17:私が折れたこと
「ただいま、ジェイク。お腹すいちゃった」
家へと帰った私を出迎えてくれたのは美味しそうな夕飯の匂いだった。なんとか泣かないようにジェイクには笑顔を見せることが出来たかな? 泣いたって何も解決しないのだから……私には泣いている時間なんかない。
着替えるために部屋に入ると我慢しきれなくなった涙が零れてくる。ジェイクの顔を見たら張りつめていた糸が切れてしまったような感じがした。本当はジェイクの胸に飛び込んで声の限り泣きたかった。辛くて悲しくて張り裂けそうな痛みが胸の中でキズのようにじくじくと響き続ける。
でも、それだけは選べなかった。もしここでジェイクに甘えてしまえばもう二度と立ち上がることが出来ない、そんな気がしてしまったのだ。あの化け物を殺すことは止められない。あいつだけはこの手で殺したい。だからこそ、ここでジェイクに甘えてしまうことは諦めることと同じだと私の魂が叫んでいる。
自分でも思っていなかった、仲間をやられたこと、負けたこと、それらがこんなにも悔しさとして胸を占めるなんて。私は自分でも気が付いていなかったけれど負けたままは耐え難い性格だったらしい。
もう自分でもどう処理して良いか分からなくなってきた。
「……ジェイク……つらいよぉ……」
つい零れた言葉は誰にも聞かれることなく溶けて消えていった。
「それでね、レイラは神殿の治療院で治療のために置いてもらっているの。治療法がさっぱり分からないから研究しながらになるとは言われたけどね」
何とか立ち直った私はジェイクの夕飯を食べながら今までのことを説明しておいた。シェリアのことはジェイクの方が詳しいので逆に聞くことになったけれど。レイラのことを話すのはつらかったけれどちゃんと最後まで話すことは出来た。ジェイクが思ったよりショックを受けているようだったのが意外だったけれど。
レイラのことを説明した後ジェイクが急に祈りを捧げだしてびっくりした。
「どうしたの? ジェイク。急にお祈りなんかしちゃって」
「レイラさんが早く治りますようにってお祈りしてたんだ。気休めにもならないけどね」
なるほど、確かに気休めにもならないけれどその気持ちは優しいと私は思うよ。
「そうだね、ありがとうジェイク。気持ちだけでも嬉しいよ」
ジェイクに心からの感謝を込めてお礼を言う。だって仲間のために泣きそうな顔をしてくれるジェイクのことが嬉しくないわけない。私の大好きな旦那様はとても優しい人で、人の悲しみを自分のことのように泣いてくれる人なんだって思うと愛しさが胸に溢れてくる。
だからこそちゃんと話さないといけない。私がどんな選択をしたのかを……それが彼を寂しがらせることになると分かっていても、ちゃんと話して分かってもらわないといけないんだ。じゃないと仇を追うことなんて出来そうになかったから。
私は本気であいつを殺したいって思っている。仲間をやられた恨みもあるし、負けたままじゃ終わりたくない。
許してもらえない時は……諦めるしかないのかな。
「あの化け物を追うことにしたの。仲間の仇も討ちたいし、剣士としても負けたままでは終われない。だから私はラルフ達とで新しいパーティー“勇気の剣”を組むことにしたの」
ジェイクはしばらく無言で目を閉じて深く考え込むように眉間にしわを寄せた。
「それはそこまでして、エリシアがやらないといけないことなの?」
絞り出すようにジェイクが聞いてくる。それはまるでこれ以上聞きたくないと言っているように聞こえる声だった。ジェイクのこんな声は初めて聞いた。
―――ああ、胸が痛い
「やらないといけないことじゃないけど、私がやりたいことなの。冒険者は危険なのは理解しているよ。でもあの化け物を放っておきたくないの」
もちろんこれは私のわがままだと理解している。今まで以上にジェイクに会えないのはつらいよ。でも、どっちもは選べないから今は復讐を選んだんだ、私は。
「他にも冒険者はいるし、領主様たちが対処してくれるかもしれないのに?」
「他の誰にも譲りたくないんだ。あいつは……あの化け物は私が殺したい」
はっきりとジェイクに殺したいと告げた。今まで私が使うことがなかった言葉……殺意なんてモノを私が持つなんて昔は想像したこともなかった。
ジェイクは顔に出さなかったけれど私には驚いたことが分かった。一緒にいた時間が長いからね、他の人には分からなくても私には分かるよ。
「一年の約束は守るよ、それまでに終わらせる」
素直な気持ちを全部ジェイクにぶつけた私はもうこれ以上の言葉を持っていなかった。
「……少し時間をくれないかな」
ジェイクは私を見ることなく寝室へと行ってしまった。残された私は後を追うことも出来ずただ石になったように固まってしまい立ち上がることすら出来なかった。
あれから三日経ったけれどジェイクが返事をくれることはなかった。私はジェイクがちゃんと話してくれるまでは村を出る気は無かったので今日も家事をやりながら訓練を続けていた。
アニーには手紙を出して状況を説明しておいたからしばらくは大丈夫だと思うけど……。
その日の夜、ジェイクと会話もないまま夕食を食べ終わった後、私はお酒を飲む気にもなれなくてぼんやりと月を見上げていた。
今でも脳裏に浮かぶあの化け物の瞳が頭にこびりついて離れない。あいつは必ず私を探しに来ることは分かっていた。もし、ここにあいつが現れたらと思うと怖くてたまらなかった。
「エリシア……」
気が付けばジェイクが私の後ろで難しい顔をしていた……話の続きかな?
「やっぱり、危険すぎる。僕は賛成できない……化け物を追うのは止めて欲しい」
あぁ、やっぱりそうだよね。普通はあんな話を聞けば反対するに決まっている。やられたらやり返すなんて考えるのは一部の人間だけだもんね。
「やっぱり心配だよね」
「エリシアを失うことも嫌だし、そんな化け物を追えば帰ってこれる日も減るだろう? 流石にこれ以上はつらい……かな」
ジェイクの言う通り帰ってこれる日は確実に減ると思う。準備にはお金がかかるから、そしてお金を稼ぐには今まで以上に厳しい依頼を受ける必要がある。それにはケートでの活動だけでは足りなくなってくるのだから。
「……そっかぁ、ダメ……だよね」
「ズルいと分かっているけれど、僕はエリシアがこれ以上遠くに行くのは嫌なんだ。だから側にいて欲しいって素直に言うよ」
そう言うと私を抱きしめてきた。暖かいジェイクの体温に私の力が抜けていく。ズルいよ、私がこの温もりに抗えるわけないじゃない。
参ったなぁ、ジェイクがここまで言うなんてちょっと思っていなかったよ。でもここまで素直に愛情表現されると奥さんとしては嬉しいかな。
―――それに
「……うん、分かったよ。ジェイク」
私はジェイクを愛している。あなたの悲しそうな顔なんて見たくない。
気が付いているジェイク? 難しい顔をしているけれど本当は泣きそうになっているって分かっているんだよ?
ジェイクは昔から我慢強かったものね。そんなあなたが隠しきれないなら、それは凄い苦痛を与えてしまっているということなのだから。
ごめんね、ジェイク。
ちょっと無謀な夢を見ちゃったのかな?
もう起きるね、朝がやって来たみたいだから。
だから、もう泣かないで。
私が諦めてから二日経った日の午後、アニーが訪ねてきた。
「やっほー、エリシア」
「いらっしゃいアニー」
アニーがお土産にケートで有名なお菓子を買ってきてくれたのでお茶の準備をしようかな。甘さ控えめの焼き菓子だからお茶は逆に少し濃いめにしようかな。薬草茶はジェイクの方が淹れるのが上手いから、紅茶にしようかな。
ジェイクは今は仕事で鍛冶場にいるから仕事の邪魔をしちゃいけないしね。
「エリシア意外と奥さんしているんだねー」
「意外とは失礼な気がするんだけど」
アニーったらいつものように笑うだけでごまかすつもりなんだから。六日ぶりに会うアニーは見たことのないピアスを付けていた。マジックアイテムかな? 気にはなったけれど聞かないでおいた。聞いたところで私には関係ないのだから。
「それで本当に諦めるの?」
聞かれると分かっていた言葉。私はこれには答える義務がある。
「……うん、ジェイクを泣かせてしまってまでやれないからね」
「レイラの仇はいいの?」
「……良くない。でもレイラにも追うなって言われてるんだよね」
最後のレイラの言葉は私を気遣う言葉だったのだから。直後は頭に血が上っていたから冷静じゃなかったけれど、二人の思いを無碍にしていいのか分からなくなっていた。
「……そっか、ならしょうがないよね。」
アニーはお茶を飲み干すと椅子から立ち上がった。ご馳走様って言う声が少し震えていた気がする。
「……エリシア、私は戻ってくるのを待ってるからね。早くしないとやっつけちゃうからねー」
そう言ったアニーはいつものように笑っていた。
洗濯物を取り込んで次の洗濯物を干す。早くしないと今日は少し湿り気があるから雨が降るかもしれない。少しでもお日様にあてておきたいからね。
アニーが来た日から一週間経った。私はいつもと同じように家のことをしてジェイクの仕事を支えている。訓練なんてしている時間は無いもんね。
「ジェイク、お昼はどうするー?」
鍛冶場を覗き込んでジェイクに聞いてみる。今ちょうど手が離せないようで後で食べると返事が返ってきた。だったら簡単に食べられるようにパンとチーズを軽く焼いて何か挟もうかな。
ちょっと古いパンをナイフで切ってパンに切れ込みを入れる。そこに貰ったチーズと味付けをしておいた乾燥肉を挟んで窯で軽く焼き上げる。
うん、上手にできたかな? これは鍛冶場の近くに置いておいてジェイクに一言言っておけば大丈夫かな。
次は箒で部屋を掃き掃除しないとね。今まで家にいなかったからすっかり腕が鈍ってしまったけれど、これからは勘を取り戻していかないとね。
部屋を掃除していたらじゃが芋を大量に見つけてしまった。これは確か……そうだ、先日沢山取れたからってお母さんから貰ったんだっけ。シェリアにお裾分けしようと思っていたのをすっかり忘れていたんだ。
「今のシェリアなら扱いきれるよね?」
とりあえず見た目の良いのをいくつか見繕って袋に詰めておく。掃除が終わったら持っていこうかな、シェリアにも会いたいし。
シェリアは今、私のもう一人の幼馴染のオーベルの家に居候している。正直二人共もう結婚すればって思うけれど、そういうのは外野がいろいろ言うのも違うし大人しく見守ることにしている。
オーベルは村で狩人をやっているから良く家に獲ってきた獲物を分けてくれるんだよね。いつも分けてくれるから今度お酒でも持っていったらいいかな? シェリアと二人で飲んだらきっと良いと思うし。
「いろいろやることがあるから忙しい忙しい」
今日も私はいつもどおり元気。
家のこと頑張らないと。
これでいいんだよ、私。
―――これで。
風が吹き抜けていく、それはまるで何かを一緒に連れて行ってくれと願う私に応えるかのように、高い空へと舞い上がっていった。
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