」




