霧の中
時間は少し戻ります
深い深い霧の中を、1人の老人が歩いていた。
老人には右腕は無く、白髪と白い着物が風になびいていた、それは死に装束だった…。
志藤誠司、享年95歳、若い頃から剣の道一筋に生きてきたが、戦争で右腕を失い道を断念するがのちに結婚し剣の師範となり多くの弟子を育て、最後は多くの子や孫、弟子たちに囲まれこの世を去った…後悔は無かった。
やがて霧の奥に、穏やかな笑顔を浮かべた着物を着た老婦人が現れた。
「静か…」
誠司は5年前に他界した妻の名を呼んだ。
「はい、あなた……」
二人は静かに抱き合った
「ずいぶんと待たせてしまったね」
「いいえ、これからはずっと一緒ですよ」
涙が頬を伝った…、やがて二人の姿がゆっくりと霧の中に溶けるように消えていく…
――良い人生だった――
老人はそう思った…
その時、
「パンパカパーン♪おめでとうございまーす。」
せっかくの感動的なシーンを間抜けな声に邪魔をされ、誠司はジト目で声の方を向いた。
そこには、ふわっと柔らかな美しい金髪、あどけなさを残すも整った顔立ち、美しいスタイルを純白のドレスで覆い、空気を読まない間抜けな登場さえしなければ女神と見舞おうごとき美女がそこにいた。
「おめでとうございます。志藤誠司さん、あなたはこれから前世での記憶を残したまま、なんと!異世界へ転生することができます~。」
「・・・・・」
「申し遅れました私は女神ティーラ、あっ大丈夫ですよちゃんと言葉も通じるようにしますから。」
「・・・・」
「必要なものがあったら何でも言ってください。武器は何がいいですか?刀?それとも大剣とか。」
「・・・・・・・」
「あの~…そろそろ何か喋ってほしいのですが‥。」
爺さんの無言の抗議にさすがに耐え切れなくなった女神ティーラは遠慮がちに聞いてみた。
「いや、いいから……。」
「え?。」
「ワシは人生に悔いなどない。生まれ変わりたくなんか無いからお引き取りくださらんか。」
「え?!何で?」
さすがに理解不能といった顔で聞き返した。それはそうだった今までこの提案を出した者達は二つ返事で引き受けていたからだ。
「ワシはもう十分長く生きた、もう現世に未練はない」
「そうですよ、そうゆう事はもっと若くして亡くなった方にしてお上げなさいな。」
隣でお婆さんもにこやかな顔で言う。
「いやいやいや、ダメなんですよ! 若い人達はすぐに死んじゃって、じゃなくて!もうあなたが頼りなんですよ!」
「何を言っとるのかわからんが、もうワシらはこの世に未練はない。さっさとあの世に連れて行ってくれんか。」
すがりつく様な女神さまの申し出を断り、成仏を希望するが。何故だかこの女神さまにも引けない理由があるらしく、ついには
「あー聞こえなーい、聞こえないな――、おっと早く次の仕事に向かわないと、じゃあチャチャっと転生させますね」
子供みたいな手で強引に事を進め始めた。
「ちょっつ、こら!」
止めようとするがもう遅い、突然誠司の足元にポッカリと丸い穴が開き、吸い込まれるように落下した。
「人の話を―――聞け――――!」
―――「大丈夫、そんなに悪い世界じゃないですよ」―――
最後にそんな言葉を聞いた気がした…。