12:失った……あたしは失ったんだ アニー ②
アルファルド様に治してもらった次の日、あたしが治ったことを皆にいろいろ聞かれたけれどあたしは目が覚めたら治っていたとしか言わなかった。本来はお金を取られるのにアルファルド様がこっそりと治してくれたのだ。だから恩人を売るような真似はしなかった。アルファルド様は王都の中央神殿から来られた神官様で、皆から慕われていて相談役のような立場にいる方だった。
あたしは今までにない暖かさを感じたせいなのかアルファルド様の側をうろちょろするようになった。アルファルド様も何故かそんなあたしを邪険にすることなく、時間のある時は相手をしてくれた。
「アニー、少しお菓子を買い過ぎてしまったので代わりに食べてくれないかい?」
「わぁい! ありがとうございます! アルファルド様!」
「アニー、買い物に行かないといけなんだけれど手伝ってくれるかな?」
「はい! 喜んで行きます!」
何かある度にあたしに声をかけてくれていた。あたしはその都度アルファルド様について行って面倒を見てもらっていたのだ。祖父母なんてものはとうの昔に死んでいるか、今どうしているかも知らないので、あたしは祖父というものがどういうものか知らなかったし、老人なんてものはあたしの住んでいる地域では厄介者扱いされることだってあった。だからあたしにとってはアルファルド様は物語の中だけでしか聞いたことがない優しい祖父みたいだった。あたしはアルファルド様のことが大好きだった。別にお菓子も何もなくても構わなかった。あたしはアルファルド様がいてくれたらそれでよかったのに。
アルファルド様は暇があればあたしに文字等の勉強も教えてくれるようになった。あたしは学べることが嬉しくてしつこくアルファルド様に質問してしまったけれど、アルファルド様は嫌な顔一つもせずに教えてくれた。
そんなる日、あたしがアルファルド様が癒しの術を使っているのを見て見様見真似でやってみたことがあった。少しでもアルファルド様に近づいてみたくなったからだ。ほんの少しだけ暖かい光だ出てすぐに消えてしまったけれど確かに術は発動した。
それからあたしは暇を見つけてはこっそり練習をしていた。流石にこんなものまで教えてほしいとは言えなかったから。とはいえそんなものはいつまでも隠せるわけもなくアルファルド様に見つかってしまったのだ。
「アニー、今のは!?」
「え? 見様見真似でやってみただけですけれど……ダメだったのですか?」
いつもの優しい顔ではなく真剣な表情のアルファルド様にもしかしたらとんでもないことをしてしまったのかもしれないとあたしは恐ろしくなった。アルファルド様はそんなあたしを優しく抱きしめると穏やかな声で話しかけてきた。
「悪いことはしていないんだよ、アニー。でもそれはちゃんとした使い方を知らないと危険な力だ。だからこれからは隠れて練習しないで私に頼ってくれいないか?」
「……アルファルド様」
「でも一人でも頑張ろうとして偉かったね」
嬉しかった!
アルファルド様にもっと教えてもらえる!
もっと一緒にいることが出来るんだ!
あたしはそう思えるだけで心が躍り出しそうになっていた。それからアルファルド様は治癒術を教えてくれるようになった。かなり筋は良かったようで教えてもらえたことはすぐに吸収出来ていった。
「アニーは筋がいいね。この調子で頑張れば治癒師にもなれるかもしれないよ」
「本当!? ならあたし頑張るね!」
このころには話し方も甘えたようになっていた。アルファルド様は怒らなかったし、どこか嬉しそうだった。
「そうだね、アニー。いいかい。癒し手は人を救うことが出来るんだよ。アニーもそんな大人になれるといいね」
アルファルド様がそう言ってくれたのが嬉しくてあたしは頑張った。あたしが見習い神官くらいの実力を身に着けるまでにそう時間はかからなかった。それからというものあたしは神殿での見習いのような立場になった。
そう幸せだったんだ……あの日までは。
「嘘だ!! 絶対そんなことあるわけがない!!」
その報せを聞いたときは目の前が真っ暗になった。
その日はいつものようにアルファルド様の手伝いをするために細々とした雑用を片付けていた。昼も回りそろそろ終わりが見えてきた時のことだった。同じ見習いの神官が物凄く慌ててこちらに向かって来たのだ。
「ダメだぞー、廊下を走ったらー」
「そんなこと言っている場合じゃない! 急いでアルファルド様の下へ行くんだ!!」
「え? 何かあったの!?」
「アルファルド様が怪我をなされた!!」
……嘘だ、そんなことがあるわけがない。あって良い筈がない!
あたしは急いで言われた場所まで走りだした。アルファルド様にもしものことがあったらなんて考えるだけで嫌だった。教えられた部屋に入るとベッドにアルファルド様が横たわっている。頭には包帯が巻いてあるけれど、血が滲んでいて意味が無かった。
「アルファルド様!!」
「アニー……か、こんな姿で……すまないね」
「とんでもないよぉ……なんで……どうしてこんなことに!?」
「それが……ですね……」
あたしの嘆きに側に居た他の神官様が答えてくれた。なんでもこけて擦りむいた程度で治療を受けに来た貴族の息子がいたそうだ。ところがその間アルファルド様は急患で運ばれてきた怪我人の治療にあたっており、不運なことに他に手の空いている神官様もいなかった。
そこで待てばいいものをあろうことか先に自分を治療しろと言ってきたらしい。そんなことをすれば今治療している患者が亡くなってしまうので、当然アルファルド様が断るとあろうことかそいつは怒りだしアルファルド様を近くにあった花瓶で殴ったそうだ。
「ひどすぎます! どうしてそんなことを!?」
「貴族には……そういう人間も……いると言うこと……だよアニー」
赦せなかった。せめてもの救いはその貴族は捕まっているということだろう。このまま死刑にでもなればいいのに。
「とはいえ罪には問われるだろうが、大した罰は下らないだろう」
「どうしてですか!?」
「そ、それは……」
神官様は言葉を濁してしまい教えてくれそうにない。でもそんなことは今はどうでもよかった。アルファルド様の容態が一番大事だった。
「アルファルド様の治療が終わっていないのはなんでなんですか!?」
「忘れたのかいアニー。治癒術は怪我の治りを助けることが出来ても怪我そのものを治すには物凄く難しいと言うことを。伝説に出てくるような聖癒師ならともかく我々ではそこまでは出来ないのだよ。ましてや体力のない高齢の方に使うのはそれだけで危険なんだよ」
そうだった、アルファルド様のような高齢の方に治癒術を使うのはかえって命を縮めることになりかねないのだ。結局は本人の体力と治癒力に頼るしかないのをショックのあまり忘れていた。あたしは悔しくて涙が止まらなかった。なんでアルファルド様がそんな目にあわないといけないのだろう。
「アニー……泣かないでおくれ……」
力なくあたしを撫でる手は暖かったけれどいつものようにホッとするものではなく、ただ悲しかった。あたしは分かっていたんだ、アルファルド様は助からないかもしれないって。
それから三日後アルファルド様は眠るように息を引き取った。最後は苦しみながらじゃなくてそれだけが救いだったけれど、あたしは悲しすぎて涙すら出て来なかった。泣いてしまえばアルファルド様がいなくなったことを認めてしまうようで嫌だったのだ。
結局、犯人の貴族の息子には大した罰は下されなかった。というのもアルファルド様はあんなにも皆に慕われていたけれど、中央神殿ではそうでなかったと言うことだ。なんでもアルファルド様は神殿内の政争に敗れて辺境に来たのであって、神殿がそこまで大事にしていた人物ではなかったらしい。運の悪いことに犯人の貴族の息子は神殿へ多額の寄付をしていることもあって、逆にアルファルド様がその貴族の息子を怒らせたことにされてしまったらしい。
理不尽だった。そんなことがまかり通っていいのだろうかと怒りも覚えた。でもあたしはただの貧しい平民で何の力もなかった。無力な自分への怒りと何も出来ない空しさがあたしを満たしていく。アルファルド様を失ってからはただただ……寂しかった。
祖父のように慕っていた人を理不尽に失ったのだ。たぶん、あたしはこの時から愛されることを求めるようになったのだと思う。それは愛されることを忘れていたあたしが誰かに愛されるということを思い出したからだと思う。あの温もりが恋しくてたまらなかった……忘れることなんて無理だった。
――そう……あたしは愛してくれる家族が欲しかった
そんなあたしにある日、第二の転機が訪れた。十三になったあたしが神殿の奉仕作業をしていると、神殿に大勢の怪我人が運ばれてきた。どうやら近くの工事現場で事故があったらしく、通行人を含めて大勢が巻き込まれたらしい。
奉仕作業は中止となり、急遽怪我人を治療することになった。ただ、いくら神殿とは言ってもそんな大勢の怪我人をすぐには治すことは出来ない。怪我人は次から次へと運ばれてくるし、癒しの術を使える人間は決して有り余っているわけではないのだ。ましてや休むことなく術を使える癒し手や治癒師なんていない。その中には未熟なあたしも含まれていた。
アルファルド様に手ほどきをされていたことは知られていたので駆り出されたけれど、何人も癒していけば魔力だって尽きる。そんなあたしはしばらく休憩するように言われたから奥へと引っ込むことにした。苦しみにあえぐ声を聞きながら休むことなんて出来そうになかったから。それにどうしてもアルファルド様の最後を思い出して苦しくなってしまうから。
あれからあたしはここケートの神殿は信用出来ていたけれど、神殿と言う組織自体は信用できなくなっていた。アルファルド様を追い出した連中も、犯人を庇った神殿もどっちも憎かった。神殿に正式に所属するように遠回しに言われているけれどまだ返事はしていない。あたしはアルファルド様を殺したに等しい神殿なんかに入りたくなかったのだ。
それにしても最近は家に帰ると父がニヤニヤしながらあたしのことを見てくる。きっとあたしが神官になってお金を稼いでくると思っているに違いない。母もそう思っているのか前みたいにあたしに無関心ではなくなっていた。妹は相も変わらずでいつも違う恋人と一緒に歩いている。何も変わらないあたしの家族にあたしはもう見切りさえつけ始めていた。
はやくあんな家を出ていって自由になりたかった。あたしを愛してくれる人に包まれたかった。
しばらくぼんやりとしながら歩いていると見知らぬ場所に出ていることに気が付いた。辺りを見回すとどうやらここは神殿の最奥にあたる場所だと気づいた。
マズい! 怒られるじゃすまない!
勝手にこんな場所まで入ったなんて知られたらタダじゃ済まなくなる。急いで戻ろうとした時、ふと部屋の扉が開いていることに気が付いた。なんとなく気になって中を覗いてみればそこには大きな水晶のような物が置いてある。
豪華な台の上に見るからに高そうな布が敷かれてあって、その上に頭くらいの大きさの水晶が置かれていたのだ。何故あのときそんな行動をしたのかはいまだに分からないけれど、あたしは気が付いたら水晶に触っていた。
その瞬間、水晶が光り空中に何かが浮かび上がっていた。アルファルド様が文字を教えてくれていたから読むことが出来たのだけれど、そうでなければ意味は分からなかったと思う。浮かび上がったモノはあたしの才能を映し出していた。




