23:それはまるでなぞるように エリシア ③
アニーが捕まった後、しばらく経ってから私はアレックスお義兄様の執務室に呼び出されました。
「呼び出してすまなかったね。紅茶でも飲んでもう少し待っていて欲しい」
ちょうど昼時だったのですが、アレックスお義兄様は書類を捲りながら私にそう言いました。どのくらい待ったでしょうか。ようやくアレックスお義兄様は手を止めると私の正面に座って待たせたねと言ってきました。
「お忙しい時にお邪魔して申し訳ありませんでした」
「呼び出したのは私だからね。むしろこちらが謝るべきだ」
アレックスお義兄様はそう言うと入れ直された紅茶を飲みながらうんざりとした表情をされました。
「エリシアには悪いけれど私は弟を縊り殺したいな。生きているうちはろくでもないことばかりして、死んでからも足を引っ張ってくれる」
「……申し訳ありません」
「エリシアの責任ではない以上気にしないでくれ。実は話というのは他でもない、今のスフィールド公爵家の現状のことだ」
それは私が聞いてもいい話だろうか? それにマリーとエリーはいてもいいのだろうか?
私が目で尋ねるとアレックスお義兄様は頷いてきた。そしてこんなことを言い出したのだ。
「侍女の二人は他言無用で頼むよ。実は我がスフィールド公爵家はかつてない窮地に立たされている」
今の状況を説明してもらったけれど、正直に言えばかなり悪い状況だった
。
まず、ラルフの行動の責任を取るためにお義父様が隠居してアレックスお義兄様が後を継がれることになった。火竜には我が家から財宝を出すことで慰謝料とし、ラルフの行いに関しては公的にこちらから認めてしまって謝罪を行うつもりだったらしい。
そんなことをすれば痛くない腹まで探られかねないし、弱みを見せることになるので有り得ないと思ったのだけれど、ことはそう簡単でもないらしい。最近増えているある存在が原因らしいのだ。
それが貴族の生まれではない飛びぬけた才能を持つ者のことだった。要は私みたいな存在のことだ。貴族が全てを囲むことは不可能だし、その才能に気づくまでにどうしても時間がかかることがある。そしてそういう人間は得てして挫折を味わった後の立ち直りで才能に気が付くことが多いそうだ。
「しかも困ったことにその挫折の原因は貴族だったりすることがある。そうでなくても貴族の横暴なんて平民から嫌われるわけだ。ここであの愚弟を庇えば後のそういう人材を得る際に必ず枷になってくる。もはや貴族が才能を独占する時代は終わり始めているのだよ。これからは生まれではなく組織力の時代だ」
よってラルフの罪を認めて貴族から除名という形に持っていくことで最小限に被害を抑えつつ、後のための準備に充てようという計画だったらしいのだけれど。
「ところがどこからか嗅ぎつけられたのか、ラルフのことを公的に責任を取ることがバレたようでね。ラルフに協力していた貴族連中が自分らに飛び火しないようにラルフの責任を押し付けようとし始めたわけだ……アニーという都合のいい女性にね」
「アニーに!? ですがそれは流石に滅茶苦茶では?」
「そう思うだろう? でも今回は我が家と敵対しているエーランド公爵家が彼らの後押しを始めたのさ。ラルフのゴタゴタの後始末のせいで気づくのが遅れたのが問題だったな。エーランド公爵は自分の傘下の者の罪や彼に取り入ったラルフに協力した貴族の罪を全てアニーに着せて罪の清算をすませようとしている。最悪なことにこの中にラルフの行いまで入れられているということだ」
「つまり……貸しを押し付けられると?」
私の疑問にアレックスお義兄様はそういうことだなと答えた。
「あのじじいの目論見は無理矢理今回の件を貸しにして押し付けた上で、自分の娘を家に嫁がせることだ。公爵家の娘を側室になど出来ないからな。マリーナを追いやって自分の娘に実権を握らせて最終的には家の乗っ取りが成功するわけだ」
ラルフのことを責任取らずに済むという形に持っていかれると確かに借りにされてしまう。おちらの未来を見据えた策とは言えるはずもないのだから。
「それでだ、今回のきっかけとなったアニーの夫の逮捕の陰に今話題の聖癒師の存在がある。残念ながら名前などは神殿が公表しないが、彼らは王都まで旅をしているようで、そのおかげで名前を知ることが出来た。エリシア……彼は」
私は頷いて答えた。良く知っている名前なのだから。
「きっと彼は接触してくると思う。その時エリシアはどうしたい?」
「……ことが終わるまでは無理に接触する必要はないと思います。あくまでも私の個人的なことなので」
ちゃんとゆっくり話すことが出来る方が良いと思うし、スフィールド公爵家と接触する以上余計な負担を彼に与えたくは無かった。ジェイクのことだからきっと大きな目的を持ってくるに違いないのだから。私は余計な負担でしかないのだから。
それからは表面的には穏やかな日々が続いた。もちろん水面下ではそんなことはなく激しい工作合戦が繰り広げられているのだけれど。我が家にも何回か侵入者があったくらいだ。子供達を攫って人質にでもしようとしたのだろうか。もっとも全部返り討ちにして逆に捕まえたくらいなのだが、残念ながら彼らは政争の役には立たなかった。
そんなある日、スフィールド公爵家の本家の屋敷にジェイクが来るとの知らせが入った。どうやらジェイクから接触してきたらしい。
どんな話をするのか興味はあったのでジェイクが帰った後私はアレックスお義兄様に聞いてみることにした。
「いやはや、彼には驚かされた。まさか私と似たようなことを考えているとはね。それも彼の方がもっと具体的に考えていたよ」
ジェイクが帰った後、アレックスお義兄様は笑いながらそう言った。どうやらジェイクも才能を持っていることに気付く人がこれから増えることは知っていたらしい。ただ彼は気づく人が増えるのならば、最初から知っている人を増やせばいいと考えたらしい。
もちろんそうなると貴族等の優位性は減るから彼らには受け入れられないだろう。けれどこれからそういう人は確実に増えてくる。ジェイクはそう言ってアレックスお義兄様との協力を取り付けたらしい。
「まだまだ粗削りだから脅威ではないが、これから成長すれば恐ろしい男になりそうだ」
本当にジェイクは凄い人です。あんな凄い人の妻だったことがあったなんて今は信じられない思いでいっぱいです。
「一応、表向きは交渉は決裂したことにしているけれど、実際は手を結ぶことになった。その際にラルフの横暴に関しては村への補償を約束したおいたよ。だからエリシアからのお願いとジェイク君のお願いを合わせて二倍分の補償を送っておくことにする」
「ありがとうございます、アレックスお義兄様」
良かったこれで少し安心できる。
「それで今から五日後にアニーの裁判が開かれることとなった。そこで全ての罪を着せて自分達は楽になろうという魂胆だ。そこで全てが終わる前に彼は行くだろうが、当然妨害が来るだろう……我が妹はどうするつもりかな?」
……分かりません。今のジェイクには頼れる仲間がいます。だからきっと大丈夫だと思うのです。でも一応、準備だけはしておこうと思います。
――ここで何もしないでいるなんて、それじゃ昔と何も変わりませんから。
裁判の当日、子供達はアレックスお義兄様の手配の下安全な場所にいます。だから心配することは何もありません。
街が慌ただしくなりました。どうやら始まったようです。茶番と言える裁判が開かれるのは中央神殿だそうです。私は神殿へと急いで向かっています。きっとジェイクなら神殿までたどり着くはずです。それくらい凄い人ですから。
だから何かあるとすれば最後の神殿しかありません。何となく神殿の方から強い人がいる感じがしますし。
神殿にたどり着くとジェイクとレイラの行く手を塞ぐように十二人の冒険者の姿がありました。
冒険者の一人がジェイクに向かって刃を振り下ろそうとしていたのです。
「クロノスオーバー」
普通なら間に合わないでしょう。でも私は時を超えた動きが出来ます。振り下ろされる剣を魔力の刃で斬り落とし。ジェイク達の後ろまで一気に距離を詰めました。
鍛え続けている技はいつもと同じように綺麗に相手の剣を切断していました。さぁ、これ以上二人の邪魔はさせません。アニーの罪を償う機会を潰させないためにも!
「あなた達の相手は私がします。その二人には手は出させません!」
「エリ……シア……ですか?」
私の声にレイラが信じられないという表情で見てきます。レイラは昔と何も変わってはいませんが、ジェイクはもっとカッコよくなっていました。
治癒師のローブがとても似合っていて理知的に見えます。背も伸びたのかもしれません。少しだけ上を向かないといけないくらいには身長に差がついたみたいです。
懐かしい再会ですが、残念ながら今はそんなことに浸っている時間はありません。もう裁判は始まってしまうのです。
「何をしているのですか!! 早く行ってください!! 間に合わなくなりますよ!」
私の言葉にジェイクが思い出してくれたようでレイラの手を引いて走り出していきました。
そして振り向きながら私を見てきたので大丈夫分かっていますと頷きました。神殿の中へと駆け込んでいくジェイク達に残った冒険者が剣を振り下ろそうとしますがそうはいきません。
ジェイクが任せてくれたのです。ならば一太刀たりとも触れさせはしません!
魔力の刃で次から次へと剣を断ち切っていけば冒険者達は茫然とした表情で見てきました。一人だけ腕の立ちそうな人が私の前に立ちました。
「すげぇ腕前だ。なぁ、あんた落ち目のスフィールド公爵家なんか捨ててエーランド公爵家に着けよ。いい思い出来るぜ?」
ジェイクは無事に中に入って行きました。これでもう後は大丈夫でしょう。彼ならこんな茶番に負けることなんてないはずです。
だから……今から私はスフィールド公爵家の、子供達の母親として剣を振るいます。
「子供を捨てるほど腐った覚えはありません。死にたくなければ武器を捨てなさい」
殺気を開放して目の前の冒険者達を睨みつけます。耐えられたのはやはり腕の立ちそうな人だけでした。彼は殺気に気圧されたのか怯えを含んだ表情のまま私に切りかかってきました。でもそんな魂の入っていない剣など恐ろしくありません。一太刀で剣を半ばから斬りおとすとそのまま柄で頭を殴り付けます。
「殺しはしません。あなたたちには聞くべきことが山ほどありますから」
神殿の方から大きな歓声が聞こえてきます。きっとジェイクが上手くやったのでしょう。信じていましたから。
ジェイクが神殿に駆けていくときに会った目が全てを物語っていました。もうジェイクにとって過去は終わったことなのだと。その上で私が手に入れた強さを喜んでくれたのです。昔私が憧れた冒険者みたいな英雄になれたことを。
なら今は会わないでおこうと思います。ジェイクの物語はまだ終わってはいません。これからもっと大きく活躍していくことでしょう。そんなジェイクに私のような存在が近づいては邪魔にしかなりません。
ずっと謝りたいと思っていましたが、ジェイクはそんなことは望んではいない様です。ならば私が謝るのはもはや自己満足に過ぎません。謝ることすら許されないのもまた私の選択の結果でしょうから。
「さて、衛兵も来たことですし帰りましょうか。子供達が待っています」
あれから大きく変わりました。スフィールド公爵家は正式に火竜に謝罪をし、ラルフの横暴を公の場で認めました。その結果かなりの財宝を失い、貴族としての発言権も大きく損ないました。要職に就くことは難しくなったと言っても過言ではありません。
あとラルフは貴族名簿から除名されることになりましたので結果的に私と子供達は貴族ではなくなりました。もっとも私という戦力をそのまま放置出来るわけも無く、アレックスお義兄様のご厚意によりスフィールド公爵家に養子という形で入ることになったのです。
スフィールド公爵家が今回の問題で失ったものは大きく、失われた時間は十五年に匹敵するだろうとのことです。もっともこのまま社会が変わらないはずも無く、その流れにどう乗るかで変わっていくことでしょう。
私はアレックスお義兄様からそれなりの自由を認めてもらうことが出来ました。もちろん公爵家の剣としての役目は残っていますが、その役目さえ果たせるのなら特に行動に制限がかけられることは無いのです。
とは言え以前のように長期間家を空ける冒険者はする気はありませんでした。子供達がいるのでそんなに家を離れたくはなかったのです。それでも少しでも冒険者に関わっていたかった私はある仕事をすることにしました。
「それでは依頼の達成を確認しました。お疲れさまでした」
渡された討伐証拠を確認して報酬金を冒険者に渡します。ここで間違えるとトラブルの元なのでしっかりと確認をすることは忘れません。
あれから五年後私は王都の冒険者ギルドの受付をしています。少しでも冒険者に関わっていたかったですし、それにやりたいこともあったので、そのためにもギルドの仕組みを知りたかったのです。
「ありがとうございます。エリシアさん」
新人冒険者として幼馴染の少女と一緒に依頼を受けている少年は嬉しそうに笑っています。懐かしいですね、あのような頃が私にもあったかと思うと。この少年は槍の扱いが上手いようで、このまま進んで行けばかなり優秀な冒険者になるのは間違いないようです。以前少しだけ相手をしたことがあったのですがその時にそう思いました。
「このまま行っちゃえば俺、英雄にでもなれるかもしれませんよね?」
「……英雄なんかになられたら私……ついて行けないんだけど?」
「そん時はほら、俺がどこへだって連れていってあげるからさ! だって俺みたいな平民が“赤雷の剣姫”って呼ばれるくらい凄い冒険者になった例だってあるんだ! だから俺だって英雄になればお前を連れて行けるさ!」
そんな調子のいいことを言っていますが英雄は大変ですよ。自分の意志とは無関係に周りがあるべき姿を求めてきますし、側に居る人間すらも勝手に決めてきます。それでも憧れるのは無理も無いのかもしれませんね。
「英雄に憧れるのは構いませんが、何のために英雄になるのか忘れないで下さいね。何かを得るのには何かを失う必要があります。あなたは何を失いたくないのかしっかり考えてから決めてくださいね」
私の言葉に少年は不思議な顔をしました。今は分からないかもしれませんが、分かるようになってから後悔しないことを祈ります。
家に帰って家令に外套を渡して着替えるとマリーが手紙を持って来ました。差出人はいつもの所の様です。この一月待っていた甲斐があったというものです。
「奥様、いつもの定期報告書です」
「ありがとう、マリー。子供達は?」
「エリーが先ほど下敷きになっていたのでそろそろ限界かと」
「分かったわ。すぐに行くから子供達に待っておくように言っておいてくれる?」
マリーにそう言って報告書を大事に執務室の机の上に置いておきます。子供達が寝た後にゆっくりと読むことにします。
夕飯を終えて子供達が寝た後、報告書を取り出して丁寧に読んでいきます。報告書の中には五人の冒険者パーティーの冒険の軌跡が記されています。
「凄い! フロストジャイアントを炎の魔術一発で倒すなんて! それに群れなんてよく相手に出来るものです!」
それは夢を追いかけて遠い場所で貴重な資源を探している冒険者の物語。
私が幼い頃に憧れた冒険譚そもので。
心躍るような冒険に満ちていて。
とても遠い遥か彼方の英雄譚。
眩しすぎて直視するには難しいのだけれど。
それでも憧れずにはいられない……ただ、そんな執着にも似た憧憬。
あの人はいまも私の大好きな憧れたままで。
そんな彼らの冒険の軌跡を私の指先はなぞるように動いていく。
このあの人が淹れてくれた薬草茶のような少しだけの苦みを伴うような物語を私はこれからも愛し続けるだろう。今、私は幸せだ。
結局人生なんてものは何が幸せかなど自分で決めるより他にないのだから。
冒険は続く私が生きている限り。
エリシア・スフィールドは今から500年ほど前に活躍した女性である。“赤雷の剣姫”と呼ばれるほどの剣と魔術に長けた冒険者としても有名である。一番有名なのは後に災害魔獣として認定されたペトリリザードを討伐した英雄譚だと言われている。ラルフォード・スフィールドと結婚後一男一女を設け貴族女性として生活するが、有名な神殿裁判事件の際に夫であるラルフォードの横暴な振る舞いや犯罪が明らかになり、一時表舞台から姿を消している。
その後、冒険者ギルドの職員として順調に出世を重ねたエリシアは冒険者を中心とした才能検定による職業訓練校の開設に尽力し、冒険者よりも他に向いている才能がある場合本人の意志を尊重した上で様々な職業への可能性を提示することに従事した。
エリシアはその後冒険者だけに限らず多くの人を対象に才能検定とそれに伴う正しい才能の活かし方を教育していき、才能教育の基礎を作り上げたと言われている。もっともこれは貴族としての立場もあるから出来たことだと言われるが、それでも当時の情勢を鑑みれば女性がここまでの功績を残したことは評価に値するとみてもいいと筆者は考えている。
子供の教育に熱心で息子のマクシミリアンが嘘をついた際に、本当のことを話すまでその場から決して動かなかったと言う逸話が残されているほどである。(もっともこれは創作だとも言われており真偽は定かではない)
教育機関の基礎を立ち上げ、ジェイクによって多くの人が自らの才能を知ることが出来るようになった後、人々を導く体制を作り上げたことから才能教育の母と呼ばれるようになる。
なお彼女にはジェイクとの婚姻歴があるという説もあるが、俗説の域を出ておらず現在の主な学説では創作だと判断されている。
ケリー・レイクシアーズ作 「英雄達のその後」より




