6:故に従いたまえ ラルフ ③
エリシアがあの化け物の討伐を断念してから一月が経とうとしていた。エリシアにラルフと呼び捨てで呼ばせるところまで来たというのに何という足踏みだろうか?
ペトリリザードに関する資料などがないか王都の知り合いの学者に手紙を送ってはみたものの、色よい返事は貰えなかった。引き続き調査は行うらしいので待つしかない。
装備も良い装備が優先的に回るよう、商人達へそれとなく話しておいた。その結果割と貴重な魔物の甲殻等を使った防具が手に入ったばかりだというのに。これでは新調した防具を着けたエリシアの姿が見れないではないか。
アニーにどうするつもりだと聞いてはみたが今は待てと言うばかりで話にならない。痺れを切らしエリシアを迎えに行こうとしたらアニーに止められてしまった。聞けばアニー曰くこれは必要な時間だという。
「どういうことだ?」
「エリシアのことだから吹っ切るのは無理だと思うんだよねー。そっこでーうじうじするエリシアに我慢の限界が来るか、それに耐えかねて旦那さんが渋々復帰を認めるかのどちらかだと思うんだよね。どちらにせよ旦那さんの不満は溜まるから後の仕込みになるんだよねー」
この女は平民の割にはそれなりに頭が回ると前から思っていたが、実はかなり使えるかもしれんな。まぁ、役に立つならそれで構わん。平民とはいえ上手くやれば報酬はしっかりとくれてやろう。
それから間もなくエリシアはケートへとやってきて冒険者へと復帰した。どうやらアニーの策が功を奏したようだな。しかし、当のアニーは少しだけ訝しげな顔をしていたが何が気に食わないというのだろうか? エリシアがあの卑しい村人の下から出てきたのだ。これだけでもめでたいことだというのに。
皆でエリシアを歓迎するとエリシアは花が咲いたように笑っていた。そうだ、これからエリシアと共に私はあの忌々しい化け物を打ち滅ぼすのだ。そして更なる栄誉と名声を得るのだ。
いつまでもあのような下らない村人などに時間を使わせていていい理由は無いのだからな。
しばらく準備や金策などで依頼を受ける日々が続いたある日、私は愛用のレストランにアニーを呼び出していた。
アニーが来るまでにパンに紅茶と焼き菓子を食べながらゆっくり待つとするか。待ち始めてから十分ほど経った頃にアニーが部屋へと入って来た。私を見るなりげんなりとした顔をするが失敬なやつだ。有能でなかったら罰しているところだが感謝するといい。
私は用意しておいたマジックアイテムを広げて見せる。そしてその中から指輪を取り出してアニーの目の前に差し出して見せた。
「これは? くれるのー?」
「愚か者が、これはエリシアの分だ」
あの化け物を打ち滅ぼすのに対策しておく必要があるだろうと思って耐毒等の効果のあるマジックアイテムを用意しておいたのだ。パーティーメンバーの分用意してあるので数に問題は無い。しかし、エリシアには一段階上等な物を用意しておいた。万が一エリシアが毒でやられてしまえば我々は一気に窮地に陥ることになりかねない。私から渡したいところだが、エリシアが素直に受け取るには理由が必要だということは覚えていた。そのためにもアニーに任せてみようかと思ったのだ。
「というわけだ。この不調封じの指輪、上手く言って渡してもらおうか」
「指輪かぁ~。何とか上手く言ってみるけれど次からは一言言ってからにして欲しいかなぁ……私だって準備は必要なんだぞー」
そこら辺はお前の仕事だろう。アニーは不満を述べてはいたが、やらないという選択はしないようだ。指輪を受け取るとやれやれと言いながら部屋を出て行った。
私はエリシアの手に贈った指輪が輝いている光景を想像するだけで笑いが零れてくる。あの村人……確かジェイクだったか? ジェイクは私が贈った指輪を着けた妻を見ることになるのだ。さぞ悔しかろう、憎かろう。その苛立ちがエリシアに向かうことだけが不満だがな。どうせエリシアを責め立てることしか出来ない憐れな男だ。傷付いたエリシアを慰めるのは私がやってやろうではないか。精々私のために頑張ってくれたまえジェイク君。
指輪はアニーが上手く言って渡したようだ。エリシアのために作られたと言われても疑いようのないくらい良く似合っていた。素晴らしい出来だ、それにしてもエリシアにはこういう装飾品が良く似合う。贈ることも出来ない情けない男には相応しくない女性だ。
エリシアのところにまで私とエリシアが恋仲だという噂が届いたようだ。それを聞いたエリシアは激しい怒りを露わにしながらその話を持ってきた冒険者に詰め寄っていた。
「だから違うってば! もう誰なわけ!? そんないい加減なデマを流しているのは!」
激しく怒るエリシアを見ながら私はまだエリシアの心がジェイクにあることに感心していた。これなら私の妻になった後はさぞ貞淑な妻になることだろう。エリシアの口から奴への愛を語られるのは不快だが今は仕方あるまい。ここはエリシアの味方であることをアピールするためにも噂は否定しておくか。これなら私が唆したとは思うまい。
しかし、この噂が意外な効果を発揮したのだ。ジェイクがケートまでわざわざやって来たという報告を従者から聞いた時はあまりの滑稽さに笑いが止まらなくなりそうだった。
噂を耳にして居ても立っても居られなくなったのだろう。ただの村人が出来ることなどたかが知れているというのにご苦労なことだ。ふむ、エリシアに会いに来たのだろうが残念ながらエリシアはこれから護衛の依頼でしばらく遠出するのだがね。そこでしばらく滞在予定なので、それなりの期間会えなくなる可哀そうなジェイク君に会ってみるの一興かもしれない。
私は家令のフォルドに命じてジェイク君を呼びつけるように命じておいた。私が呼ぶのだから何を置いても駆けつけるのが平民の務めだというものだ。さて、彼にそろそろ現実を教えてやるいい機会だろう。何せ私は慈悲深いからな。
「すまなかったね、急に呼び出すようなまねをして」
卑しい平民にも丁寧に話しかけてやろうではないか。私は名乗ると同時にフォルドに茶を出すように指示しておく。それにしてもこの男がジェイク君か。平民らしいみすぼらしい格好だ、こんな男がエリシアに触れていたかと思うと悍ましさのあまり叫び出しそうになる。
「まぁ、貴族だが、公爵家とはいえしがない三男坊だ。あまり硬くならずにいてくれ……おっと済まない、爵位の説明はいるかね?」
平民には爵位のことが理解できていない者もいるからね。私が愛用しているレストランの個室だから私達以外居ないとはいえ礼儀を失されてもね。この部屋は壁が厚いから密談をするのに持って来いなのだがそんなことも目の前の男は分かるまい。
「いいえ、お気になさらないでください」
「フィランデル地方の紅茶だよ。味は癖が無いから飲みやすいだろう」
フォルドが運んできた紅茶の説明をしてやるがどうやらこれがそこそこ良い茶葉だということが分からないらしい。一緒に出した茶菓子にも手を付けようとしないのは食べ方が分からないからだろう。
「それはエリシアも好きでね。よく冒険中に持ってきていて飲んでいるよ。お菓子も欲しいと文句を言うところまでがセットだけどね」
嘘だがね。そんな余裕など依頼中にあろうはずがない。そんなことさえもジェイク君には分からないだろう。自分の知らない妻の話を他人から聞かされるのは実に悔しいだろう。私には耐えられそうにないがね。きっと普段からエリシアに嫉妬して醜い感情でもぶつけているのだろう。弱く小さな虫けらだが身を引くという栄誉を与えてやろうではないか。
アニーは待てと言うがこの程度の男なら気を使ってやる必要もない。エリシアもこんな虫がいなくなればすぐに目を覚ますだろう。
フォルドを下がらせて早速本題に入ろうか。これから護衛の依頼があることだし、あまり時間は使いたくない。
「さて、ジェイク君。君とは一度話をしておきたくてね。ただし、私もこれから依頼があるから時間がある訳ではない。なので、単刀直入に言わせて貰おう。エリシアは私の大事なパートナーだ。もう君の妻というつまらない立場にいていい人間ではない。今すぐ別れなさい」
さぁ、私に命じられたのだ。君は分かりましたと言ってそのドアから出ていくだけでいい。私は分かり切った答えを聞く前に出口を示そうとした。
しかし――
「お断りします」
「……気のせいかな? 今断ると言われた気がしたが?」
聞き間違いだろう。私の命令を断る権利など無いのだからそんなことを言うはずがない。ましてや私をつまらない者を見るような目で見ることなどあり得るはずがない。
「別れるかどうかは僕とエリシアの問題なので、他人から言われたことが理由で別れるつもりはありません」
「私は穏便に話を進めたいと思っている。ジェイク君、君にとってエリシアは金の卵を産む鶏かもしれないが欲をかきすぎるのは良くない」
なるほど、エリシアのこれからの名声に期待してタダで手放す気はないということか。卑しい平民が考えそうなことだ。仕方あるまい、エリシアを金で買うような真似はしたくなかったのだがジェイクが欲に目が眩んでいる以上は他に方法があるまい。
いっそ殺してしまうことも考えたが、エリシアは優しいからな。こんな夫でも死因を調べれた結果殺されたとなればどうなるかは分からない。たかが平民だがエリシアがいる以上は守られているということだ。
しかし、私の忠告に驚いたふりをするとはそこまでして値を吊り上げたいか。仕方あるまい。
「君が望むならまとまったお金も渡そう。平民が持つには過分な額だが、次の人生を歩むには必要な分だろうからね」
金貨七十枚分の入った袋を従者に持ってこさせテーブルの上に置かせた。私なら自分で稼ぐことも出来る金額であり、この程度なら資産から出しても痛くもかゆくも無い。
「そのまま持ち帰るといい。エリシアと別れるのもすぐには無理だろうから一月は待とう。何か適当な理由をつける時間も必要だろう?」
「それは受け取れません。僕はエリシアを裏切るつもりもありませんから。それにエリシアが稼いだお金は当てにしていませんので仮に無くても構いません。誰が何と言おうと僕はエリシアという女性が大事なんです」
……また何か言っているようだ。私の慈悲を蹴り、あまつさえエリシアへの愛を語るだと?
どうやら本気で愚かなようだこの男は。それならばそれで仕方あるまい。愚か者にも分かるように丁寧に話してやるとするか。愚かな平民を躾けるのも貴族の務めなのだからな。私は聞き分けのない子供に話しかけるように説明をしてやる。
「いいかい? エリシアは凄まじい魔法剣士の才を秘めている。そして今、実際に高みへと駆け上がっているのは理解できるだろう? そんな彼女には相応しい場所で相応しい人間関係という物が必要だ。ただの何も無い平民などと結婚したのは彼女の唯一の汚点と言える。しかし、今なら間に合うのだよ。持った才能と実力に相応しい立場、地位、権勢に名誉。ジェイク君、君が彼女の未来を閉ざしているのだ。それは果たして愛と言っていいのか? 君の執着に過ぎないのではないか?」
私が丁寧に説明してやるとジェイク君は何かに気が付いたような顔をした後、エリシアと私の恋仲の噂を私が流したと言い始めた。
どうせこの男には分かるまいと適当に誤魔化したが、ジェイク君は首を振ると否定してきた。
「エリシアは浮気をするタイプではないので噂は否定できます。ただ。自分の行動がどういう意味を持つのか、他人からどう見られるか無頓着な部分があります。この性格が原因でトラブルになることもあったのですが、今回はラルフ様との関係の噂に誰もが肯定的です。だから誰かが肯定的になるように誘導したと思ったんです」
随分と飛躍している話ではないかね? そう聞けば意外なことを言ってきた。
「いえ、ラルフ様は“疾風の勇者”と呼ばれるほどの冒険者です。さらに公爵家の方でもあらせられます。いくらエリシアが人気のある冒険者でも所詮平民です。やっかみはいくらでもあるでしょう、それが無いというのは不自然です」
「……なるほど。エリシアの夫というのは馬鹿ではないようだな。そうだ、噂は私が流したよ。大事なパートナーであるのは事実だが、彼女はなかなか落ちてくれなくてね。先に外堀を埋めてしまおうとは思っていたが。まぁ、少し目端の利く人間にはバレるその程度の策だがね」
……エリシアへのやっかみが無いことに気付かれたか。無いのは当然だ、私が従者に命じて噂が広がり始めた時期に金を握らせて誘導していたのだからな。エリシアへのやっかみで邪魔されるなどあってはならないのだ。
それにしても路傍の石かと思えば意外と邪魔な石だったな。私の工作が平民程度に見抜かれるとはね。それなりに賢しいようだ。目障りな男だ……何より私を憐れむような目が気に入らない。
「……エリシアには言いませんよ」
「言えば私を悪く言われるのを嫌う彼女と喧嘩になるからだろう?」
そうなるように今まで誘導してきたからね。アニーは随分と使い勝手の良い駒だ。エリシアに直接言えないことが悔しいようだが、それは君とエリシアの問題だろう? 私のせいにしないで欲しいものだ。
まぁ、万が一話でもすればそれはそれで構わないがね。エリシアは信じないだろうし、彼には貴族の名誉を傷つけたとして罰を与えてもいい。
「まぁ、私の言うべきことは言った。早く別れる準備をした方がいい」
所詮何も出来ないのだから私の言うことを聞いていればいいのだ。私はそう言って部屋を出るように促す。これ以上彼を視界に入れていたくはなかったのだ。ジェイク君の歯向かうような目に苛立って仕方がない。
私をそのような目で見るなど許されることではないというのに!
たかが平民の分際で……何様のつもりだ!
ジェイク君が出て行った後も苛立ちは収まらなかった。フハハハハ……良いだろう、私に向かってあのような目を向けた愚か者には罰をくれてやろう。
私はどのような罰が良いかを考え始めていた。




