8:彼女は私が幸せにしてやろう ラルフ ⑤
ジェイク君と言い合いにあったエリシアはなかなか帰り辛いらしくしばらくケートに留まっていた。その間にケルティア伯の手を借りて小さな屋敷を借りておいた。ここを拠点にしてケートでの活動を行うためにだ。
エリシアにはアニーから説明させる。既婚者がパーティーで共同生活をするのは珍しいのでそこら辺は上手く言っておくだろう。ハウスメイドのマリーとエリーという双子に料理人のグンドを家から呼び寄せておいた。
マリーとエリーのことはあまり知らないが、グンドは子供のころからの料理人だ。これでようやくまともな食事が楽しめるというものだ。
エリシアはまだ使用人を使うことに慣れないらしく戸惑っているようだが、アニーはすぐに馴染んだらしい。こういうところはアニーの図太さに呆れかえりもするが、逆に感心するところでもある。もっともアニーの振る舞いはエリシアが使用人を使うことに抵抗感を失くすためのようだが。
それから少ししてエリシアはいったん村へと戻った。以前の様子からすればまた喧嘩別れをして出てくるだろう。今回はケートに拠点まである。これでエリシアがケートに住みだすことになるだろう。私の勝ちだよジェイク君。
そう勝ち誇っていた私の下へ帰ってきたエリシアだったが、驚くべき話してきたのだ。
「あのね、ジェイクと話して来たんだけれど、これからはソロで冒険者をやって欲しいって言われたの。ソロならジェイクと過ごす時間も取れそうだし、最近大分すれ違っちゃっているから……だから皆に相談に来たんだけれど……どうかな?」
まさかあれだけの諍いがあってもまだ別れないというのか!?……ありえない、ジェイク君にはプライドというものがないのか?
他にも私の態度や距離感を指摘されたらしい。エリシアは今後はそれも改めたいと言ってきた。何と忌々しい平民だ。今までの苦労を台無しにしてくれるつもりか!?
オイゲンやコントールは当たり前の反応だなと反対もせずに納得していた。どちらにも肩入れしないというこいつらの姿勢がここで裏目に出るとはな。ここは反対するべきなのだが、アニーが目でこちらに訴えかけてくる。目だけで私にモノを言うことなど無礼でしかないが、何か考えがあるのだろう。アニーは実績があるので今回は聞いておいてやろう。
「済まなかったエリシア。今後は気を付けるとしよう」
私はとりあえず話だけは合わせておいた。一応ジェイク君に謝罪したいと言ってはみたが、予想通り伝えておくという話で納まった。もっとも謝罪するつもりなど欠片もなく、逆にジェイク君が謝罪しに来るべきなのだがね。
結局エリシアは三か月後を目途にソロで活動することとなるようだ。腹立たしいが仕方なくソロになる件は認めざるを得まい。解散した後、アニーに先ほどの意図を聞いてみるとこんなことを言ってきた。
「まさかここでエリシアを赦してまだ冒険者をやることを認めるとは予想していなかったってばー。ジェイクさんは思っていたよりも賢くて手ごわいねー」
「あんなただの卑しい村人がそこまでの存在なわけがないだろう! これ以上あの虫けらに邪魔されるのは我慢ならん!」
「でも、エリシアの心が欲しいならここで反対してジェイクさんと引き裂くのは悪手だよ。そんなことしたら流石に恨まれるし、私がエリシアに疑われちゃうよー」
いい加減目障りだ……そろそろジェイク君には退場してもらう方が良いかもしれないな。要はエリシアとジェイク君を引き裂かなければいいのだろう?……ならば方法などいくらでもあるのだからな。
エリシアがソロで活動すると決まってから一月が経った。その間に伝手を使って貴族や裕福な商人などからのエリシアへの指名依頼を増やすようにしておいた。屋敷の中でも上質な食事やワインを好むように誘導するようアニーに任せておいた。その結果、最近は舌が肥えたようで冒険者向けの安い食事ではなく屋敷の食事を食べるようになってきている。
テーブルマナーも大分上達してきており、依頼のためという理由で髪をまた伸ばし始めた。
肩から先へと伸び始めたエリシアの髪は美しい赤毛を輝かせている。あと少し伸びれば貴族の女性としての最低限の長さにはなるだろう。
そしてエリシアには新しいマジックアイテムと称して親和の香水や魅了の口紅といった化粧品をアニーから渡させる。親和の香水は第一印象を良くするとあるが、それはつまるところ人当りを良くするということだ。もっともそこまで強力な効果はないので規制されることはない。これの上位版もあるらしいが、精々受け入れられ易くなるだけだ。
魅了の口紅は魅力が上がるとされているが、正確には性的魅力になる。どちらも貴族女性が一般的に使用するマジックアイテムでしかない。
だがそれを持っているということは貴族の関係者であるということの証明にもなるのだ。
ペルナ村へのまともな行商が少しだが行っているようだ。おかしいものだ……私の意を汲んで自主的に自粛していた彼らがそんなことをするとは思えない。少し調べてみるか……。
「おい、そこのお前。ペルナ村への行商の件を調べろ」
「畏まりました、ラルフォード様」
従者に命じて調べさせることにしたのですぐに分かるだろう。私はそう思っていたのだが、この従者は凡庸だったらしく、一月もかかってしまった。全く、もう少し有能な者が欲しいところだ。その点フォルドは申し分ないのだが、今回は頼むわけにもいかなかった。
なにしろ私の邪魔が出来る人物など数が知れている。その中にはフォルドも入っているのだ。父から付けられたお目付け役でもあるフォルドが私の邪魔をすることはあり得ない話ではない。もっともまだ父から何も来ていない以上、報告はしていないようだがな。
「失礼します、ラルフォード様。例の件ですがご報告に上がりました」
凡庸従者がそう言って報告書を差し出してきた……やはりな、フォルドが裏で行商に手を回して支援していたか。予想外ではないが残念だ。
「よくやった、また何かあれば呼ぶ」
従者を帰した後、私はフォルドを呼び出した。すぐにやってきたフォルドは何があったか理解したらしく表情が硬い。
「フォルド、言いたいことは理解しているな?」
「行商の件でしたら謝罪は出来ません。公爵家の人間としては此度の振る舞いはいささか度が過ぎております」
「……貴様……家令風情が公爵家を語るか!」
「私は公爵家にお仕えして長いですが、皆様立派な方ばかりです。ラルフ様にもそのように道を歩まれて欲しいのです」
たかが使用人風情が偉そうに! いいだろう、お前がそういう態度ならば私にも考えがある。
「フォルド、お前は少し疲れているようだな。しばし休みを与える。その間心身ともに十分に癒すがよい。ああ、安心していいぞ家令であることは変わらないのだからな」
「……畏まりました。身に余るご厚遇感謝いたします」
父の部下である以上外すことはできないが、遠ざけることくらいなら今ならばできよう。どんな形にせよ私の意に背いたのだからな。
フォルドが父に報告しようとしないのは結局私と父の間で揉めることが理解できているからだろう。父に今の状況を知られればすぐにでもエリシアと結婚できるように整えてくるだろう。それくらいエリシアの才能は素晴らしく、同時にこれ以上私が好きに振る舞うのを防ぐためにな。
私は直接何もしてはいないが、今でも十分にグレーゾーンなのだ。これ以上余計なことはされたくないと父が思ってもおかしくあるまい。
とはいえ、すぐにはそこまではいくまい。私は以前よりもペルナ村への締め付けが厳しくなるように独り言でもしに行くとするか。まずはここらへんで一番の大店にでも行くか。
ついにこの日が来た! エリシアがまたジェイク君と衝突してケートへと逃げてきたのだ。全くこの短期間で二度も喧嘩をするとは相性の悪い夫婦だな。結婚したことが間違いだったのだよ。最初から私と出会っていればエリシアはもっと幸せだっただろうに。
エリシアはアニーが保護したようで今は安心していい。さて、私の妻を泣かせた卑劣なジェイク君には罰が必要だろう。ペルナ村への締め付けは始めたばかりだが、ジェイク君を追い出せば赦してやらなくもない。
私は従者に適当にジェイク君を村から追い出すように指示をしておいた。エリシアは塞ぎ込んでしまっていて今は動けそうにない。アニーに任せてあるので様子を見てばらく依頼に出るように言うだろう。
その後アニーの提案で十日くらいケートを離れることになった。その間にジェイク君を村から追い出しておくように従者に命じておく。この従者だから時間がかかるだろう。十日もあれば十分だとは思うがな。
エリシアと依頼中に元気のないエリシアに優しく接する。より親密になるようにときに慰め、ときに笑い、ときに兄のように振る舞うのだ。
ケートに帰ってくる頃には大分落ち着いたようだ。村へと帰るというエリシアとそれに着いて行くというアニーを見送りながら報告を待つ。
いつもの愛用のレストランで食事をしながら過ごしていると従者がやってきた。
「……それで?」
「追い出しに成功しました」
「そうか」
追い出せたのならばそれ以上のことはどうでも良かった。どうやって追い出したのかも、どこへ行ったのかもどうでもいい。ジェイク君は私に負けたのだ。愚かにも平民が貴族に挑むからこうなるのだ。まったくこれでは私が最も嫌う自滅ではないか。
まぁ、彼のような器の小さい愚か者が自滅するのは当然の成り行きだと言えよう。生きているのか死んでいるのかは分からないが、直接殺害だけはしないように言ってあるので運が良ければ生きているだろう。もし生きていれば私とエリシアの結婚式を見せてやってもいいかもしれない。
私がエリシアと出会うきっかけをくれた彼にはこれでも感謝しているのだよ?
こうして私はエリシアの心を完全に手に入れるために手を尽くした。優しく接し、叱咤激励を交えながらそばにいて支え続けた。ジェイク君に捨てられたと思っているエリシアを慰めるのは簡単だったが、意外にもそれでもまだジェイク君を思うエリシアには驚かされた。
「今夜二人で食事でもどうだろうかエリシア? 私の愛用のレストランが新メニューを作ったらしい。いいワインも手に入ったのだが?」
「二人きりはちょっと……かな? アニーも誘ったらだめ?」
このように私が何度もデートに誘うが男女の色を匂わせるとすぐに距離を空けてくるのだ。おかげでアニーに上手く誘導してもらいながら心を解していくのは大変だったが面白かった。最初のころは兄として振る舞わなければいけないくらいだったのだから。
私が欲しいのはエリシアの心なのだ。そのためならば一年くらいかけて段階的に関係を深めていくことくらいどうということではない。
ピクニックにも連れ出したし、二人で冒険者らしく防具屋やマジックアイテム専門店を巡ったりもした。時には星を見るためだけに外出したこともある。貴族でありながらまるで平民のような振る舞いだが不思議と悪い気はしなかった。エリシアの笑顔は不思議と私を楽しませたのだ。
宝石のような笑顔を身勝手にも占有していたジェイク君には怒りさえ感じられるが、彼はどこに行ったかは不明だ。野垂れ死んでいるかもしれないし、生きているかもしれない。犯した罪に相応しい罰が下ったと思えば溜飲も下がるがね。
こうして少しずつ歩んできた私はエリシアからの壁が無くなったのを感じた頃に愛を告げたのだ。
エリシアからの返事は保留となった。まぁ、考える時間は必要だろう……もっとも断るという選択肢など許されないし、そんな選択などしないという確信があったからこそ行動したわけだがね。のんびりと一月程待っていた私にエリシアが呼び出してきた。
「ねぇ、ラルフ。この前の返事なんだけれど……」
「ああ、聞かせてくれるのか?」
エリシアに呼び出されたのは街を見下ろせるケートの近くの丘の上だった。もう少しで日が落ちそうな時間で夕日に照らされたケートは辺境故に自然の美しさがあった。
「私は一度、結婚を失敗しているけれどそれでもいいの? 貴族はそんな簡単に結婚できないでしょう?」
「それは問題ない。私は三男だから権利も少ないが代わりに義務も少ないからな。結婚くらい好きにさせてもらえる」
そんな過去など無かったことにすればいい。エリシアにあんな虫けらが寄生していた事実など捨ててしまえばいいのだよ。私は優しく笑って肯定する。
「……初めてじゃないよ?」
「貴族でも再婚はあるから心配しなくていい。そんなことはどうでもいいことだ」
私だけしか知らないエリシアでないのも、初めてが私でないことも非常に残念で忌々しいがこればかりはどうしようもない。エリシアが愚かにも自分を大事にしなかったことが原因だが寛大な私はこれを許そう。
「貴族として生活もすることってあるの?」
「いつかはそうなるだろう。父もいつまでも冒険者をするのを認めはしないだろう。だが父も“赤雷の剣姫”ならば文句は言わないだろう」
だが名声を得てしまえば武力としてそれなりの扱いはされるだろう。
「ジェイクのこと簡単に忘れられないのに?」
「それを含めてエリシアだと思っている」
簡単に忘れるような尻軽では困る。もっとも私がエリシアの中のジェイク君を塗り潰してやるから問題はあるまい。
こうして私はエリシアと結婚し、エリシアは私の妻となったのだ。
ジェイク君……私の勝ちだ!




