7:なぜ! そんな目で見てくるのだ!? ラルフ ④
私はツイている!
そう思ったのは報告を聞いた後だった。
今回の依頼はそもそもラピス侯爵の下へ向かう商人がたまたまいたので受けただけで、本来の目的はラピス侯爵のところにしばらく滞在してエリシアの教育を行う予定だったのだ。
しかし、そうなると滞在する理由が必要となるので何か適当な理由をつけてラピス侯爵の方から滞在を希望してもらおうと思っていたのだ。貴族の要望を断るなど有り得ないので問題は無いだろう。ラピス侯爵には見返りに母を紹介することになった。母は社交界になかなかの影響力を持っているし、別の公爵家の出身なのでそれなりに繋がりも持っている。まぁ、妥当な取引だと言えるだろう。
しかし、今回の護衛対象の商人がエリシアにジェイク君への土産として薬学大辞典を紹介しているが、ジェイク君のようなただの村人にはそもそも読めまい。エリシアも酷なことを……まぁ、私には止める理由は無いがね。それにしてもエリシアにジェイク君の誕生日プレゼントを薦めるとはこの商人は潰されたいのだろうか?……まぁ、今回ラピス侯爵の下へ行くという機会を作ったことで帳消しにしてやるとしよう。そもそも今回のジェイク君の誕生日には間に合わないように予定を組んでいるのだから無意味なのだがね。エリシアに祝ってもらうなどジェイク君には分不相応な栄誉だよ。
そんな背景があったのだが、ラピス侯爵が滞在を言い出す必要すら無くなったのだ! 幸運なことに昨日の夜の嵐で道が土砂崩れで埋まってしまったというのだ。しかも回り道で帰ろうとすれば優に二週間以上かかる。従って開通するまで滞在せざるを得なくなったのだ。
道は三日もあれば通れることは通れるようになるらしいのだが、ここは安全を優先してちゃんと復旧してもらうべきだろう。ラピス侯爵にそうお願いすれば快く引き受けてくださった。それに理由の一つであるモル芋の収穫時期と重なったというのも本当なのだからな。復旧も早くて一週間かかるらしいが仕方あるまい。
エリシアがジェイク君に手紙を出したいと言ってきた。ラピス侯爵お抱えの魔術師ならば魔術で送れるが送ってやる理由もあるまい。そう思っていたらアニーから出してやるように言われた。今どこにいてどういう状況かを知らせてやれば命の心配はしなくなると。更にその状況で他の男と貴族の屋敷にいることを知れば、平静ではいられなくなるだろうと言うのだ。なるほど一理あるかもしれん。
そう言う事ならば出してやってもいいかもしれん。エリシアの手紙は無事に送られることになった。さて、どのくらい効果があるか楽しみだ。
滞在中にエリシアの教育は思ったよりも進んだ。貴族の妻になる以上は最低限のマナーやダンスなどの教育は必須なのだからな。今回はそのために準備をしたが、思った以上の成果の様だ。エリシアには貴族の妻としての才能があるのだろう。ますます村人には相応しくないな。
貴族の食事や酒を知ればもう昔には戻れまい。優れた者には良質な物に触れる権利があるのだからな。エリシアもこれからは舌が肥えることだろう。今回の教育の結果は最高と言っても良かった。ラピス侯爵に礼を言わねばな。
こうして私は満足してケートへと帰還出来たのだ。
しかし、後から知ったことだがあの手紙は配達員のミスで届いていなかったらしい。おかげで思ったような効果は出ず、ジェイク君は未だにエリシアの理解者のフリをしている有様だ……実に不愉快だよ。
“巨人殺し”のクレイスが余計なことをしてくれた。私とエリシアの噂をバラまいていた冒険者を捕まえてきたのだ。幸い私が指示したわけではなく自主的にやってくれていただけなので私に責任が及ぶようなことはなさそうだが。
噂の出所である冒険者に怒り狂うエリシアを見るのは非常に不快だ。そのまま肯定してくれればいいものを。まぁ、それはそれでエリシアの貞淑さの問題になるので今は仕方ないのだが。私はエリシアが欲しいが、心までも私の物にしたいのだ。そのためなら多少の不快感は我慢しよう。
エリシアはまだ知らないだけだが、こういう器の広い所が私とジェイク君の違いなのだよ。
それからは順調だと言ってもいいだろう。エリシアに矢避けのピアスを渡すことも出来た。兄のように振る舞うことで、こういう贈り物を受け取ってもらえるようになった。アニーのアドバイス通りパーティー全員に配ることも忘れない。こうしておけば個人的な贈り物ではないとエリシアの中で言い訳にしてくれるらしい。
本当に優秀な駒だなアニーは。終わったら十分に報酬を弾んでやろうではないか。
そんな日々を過ごしているとその報せは突然やってきた。
あの化け物の所在が判明したのだ。ギルドによってペトリリザードと名付けられたあの化け物は山奥の村を襲ったらしい。
平民の被害などどうでもいいが、私のプライドを傷つけた者は生かしておけない。どんな手を使ってでも殺してやろうではないか。あの化け物は私にそうさせるだけの強さがあるのだからな。
王都に依頼しておいた調査もまだ成果は出ておらずあまり生態などが分からないが、それでも問題無い様に準備はしてきた。奴の下へ向かう途中でエリシアとアニーが髪について話すのが聞こえてきた。
「そういえばエリシア、髪伸ばすのやめたんだー?」
「うん、もう伸ばしていないよ。ほら、元々肩にかからないくらいだったでしょう? 髪飾りとか色々着けるために伸ばそうと思ったけれど、肩口過ぎたくらいからちょっと鬱陶しくなってきたから伸ばすのやめたんだ」
「なるほどねー、まぁ似合っているからいいと思うよー」
「ジェイクの好みがこれくらいなんだって。だからこれでいいかなって。それにこの前家に帰った時褒めてくれたんだよ!」
「……あーはい、ソウデスネー」
なるほど、ジェイク君は身の程を知るべきだな。エリシアに自分の好みを押し付けられる身分でもないだろうに。私の物になった暁には髪は伸びていなければ困る。依頼などを理由に伸ばす方に意識を持っていくとするか。貴族の妻は髪が長いのが当たり前なのだから。
ペトリリザードの断末魔が聞こえてくる。進化していたペトリリザードは新たな攻撃を繰り出してきたがそれら全てを退けることができた。だが、もはやその命を散らすだけだったペトリリザードは卑劣にも幻影で分身を作って逃げ出そうとしたのだ。どれが幻影か見抜くことが出来ずに我々が混乱する中、気が付けばエリシアだけが正確に本物のペトリリザードを斬り伏せていた。
見事な魔力の刃で首を斬り落とされたペトリリザードを見ながら、私はその技の凄まじさに震えていた。ペトリリザードの攻撃を全て剣で捌き切ったエリシアは、もうただの剣士ではなくなっていたのだ。
「……素晴らしい……素晴らしいぞ……エリシア。それでこそ私の妻に相応しい」
こんな偉業を達成したのだ。ただの冒険者でも村人でもいられるはずがないし、そのままではいさせない。私はペトリリザードの首を踏みつけて見下ろしてやる。私の手によって焼かれた口元が爛れていた。
「無様なものだな、ククク……これが私をコケにした者の末路だよ化け物め」
こいつは死んだ。もはやただの素材に過ぎないのだ。私はジェイク君がこのように無様な姿をさらすことを想像するとたまらなく愉快だった。胸に宿るわずかなエリシアの剣技への燻りを見なかったことにして。
勝利の宴で酔いつぶれたエリシアに手を出すことはアニーから厳禁だと耳にタコができるほど言われていた。私は少々なら構わないだろうし、これで既成事実が出来れば話が済むと思うのだが、アニー曰くそれでは心は手に入らないという。
下らないことだがエリシアの心を手に入れてこそ私の勝利なのだからここは我慢しておくか。その後、石になったエリシアの仲間の治療が打ち切られそうだという話になり、寄付をするということになった。私はどうでも良かったがエリシアが冒険者を続ける理由になるのだから歓迎しようではないか。
この件は私は何もしてはいないが、どうせ平民の、しかも治る見込みのない者共に使う金を惜しんだ貴族がいたのだろう。当然の判断だとは思うがな。その寄付のために金策をすることになり、実入りのいい仕事が必要になった。アニーが言い出した貴族の依頼を受けるという提案は実に好都合だ。エリシアの教育にも使えるし、貴族が身近になればそれだけ順応するのも早くなるだろう。早速いろいろ準備をしようではないか。
ケートを治めるケルティア伯にエリシアを紹介したところ好印象だったようだ。エリシアを気に入ったケルティア伯は愛娘の護衛に付けようと言い出したのは驚いたがね。それに不満を持った護衛を負かしたのはスッとしたものだよ。私のエリシアを甘く見るからだ。
貴族の娘に護衛が付くのは珍しくはなく、パーティーであれば自前の護衛が付くことが多い。というのも命の危険に関しては主催する貴族がメンツにかけて守るが、貴族の娘の貞操までは自己責任となっているからだ。そして優秀な才能を持っていることが多い貴族の娘は狙われやすい。よって護衛を付けてその身を守らせるのは常識なのだ。最悪、無理矢理既成事実でも作られた日には戦争になりかねない。事実、昔はそういう理由で貴族間の紛争が起きている。
エリシアはみるみるうちに貴族からの依頼にも順応していった。同時に施される教育の結果、少しずつだが振る舞いも洗練されてきているようだ。髪もアニーに説得されたからか伸ばし始めている。金銭感覚ももう平民のモノとは言えないだろう。
銀貨五枚の手鏡を割ったことも大した金額ではないと笑っていたくらいだ。それでいい、貴族になる者がたかが銀貨五枚でいちいち気にしていたらみっともないのだから。
そんな日々がある程度過ぎた頃、私はエリシアの家へ来ていた。貴族からエリシアへの指名依頼があったのだが、村に帰っていたので迎えに来たのだ。せっかく手を回して準備したのだ。必ずエリシアに受けてもらわないとな。もっとも私が仕組んだとはジェイク君では想像もつかないだろうがね。
こんな村になど来たくはなかったが、エリシアがいるのならば仕方があるまい。せっかくだからジェイク君を少しからかってやろうと思っている。アニーもそろそろ良いだろうと言っていたので問題は無いはずだ。アニーの見立てだとジェイク君は未熟にも私と依頼に行こうとするエリシアを責め、私には敵意を向けるだろうということだ。
まぁ、今回はとにかくジェイク君がエリシアへの不満を爆発させればそれでいいということだ。
玄関をノックして待つとエリシアが出てきた。今日も美しいな私の妻は。
「あれ? ラルフどうしたの?」
「今日も美しいな、君に贈ったそのピアスも良く似合っている」
私がいることが不思議だったのだろうが、そんなことはどうでもいい。私はエリシアへの愛を込めて髪に口付けをした。
ジェイク君はそんな私達を見て驚愕と怒りに震えているようだ。ふん、たかが平民が私にそのような視線を向けること自体が罪だとまだ分からんらしいな。愚かな平民には理解できる知能は無いということか。
「もう、ラルフったら。それで何しに来たの?」
「ああ、すまない。ついエリシアの美しさの前に用件を言うのが遅れたな。実は急に依頼が入ったんだが、エリシアへの指名依頼なんだ。二日くらいで終わる予定だから来れないか?」
「エリシア、指名依頼って何?」
疑問に思ったのかジェイク君が私とエリシアの会話に口を挟んできた。素人が黙って聞いていればいいものを。
「君がジェイク君だね、初めまして。」
とは言え、以前会ったことをわざわざエリシアに言う必要もないだろう。ここは初対面ということにして遊んでやろうではないか。
ジェイク君はエリシアが冒険者として依頼を受けることに不満を持っているのはもうバレているのだよ。隠そうとしたのかもしれないが私にはお見通しだ。ただ、エリシアは優しいからね、ジェイク君が無様に反対すれば指名依頼でも断るかもしれない。それはエリシアにとって良くないことだ。
これ以上貴様がエリシアに何か言うなどあってはいけないのだよ。何の力もない路傍の石程度がな!!
「エリシアに受けて欲しいと依頼主からの指定なのだ、ジェイク君。冒険者でない君には理解できないと思うがね」
「……そういう依頼もあるんだ? エリシア」
……なぜ私ではなくエリシアに聞いてくるのだ?……ふざけているのかな?……この平民ごときがぁ!!
エリシアの手前、声を荒げるわけにはいかないので表面は穏やかに済ませておく。だが内心は屈辱ではらわたが煮えくり返りそうだった。
「うん、最近指名も増えてきたかな? 指名依頼は拒否すると面倒なことになるんだよね……二日くらいだし、ちゃちゃっと行ってくるからちょっと待ってて」
エリシアの説明に納得したのか頷いた後、ジェイク君が私の方を怒りのこもった瞳で見てきた。
「ラルフ様、先ほどのような触れ方はやめてください。エリシアは僕の妻です、異性の髪に触れるのは家族か恋人、夫だけです。誤解されるような真似はお止めください」
言葉遣いは丁寧だが確かな怒りが伝わってくるそんな言葉だった。私は一瞬だが言葉に詰まってしまった。
まさか私が気圧されたというのか!?
こんな平民に!?……有り得ない!!!
「今後、そういう態度を改めてもらえないのなら僕はエリシアがこれ以上同じパーティーで活動することを認めません。あなただって不名誉な噂が立つのは不本意では?」
わ、わ、私をそんな目で見てくるなど許されざる大罪だ!
ジェイク! 貴様は私の言葉に素直に従っていればいいのだ!! 間違っても私にそんな挑むような目を向けてはならないというのに!
まるでこれから戦いに挑む戦士のような目は貴様に相応しくない! だからその目で私を見るな!! 無礼者が!!!
それに貴様はエリシアが冒険者をやっていることを不満に思っているだろうに!? 何故急に理解者ぶろうとする!?
ここは貴様がエリシアに食って掛かるところだろうが!?
我慢しきれず、思わず私がそう言おうとした時だった、エリシアがジェイクに反論したのだ。
「ジェイク、ラルフは私の大事なパーティーメンバーなんだからそういう言い方止めて。家族同然の大事な仲間をそういう風に言うジェイクは嫌だよ。ラルフに謝って」
ハハハハハ!!
実に愉快だ! さすが私のエリシアだ。こうも不愉快な男を黙らせてくれるとはな。忌々しい目をしたジェイク君もこれには堪えきれなかったのだろう。ようやくその本性が口から零れ落ちた。
「でも、そのピアスだって彼から貰った物じゃないの!?」
見ろ! これがジェイク君の本性なのだよエリシア! 今までエリシアが冒険者をやることに不満を抱えていたのだ。隠せているつもりだったようだが私には見えていたのだ。ジェイク君程度の人間など全て見透かしているのだよ。私にはジェイク君の心の中など簡単に理解できる。逆にジェイク君には私の考えなど理解できまい。それが君の限界なのだよ。大した才能もない無能がエリシアに触れるからこういう目に合うのだ。
「何がいけないの? マジックアイテムだよこれ。仲間から冒険に使う道具貰うのがそんなにおかしいの? ジェイクはそういう目で私達を見ていたの? 私とラルフは仲間であってジェイクが疑うような関係じゃない! 他人からこういうのを貰うのが嫌ならジェイクがくれればいいじゃない!」
エリシアも不満を抱えていたようだな。それも仕方がないだろう、こんなつまらない男が相手ではそう思うのも当然だろうからね。
「それは……」
言い返すことも出来ないジェイク君を置いてエリシアはさっさと準備を済ませると部屋から出てきた。もうこれ以上ここにいる意味はあるまい。
「とにかく、依頼には行くね。帰りはちょっと分からない……」
私はエリシアと一緒にケートへと悠々と戻るのだ。ジェイク君の無様な姿を思い出しながら噛み締めるように愉悦を味わう。
そうだとも、私にあんな忌々しい目など向けられてはいないのだ。今回も私の華々しい勝利で飾られたのだから。
……私をあんな目で見るなど許されないのだから。
以前、私の命令を拒んだ罰で村へ行く行商に手を回しておいたのだが、今回エリシアを迎えに行った際にその影響は確かに感じ取れた。全てはジェイク君が悪いのだが、それに巻き込まれた村人は哀れだな。もっともどうなろうとどうでもいいのだが。
大事なことだが私は何もしていない。ただ妹のアレイシアへの贈り物の購入先をここら辺の大店に競わせることにしただけだ。その結果、私に気に入られたい商人が勝手に行商に圧力をかけたのだ。私はそんなことをしろとは一言も言っていないがね。
ああ、あの村に気に入らない若者がいるとは零したかもしれないがね。アレイシアへの贈り物の選定には時間がかかるかもしれないが、良い物を選びたいからね。長引くのはしょうがないだろう。
もっとも行商に関してはジェイク君が気を利かせてエリシアの前からいなくなれば元に戻るかもしれない。まぁ、私の管轄ではないから断言は出来ないがね。




