18:私の嘘はバレていました
オレンジの光が薄く開けた目に飛び込んでくる。ゆっくりと瞼を開くと太陽は沈みかけもう夕方になろうとしていた。
「……寝ちゃってたんだ」
豆のスジを取ろうと思ってテーブルで作業していたんだけれど、うっかり寝ていたみたい。強張った体を伸ばして深く息を吐くと少しだけ楽になった気がした。
「……夕飯準備しないと」
ジェイクは今日は雑用の方で外で作業しているからまだ帰ってきていないみたい。良かった、今日は帰ってくるのが遅くて。まだ何も準備できていないから急いで準備しないと。
「しまったなぁ、大したものが無い……」
本当は今日は豆とじゃが芋のスープを作ろうと思っていたけれど今からだととても間に合いそうにない。パンはギリギリあるけれどそれ以外の食材が少し心もとない。
「雑貨屋はもう閉まるよね?」
こんな田舎だから村の雑貨屋は閉まるのが早い。もしかしたらまだ開いているかもしれないけれど、こんなギリギリの時間に行けば迷惑になってしまう。実家に頼るという手もあるにはあるけれど……。
「お母さんがうるさそう……やっぱりやめておこう」
小言を言われるのが分かり切っているし、アリアもプリプリ怒り出しそうだし。お義兄さんにまともな食事も出せないなんてとか言われるのは流石に遠慮こうむりたいからね。
「シェリアに聞いてみようかな」
オーベルと一緒に暮らしているシェリアも最近は奥様しているし、分けて貰えるものが何かあるかも。こんな村だとお互い助け合うという習慣からかこういうことは良くある。
もちろん、貰いっぱなしは悪いから程よいバランスというものがあるけれど。家からもいろいろあげたりしているし貰いっぱなしにはなっていないと思う……多分。
「急がないとジェイクが帰って来ちゃう」
慌ててエプロンを外して乱れていた髪をまとめてオーベルの家へと向かう。オーベルの家はすぐ近くだから時間は大してかからない。
「ごめーん、シェリアいる?」
玄関から少し大きめの声を出してシェリアを呼んでみる。少し待ってみると奥の方からちょっと待ちなって声が聞こえてきた。それから間もなくエプロンを着けたシェリアが出てきた。今は鎧じゃなくてエプロンによくある村の女性が着ているワンピース姿だ。手には斧じゃなくて鉈を持っている……あんまり変わらないかも。
「薪割り?」
「誰かがやらないといけないからね。オーベルは今日は狩りに出ちまっていて一日いないからね、もっともそろそろ帰ってくるとは思うけど」
「そっか、上手くやっているようで安心かな。それでちょっとお願いがあるんだけど……」
私はシェリアに何か少し分けられそうなものは無いか聞いてみた。しばらくあれこれ探してくれた結果ちょっと古い干し肉とニンジンが見つかったので分けて貰うことにする。
「ありがとう、シェリア。明日なんか持ってくるね」
「それはいいんだけどさ……」
シェリアは何かを言いたそうにしているけれど私はそれに気づかなかったことにする。今の私は幸せで何も問題はないのだから。
「じゃあ、またね」
何か言いたげなシェリアをそのままにして家路へと急ぐ。そろそろ陽が完全に沈んでしまうからジェイクが帰って来ちゃう。ジェイクは優しいから怒らないけれど、あまり待たせたくはないから。一日外で力仕事をしてきたジェイクをお帰りなさいってお出迎えしたいから。
荷物を持って走っても息が切れることはなかった。昔はこんなに走ったら息が切れていたのに……いつの間にか鍛えられていたみたい。
さぁ、ジェイクが帰ってくる前に済ませておかないと。
夕焼けの風が頬を撫でる。懐かしい冒険の匂いがしたけれどそれは気のせいだから。
そんな日々を過ごして二週間経った。最初は朝起きるのが辛かったけれど最近は早起きの習慣が復活してきたかも。ついうっかり昼寝しちゃう癖もついたから困ったものだけど。少しだけなら良いよね?
ただ最近は気が付けばぼんやりしてしまうことが増えた。特に何を考えているわけでもないけれど、夏に近づいていく青い空を見た時や、森の方を見ていたりするとぼんやりしてしまうみたい。
この前なんか妹のアリアに見つかって起きろと言わんばかりに頬をつねられたことは忘れてはいない。おのれ妹め、姉の頬を赤くなるまでつねるなんて。今度教育的指導が必要だと私は思っている。
「……洗濯物も終わったし……次は何しようかな」
私は幸せで足りないモノなんてない。
私は満ち足りていて欲しいものなんてない。
そうでなくてはいけないのだから。
「エリシア、ちょっといい?」
夕食の片づけが終わった後、鍛冶場の方で少し作業があると言っていたジェイクが戻ってきた。手にはクロノスフィアが握られている……なんで?
「お茶を淹れるから座ってて」
ジェイクがお茶を淹れてくれているから大人しく待っていようかな。最近は薬草茶を淹れてくれなかったけれど……この匂いは薬草茶かな……嬉しい。
「お待たせ、少し熱いから気を付けてね」
「ありがとう、ジェイク」
ゆっくりと飲んでみると優しくて少し苦めの味がした。新しいブレンドかな? 今まで飲んだことが無い味だと思う。
「美味しいね、このブレンド」
「良かったよ。最近新しく作ろうと思っていろいろ試していたんだ。一番最初はエリシアに飲んで欲しかったから」
ジェイクはいたずらが成功した子供のように楽しそうに笑っている……なんか可愛いかも。
「それで、そのクロノスフィアはどうしたの?」
私が尋ねるとジェイクはクロノスフィアを抜いて刀身を見せてきた。
「手入れは行き届いているのが分かる?」
「……う、うん」
ジェイクの言う通りしっかりと手入れされていた。でも私は諦めてから一度も手入れなんかしたことがない。というよりここまで綺麗に手入れなんかできないよ。
「作ることは無理でも手入れくらいなら僕でも出来るからね。それでもかなり気を使ったけれどね」
どうして……手入れなんかしたの? それはもう振るわれることもないのに。
「……なんで? それはもう使わないよ?」
「……初めはただ、この剣がこのまま朽ちていくのが嫌だったんだ。これでも鍛冶師の端くれだからね。手入れですら僕の手に余るような代物だけれど、最低限の手入れなら出来るかもって思ったんだ」
ジェイクはどこか遠くを見ているような感じで話し続ける。
「最初は余計な油を拭ったり埃を掃うことしか出来なかったよ。でも毎日見ていると少しずつだけれどこの剣のことが分かってきた気がしたんだ。もちろんそれはほんの少しなんだと思う、でも確かに成長できた自分がいたんだ。そんなことを繰り返して今日、ようやくまともな手入れが出来るようになった気がするよ」
ジェイクはそう言って誇らしそうに私に笑いかけてきた。少年のような明るさともう子供じゃないって分かる大人の顔を見せながら。大好きな私の旦那様は少しでも成長できるようにって頑張れる人なんだって分かってなんか嬉しかった。
「この剣の手入れが終わった後、エリシアに見せたいって思ってしまったんだ。その時、エリシアが強くなっていくことに、成長していくことが楽しいっていう気持ちも理解出来たよ。そうしたらもう見て見ない振りは出来なくなったよ……エリシアが無理をしているって」
私は無理なんかしていないよ? 私は納得して諦めたんだから……だからそんな風に言わないで?……ねぇ……やめて……突き付けないで。
「僕はエリシアが冒険者をやることをちゃんと理解していなかった。危険なことがあるって理解しているつもりになっていたんだ。愚かにもエリシアを自分の知らない所で永遠に失うってことを何一つ理解していなかったんだ。それに気が付いてから僕は心から恐ろしくなってしまった、そして僕は過ちを犯したんだ」
「過ち? 何のこと? それに怖いのは普通だよ、ジェイク」
「違う、過ちはエリシアを失う可能性を理解して恐怖したことじゃないんだ。その恐怖をエリシアを安全な場所に閉じ込めるための言い訳にしてしまったことなんだ。僕は……エリシアが例の化け物に殺されてしまうって思ってしまった。一緒にいられないことも寂しかったけれど、それよりももう会えなくなるかもしれないことが怖くて君を閉じ込めてしまった。君の気持ちをすべて無視して。僕はそんな卑怯者なんだ」
私はなんて言えば良いのか分からなかったけれど、それでも震えているジェイクの手を握らずにいられなかった。少しだけ冷えてしまっている手を両手で包み込むように握るとジェイクがビクッと震えるのが分かった。
私はこれだけの恐怖を与えていたんだ。自分の都合を優先して傷付けて、放っておいた罪がジェイクを傷付け続けている。
「なら、もう安心して。私はずっとここにいるから、ジェイクの側にいるから」
大好きな人だから、卑怯者なんかじゃないし、例え卑怯者だとしても愛しているから……どうすればあなたは安らいでくれるのかな?
「……渡り鳥は飛ばなくなったら生きていけない。僕はエリシアという渡り鳥の羽を切ろうとしていたんだ」
「ち、違うよ! ジェイク! そんなことない! だって私は」
「笑っていないんだ……」
え?……私はあなたの側にいて幸せなのに?
「冒険者になりたいって僕に話した時のように目が輝いていないんだ。笑顔だけれどそれはエリシアの笑顔じゃなくて幸せだから笑ってなきゃいけないっていう顔だった……幸せは笑っていなきゃいけないなんてモノじゃない! 幸せだから笑えるんだ! 笑うから幸せなんじゃない! でも僕はエリシアのそんな我慢に甘えてしまっていたんだ!」
私はどんな顔をしていたのかな? 上手く笑えていなかった? 無理をしていたのかな?
「それって悪いことなの? ジェイク」
「……悪いことじゃないのかもしれない。でも僕はエリシアは幸せでいて欲しいし、やりたいことをやっていて欲しかったんだ。恐怖に負けてそれを潰すような真似をしてしまった僕が言えることじゃないのかもしれないけれど」
「……私はいつも勝手に決めて後から話すことばかりだったから心配させてしまったんだと思う。本当はジェイクに相談してから決めるべきことばかりだったのに」
「冒険者をやる以上、その場で決めないといけないことは多いと思うよ。そんなことをさせてしまっていたらエリシアは自分で何も決められなくなると思うし。だからこれは僕が覚悟が足りなかったことが原因でもあるんだ」
私はジェイクの手を強く握って目を見つめる。
「私にも悪かった所はいっぱいあるの。復讐のこともジェイクに一言話してから決めれば良かったんだから」
「僕は……エリシアが我慢して日々を過ごす姿をもう見たくない。だからこのクロノスフィアを手入れしたんだ。僕に出来ることなんかほとんど無いし、家で待っていることしか出来ない。エリシアが何日も帰って来れない時だって待つしかない。でも、そういう生き方を選んだんだ。だから僕はずっとここで待ち続ける」
「……ジェイク」
気が付けばジェイクの震えは止まっていた。包み込んだ手は暖かくて優しい温もりを伝えてくれる。大好きな人の手だからもっと触れたかった。指を絡めるように握り合うともっとジェイクの手が強く感じられた。鍛冶で荒れた力強い手、きっと剣を握っていた私の手は柔らかくないんだろうな。
「エリシアの手は僕は好きだよ。どんな手でも優しい陽だまりのような愛しい人の手だから」
「ジェイク……大好き」
「僕も大好きだよ、エリシア。だから行っておいで、エリシアの大事なモノを守るために、奪われた誇りを取り戻すために、そして何よりエリシアが輝くために」
もう言葉はいらなかった。それ以上ジェイクに言わせないために唇で黙らせる。何度もしたキスはいつもより優しいキスだった。
「じゃあ、行ってくる。しばらく帰れないかもしれないけれど手紙は必ず出すね」
私は冒険者としてのいつもの装備を整えるとジェイクに振り返った。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
私とジェイクは新しく約束事を決めた。手紙を必ず週に一回は出すことを。これなら帰れなくても相談は出来るし話すことだってできる。もちろん帰れる時は帰るけれど、これからはそうもいかなくなることも増えると思う。
でも二人で決めたことだった。冒険者でいる間は全力を尽くして頑張ってみると、一緒にいられなくても心は一緒だって前にジェイクが言ってくれたように、そんな二人でいたいから。
「そうだ、これを持って行ってよ」
「なにこれ?」
丸い容器に入った何か? 薬かな?
「例の化物は毒を使うって聞いたから毒を抑える薬だよ。まぁ、気休めくらいにしかならないかもしれないけれど無いよりはましかなって」
「ありがとう、ジェイク。使わせてもらうね」
薬は貰ったし準備は万端、それじゃ行こうかな。幸い行商のおじさんが連れて行ってくれるから助かったよ。
「エリシア必ず無事に帰ってきて」
信頼と不安が入り混じった瞳が私を見てる。
「もちろん」
だから私は私に出来る限りの笑顔を浮かべてジェイクに応えた……少しでもジェイクに安心して欲しかったから。
風はもう私達の不安を連れたまま吹き抜けていくことは無かった。二人で決めたことだから、今はあいつを殺すことを一番に考えよう。
遅れた分を取り戻さないといけないね。
それじゃ、行ってきます。
冒険の再開です!




