16:彼女に関するラルフの主張
「すまなかったね、急に呼び出すようなまねをして」
少しもすまないと思っていない笑顔で僕を見てくる、僕の目の前にいる男性は自分のことをラルフ・スフィールドと名乗った。
「まぁ、貴族だが、公爵家とはいえしがない三男坊だ。あまり硬くならずにいてくれ……おっと済まない、爵位の説明はいるかね?」
身なりの良い男性に連れて来られた場所は、ギルドから少し離れた場所にあるレストランの個室だった。見た感じ壁も厚そうだし、造りを見るにこういう聞かれたくない話をするにはちょうどいいのだろう。それにしても最初からバカにしてくれる。昔ならいざ知らず、今は村人でも爵位の知識くらいは持っている。
「いいえ、お気になさらないでください」
相手は貴族なのだから無難に返しておく。はらわたは煮えくり返るけれど正面から喧嘩を売るほどバカじゃない。
「フィランデル地方の紅茶だよ。味は癖が無いから飲みやすいだろう」
ラルフさんはそう言うと先ほどの年配の男性が紅茶とお菓子を持ってきた。確かに香りもいいしお菓子は美味しそうだけれど、手を付ける気にはならない。向こうも流石貴族だな、こういう時の面の皮の厚さには感心する。
「それはエリシアも好きでね。よく冒険中に持ってきていて飲んでいるよ。お菓子も欲しいと文句を言うところまでがセットだけどね」
僕の知らないエリシアの話をしてくる。エリシアが紅茶を好きだとは知らなかった。村では手に入れるのは難しいし家にそんなものはない。もしかしたらエリシアは僕の薬草茶に少しだけ飽きていたのかもしれないと思ってしまった。
「ありがとう、フォルド。下がっていて良いよ」
年配の男性はフォルドさんというらしい。一礼をするとそのまま後ろの方で直立不動のまま待機し始めた。ラルフさんはそのままフォルドさんを気にすることなく話し出した。
「さて、ジェイク君。君とは一度話をしておきたくてね。ただし、私もこれから依頼があるから時間がある訳ではない。なので、単刀直入に言わせて貰おう。エリシアは私の大事なパートナーだ。もう君の妻というつまらない立場にいていい人間ではない。今すぐ別れなさい」
なんだ、やはりそういう話か。僕は予想通りの話で内心では辟易していた。結局、あのゴブリン冒険者から言われている内容と変わらない。“疾風の勇者”もただの冒険者の一人だということか。思ったよりもつまらない人物らしい。
「お断りします」
僕はハッキリと意思を込めて断った。貴族だろうとこれには従えない。
「……気のせいかな? 今断ると言われた気がしたが?」
「別れるかどうかは僕とエリシアの問題なので、他人から言われたことが理由で別れるつもりはありません」
僕とエリシアの結婚は神殿の誓約によって守られている。だから貴族のラルフさんでも別れろとしか言えないはずだ。神殿に喧嘩を売るような蛮勇は行わないだろう。
それともまさか本気で僕がはい分かりましたと言うとでも思っていたのだろうか? もしそうだとしたら信じられないバカだ。
「私は穏便に話を進めたいと思っている。ジェイク君、君にとってエリシアは金の卵を産む鶏かもしれないが欲をかきすぎるのは良くない」
何を言っているんだ?
僕はラルフさんの言葉に唖然とした。しかし、僕が驚いて何も言えないでいるとさらに続けてきた。
「君が望むならまとまったお金も渡そう。平民が持つには過分な額だが、次の人生を歩むには必要な分だろうからね」
そう言うとテーブルの上のベルを鳴らした。フォルドさんの後ろにいた、若い従者が大きめの袋を持ってきた。テーブルの上に置かれた時、ドサッと重い音がした。それだけで凄い金額が入っているのが分かる。もっともそれがどうしただ。
「そのまま持ち帰るといい。エリシアと別れるのもすぐには無理だろうから一月は待とう。何か適当な理由をつける時間も必要だろう?」
まるで決定事項みたいに勝手なことを言ってくれる。馬鹿にしている、貴族とか平民とか関係なく僕個人を馬鹿にしている。
「それは受け取れません。僕はエリシアを裏切るつもりもありませんから。それにエリシアが稼いだお金は当てにしていませんので仮に無くても構いません。誰が何と言おうと僕はエリシアという女性が大事なんです」
再度拒否するとラルフさんは困った顔をして僕を諭すように話しかけてきた。まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように。でもそうやって話しているラルフさんの表情こそが癇癪を我慢している子どものように見えてくる。
「いいかい? エリシアは凄まじい魔法剣士の才を秘めている。そして今、実際に高みへと駆け上がっているのは理解できるだろう? そんな彼女には相応しい場所で相応しい人間関係という物が必要だ。ただの何も無い平民などと結婚したのは彼女の唯一の汚点と言える。しかし、今なら間に合うのだよ。持った才能と実力に相応しい立場、地位、権勢に名誉。ジェイク君、君が彼女の未来を閉ざしているのだ。それは果たして愛と言っていいのか? 君の執着に過ぎないのではないか?」
諭すように話しているがどこか余裕の無い姿に僕はあることを確信した。
「噂を広めたのはラルフ様ですね?」
「なぜ私だと? 私とエリシアの親密さを他の冒険者が広めただけでは?」
ラルフさんは肩をすくめてくだらないと呟いた。大袈裟なリアクションが逆に真実だと語っていた。
「エリシアは浮気をするタイプではないので噂は否定できます。ただ。自分の行動がどういう意味を持つのか、他人からどう見られるか無頓着な部分があります。この性格が原因でトラブルになることもあったのですが、今回はラルフ様との関係の噂に誰もが肯定的です。だから誰かが肯定的になるように誘導したと思ったんです」
僕がそう言うとラルフさんは面白そうに笑った。
「飛躍しているね?」
「いえ、ラルフ様は“疾風の勇者”と呼ばれるほどの冒険者です。さらに公爵家の方でもあらせられます。いくらエリシアが人気のある冒険者でも所詮平民です。やっかみはいくらでもあるでしょう、それが無いというのは不自然です」
僕がそう告げるとラルフさんは一瞬だけ苦い顔をした。すぐに余裕のある表情を作り出すと腕を組んで座りなおした。
「……なるほど。エリシアの夫というのは馬鹿ではないようだな。そうだ、噂は私が流したよ。大事なパートナーであるのは事実だが、彼女はなかなか落ちてくれなくてね。先に外堀を埋めてしまおうとは思っていたが。まぁ、少し目端の利く人間にはバレるその程度の策だがね」
ラルフさんは僕を正面から見て来た。それは僕を路傍の石として見ていた時とは違う何かがあった。小石につまづいたのが許せないと言ったところか。だとしたら随分小さな子供だろうか。
「……エリシアには言いませんよ」
「言えば私を悪く言われるのを嫌う彼女と喧嘩になるからだろう?」
嫌な人だ。分かっていてやっているくせに。人間性が透けて見える嫌な笑い方をする。それに言えばエリシアはラルフさんに突撃するだろう。要はそうするなという脅しだこれは。
現状では何も打つ手が無いのが悔しいけれど少なくとも今は耐えるしかない。まだ直接殺そうとしないだけマシなのかもしれないな。
「まぁ、私の言うべきことは言った。早く別れる準備をした方がいい」
ラルフさんはそう言うと部屋を出て行った。出て行く際にちらりと僕を一瞥して行った。その目の奥には確かに僕への苛立ちのような憎しみが見て取れた。
フォルドさんに見送られて外へ出るとまだ陽は高かった。結構時間が経っていた気がしたのだがそんなに経ってはいないようだった。
ケートを出発する商人と一緒にエリシア達が出て行くのが見えた。ラルフさんもいるのが確認できたけれど、今あそこに殴りこんでも勝機は薄いね。エリシアを信じるしかないとはいえ、不安が消えそうにない。
エリシアの後姿に手を伸ばそうとして僕は止めた。そんなことをしても届かないのだから。
エリシアが冒険に出てから一週間が経ったけれど帰ってくる様子が無い。予定が狂ったのだろうかと思って待ってみたけれど手紙すら来なかった。結局何の連絡も無いまま十日が過ぎ僕の誕生日がやってきた。
僕の誕生日は村のみんながいろいろ野菜や果物など持ってきてくれて祝ってくれた。夜はエリシアの実家でお義父さんとお義母さん、アリアにオーベル夫妻が来てくれてささやかだけど宴も開いてくれた。
「おめでとうジェイク! お前もこれで一つ爺に近づいたな」
「オーベルだって同じ年の癖に何言ってるんだよ」
エールを飲みながらご機嫌なオーベルの足を蹴飛ばしてやる。痛がっているオーベルは放置しておこう。どうせシェリアさんが甘やかすんだから。
「まったくあんたはバカだねぇ」
シェリアさんは呆れながらもオーベルの世話を甲斐甲斐しく焼いている。僕はそんなシェリアさんが焼いてくれたウサギのパイ包みに舌鼓を打っていた。お義母さんが教えただけあってしっかり基本を守っていて美味しいや。そのお義母さんが焼いてくれたアプルの実のケーキは絶品だった。
「まったく、あの娘は何してんだか……」
「止めなさい、こんな日に言うことじゃないだろう」
お義母さんがエリシアがいないことにぼやいているとお義父さんがたしなめてくれた。僕はエリシアが約束を破るとは思っていない。だから手紙が来ないのは何か理由があると思うことにしている。
もちろんそれでも心配だけれど、ここでそんな顔をしていたら皆に心配かけてしまう。皆にはエリシアが冒険に出ていて何かトラブルがあったのかもしれないとは説明したけれど、エリシアなら大丈夫だよと言っておいた。
エリシアが僕との約束を破るなんて思ってはいないのだから。だから何か理由があるに違いないんだ。
しばらく食事を楽しんだ後、お義父さんとお義母さんが父さんの好きだったというワインをくれた。たまにちびちび飲んでいたと教えてくれて、僕の知らない父さんの話は嬉しかった。
「お前さんの親父さんは村の皆に頼りにされていたからな。こんな村で生まれたにしては頭が良かったし、みんなのリーダーみたいなところがあったよ」
「そうそう、それにあんたのお母さんはそんな親父さんにそれはそれは夢中だったんだよ。このワインはあんたのお母さんが親父さんにたまにプレゼントしていたものなのさ」
知らなかった。父さんは僕の前ではお酒は飲まなかったからそんな話があったなんて。それにしても母さんらしいや。父さんのこと大好きだったもんな。
アリアは新しい上着をくれた。以前の上着はもうくたびれていて見ていられないと言われたのは少し恥ずかしかった。今まではエリシアが見繕ってくれていたから、ついつい気付かないでいたのだけれどもアリアにはバレていたらしい。
オーベルとシェリアさんはオーベルが森で採ってきた果実をシェリアさんがジャムにしたものをくれた。ジャムは可愛らしい瓶に入っていて飾りとしても使えそうだ。オーベルに聞くとシェリアさんが選んだと言う。あたしにしては可愛いのを選んだねと照れ臭そうに笑っていた。
そうして時が過ぎ、エリシアが帰って来たのは出発した日から二週間後の夜だった。
ラルフのキャラクターがバレてしまいましたね( ̄ー ̄)ニヤリ




