08 日記帳
エデンの周囲には、三つの自律魔術がしっかりと寄り添っている。
人間とは斯くも不思議なもので――――まだ二日目ではあるが、マルテは既にその光景に慣れつつあった。
「早速調査ですか?」
「うん。それにしてもこの城、色々と変わってるね。城らしくないって言うか」
「そうですか? 私はここの他のお城を見た事がないのでわかりませんが、形とか普通に城!って感じだと思いますけど」
エデンの受け答えは必ずしも当を得た内容ではなかったが、意図的に惚けている様子もない。
彼女から何かしらの手がかりを得るのは難しい――――そう判断したマルテとフェーダは、早々に会話を切り上げ城内の闊歩を再開した。
「……エデンさん、どうやってここで生活してるんだろうね。幾らなんでもジャムだけであの体型を維持できるとも思えないし……他意はないよ?」
「断らずともわかっている。少なくとも自給自足で賄っている訳ではないみたいだが」
テントを張る際に、城の周囲はくまなくチェック済み。
畑など農作物を育てている土地は見当たらなかった。
「城である以上、使用人がいてその人物が全て調達・用意していると考えるのが自然なのだろうが……」
「全然そういう気配はないね」
「やはり幽霊なのかもしれないな」
ポツリと、フェーダは昨日とまるで違う見解を零した。
「幽霊ならば、食事を摂る必要もない」
「そ、それはそうかもしれないけど……でもあんな朝っぱらからハッキリ見える幽霊なんているかな……」
「冗談、だったんだが」
「……え?」
「済まない、自分にはどうもこの手の才能がない……バルコニーで頭を冷やしてくる」
そう力なく言い残し、フェーダは足早にその場を離れていく。
照れているのか、或いは恥じているのか――――
「……」
それ以上の詮索は無意味な憶測でしかないと切り捨てるには少々躊躇いがあったものの、マルテは調査の再開を優先した。
二階も部屋数は極端に少なく、謁見の間を除くとたった四つしかない。
まるで機能性を完全に放棄し、城としての外見を構成できる最小限の部屋だけを用意したかのようだとマルテは訝しがった。
同時に、室内の清潔さにも疑惑の目を向ける。
まだ出会って間もないが、彼女が全ての部屋を隅々まで掃除している姿は想像できない――――そんな先入観とは裏腹に、埃一つないほど徹底した清掃が行われている。
「あの」
「うわっ!?」
他者の気配を読めるような察知能力を持たないマルテは、いつの間にか背後に来ていたエデンの存在に気付かず、矢で心臓を打ち抜かれたかのように崩れ落ちた。
「すいません、そこまでビビリとは知らなかったもので」
「言い方……で、一体何の用?」
「奥の右側のお部屋は私の居住空間なので、探索禁止です」
要するにエデンの部屋らしい。
それはもっともな主張ではあったが――――
「いやでも、そこに目的の物があったら一生見つからないし、一生僕等を住まわす気?」
「それは困りますね。わかりました、ちょっと待ってて下さい」
特に慌てる様子もなく、エデンは自室へ入り――――直ぐに出て来た。
少し厚めの赤い表紙が特徴的な書物らしき物を持ち出して。
「それは?」
「日記です。もちろん権利書ではありません。中、見ます?」
「見せてと言って見せて貰えるとは思えないんだけど……そもそも疑ってないよ。君が権利書を隠す理由ないんだし」
「ならお部屋の方にどうぞ。鍵は掛けていませんので」
「見張らなくて良いの?」
「狭い部屋の中で殿方と二人きりになるとか耐えられませんから」
狭い部屋――――そうエデンが表現した彼女の私室は、少なくとも一般的な民家なら居間の四倍はありそうな面積だった。
とはいえ、一般的な城の部屋という観点で言えば狭いという表現はあながち間違いでもない。
その私室は、意外にも派手さはなかった。
ベッドに屋根は付いているものの、装飾自体は寒色系でまとめた渋い色合い。
窓際の花瓶に花はなく、収納用建具の意匠も大人しめだ。
ただ、本棚には大小問わず数多の書物が綺麗に並べられている。
意外にも読書家らしい。
探していた書類が本の中に挟まっていた、というケースがない事もない為、マルテは適当に一冊選んでパラパラと捲ってみた。
『貴方に私の初めてを捧げたいの』
『嬉しいよエリス、本当に良いんだね?』
『ああ愛しのレオン! 愛してる!』
ドギツい恋愛小説だった。
何度も何度も読み直したらしく、指で触れる箇所が明らかに痛んでいる。
当然、書類が挟まっている様子など微塵もない。
そして、本棚に並ぶ全ての本が恋愛小説だと認識するのに、然程時間は掛からなかった。
「あんな好戦的な人が恋愛小説か……」
全体的に女性性より男性性を感じさせる部屋だったが、本棚の一角だけは完全に乙女ゾーン。
尤も、エデンには女性である事をこれ以上なく訴えかけてくるあの胸がある。
性格は兎も角、全体としては特に不自然ではない――――マルテはそう己を納得させる事にした。
結局、エデンの私室には何もめぼしい物はなく、隣の部屋へと移る。
エデンは既にこの場を離れたらしく、マルテの視界に収まる事はなかった。
とはいえ、仮に彼女が残っていて監視という名の見学を行っていたとしても、長続きはしなかっただろう。
一通り目に付く箇所を探し、その後は床と壁を等間隔に叩き続けるのみ。
それくらい、マルテの調査は地味だった。
その調査の手が―――不意に止まる。
ベッドの下の床を叩いていたマルテは、突如出現した一つの異なる音に思わず息を飲んだ。
床の下に小さな空間を発見。
一度外のテントまで戻り、ランプを持って再度エデンの部屋の隣室へ入る。
ベッドの下を照らしてみると、該当箇所には床板を外した痕跡が微かに認められた。
元々あった収納なのか、後々用意したものなのかは判断が付かなかったが、その下には確実に空間がある。
間違いなくここに何かがある――――そんな確信に思わず笑みを零しつつ、床板を外してみた。
すると、そこには――――
「……?」
日記があった。
先程、エデンが持ち出していた物と全く同じ物だった。
当然、マルテの頭の中には混乱が生じる。
エデンの日記でないとすれば、これは一体何なのか。
一応、権利書が中に挟まれているという可能性も微小ながら存在した為、取り出して中を確認してみる。
適当に捲った頁には、このような記載があった。
『あなたでちょうど10人目』
マルテは即座にその頁を閉じた。
「……え? 何? 何が10人目? 僕が?」
混乱は大混乱へと変貌を遂げていた。
とはいえ、このまま何も見なかった事にして立ち去るのは、余りに目覚めが悪い。
マルテは思い切って他のページを捲ってみた。
『もうすぐあなたは死ぬ』
文字の後半は完全に字体が崩れていた。
「……………………僕、10人目の被害者?」
誰にともなく呟く。
完全なる独り言だが、この場合致し方ない。
冷や汗が全身から吹き出る中、その日記に三度目の挑戦を試みる。
今度は断片的にではなく、一頁目から食い入るように読んでみる事にした。
だが――――記述内容は大半が散漫だった。
『今日は何もない一日だった』と『ジャムがおいしかった』が大半を占め、それ以外には稀に『あなたは○人目』や死を想起する内容が記されていた。
断片的な記載も多く、明らかに平常心を欠いた殴り書きのような部分もあり、不安定極まりない。
「やっぱりエデンさんって幽霊なんじゃ……?」
そう虚空に聞いたところで、誰が答える訳もない。
まして本人に聞ける筈もない。
本当に幽霊なら、その場で取り憑かれるか殺されてしまうかもしれないのだから。
「……み、見なかった事にしようかな。はは……」
マルテは熟考の挙げ句、日記は丁重に元の位置に戻し、自分の頭の中にだけ留めておく事にした――――




