4 理想と現実
硬直した二人が再び動き出したのはほんの数秒後のことであった。
「待って待って待ってよ! 情報が多すぎて処理しきれないわ!」
「そうですよ! それに、この方があの聖剣を……?」
二人とも座ることをせず、その場に立って大声を出している。
神父は「まあまあ」と言って二人にルティを差し出し、座るように促す。ローザもテレシアも納得しきらないような顔をしているが仕方なく座る。二人の黙るタイミングも座るタイミングも息ぴったりだ。
「はあ、説明してくれる?」
ローザは頬杖を突き、カナタをにらみつけて言う。
カナタは今までのこと、そして、先程神父に話したことをもう一度二人に説明をする。テレシアは頷きながら静かに話を聞いている一方で、ローザはカナタへの質問攻めが止まらない。
その困ったカナタの顔を見て神父はまた笑っている。神父ともあろうものが、人が困っているときに笑ってよいものなのだろうか。
「それで、勇者様、これからどうなさるおつもりですか?」
ローザの質問攻めからカナタを救ったのはテレシアであった。ずっと今までのことを聞かれ続けていたカナタにとって、その質問は新鮮に感じるものだった。
「これからか……やっぱ、魔王のところに乗り込むしかないんじゃないのか?」
「ずいぶん簡単に言うわね。どこにいるのかわかっているの?」
「いや、わからん! ローザ、わかっているなら教えてくれ」
「わかる訳ないでしょ! それに、魔王の顔も見たことないわ!」
「実は私も……見たことある人なんているんでしょうか?」
「まあ、町の外が魔王軍にすでに占拠されているようなもんだからなあ。モンスターはよく見るが、わざわざ魔王様が出てくる必要ねえし、魔界にでもいるのかもな」
魔王の手掛かりはなし。カナタはもちろん、神父たちでさえ知らなかったのだ。
「とりあえず、テレシア、勇者と一緒に森を見回ってこい」
「見回りですか?」
「こいつモンスターも見たことないらしい。勇者とはいえモンスターを知らないってのは危ないからな、一緒に行ってやれ」
「……はい、わかりました。それでは、勇者様、一緒に行きましょうか」
テレシアは立ち上がる。カナタも一緒に立ち上がり、壁に立てかけておいた聖剣をつかみ、持ち運ぶ。
「わ、本当に勇者なのね」
ローザは聖剣を見て改めてカナタが勇者であることを確かめたようだ。それでもまだ納得しない表情のままで、じとーっとした目でカナタを見つめる。
「それじゃあ、行ってきます、神父様」
「いってらっしゃい」
神父は笑顔で見送っている。ローザはテレシアに手を振っている。
「本当に大丈夫かしら、あの二人」
「ここら辺ならテレシアがいれば大抵のモンスターが来ても大丈夫だろう」
「それはわかってるよ! だけど、あのカナタって人、見るからに弱そうだから心配なのよ」
◇
「教会の周りには木がありませんが、この木の中、つまり森の中に入ればモンスターが出ます」
「へえー、ってそれテレシアの武器?」
「はい、そうですが……へ、変ですか?」
テレシアが持っていたのはテレシアの背よりも高い大きな十字架だった。角とかきっと威力が半端ないのだろう。
「変じゃないけどさ、なんか、そういう武器あるんだあって思って。アンデッドに効果抜群そうだね!」
「アンデッドとは戦ったことはありませんが、でも私、強いんですから! さ、森に本格的に入ります! 気を引き締めてくださいね!」
テレシアは笑顔を見せ、先に森の中へと入っていった。
カナタも急いで後を追う。先程の神父とは違い、後ろを歩くと女の子らしいいい匂いが漂う。カナタは心の中でひそかに幸せを感じ、剣を使う勇者と魔法で援護するテレシアの想像を膨らましていた。
「勇者様、これで戦いの練習をしましょう!」
テレシアが指さしたモンスターはRPGでは初歩中の初歩的モンスターであるスライムだった。
カナタの思っていたような頭のとんがったフォルムではないが、プルプルと動いていて、スライムの通った後の土は湿り気を帯びている。これは紛れもないスライムだ。
「おいおい、初歩中の初歩みたいなモンスターじゃねえか。仮にも俺は勇者だぞ、こんなの一振りでおしまいだろ?」
「頼もしいですね。それじゃあ、お願いします!」
テレシアは数歩下がり、カナタの勇姿を見届けようとしている。
カナタも勇者らしいかっこいいところを見せようと張り切っている。この世界に来て初めてそれらしいことをするのだ。こぼれる笑みを押し殺して酷いにやけ顔になりながらも、先程抜いたばかりの聖剣を両手で握りしめる。
スライムはプルプルとしながらカナタに背を向けている。
「おりゃああああああ!」
カナタの振りかぶった聖剣はスライムの中心を得ていた、はずだった。
スライムは右の方へするりと想定外の動きをし、カナタの聖剣はスライムをほんの少しかすった程度で終わった。
もちろん、スライムは元気なままだ。
「勇者様、初めての戦闘は難しいですよね。わかります、私も最初は苦戦しましたよ」
「う、うるせー! そのシスター的優しさが今は俺を苦しめてんだよ!」
「ま、まあ、スライムは正直初心者向けのモンスターではないんですよ! だから本当に安心してください!」
テレシアは大きな十字架を両手で握りしめてカナタの数歩前に出る。
「いいですか、勇者様。スライムはコアを狙うんです。それ以外の部分をいくら斬ってもそれはスライムにとってノーダメージなんです。それじゃあ、いきますよ!」
テレシアは十字架をまるで野球のバットを振るように持ち、一気に十字架を振る。
このとき、カナタは思わず尻もちをついた。
テレシアの顔が怖かったわけではない。振ったときに巻き起こった強風、そして重いブンッという風を切る音、すべてに圧倒されてしまったのだ。
スライムのコアは見事にスライムの中から飛び出し、木に当たり、その下に転がる。
「大丈夫ですか? 当たってしまいましたか? でも、当たっていたらもっとひどい姿のはず……」
勇者を心から心配し慌てふためくテレシアにカナタは立ち上がりながら「大丈夫だ」と伝える。
「お前、見かけによらずパワータイプだな」
「よく言われます、でも、戦力としては申し分ないと思うんです!」
「それは今のですごくわかったけどさ。それにその十字架、めちゃくちゃ重いだろ」
「私は思ったことはないのですが、これは魔物が嫌がる性質のある鉱石であったり、聖水や、たくさんの加護でできているらしいのですごく重い、とお姉さまと神父様はおっしゃっていました。持ってみますか?」
片手で十字架を渡してくる。女の子が片手で持っているのだ、鉱石やら何やらで重くなっているとはいえ、聖剣を引き抜いた男ならば持てる、そうカナタは謎の自信に満ち溢れ、カナタもまた片手で受け取る。
テレシアが手を離した瞬間にカナタは体ごと下の方に持っていかれる。
「いでぇえ!」
勢いよく下に落ち、さらにカナタの指は地面と十字架に挟まれ思いのほかダメージを受ける。
「ゆ、勇者様!? 突然視界から消えたのでどうしたのかと思いました!」
「テレシア、お前、一体どんな鍛え方したらこんな、振り回せるんだよ」
「お、女の子をそんな風に言うのはちょっとだけ失礼だと思います!」
テレシアは少し顔を赤くして、十字架をまた片手で持ち上げる。地面は十字架の型に凹み、カナタの手の型らしきものも付いていた。
「スライム相手はもう少し強くなってからにして、今はキノコやもう少し弱いモンスター相手に特訓しましょうか」
「お、お願いします……」
カナタの想像していた異世界での勇者生活は当分叶わないであろう。
笑顔で森の奥へ歩いていくテレシアについていくしかなかった。




