10 交流
――――その日の夜。
「今日の調査は終わりか?」
溜息混じりに二つのテントがある平地へ戻って来たマルテに、疲労感の滲む表情をしたフェーダが声を掛ける。
マルテもまた、似たような顔で一つ頷いた。
「床の磨り減り具合や厨房にあった水溜め用の樽を調査してみたけど、多人数で生活していた痕跡が全くないんだ。大体住人の行動パターンは各人で定型化されるから、人数が少なければ少ないほど劣化部分は一箇所に偏ってくる」
「相当偏っている訳か」
「うん。ただ建物外部の痛みはそれほどでもないんだよね。寧ろ内壁の方が老朽化の傾向が見られるくらい。それでも築100年までは行ってないと思う」
この城に足を運んで以降、マルテは城のあらゆる壁を調べていた。
材質は特別な物は使用しておらず、加工が比較的容易な石材を用いており、その分外部からの影響を受け易く劣化も早い。
ただし、外壁は自然環境によって、内壁は城内の湿度や居住者の活動具合によって経年劣化の度合いは大きく変わる。
どちらも不確定要素を含んではいるが――――
「エデンの所有権を証明する物が存在する可能性は一応、あるという事になるな」
余りにも古い建物の場合、誰がそれを所有するかという証明は意外と難しい。
通常、デ・ラ・ペーニャ国内において建設物を建設する際には、教会に届け出を行わなければならず、そこで誰が所有者なのかを書面に明記する。
しかしその後、所有者が変わった場合にはあらためて届け出を行う必要はない。
よって、数十年が経過した時点で、書類に記載されている所有者は大抵『元・所有者』となっている。
その場合、所有権を証明する書類は元・所有者と現・所有者の間で交わされた契約書が唯一の証拠となる。
尤も、必ずしも書面を交わすとは限らないし、契約書が残っている保証もない。
まして、この国には前例のない城という建物でどのような契約が交わされたかなど、想像もつかない。
可能性はあるが、やはり低い――――初日の結論はそこに収束した。
「あ、簡易的だけど一応完成したよ。これ」
疲労感を滲ませつつ、マルテは数枚の羊皮紙をフェーダに渡す。
丸一日を費やして書き上げた城の見取り図だった。
「そっちは写しだけど、内容は一緒だから。確認して」
「わざわざ済まない。ありがたく受け取っておく」
「いやいや、こっちも助かったよ。お陰で城の外まで一日で調べられたし」
フェーダが午後も城内を調査している間、マルテは城の外、更には近場を馬車で移動し、地形や周辺環境を見て回っていた。
分担作業だ。
「集落は一つもなし……ますますエデンさんの謎が深まる一方だったよ」
「恐らく行商か支援者が定期的に来るのだろう。それにしても、城とは思えないほど簡易な部屋割だな」
「そうだね。何か別の施設に見えるような……民家とは全然違うけど」
そこまで話したところで、マルテは自分が一般的な家に寝泊まりした経験がほぼ皆無な事に気付く。
まだ物心の付いていない幼少期を除けば、教会や孤児院や地下室や屋敷といった特異な場所でばかり暮らしていた。
「フェーダの実家はやっぱり研究所だったの?」
「一応そうなる。お世辞にも立派とは言えないが。祖先は広々とした研究所を構えていたそうだが……公的な研究費が支給されない魔術の研究は大変でな。維持するのは困難だったようだ」
魔術を研究する施設は、主に魔術大学と研究所の二つに大別される。
ただし前者、後者ともに細分化されつつあり、特に後者の研究所に関しては個人経営の小規模な所から国家の承認を得た公的な機関までかなり幅広い。
フェーダの家がどのような施設だったのかは想像に難くなかった。
「フェーダ自身は自律魔術の研究はしてないって話だったけど……そっちの道に進む気はなかったの?」
「自分には向いていない分野なのでな。仕事を請け負う方が性に合っている」
「え……?」
以前、フェーダは自律魔術の宣伝活動のような事をしていると語っていた。
それは請け負った仕事とは言い難い。
魔術士ギルドに所属しているかのような物言いに、マルテは思わず眉を顰めた。
「何にせよ、ここは不思議な建物だな」
フェーダは何事もなかったかのように、ごく自然に話を逸らす。
尤も、指摘したところで答えてくれるとは思えず、空気を悪くするだけなので、マルテは話を合わせる事にした。
「そうだね。壁も妙に薄いし。防衛なんて最初から頭に入れてない設計なのが手に取るようにわかるよ」
「そうなると、建設理由は見栄か偽装に絞られる訳か」
どれだけ簡易に作ろうと、城を建てるとなると相応の費用が掛かる。
まして、城を王宮や要塞とする文化のないデ・ラ・ペーニャにおいては無用に目立つだけで、拠点とするメリットはない。
だからこそ、城主は『異文化の伝道師』や『変わり者』――――そんな偽装が成立する。
「若しくは、目立つ事が目的と考えられるが……費用を考えると現実的ではないな」
フェーダは受け取った見取り図と睨み合いを続けながら、小さな溜息を落とした。
「それで、フェーダの方はどうだったの? 所有権に関する書類は見つかってなさそうだけど、何か手掛かりになりそうな物はあった?」
「いや。一部屋一部屋丹念に調べてみたが、書類そのものが一つも出て来ない。と言うより、部屋の大半に生活の痕跡が見当たらなかった」
「埃は?」
「殆どない。何者かが掃除をしているのは確かだが、その掃除道具が何処にも見当たらない。倉庫にもな」
防衛どころか、人が住むことを前提としていない。
つまり、城と呼ばれているのは完全に外見上の理由のみで、それを除けば城である要素は何もない。
ならば必然的に、特徴である外見についての考察が必要となる。
「建築様式から、何処の国の城と類似しているかを探る訳にはいかないか?」
「それならとっくに検討してみたよ。生憎、どの国の特徴とも合致しない。装飾も全然なくて、嗜好性を照らし合わせる以前の問題だし」
「そうか……となると、やはり国外から来た人物が侵略目的で建てた可能性は低いな」
「多分。そもそも拠点になるような造りでもないし――――」
半ば会議と化した二人の会話が、そこでピタリと止まる。
「……」
テントの入り口の隙間から、爛々とした目が見えてしまった。
「えっと……覗き見はあんまり良い趣味じゃないよ? エデンさん」
「チッ、バレましたか」
まるで悪びれる様子もなく、エデンは堂々とテントの中に入ってきた。
完全に好奇心に満ちた目で。
「これが噂のテントですか……狭い上に変な匂いがしますね。これボロくないですか?」
「そりゃ、安物だし……っていうか何しに来たの?」
「べ、別に何もないですよ。私は貴方がたを信用してないんですから、見張るくらい当然のことです」
「見張るというより凝視していたように見えたが」
実際、視線を浴びているのが背中越しにわかるほどの密度だった。
「だ、だって男が二人密室の中でコソコソしてるの、なんかいかがわしいじゃないですか! ウチの敷地内でそんなことされたら不潔ですよ!」
「そんな事……? 一体どんな事だ?」
「え、あ、そ、それは……だから……男性同士でその……もう、花も恥じらう乙女になんて事言わせるんですか!」
これまでで一番取り乱すエデンに、フェーダもマルテも首を捻るしかなかった。
「とにかく、不潔なのは全面的に禁止です! もし禁を犯したら魔術で消し炭にしてやりますからね!」
「ああ、そういう事か」
禁を犯す――――その言葉にフェーダはピンと来たのか、腑に落ちたという表情でエデンに近寄る。
「な、なんですか」
「安心して欲しい。自分は同性に性的興奮を覚える性癖を持っていない。ましてマルテを見て勃起する事もない」
「ぼっ――――!?」
生真面目過ぎるフェーダの説明に思わず白目を剥き絶句するマルテ。
しかしそれ以上に、生々しい言葉の羅列で鼓膜を刺激され卒倒しかけたエデンは――――
「私の雷鳴は心の悲鳴ーーーーーーーーーーーーーー!!!」
嫌悪感のあまり、思わず全力で黄魔術をぶっ放した。
幸か不幸か、その雷はフェーダには直撃しなかったが――――
「ああああああああっ!? 僕のテントに穴が?!」
無関係のマルテが何故か甚大な被害を受けてしまった。




